第8話、ニーチェは神さまと再会する。

 ――さて、このあたりでそろそろ、「私」ことニーチェ・ハウエルがなぜこの剣と魔法の世界に迷いこんでしまったのか話しておこうと思う。


 『折原琉紺おりはらるこん』という、なんだかとても硬い金属みたいなキラキラネームを聞いたことはない?


 そう、それが元の世界での私の名前。


 数年前にネットやテレビなどを大いに賑わせた大学生の折原は、何を隠そう私なのだ。


 えっへん……と威張りたいところだけど、私が有名になったのはアイドルとしてデビューしたからでも、動画配信者としてバズったからでもない。


 ――犯罪者として報道されたからだ。





 完全匿名の総合SNSアプリ「フロマルファ」が産声をあげてから1年。


 大学4年生の私はすでに大手のIT企業から内定をもらっていて、悠々自適なモラトリアムを過ごしていた。


 ちょっとだけ足りない単位を取りつつ、フロマルファのアップデートをしたりオタク活動に励んだりと人生で一番充実した時間を送っていたの……だけど。


 それは記録的猛暑となった8月のある日の早朝。


 誰かが私の住んでいる安アパートのドアを激しくノックした。こんな朝早くに誰だろうかとよれよれのパジャマで出てみると、そこにいたのは怖い顔をした数人の警察官だったのである。


 ――まさかの逮捕だった。


 私はメイクをすることも許されずそのまま警察署の留置場にぶちこまれ、何日も取り調べを受けた末に起訴されることになった。


 逮捕理由は著作権法違反幇助の疑い。


 私が世に送り出したフロマルファには、この時点ですでに完璧な匿名性が備わっていたから、すでに様々な犯罪の温床となり始めていた。


 薬物の販売や管理売春、闇バイトの募集といったガチの犯罪もあったけれど、いちばん多かったのは違法ファイルのやり取りだ。


 高価なソフトウェアのコピーから、漫画、映画、ゲームなどなど「著作権? なにそれ美味しいの?」状態だったのである。


 私はそうなることを予見できていたにも関わらずフロマルファを世に送り出したとして、上記の著作権違法幇助の疑いをかけられたのだった。


 幸いにも保釈が認められてすぐにシャバに出ることができたけれど、弁護士さんは無罪を勝ち取ることは難しいだろうと悔しそうに言った。


 当時、すでに世の中には私のアプリを模倣したアプリがたくさん出回っていて、完全匿名のSNSアプリを悪用した犯罪は大きな社会問題となろうとしていた。


 その流れに対するけん制……あるいは見せしめとして、最大手であるフロマルファがやり玉に挙げられた、ということだった。


 さて、結果から言うと私は20代という貴重な歳月を6年も費やして最高裁まで争い、そして無様に敗北した。


 著作権違法幇助のほかに罪状はつかなかったから、罰金刑で済んだのは幸いだったけれど……。


 ――でも、本当の苦難はここからだった。


 訴状、訴状、訴状。個人から企業から、机の上で雪崩がおきるくらいの訴状が私のもとに届いていた。


 いわく、「わが社のソフトウェアの〇〇は、フロマルファによって違法に配布されていなければ〇〇本は売れていただろうから、その分の金を払え」だの、いわく「フロマルファがなければ私のかわいい息子は犯罪に加担しなかっただろうから、お前にも責任はある。よって金を払え」だの、とにかく金があるうちにむしり取ってやろうという人たちが私を訴えまくったのだった。


 もちろんそんなお金はない! 広告収入や、プレミアムプランに加入している利用者からの利用料、さらにフリマサービスの手数料などでそこそこの利益を上げてはいたけれど、そのほとんどがフロマルファの維持費用に消えていたからだ。


