第22話 正反対のライバル

 志真が玄関の扉を開けると、額から血を流した、制服姿の青年が立っていた。

 正直言って、ホラーである。


「……」


 扉を閉めようと慌てて腕に力を入れたが、少しばかり遅かった。

 扉を力任せに押されて、青年が玄関へと入り込む。


「ちょっと……」


 文句を言おうとしたものの、胸倉を掴まれたことで言う気が失せた。

 至近距離からギリリと睨まれ、更に「ふざけるなよ」と低音で凄まれる。


「暴力反対」

「俺が今まで、暴力をふるったことはあるか?」

「何度かふるいそうになったことはあるね」


 強引に腕を振り払って距離を取ると、相手の青年は志真を睨み続けている。


「面倒くさいことになったな……」


 さて、今のこの状況をどう抜け出したらいいだろうか。

 力づくで追い出せばいいのだろうか。それとも、ご機嫌取りの言葉を何とかひねり出して穏便に済ませればいいのだろうか。

 志真は考え得る限りの選択肢を思い浮かべてから、結局のところ、どれも実行に移さなかった。


「説明してもらうぞ。志真」


 何故かというと、相手が志真のどんな行動にも騙されないだろうと想像できてしまったからだ。


「お前の家から出た光がうちの玄関扉を焼いた。その軌道上にいた俺もこのザマだ。一体どうなってる?」


 皇家の玄関のタイルに、ぽたぽたと血が落ち続けていた。

 青年の長めの髪は血のせいで頬や額に張り付いている。血はそこから髪を伝い、制服の襟を汚しはじめていた。


「うわ!」


 遅れて階段から下りてきたテンマが短い悲鳴をあげたので、「洗面所のタオル取ってきて。どれでもいいから」と指示を出す。

 救急車なぞ呼ばれたらたまったものではない。


「ギャー!」


 ついでにテンマの後に下りてきた瀬那が汚い叫び声を上げるので、「ちょっと黙って」と慌てて手で口をふさいだ。


「どうしてグラスターのシノグさんが……!?」

「僕の家のお向かいさんがシノグなんだよ」

「エース同士の家がお向かいさん同士なんてあるんですか!?」

「あるからこうなってるんだよ」


 瀬那に至っては、いっぺん気を失わせた方が楽かもしれない。

 うっすらとそのようなことを思っていると、瀬那は「血……」と一言呟いて、白目をむいて倒れてしまった。

 玄関の床に、瀬那の頭をぶつけた鈍い音が響く。


「……マジ?」


 瀬那が黙って確かに楽にはなった。だが別の意味で面倒にもなった。


「……あのさ羽鳥、瀬那運べる?」

「イヤ」


 階段の上へ問うてみると、速攻で拒否をされてしまった。

 まぁ、予想はしていたけれども。

 志真は血まみれの青年――シノグへと向き直り、


「とりあえず、なんかごめん」


 と、謝罪をした。

 先程の通信端末機から出たレーザーについては志真もよくわかってはいないが、ひとまず人として謝罪はしておこう。これ以上問題事を大きくしないためにも。

 シノグはキッと志真を睨んだのちに、首を振る。


「謝罪はいらない。説明をしろ」


 そんなことを言われましても。

 志真はしばし考えてから、ウルに言葉を投げかける。


「ウル。医療用SLPって、人の記憶を消すこととかは――」

「もちろん出来ないのです」


 ですよね。わかっていましたとも。

 志真が大きくため息を吐くと、シノグが不機嫌そうに距離を詰める。


「目が治って復帰したと思えば、次は家からよくわからない光が出ただと? 普通に考えたらありえない話だ」

「僕もそう思う」

「それにお前の横の変な球体も、先日のレースでの一部始終も色々とおかしい。どうなってる?」

「それについてはとりあえず、血を止めてから話そうか」

「うるさい。出血が多いのは顔だからで、傷はそんなに深くない。こんなもん舐めときゃ治るんだ」

「じゃあ自力で舐めて治しなよ。無理だから」


 残念ながら、自分の顔を舐められるほど、人間の舌は長くはないのだよ。わかっているとは思うけど。


「つまりシノグは、最近の僕の行動を怪しんでるわけだね」


 そして、その説明を求められている。

 運営による「つるし上げ会」でも散々疑われていたので慣れ始めてはいたが、少しばかり面倒になってきたところではある。


 そんなことを言っているうちに、青く淡い光がシノグの体を包みこむ。ウルの治癒の力だ。

