第10話、ニーチェはたくらむ。

 わらを詰め込んだ大きな袋を四角い箱にはめ込んだだけの粗末なベッドの上で、私はゾンビみたいなうめき声をあげる。


「ああんもぉおおお起きたくなぁぁあいいぃ……」 


 カーテンの隙間から差し込んでくる日差しから逃れようと身じろぎすると、どすんと床に落ちてしまった。


「ふげっ」と間抜けな声を漏らした私は、ベッドに戻る気力もなくそのまま天井をぼんやりと眺めた。


 ……最初から、元の世界に帰れない場合のことも考えていたし、そうなったときにどうするかも念頭に入れて行動してきた。けれども、いざ実際にそうなってみると、何もする気がおきなくなってしまう。


 そのままうだうだとしていると、ぐぅとお腹が鳴る。食欲がなくて晩御飯を食べていなかったから、お腹がぺこぺこだ。


 ――1階の食堂に行けば何か用意してもらえるかな。


 空腹に負けて立ち上がった私は、よろよろと窓まで歩いてカーテンを開けた。目の奥がずきっとするような青い空に、強い日差し。異世界の空は、私の気分なんてしったことじゃないと言いたげな快晴だ。


「やまない雨はないし、生きていればお腹も空く……」


 ……よし。とりあえず食事だ!


 私はチュニックを着て、部屋の姿見の前で身だしなみを整える。ロブにした黒い髪に、奥二重の黒い瞳。16歳に若返った私がそこにいる。


 この世界の皆さんはけっこう濃い顔つきをしているから、私みたいな薄い顔付きで黒髪、さらに珍しい黒い瞳で170㎝の高身長ともなるとかなり目立つ。


 変装した方がいいかなぁ。


 ――思わず勝手に巻物を使って逃げちゃったけれど、ベルナはまだ私を探しているかもしれない。さすがに街中では襲ってきたりはしないと信じたいけれど……。


 私は一抹の不安を胸に抱えたまま階段を降りて、食堂のテーブルに着いた。宿屋の娘さんらしき女の子に400AUの安い朝食を注文すると、乾いたパンと根菜がごろごろっと入った薄味すぎるスープがテーブルに並んだ。


 味わって食べるようなものじゃない。ぱぱっと口に詰め込んでいると、スキルから通知が届く。


 SYS:おはようございます。グループチャットに未読メッセージがあります。


 私はパンの固い皮をかじりながらチャットを開く。


 ◇ラフィン:お疲れさん。明日の予定だけど、とりあえずギルドに行くってことでいいな?


 ◇エッダ:おう。狼を売って『黒薔薇のシエラ』の懸賞金の受け取りをしねーとな。


 ◇レニ:うん。ニーチェさんのパーティ加入の手続きもしなきゃ


 ◇ガトー:肝心のニーチェから返事がないようだが。


 ◇ラフィン:もしかして寝てんのか?


 ◇エッダ:ガキじゃねぇんだぞ。こんな時間に寝るかぁ?


 ――うっ。すみません、寝ていました。


 ◇レニ:とりあえずこれをみたら返事をお願い

 

 私は急いでメッセージを入力する。


 ★ニーチェ:おはようございます。冒険者ギルドですね。何時に集合でしょうか?


 最後のひとかけらを飲み込んだとき返事があった。


 ◇ラフィン:おはよう! 俺はもうすぐギルドに着く。ニーチェさえよければすぐに来てくれ。


 ★ニーチェ:はい!