 それでも10億円くらいはあったけれど、ぜんぜん足りなかった。


 そして29歳になった私は、ついにすべてをリセットしてやり直すことにした。自己破産である。


 自己破産は負債がゼロになるという救済措置だけれど、貯金も家も車も、そして信用さえも失う最後の手段だ。


 でも、私はすでにフロマルファのことはあきらめていたから、それでよかったの。


 フロマルファに関する権利はとっくに他の企業に売却してしまっていたし、なによりフロマルファのような匿名SNSはすでに人々の記憶から消えようとしていたからだ。


 匿名SNSの開発者わたしが逮捕され有罪になったというニュースは、たしかに匿名SNS界に少なからず衝撃を与えたけれど、たった一匹の羊がいけにえになったところで、その勢いはとまらなかった。


 では何が匿名SNSをSNSの勢力図から消し去ったか。その答えは『量子チップ』だ。


 それまで一部の専門的な量子コンピューターにしか搭載されていなかった量子チップがついに民間に出回ったことによって、数多くあった匿名SNSたちはあっというまに丸裸にされてその匿名性を失った。


 量子チップによる超高速な並列計算は、匿名SNSを匿名たらしめていたブロックチェーン技術にとってまさに天敵だったからだ。


 ――人々はNETIDの登録が必要なSNSへと回帰し、非匿名SNSはスタンダードになりつつあった。混沌としたネットのはしっこに自分の居場所を見つけていた私のような人間は、この新たな秩序にしかたなく順応するか、それともSNS自体から身を引くしかなかった。


 ――でも、私はまだあきらめていなかった!


 しがないフリーランスのプログラマー、折原琉紺29歳、彼氏なし。


 私は新たな自由をもとめて、量子チップに対応した新たな匿名SNSアプリの開発に着手していた。


 それは奇しくも記録的猛暑となった8月のある日の深夜のこと。


 エナジードリンクといまどき誰も吸わなくなった紙たばこを燃料に、時間結晶からヒントを得てひらめいた新たなプログラムを走らせているときだった。


 ……なんですか、これ?


 試作中のコードは、まったく身に覚えのないテキストを表示して勝手に止まってしまった。


 ――そのあくなき混沌への希求を生かせる世界に興味はありませんか? >Y N


 なんだろうこの文字列? まさかハッキング??


 と慌てたけれど、そもそもこの開発用のパソコンはスタンドアロンだし物理的にオフラインだから絶対にハックされない。ありえるとすれば、インストールしたアプリに仕込まれていたウイルスの仕業……くらいだろうか。


 でも私のマシンに侵入できるウイルスなんて……気になってしまう。もしイエスを押したらどうなるのだろう?


 > Y 


 好奇心でエンターキーを押したその瞬間、私の意識はすとんと落ちて――





「まるで一本の大木みたい……!」


 魔王城1階の大部分を占める草原のほぼ中央に、ほかの森とはあきらかに様相のことなる場所があった。私の顔よりずっと大きい葉っぱを茂らせた広葉樹が、前を見通せないくらいの密度で茂ったうっそうとした森だ。


