第5話、ニーチェは冒険者にSNSを導入する。

 アッシュウルフは狼を少し大きくして、爪や牙をもっと凶悪にした感じの姿をしている。モンスターではあるけれど、あくまで狼の延長線といった姿だ。


 しかし、その王と王妃はもはや狼ではなく純然たるモンスターだった。


 月光を思わせる白銀の毛並みに包まれた体をしなやかに動かし、黒曜石のような爪を振るう王。対するラフィンは左腕に取り付けたバックラー小型の丸盾でそれを何とか受け流し、踏み込みからの突きで反撃に転じる。


 けれど浅い。片腕では完全に殺しきれなかった衝撃が、ラフィンの動きから鋭さを奪っていた。


 その隙を王は見逃さない。その巨躯でよくもと思える俊敏さでラフィンの胴に食らいつこうとする。磨かれた象牙のような艶のある犬歯が鎧を穿つかに思えたとき、


「――【剛射Ⅰ】!!」


 限界まで引き絞ったレニの長弓から、銀に輝く矢が放たれた。その矢じりは祝福を受けた聖銀だ。アンデッドや悪魔、そして狼に特攻効果をもつ必殺の一撃。


 さすがの王もその矢じりが秘めたる力を無視することはできなかったようだ。いささか大げさと思えるほどに大きく飛びいて回避し、鼻先をレニへと向けた。


 牙をむき出しにして、弾丸のように飛び出そうとした王はしかし、鎖につながれた猛獣のように急にがくんと止まった。


 何事かと後ろ足を振り返る王の青い瞳に、うごめく緑のつるが映る。


「――【早蕨さわらびⅡ】」


 ガトーが緑の燐光を放つ杖をかかげると、緑のつるは爆発的に伸びて王の足に幾重にも絡みつき、ほんのわずかな間ではあるけれど、王の動きを完全に止めた。


 千載一遇の好機に、パーティのだれもが勇んだ。ラフィンは剣を頭上に振り上げ、エッダは槍を手に突進を仕掛ける。レニも背中の矢筒から複数の矢を一度に引き抜き、連射の姿勢に入った。


 しかし、冒険者たちに注がれていたはずの勝利の女神のまなざしは、急に横へと逸れてしまった。


 ーーたたらを踏ませるほどの大地の揺れが、冒険者たちの足をすくっていた。


 ……こんなときに地震!?


 私はそれがすぐに間違いだと気づくことになる。耳をつんざくような狼の咆哮は大地を切り裂いて、何もなかったはずの草原に絶壁をそびえ立たせる。切り立ったその頂に鎮座するものは、狼王と並び立つ者――王妃だ。


「姿が見えぬと思ってはいたが、まさかレベル4の魔法を詠唱していたとは……!」


 ころりと転がり落ちた小石に、魔法の詠唱に入ろうとしていたガトーの表情が硬くなった。


「――間に合わん! どうにかして避けろ!!」


「どうにかってどうやってですか――!?」


 私の間抜けな叫びが合図だったかのように、絶壁は一気に決壊した。大小の岩々はばらばらに転がりながらも、確かな指向性をもって私たちへと流れ込んでくる。


 ――あ。これは死んだ。


 想像を超えた光景に現実感がわかず、どこか他人事のようにそう思ったとき、――凛とした声が轟音の合間に割り込んだ。


「――【対魔障壁Ⅲ】」


 濁流をせき止めんとひとり立った神官が展開したのは、神聖なる光の障壁。全であり一である七色にして白の光は、すべてのマナを内包する存在であり、魔法に対して高い耐性をもつ。