 魔王城まで続く通りは今日も冒険者たちであふれていて、まるで通勤ラッシュみたいな混雑だった。ダンジョンへと流れ込んでいく冒険者たちの流れに逆らって、何とか進むこと20分。汗だくになったころやっと冒険者ギルドが見えてきた。


「ニーチェ! こっちだ!」


 ギルドの入口近くにたむろしている冒険者たちの中からラフィンが出てくる。


「おはようございます。皆さんは?」


「ああ、おはよう。他のメンバーはギルドの中だ。……まずはこれを書いてくれ」


 渡された紙には「パーティ加入登録書」の文字。さっそくギルドのデスクで記入していると、小柄な少女が小走りでやってきた。


「おはよう、チェ。これで正式に『田舎者たちヒックス』の仲間入りだね」


「おはよう、レニ。よろしくね」


 レニのはにかんだ笑顔に癒されていると、ニタニタした笑みを浮かべたエッダが割って入ってきた。


「よぉ……。もちろん懸賞金の引き換え証は持ってきたよな?」


「はい、ちゃんと」


 私はエッダに苦笑いを返してから、オーシンからもらったカードを受付に提出した。


「確認がありますので少々お待ちください」


 受付係の若い女性がカードを手に奥のデスクへと消えると、いつの間にか隣に立っていた老魔法使いが声をかけてきた。


「高額だからな。少し時間がかかるだろう」


「わ!? びっくりした!? ……おはようございます、ガトーさん」


 ガトーは「うむ」とうなづいてから、少し離れた場所にあるもう一つのカウンターを鋭い爪で指した。


「待っている間にアッシュウルフの買い取りを済ませよう。こっちに来てくれ」


 言われるままにガトーと共に買取所に行くと、つんとした臭いが鼻を突いた。獣の臭いに草木の香り、それにこの鉄臭い匂いは鉱物だろうか。


「やぁ! ガトーさん、買い取りですか?」


 受付より一回り大きいカウンターに立っていたのは、背の高い30歳ほどの男だった。垂れ耳と丸い眼鏡が特徴的な犬の獣人だ。


「今日も元気だなシヴ。アッシュウルフの買取を頼む」


 シヴは私とガトーを見て、カウンターの上に小さなかごを置いた。


「牙? それとも爪ですか?」


「丸ごとだ。ニーチェ、たのむ」


 私はうなづいてから他の冒険者たちの目がないことを確かめると、カウンターの上でポシェットをさかさまにした。


 どさどさっとアッシュウルフたちの死体が積み重なっても止まらず、ついにはカウンターからぼとぼとと落ちてしまった。


「――うわ!? 何体あるんですかっ!?」


「これで終わりです。……大丈夫ですか?」


「こんなに入るだなんて……! もしやそのポシェットは聖遺物……!?」


 眼鏡を光らせて私のポシェットと凝視してくるシヴを、咳ばらいでけん制するガトー。


「それより買い取りだ。1頭いくらだ?」


「1階のモンスターですからそう出せませんが、状態が良いので……1頭100AUですね」


「そんなところだろうな。それで頼む」


「かしこまりました。では2千2百AUで買い取らさせていただきます」


 ――1頭で千円くらいか。金額だけみたらぼちぼちだけれど、冒険者たちは命を賭けてダンジョンに潜っているわけだから割が良いとは思えなかった。


 ……浅い階ならともかく、やっぱり冒険者を本業にするのは私には無理ですね。


 自分の不適さを改めて感じていると、ちょうど受付カウンターに係が戻ってきた。


「指名手配犯逮捕のご協力、ありがとうございました。20万AUになります」


 カウンターの上に並んだ金貨を見て、エッダが興奮した声を出す。


「うぉおおお!! すっげぇぜ……!」


「こら勝手に触るなっ! 餌にがっつく犬かよ!?」


 エッダを制しながら金貨を5つに分けたラフィンは、「あ、そうか」とつぶやいてから6つに分けなおした。


「黒鉄神官の分を忘れちまってた。6人だからひとりあたり3万3千AUだな。端数も一緒に渡しておいてくれ」


 私もつい忘れるところだった……! そうだ、ベルナの分……。でも、どうやって渡そう?


