期待擬態

小狸

短編

 父のパソコンを目にしてしまったのは、昨日の夕方のことである。


 父は既に定年を迎えており、仕事を円満に退職して、大体を家に引きこもる生活を続けている。元々仕事時代から不摂生であったため、認知症か、糖尿病か、それとも脳梗塞か、いずれにしろ病気は秒読みだろうという――尊敬などという観念とは程遠い父親である。


 私の中学時代、家庭内別居をし、夫婦仲も険悪であった。

  

 母はおろか、私たち子どものことも、モノのように扱っていた。


 そんな状況を間近で見せられていたから、少なくとも、弟と私は、父のことを見放していた。


 介護は絶対にしない、と、決めていた。


 そんな父と少し話をした日のこと、父のパソコンが付けっぱなしになっているのを、思わず目に入れてしまった。


 見なければ良かった。


 そこには、果たして。



 ツイッターで過激な思想を振りまきながら論戦をする、アカウントの画像があった。



 私は思わず、二度見してしまった。


 は? と思った。


 いや、声が出た。


 父は、そんな私に気付いたのか、滔々とうとうと自分の政治的思想についてを語り始めた。この人は自分の味方で、とか、この人は適当で――とか。ネット上の、実在するかも分からないアカウント名を挙げて、論敵として紹介してきた。


 それを私は、唖然あぜんとしながら聞いていた。


 いや、頭に入っていなかったから、多分に聞いていなかったのだろう。


 そして同時に、納得もした。


 そうか、こういう人たちは――。


 


 一般的な生活が満ち足りていないから、こうした変な凝り固まった、口だけの頭でっかちが出来上がるのだ――対面することなく言葉をぶつけ合い、自分の思想を包括してくれる存在があるというのは、さぞかし快感なのだろう。


 とか――そんなことを色々と思って、気付いたら私は、父の部屋を出ていた。


 期待をしていた、ということはない。


 むしろ良い親で居て欲しいなどという思いは、子ども側からの勝手な押し付けだと思っている。


 だから、小学校の頃に殴られたことも、中学校の頃いじめから助けてくれなかったことも、高校の頃病院に連れて行ってくれなかったことも、受験の時ずっと部屋でギターを弾いて家で勉強できなくしていたことも、何もかも、仕方ないと思っていた。


 でも、それでも。


 どこか期待していたところもあった。


 血縁は切ることはできない。だからこそ、この人も、いつか変わってくれるのではないか、なんて。


 しかしそんな思いは。

 

 もう。

 

 既に。


 ――ああ。


 この人は、もうなのだ。


 と、そう思った。


 思ってしまった。


 定年を迎えて、そろそろ自分の臨終も見えてきたのだろう――父は最近、介護はよろしくね、だとか、一軒家を買ってね、だとか言うようになってきた。


 早く死ねば良いのに、という思いを飲み込んで、笑顔を作った。


 こうはなりたくはないと、私は思った。


 この後――。

 

 幼少期のトラウマが原因で失職した弟が、両親を刺殺したと、警察から私に連絡が入ったのは。


 丁度、令和五年の、九月の末のことである。



(了)

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期待擬態 小狸 @segen_gen

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