「こっちだ。ついてきてくれ」


 ゲームによく出てくる世界樹みたいなその森を見上げていた私は、慌ててベルナの後を追う。


 木々の根本に空いた入り口をくぐると、10mほどの天然のトンネルになっていて、その先に目的の『神殿』があった。


「すごい……! これが……神殿……!」


 思わずため息がでてしまう。暗い森の中にこんな場所があるなんて誰が思うだろう。


 それは森の中にぽっかりと空いた、天然の広場だった。ふかふかとした苔が生えた平地の中央には小さな泉があって、小動物や鳥たちがこぞって喉を潤している。


 不思議なことにモンスターの姿はなく、鳥たちも声を出すことをためらっているかのようにしんと静かで、清浄な空気にみちていた。


「……だれもいないのですね。こんなにきれいな場所なのに」


 静寂に溶けてきえてしまいそうな小声だったのに、私の声は周りを取り囲む木々の壁に大きく反響した。


「モンスターも出ないし、役に立つ植物や鉱石が採取できるわけでもないからな。たまに巡礼者が来るくらいだ。さ、こっちだ」


 神殿の外周を進むベルナの後を追っていると、明らかに人の手が入った道へと出た。古びて風化してはいるけれど、結晶質な白いブロックで舗装された細い歩道だ。


「ここは誰が作ったのでしょうか……」


「このダンジョン『魔王城』が発見された100年前にはもうこの神殿はあった。おそらく歴史から消えた太古の人々の手によるものだろう」


 人々に一度は発見されて手を加えられたダンジョンが、また何らかの理由で埋もれてしまって、そこにたまたまできた町の人々によって再発見された……。


 歴史のロマンに浸っていると、ベルナが足を止めて私の方へと振り向いた。


「これが神像だ」


 もっと派手で大きなものを創造していたけれど、神像は台座を除くと私の背丈と同じくらいの等身大サイズだった。透明感のあるこの白い石は漢白玉アラバスターだろうか。相当な年月が経っているはずなのに、風雨に傷むことも苔むすこともなく、美しいままそこにたたずんでいた。


「美しい女性の姿をしていますね……。この神さまのお名前は?」


「この神は『稔りと慈愛の神ヴィータ』。女神であり、我々に大地の実りと、清らかな水の癒し、そして子孫繁栄の力を与えてくださる」

 

 ベルナは女神の前にひざをつき両手を合わせて祈るしぐさをしてみせた。


「さあ同じようにしてみてくれ。もし神の声が聞こえたなら、君はヴィータの奇跡を賜った『稔りと慈愛の聖女』だ」


 私は少しばかりどきどきしながら膝をついて、見よう見まねで手を合わせてみた。


 えっと、南無阿弥陀仏……は、違うか。


 ……うん。ちょっと待ってみたけど何も聞こえない。


「どうだ?」


「……たぶん違うと思います」


 ベルナは特に気にした様子もなく「そうか。では次だな」

と、神殿の外周にぽつりぽつりと等間隔で安置されている神像を順番に紹介してくれた。


「この勇ましい神は『武と探究の神アべントゥーラ』だ」


「あ……! 冒険者ギルドで登録したときに、申込書に名前がありました」


「冒険者ギルドはアベントゥーラを副神に据えているからな。……さぁ、もう一回やってみてくれ」


 いわれるままにまた膝をついてお祈りしてみるけれど、声は聞こえない。

 

 私が申し訳なさそうにすると、ベルナは気にするなと言いたげに眉を上げてまた歩き始めた。


 ――それから私たちは『光と正義の神ジャスティア』、『炎と鍛冶の神イグニス』、『魔と英知の神サピエンティア』などなど、いくつかの神像を巡ったけれど、やはり声が聞こえることはなかった。


 そして6体目の神像へ。


「この神は『法と秩序の神オルド』。世界でもっとも信仰されている神だ。私たち七聖教団は神に序列をつけることを良しとしていないけれど、このオルドを主神と定めている教団は多い」


 つまり七人(柱?)いる神様のリーダーがこのオルドさまってことかな。冒険者ギルドのようにオルドさまがメインだけど、武と探求の神アベントゥーラも副神として信仰している人や団体も多いと……。


 この世界の宗教がなんとなくわかってきたけれど、やっぱりオルドの声も聞こえなかった。


「そうか。残念だな。オルドの加護を授かった『法と秩序の聖女』なら、本部からかなりの補助金が……」


「……補助金?」


「あ、いや。なんでもないんだ」


 なんだか生臭い話を聞いてしまったけれど、それは聞かなかったことにして、私たちは最後の神像に向かった。


「これが七大神の最後の神『商売と黄金の神オーラム』だ。商業ギルドの副神であり……ニーチェ? どうした、まさか声が聞こえたのか?」


 オーラムはひげを蓄えた壮年の男性で、自分より大きな荷物を背負っているという姿だ。けれど……これは……どういうこと?


