第90話 枕営業という現実(後編)【まどかside】

「この度は、弊社のタレントが失礼いたしました!」


 90°の角度で頭を下げた、スーツ男。


 片方の腕で、隣に立つ男子――私を気遣ってくれた男子に因縁をつけていた――を小突く。


「す、すいませんっ!」


 その男子も、横にならった。


 ここに、私を気遣ってくれた男子の声。


「1つ、聞くけどさ……。何に謝ってんの?」


 頭を下げていたスーツ男が、顔を上げた。


「はい! 悠月ゆづき様へのご無礼をお詫びすると共に、その埋め合わせをご提案したく――」

「要するに、『機嫌をとるから、親には言わないか、ごまかしてくれ!』ということ?」


 あけすけな物言い。


 この業界にいるだけあって、スーツ男も、ぼかしながら肯定。


「私の口からは、とても……。悠月さまが気に入られる子をご用意いたします! 弊社は男性タレントに強い事務所ですが、系列の女子が多い事務所にも顔が利くので! 悠月さまの接待でしたら有名どころも呼べますし、何人でもOKです! その際に、悠月さまが面倒なことを考える必要はございません」


 やっぱり、そういう接待があるんだ……。


 私は、悠月くんの様子をうかがった。


 今いる場所は、ディアーリマ芸能プロダクションの本社にある社長室。

 大手の芸能プロだから、とても広く、高級ブランドと思われる家具が並ぶ。


 応接セットも置かれていて、私と悠月くん、綾小路あやのこうじ社長の3人が座っている。


 いっぽう、悠月くんに絡んだ男子と、そのマネージャーらしき男は、横に並んで立ったまま。


 私を呼んだマネージャーのせきさんは、そもそも関わっていないため、ここで事情を聴かれた後に、すぐ帰された。


 そういうわけで、当事者の1人である私は、この聞きたくもない会話に……。


 悠月くんはソファーに座ったまま、ため息を吐いた。


「あのさあ……。ウチ、それほど甘くないの! さっきの出来事だって、俺の護衛がずっと見ていたと思うぜ? 今は、親も知っているだろうよ」


 スーツ男は、食い下がる。


「悠月様のお力で、そこを何とか――」

「こいつの顔を二度と見たくない! 話は、それだけだ……」


 まさかとは思うけど、この男子を引退させろ、という話?


 同じことを感じたようで、スーツ男が見るからに焦った。


「ま、待ってください! 彼は、ウチの看板グループの1人でして! ほ、他のことでしたら、可能な限り、ご要望にお応え――」

「悠月家の史堂しどうとして、告げる! こいつを俺から見えないようにするか、それとも、ウチと潰し合いをするか、その二択だ」


 決定事項だ。


 スーツ男は、真っ青に……。


 すると、隣の男子が、ポツリと言う。


「親の威光でビビらせて、恥ずかしくねーのかよ?」


 ちょうど静かなタイミングで、その声はよく響いた。


 全員の注目を浴びた男子は自棄やけになって、叫び出す。


「お前だって、悪いだろうが!? この子につきまとうストーカーがいる時に、紛らわしい! 暴力を振るわれた俺はこうやって、大人の対応をしているだろ? その犯人のお前は偉そうに、グチグチと――」

山崎やまざきさん……。今の条件で、持ち帰っては? 彼は悠月家の人間として、述べたのですから」


 ここにいるべき社長は初めて、口を挟んだ。


 綾小路桔梗ききょう

 30歳ぐらいの美女だが、低い声で、貫禄もある。


「これ以上は、おたくがウチを巻き込むと判断しますが? 悠月財閥に加えて、我々ムルタ・グループも敵に回すとは、景気がいいことですね」


 慌てた山崎は、首を横に振った。


「い、いえ! そちらを巻き込むつもりは、決して! この度は会談をセッティングしていただき、厚く御礼申し上げます。……悠月様。そちらの名刺の番号か、事務所を訪ねていただければ、いつでも歓迎いたしますので! ……お前は来い!」


「ちょっ! 俺の話は、まだ終わって――」


 見るからに不服そうな男子は、スーツ男に引きずられるように、社長室から出ていった。


 バタンと扉が閉められた後で、対面のソファーに座っている社長は、つぶやく。


「さようなら、山崎さん……。もう、会うことはないですね」


 怖い!


 静かに震える私。


 ソファーで隣に座っている悠月くんが、疲れた雰囲気で、後ろにもたれた。


「やれやれ……。災難だった……」


 対面で社長が立ち上がり、深々と頭を下げた。


「申し訳ありません! 今回のスポンサーとしての出資や、悠月さまの出演に関しては、そちらの条件を呑むという形で、対応いたします」


「俺の一存では、返事をできないけど……。別に、ここの芸能プロは悪くなかったし……。この子が困っていたからね」


 悠月くんの返事に、顔を上げた社長は、自分のソファーに座った後で微笑んだ。


「弊社のタレントをお気遣いいただき、恐縮です……。警備体制の見直しで、二度はないと、お約束いたします」


「あー、うん……。今日は疲れた……」


 社長は、私をチラリと見た後に、提案する。


「本来の打ち合わせ、ですが……。よろしければ、こちらの川奈野かわなのにしましょうか? 先ほど申し上げたように、今回のプロジェクトは弊社の持ち出しで構いません! これ以上、ご心労をおかけしたくないので……」


 横に座っている悠月くんが、チラリと見た。


「まあ、いいけどさ?」


 んん?


 これ、枕営業をしろ! という話?


 あ、社長の目力めぢからが、すごい……。

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