脱 ブラック

「うわー、やる気が起きねー」


 ナービーによる自動修正が行われるようになって一週間が経った。


 労働時間の短縮により、自由に使える時間が増えたのだが……


 そんな今日、俺は荒れ果ててしまった畑を窓から眺めながら独り言ちていた。


 転生してきた時には綺麗に整地されていた畑は一年が経った今、雑草がボーボーに生い茂っている。


 これだけ草が生えているのだから、虫もごまんといるだろう。

 

 俺は虫の類が本当に苦手だ。


 特に蚊や蠅といった羽がついている小さな虫。


 ぱっと見で視認できるほど大きければ、いくら気持ち悪い見た目をしていようとも殺虫剤で殺せばよい(死骸はティッシュペーパーで見ないようにすれば掴める)のだが、あのすばしっこい動きを目で捉えるのは困難であり、耳元を飛ばれているときのストレスは尋常ではない。


 焼畑農業は別の問題を生みそうだし、頑張って引き抜いていくしか……


『1件の正体不明の“異常バグ”が発生しました』


「まずはコイツからだな」


 最近、自動修正から漏れた“異常”を言い訳にして、畑いじりを回避するようになった。


 雑草を抜いて、畑を耕して、近くの街で種を買ってきて、植える。


 ここまでの一連の流れを想像して頑張ろうと気合を入れるのだが、どうしても草原に足が向かないのだ。


 そうなってくると、暇つぶしになるのは“異常”潰しと街をぶらつくくらいになってくる。


 神様からもらった給料をこっちの世界で使える貨幣に変えることもできるが、そうまでして欲しいものがあるというわけでもないし、食料はナービーの通販で買うことができるし、使い道がない。


 それよりも家が便利すぎて長時間外に出る気が湧いてこないのだ。


 この魔法文明が栄えた異世界の風呂、洗濯機、トイレ、キッチンといった生活必需の設備がジャパンクオリティを超えていないのだ。


 そのせいで旅行に行くのも気が進まないし、家にあるふかふかのベッドでゴロゴロしている方が気持ちいいし、なんと言っても楽なのだ。


 久々にのんびりと過ごしてみると、何も考えずに寝転んでいられることが気持ちよくて、ずーっとこうしていたいと感じてしまう。


 まあ、“異常”の修正のために外に出ないと行けないんだけど……


 いつもの黒のジャージに袖を通して、発生地に向けて《転送ワープ》を使う。


 到着した場所をナービーのマップ機能で確認すると、俺が住んでいる家から五十メートルほどしか離れていない近場だった。


 こんな近くにどんな“異常”が起こったんだ。


 好奇心を抑え、警戒しながらナービーのレーダー機能を用いて“異常”を探す。


 カサッ


 近くの茂みから音がする。


 ぐるりと辺りを見回して警戒するが、音を鳴らしたであろう生物の姿はない。


 姿はないが、レーダーが示す“異常”の位置と音が鳴ったであろう方向は重なっている。


 今回の“異常”はおそらく生物系だろう。


 こちらに対して攻撃的か親和的であるかはわからないが、恐れていたって始まらない。


 僕は慎重に一歩ずつ前進する。


 死ぬことはないと分かっていても、痛いのは嫌だから。


 え? なんで?


「あ、ア…エ……」


 茂みをかき分けて数歩進んだ先、そこにいたのは人間だった。


 それもまだ幼い小さな少女。


 少女は俺と目が合うと、驚いたのか体のバランスを崩して尻もちをつく。


 それでも目線は俺に向けたまま、怯えた様子で小さな体を震わせながら腕を使って後ろへと後退していく。


「待って、大丈夫。大丈夫だから」


 褐色の肌、短い白髪、黄色の大きな瞳。


 これらは異世界に来てから様々な人間を見てきたので慣れていた。


 だが、少女はそれだけじゃなかった。


 瘦せ細った四肢とこけた頬、ボロボロの布切れを継ぎ合わせた服。


 これらを見れば、少女がどんな環境で生きていたかが窺える。


 “異常”はこの世界の至るところで発生する。


 その解決のために俺もこの世界の至るところに出向いた。


 だから、見てきた。


 同じ王都なのに存在する天と地ほどの貧富の格差、人種差別による奴隷制度または迫害、血で血を洗うどころか魔法によって血すら残らない戦場……そして、そういった場所で大人に利用され、犠牲になる子どもたち。


 何度見たってこれらには慣れなかった。


 最悪とは何かを知った、そんな気分になった。


 初めて見たときにその場で思いっきり吐いたのを覚えている。


 そして、それを何度も見るたびに見ることしかできない自分が嫌になって、この仕事から解放されたくなって……


「大丈夫だよ。だいじょうぶ」


 俺は少女と目線を合わせるために立て膝になって近づく。


 安心してほしい一心でゆっくりと近づくが、少女は俺を恐れて縮こまるように体を小さくする。


「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」


 そう言って右手を伸ばし、少女の手に触れようと――


「痛って!!」


 俺は痛みで思わず、右手を振り払う。


 見てみると、指にくっきりと歯型がついている。


 少女が噛んできたことに驚くも、そうだよなと納得する。


 これまで酷い仕打ちを受けてきたのだから、優しくされて騙される経験だってしていたはずだ。


 警戒心を強めて俺に威嚇してくるかと思ったが、少女は目から涙を流しながらより一層と怯えた様子で俺を見ていた。


 怖いよな。


 俺は指を動かしてナービーの通販機能を使う。


 そうして、一秒と経たないうちに手のひらに商品が現れる。


 僕はビニールの袋を開けて中のもちっとしたものを取り出す。


 クリームパンだ。


 ナービーの通販機能には、日本で買えるような食品が揃っている。


 品数はそこまで多くないが、それでも日本生活のときと同じご飯が食べられることは今の俺にとって精神的な支えになっている。


 俺は手に取ったクリームパンを半分に割ると、少女に差し出す。


 だが、少女は受け取らない。


 食べたそうに見つめているが、警戒しているといった印象だ。


 予想通りだな。


 そう思い、僕は半分に分けたパンを齧り、大げさに飲み込む。


 そして、齧った方も差し出してみる。


「おいしいよ。食べてみて」


 少女は恐る恐る手を伸ばし、僕が齧った方を受け取ると口を小さくて開けて食べる。


「んっ!」


 少女は驚いた顔をすると、すぐに夢中になってもぐもぐと食べ始める。


 そして半分が無くなると、もう半分をじっと見つめだす。


 どうやら気に入ったようだ。


「いいよ。食べな」


 少女は俺の手からもう半分を受け取ると、また美味しそうにクリームパンを食べ始めた。


 さてと、“異常”はもう遠くに行っちゃったよな。


 ナービーを確認すると、レーダーはちょうど自分の近くを示している。


 というか、この方向って……


「嘘だろ」


 恐る恐る《解析アナライズ》を少女に使用する。


 絶対に勘違いであってくれと祈りながら。


『“異常”です。ただちに、《削除デリート》してください』

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職業【管理者】のせいで、異世界スローライフが叶わない 水没竜田 @ryu108

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