「あの……オーラムさまは、若い女性のお姿では……?」


 ベルナは首をかしげる。


「間違いなくこの神像こそがオーラムだ。地域によっては少し姿が異なって伝わっていることもあるけれど、若い女の姿という話は聞いたことがないぞ」


「……実は私、オーラムさまにお会いしたことがあるのです」


「な……!? 君の前に降臨したということか!?」


「はい。ほんの少しでしたけれど。その時のオーラムさまは、私みたいな黒い髪に黒い瞳をされていて……。その、なんというか……」


 端的に言って変な神さまだったのだけれど。


「黒い髪に黒い瞳……? まさかとは思うが……。――ニーチェ。こっちに来てくれ」


 緊迫した顔のベルナに手を引かれた先にあったのは『法と秩序の神オルド』と対角線上にある場所だ。ほかのところと違って苔が生えておらず、不自然に土がむき出しになっている。


「ここだけ妙だと思わないか?」


 そうベルナに言われて私はあたりを見渡してみた。地面のほかには特に変わった物はなさそうだけれど……。


「ここだけ神像と神像の間が広いような……?」


 ベルナは重々しくうなづくと、少し緊張した目つきで言った。


「私はここに8体目の神像があったのではないかと考えている。もう一度だ。ここで祈ってみてくれ……」


 神像も何もないところだったけれど、言われるままに膝をつく。


 えーっと……神さま、私の声が聞こえますか……?


「――ん? あーしのこと呼んだ?」


 神聖な神殿の空気をかき混ぜる、軽佻浮薄なこの声は……!


 まさかと顔を上げると、まるでそこに最初からいたかのように若い女が立っていた。黒髪に黒い瞳、そして目元には特徴的な泣き黒子――。間違いない。私をこの世界に連れてきた黒づくめの神だ。


「――オーラム!! いったいどういうつもりなのですか!?」


 私は彼女の胸ぐらにつかみかからんばかりの勢いでまくし立てた。いいたいことが山ほどあったのだ。


「ここは何!? どうして私をこんな世界に? というか、私、もうすでに4回くらい死にかけましたよ!?」


 少女は「オーラム?」と首を傾げたあと、ぱんと手をたたいた。


「あっ、ごっめーん!! あーし、オーラムじゃないから」


「……は? でもあなた、私にこのポシェットマジックバッグを渡したときにオーラムって名乗りましたよね?」


「あ、それ嘘だから」


「……!?!?」


「――あーしは『混沌と創造の神ケイオス』。8人目の神だよ。改めてよろしくね★」


 意味不明すぎてぽかんとしている私の腕をベルナが引いた。


「やはりそうか。……ニーチェ……下がっていろ!」


 私の前に出たベルナは、メイスの先をケイオスへと向けて低い声で言った。


「邪神め……! この神聖なる聖域に何をしに来た。それ以上虚言を弄し我らを惑わすというなら、七大神に代わって私が滅する!」


「うっわ、この人こっわ!! え、なになに? ねぇニーチェっち、あーし、なんかした?」


「問答無用! ――【鉄槌Ⅲ】!!」


 大地をえぐるほどの踏み込みの後に、鉄球が黒い下限の月を描く。遠心力と全体重が乗ったメイスの一撃は棒立ちのケイオスの額を見事に撃ちつけ、


「――な、な……!? 私の……最大威力のスキルだぞ……!?」


 身じろぎすらさせることはできなかった。


「草。そういうの効かねーって分かるっしょ。あーし、神さまだよ?」


 メイスを無造作にひっぱってベルナを手繰り寄せると、ケイオスはその頭頂に手刀……というか、ただのチョップを変な掛け声といっしょに落とした。


「――ぬるぽっ!」


「がっ……!?」


 ベルナを地面に転がすと、私ににこにことした笑みを向けてくるケイオス。


「思ったより早くここに来てくれて嬉しーよ、ニーチェっち」


 妙にフレンドリーで気味の悪いケイオスを警戒しながら、私は倒れたベルナをゆすった。


「ベルナさん! ベルナさん!?」


 眠っているかのようなゆっくりとした呼吸を繰り返しているのに、まったく起きる気配がない。


「……ベルナさんになにを!?」


「そんな顔しなくても大丈夫だよ。ちょっと静かにしてもらっただけだし」


 ケイオスはちょいちょいと私に手招きすると、気絶しているベルナの上にどっかと座って足を組んだ。


「ニーチェっちも座りなよ。聞きたいこと、いろいろあるっしょ?」

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