 ゆえに王妃が詠唱したものがレベル4の魔法であっても、そのすべてを受け止めきることができるはずだった。


 ――しかし、それを良しとしない者がいた。障壁のない側面から強襲を仕掛けてきた銀の狼――王だ。


 王は障壁さえ消えれば勝負がつくと理解しているようだ。立ちふさがるエッダを飛び越えて、無防備なベルナに襲い掛かる。


 しかしそこにまたしても邪魔が入った。ラフィンだ。王は相手にしていられないと立ちふさがる剣士を迂回しようとするけれど、それを許すラフィンではない。


「こっちだ! ――【挑発Ⅱ】!」


 敵意をひきつけるスキルの力によって、王の矛先を自分へと向けさせたラフィンはちらりと横に視線を送った。その先には、王の背中へと回り込もうとするエッダがいる。


「――【アサルトⅡ】!」


 低姿勢から繰り出された突進は加速度的に勢いを増して、騎馬のごとき猛進をもって王へと迫る。狙いもタイミングも完璧、槍が無防備な王の後ろ首を貫くのは確実。


 でも、その一撃は届かなかった。予知し得ない死角からの一撃を、王が回避できたのは――


「あっ……!?」


 レニが息を呑む。エッダの奇襲の直前に、ラフィンの援護のためにレニが放っていた聖銀の矢。その輝きを回避しようとした王の動きが、偶然にもエッダの槍をも避けたのだった。


「なっ!? と、止まれねぇっ!!」


 まさか当たらないとはこれっぽちも思っていなかったのだろう。勢いのままに王の横を素通りするエッダ。その無防備な横顔を王が捉える。


「やべぇ――!?」


 王は体を鞭のようにしならせ、反動を効かせてエッダを弾き飛ばした。派手に吹っ飛んだエッダは草原の上を弾みながら転がり、そのまま動かなくなる。


「エッダ!?」


 ポーション回復薬の小瓶を手にエッダの救助を向かおうとするラフィンを見て、ガトーは魔法の詠唱を中断して声を荒げた。


「後ろだラフィン!!」


「な――!?」


 仲間の危機に、自分が王のターゲットになっていることを失念していたらしい。ラフィンが振り返ったときには、すぐ後ろに首を刈り取ろうとする王のあぎとが迫っていた。


「レベル2だがやむえん! ――【真木柱まきばしらⅡ】!」


 ガトーが詠唱した【真木柱】は大地から木々を萌やして防壁とする魔法だ。老魔法使いの狙いは精緻で、木々は遅れることなく王の前に立ちふさがる。だが、その太さは王の突進を止めるにはいささか頼りない。


 王はベニヤの板を割るように木々を突破し、ラフィンへと喰らいつく。トラばさみのようにばちん閉じた顎が、ラフィンをかすめたように見えた。


「うそ!? ラフィン!?」


 レニが悲鳴のような声を上げるのも無理はない。王の牙は上下からラフィンの左腕を万力のように挟んでいて、今にもへし折ろうとしていた。


「この……っ!! させるかっ!!」


 王が頭を跳ね上げて腕をもごうとした刹那、ラフィンは口に剣を差し込んで梃子の原理でこじ開けた。口が開いたのはほんの僅かだったけれど、その隙間から腕を引き抜く。


 王はすんでのところで脱出したラフィンをにらみつけながら、何かをぺっ、と吐き出した。からんと転がったそれは垂直に折れてしまっている。


「おっかねー……。安物といっても鋼の盾だぞ……!?」


 軽い口調とは裏腹に震えた声を出したのはエッダだ。


「エッダ!? 大丈夫か!?」


「なんとかな……。しかし虎の子のランク3のポーションを使っちまった。次は無理だぜ」


 エッダがラフィンのとなりに立つと、駆け付けたレニがくぐもった声を出した。


「ごめん……」


 さきほどの連携ミスを気にしているようで、レニの顔には焦りがみえた。


「まぁそういうこともあるさ……。それよりこのデカブツをどうするかだぜ。黒鉄神官さまがあっちを抑えてくれてるうちになんとかしてぇが……」


 エッダの言葉に私はハッとなった。そうだ、ベルナは大丈夫だろうか!?