 頭を悩ませていると、にんまりとした笑みを浮かべて金貨を握りしめていたエッダがそそくさと場を離れようとする。


「じゃあアタシ、ちょっと行って――」


「酒場はまだ開いてねぇよ!」


 と、ラフィンに首根っこを掴まれてしまった。


 そのコミカルな様子にくすくすと笑っていると、ガトーが面目な口調で言った。


「ラフィン。今日はどうするんだ?」


「そうだな……。先立つものが手に入ったし、とりあえず装備の新調だな。それからいつものところで金策を……」


 はぁ、とわざとらしい溜息をついたのはエッダだ。


「まーた金策かよ。魔王城の攻略も進んでねーし、アタシはもう飽き飽きだぜ……」


「……エッダの言い分もわかるけどな、今の俺たちだと厳しいだろ? Dランクの依頼を受けられないまま3階を攻略したところでうま味は少ないぞ」


 不本意そうな顔のエッダがしぶしぶといった様子でうなづくと、私は気になっていたことをラフィンに聞いてみた。


「Dランクの依頼が受けられないというのは?」


「俺たちのパーティはEランクだから、Eランクまでの依頼しか受けられねえ。4階のモンスター討伐や採取の依頼はだいたいがDランクだから、Dランクの依頼を受けたいところなんだけどな……」


「そういうことですか。どうやったらDランクになれるのでしょう?」


「ギルドの昇級試験を受けるんだ。ギルドが選んだ1ランク上の冒険者パーティと模擬戦して勝つか引き分けになったら昇級ってわけさ」


「なら受けてみては?」


 もちろん適当なことを言ったつもりはない。今のラフィンたちは私のSNSスキルが付与されているから、他のパーティにはない連携力がある。


「私も……ニーチェさんの意見に賛成」


 一歩前に出たレニを見て、エッダもにやっと笑った。


「いいじゃねぇか。……もう一回、受けてみようぜ。前よりレベルも上がったし装備も良くなった」


 ちらりとガトーを見るラフィン。老魔法使いは何も言わず、視線を合わせるだけだ。


「――試験に落ちてからもう1年か……。受けてみるかぁ」

 

 そう言ったラフィンはわっと盛り上がったメンバーたちに手のひらを出した。


「あん? なんだぁ?」


 いぶかしそうにラフィンの手を見るエッダ。


「試験料。Dランク昇級試験は1万AUだ。ひとり2千AUずつな」


「げっ……まじかよ……!?」


 がっくりと肩を落としたエッダが最後にしぶしぶと2千AUを出して1万AUが集まると、私は「はい」と手をあげた。


「あの、パーティ加入の報告書を提出しないといけないので、試験の申請書も一緒に提出しましょうか?」


「お、気が利くな。ラフィン・メイカーっと……」


「では提出してきますね」


 サインを貰って受付カウンターへと向かうと、見知った受付係が声をかけてきた。冒険者登録のときにお世話になった年配の女性だ。


「あら。昨日のニーチェさんじゃない。今日はどうしたの?」


「これをお願いします」


 私が提出した書類に目を通すなり、「あらぁ」と上機嫌な声をだした。


「ヒックスは無名だけれどいいパーティよ。……はい、受理したわ。これで今からニーチェさんはヒックスの正式なメンバーということになったから」


 パーティの規則(仲間にもしもがあった時の対応や、不正行為があったときの罰則など)の説明を受け終わると、私は2枚目の用紙を出した。


「こちらもお願いします。試験料もこちらに」


 私が2AU分の銀貨をじゃらっとトレイに出すと、受付係は目つきを変えて用紙と私を交互に見た。


「――これ、本当に受けていいの?」


「ええ。もしかして不備がありましたか?」


「そうじゃないけれど……。たしかにラフィンさんのサインもあるわね……」


「はい。よろしくお願いします」

 

 ――こうして試験の申込書は無事に受理され、私たちEランクパーティ『ヒックス』は1週間後に昇級試験を受ける運びとなったのだった。


 私のたくらみに誰も気が付かないまま……。

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