第109話 もう1つのスローライフ-①

「兄貴……。あいつは、見逃すんで?」


 鋭い目つきで、ソファーに座っている男を見た。


「そう言うな! まだ東京にいれば、考えたが……」


 息と共に煙を吐き出した兄貴は、苛立たしげにつぶやく。


「同じ系列と言っても、他所に借りを作るのは良くねえ……。それに、あいつは室矢むろや槇島まきしまを差し出して、すぐに帰った! ただの小者で、現場にはマトリもいた……。地の果てまで追い詰め、ぶち殺すほどでもない。まったく、逃げ足は早い奴だ」


「うっす!」


 怖い雰囲気の男たちは、その話題を打ち切った。



 ――どこかの田舎


 東京で話題にされた男は、慌ただしい引っ越し。


 室矢カレナと槇島皐月さつきをタワーヒルズに連れていき、詐欺師の沢々さわさわ炭火すみびへ引き渡した張本人。


 ディアーリマ芸能プロダクションのマネージャー、せきだ。


 だった、と言うべきか……。



 日差しの下で、両手を上げての伸び。


「ふ――っ! 一時は、どうなることか? と思ったぜ……」


 女子2人を炭火に渡したことで、事情聴取を受けた。


 けれど、マヴロス芸能プロに転職する代わりに、2人をスカウトする機会を作る。というだけ。


 知っていることを全て話し、あっさりと解放された。


「売人や沢々たちを捕らえて、満足したか……」


 独白した関は、周囲を気にした。


 誰もいないことで、再び、息を吐く。


 他にいなければ、自分が詰められ、前科がついたろう。

 どこでも、ノルマ、ノルマ……。


「ん?」


 近くの影が動いた気がして、思わず地面を見る。


「……気のせいか?」



 古い民家だが、れっきとした戸建て。


 そこに入った関は、冷蔵庫から酒の缶を取り出し、つまみも。


 荷物を抱えたまま、畳の上にあるソファーへ身を投げ出した。


 リモコンで、テレビをつける。


『室矢さんはいつも、この店を利用していて――』

「おっと……」


 自分が売ったカレナが映り、反射的にチャンネルを変えた。


「お前らも無事だったようだし、恨むんじゃねえぞ? 俺は、あそこへ連れていくだけ……。決して、ヤク漬けにされると知っていたわけじゃないんだ」


 気を紛らわすために、缶を一気飲み。


「恨むなら、同じユニットの川奈野かわなのを恨め! あいつが俺の担当のままでいれば、こんな真似をせずに出世できた……。お前らだって、すぐに仕事がなくなるよ! 子役の寿命は短い。今のうちに、チヤホヤされていろ!」


 ディアプロも、あっさり退社。


 事務所の人気タレントを売ったことで詰め腹を切らされると、ビクビクしていたが――


 拍子抜けするほど、すぐに認められた。


「世間の注目を浴びていて、下手な仕打ちをすれば事務所もガサ入れと、ビビったのか? ハッ!」


 だが、意気消沈する。


「本当なら、マヴロス芸能プロの幹部で命じる立場だったのに! 沢々の野郎がパクられるとは……」


 どうせ捕まるのなら、約束を果たした後で捕まれ!


 そう叫びたい関は、かろうじて、口を閉じた。


 見返りがなかったことで、自分は見逃されたのだ。



 ピンポーン


「はーい!」


 酔ったままで、フラフラと玄関へ。


 ガチャッと開ければ――


「こんにちは! 関さん。お食事は、もう終わりましたか?」


 初夏のワンピースを着た、女子大生ぐらいの美女。


 20歳らしいが、童顔。

 肩の上で切りそろえている、スポーティな感じだ。


 体の前で、重そうな買い物バッグを抱えている。


 それを見た関は、思わず手を伸ばした。


「持つよ! いや、まだだ……。秋山あきやまさんは?」

「私も、まだです! ここで作ろうと思いまして」


「言ってくれれば、車を出したのに」

「い、いえ! そこまでは……」


 オタオタする秋山を後目に、関は買い物バッグを持ち上げた。


 かなり重い。


 ふと思いつき、上体だけ振り向く。


「……そういえばさ?」


 背後で、動揺した気配。


 笑顔の秋山が片手を後ろに回しつつ、応じる。


「……何でしょう?」

「秋山さんはどうして、この田舎に? 何もないでしょ、ここ」


「都会の喧騒に疲れたと言うか……。そういう関さんこそ、どうなんですか?」

「俺? ……まあ、秋山さんと同じかな?」


 コロコロと笑った彼女は、すぐに突っ込む。


「その言い方は、ズルいですよ!」

「ハハ! ごめん、ごめん……」


 広い台所へ向かいながら、後ろの秋山がポツリと呟く。


「あなたに会うため……と言ったら、信じます? 他の人に渡したくありません」

「え?」


 立ち止まって、後ろの秋山を見れば、軽く両手を上げた。


「冗談ですよ、冗談! さっきのお返しです」

「ハハ、そっか……」


 関は応じながらも、甘酸っぱい青春を嚙み締めていた。


 嫌なことがあれば、良いことも。

 命を狙われる東京から逃げて、大正解だった!


 田舎に絶対いないであろう、気立てが良い美女。

 ご近所によれば、ほぼ同じタイミングで引っ越してきたようだ。


 地元の独身も目をつけたが、俺のところに入り浸り。


 そりゃ、こんな僻地にずっといる子供部屋の住人よりは、俺のほうがマシだろ?


 関は優越感を抱きつつも、台所に辿り着いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る