 3人の影から辺りを見回してみると、ベルナは私たちからだいぶ離れたところで、熾烈なつばぜり合いを王妃と繰り広げていた。


 王妃は王を援護しようと隙をみて魔法の詠唱を試みているけれど、絶え間なく攻撃してくるベルナに押されてままならない様子だ。

 

 しびれを切らして反撃してみても、攻撃的な見た目とは裏腹にベルナの防御は厚く、思うように崩すことはできない。かといってベルナもまた王妃に決定打を与えることはできず、戦況はベルナの優勢ながらも泥仕合を呈している。


 一方で王と4人の冒険者もまた膠着しはじめていた。レニの必殺の矢を警戒して強引に攻めることができないために、攻勢に出られない王。バックラーを失って盾役として不安のあるラフィン。そしてエッダはというと、王の隙を突いた攻撃を繰り出してはいるものの、レニの動きを気にしているようで精彩に欠けている。


「銀の矢は何本だ?」

 

 最後列にいる私のとなりから、バフ補助魔法で前衛を援護していたガトーの問いに、レニは弓を引いたまま答えた。


「1本。これが最後」


「そうか。動きを阻害できればいいのだが、俺も魔力がもう残りすくない……。できるとしたらあと1回だ。お前も機をしっかりと見定めろ」


 ガトーの返事はいつも通り鷹揚がない枯れ声だけども、その顔には疲労が色濃く出ている。


 私はいま一度、4人を見渡した。ガトーは王の動きを完全に止めるだけの魔法が使えるし、レニも王が恐れるほどの一撃を持っている。エッダも高威力のスキルを使えるだけでなく、長いリーチと攻撃力を両立させた鮮やかな身のこなしが光っている。ラフィンは高い次元で攻守に優れている上に、ここぞというところで機転が効く勝負強さがある。


 ……けれど、どうにもかみ合っていないのだ。


 レニは弓使いだから前に出ることがなく、前衛と連携が取りにくい。そのフォローするためにエッダは王に隙を作ろうと苦闘しているけれど、それは彼女の持ち味を殺してしまっている。本来、その役割はラフィンのものなのだろうけど……。


「くそっ! エッダ、散発的に攻めるな! 俺に合わせろって言っただろ!?」


「お前の股間そっくりなその鈍らラフィンの剣と力を合わせたところじゃこいつは倒せねえよ! 」


「んなことはわかってる!! 俺とおまえで同時に攻撃して、なんとか怯ませるんだよ!  このクソビッチ!!」


 と、王を相手に余裕があるのかないのか、ののしりあう始末である。


 そしてこのパーティ唯一の常識人のガトーはというと、ラフィンに期待しすぎて判断を間違うところがあるようだった。


 ……さっきのガトーの魔法。もしあれをレベル3で発動できたのなら、王の突進を完全に止めてレニが攻撃するチャンスも作れたはずだ。なのに彼は、詠唱を中断してまでラフィンに声をかけることを選んだ。結果だけ見れば完全なミスだ。


 ――連携がとれれば勝てそうなのに。


 やってみる……価値はある。私のスキルは情報共有とコミュニケーションのためのスキル!!


 ――【SNS付与Ⅰ】!


「うお!? なんだこりゃ!?」「と、登録って文字が……!?」「なんだぁ!? 敵の魔法か!?」「――これは」


 4人の動きが止まったのを見て、私は慌てて叫んだ。


「登録を押して! あとはこっちでやるから!」


 レニは素直にうなづき、ガトーは冷静に、ラフィンは怪訝そうな顔で、エッダは目を回しながら登録を押した。


 よし、あとは私が――! 


 詳細は後回しにして、名前だけを入力。メッセンジャーを起動して、私が作成したグループチャットに4人を加えた。


 ★ニーチェ:手を止めずに聞いてください。これは意思疎通を可能にする私のスキルです。頭の中で考えたことが、皆さんで共有できるはず


 ◇レニ:こ、こう?


 ◇ガトー:なんと……! こんなスキルがあったとは……!


 ◇エッダ:うえっ。なんだこれ! 酔っちまいそうだぜ!


 ◇ラフィン:――そうか。これなら……!


 やっぱりラフィンは機転が利く。


 ◇ラフィン:俺に考えがある。俺が指示を出すから、信じて動いてくれ! 頼む!


 ◇エッダ:……それでこいつが倒せりゃ文句はねーよ


 ◇レニ:わかった


 ◇ガトー:了解。やってみろラフィン。


  ……さぁ、反撃開始だ!!

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