 光はそのうち傷口へと向かってゆき、額の傷口を覆いつくすと、じんわりと消えていった。

 もちろん、傷口ごと。


「……お見事。さすがウルだね」


 そう何度も見たわけではないが、ウルの力はやはり現代では真似ができない。

 未だに見るたびに感嘆の声をあげてしまう。


「お褒めに預かり光栄なのです。倒れた瀬那様も異常はありませんでした」

「助かるよ」


 ウルも嬉しそうにふわふわ揺れている。

 シノグはふさがった額の傷を指で撫でて「は?」と声を漏らし、志真とウルへと数回視線を寄越した。


「タオル、これでいいっすか?」


 そこにテンマが大きめのタオルを持ってきてくれたので、それを受け取りシノグへと渡した。


「はい。血はこれで拭きなよ」

「……」

「説明はするから。端折りもしないし誤魔化しもしない」


 もはや誤魔化すフェーズは通り越している。

 シノグは志真から勢いよくタオルを受け取ったはいいものの、なかなか血を拭こうとはしなかった。

 じっとタオルを見つめたまま、何かを考えている。

 そうして――


「俺と走れ」


 と言った。

 志真はシノグの発言に一瞬固まり、


「は?」


 とだけ返事をした。

 走れ、というのはもちろんバイクで走れ、ということであり――

 一体何がどうして、その結論に達したのだろうか。



◆◆◆



 午後の日差しが、段々と赤みを帯びてきている。

 昼間の太陽よりかは見慣れた色味に、志真は体の覚醒を感じた。


「あと数時間で夜なんだよね」


 陽が沈めば沈むほど、テンションが上がってくる。

 まぁ、今日はメビウスのレースはないのだけれど。それでも夜にあわせて体と心が調子づいてくるのだ。


「ふざけたことを言うな。全然夜じゃない」


 だがシノグは志真の発言にやれやれと溜息を吐き、呆れた顔で空を見上げた。


「まだ昼だ。夜なんか来たら走れなくなる」


 幼い頃から早寝早起きが身についているシノグは、根っからの昼型人間だ。

 志真とは違い朝はすっきり目覚めるし、夜はさっさと寝てしまう。

 そうして志真と同じ高校生だというのに、無遅刻無欠席で生徒会長までもをつとめているのだった。

 志真と正反対の生活を送るシノグではあるが、こちらもまたモーターバイクのレーサーとして活躍しているのだから面白いものだ。


「本当に走るの?」


 志真はそう聞くが、シノグは答えずに、自宅のガレージへと向かった。

 その途中で制服のシャツを脱いで玄関に放りこみ、ライダージャケットを手早く着込む。


「しつこい。何度も聞くな」


 先程の皇家での流血沙汰のあと、志真は事情説明をしようとしたわけだが。

 その前にシノグが「俺と走れ」と言ったせいで、思った以上に面倒なことになってしまったのだった。

 走れ、というのはつまり「レースをしろ」と似たような意味合いであるため、果たしてシノグから解放されるのはいつになることやら。


「説明しろって言っておいて、次に”走れ”は無茶苦茶だよね」

「走りながら説明をすればいい」


 だから無茶を言うな。

 スカイバイクの強豪チーム、グラスターのエースであるシノグとのレースで、そんな余裕があるわけないだろうが。

 そうは思うが、なけなしのプライドが弱音を吐くのを拒む。


「面倒くさいって言ってるんだけど」


 そうして、別の表現で苦言を呈することとなる。


「面倒? レース狂にしては珍しいことを言うな」

「レースはレースで楽しみたいだけ。走りながら説明とか、高度なことをしたくない」


 志真は母親の影響で幼い頃からバイクに乗っていたわけだが、バイク仲間と呼べる相手はほとんどいなかった。

 それは志真が勝負志向が強い子供だったこともあるし、単純にバイクにかける情熱というものが他人に比べて桁違いだったからでもある。

 そんな「扱いずらい子供」だった志真の、唯一のバイク仲間が、シノグだった。


「レースだけがしたいなら『ロード』へ来ればいいものを。『スカイ』に比べてレースの種類も多いし、立体光関係なしにいつでも好きなときに走れる。高所からの落車だ、運営とのイザコザだなんだ、余計な問題を抱えることもない」


 シノグはそう言いつつ、ガレージのシャッターを開けた。


 先程の騒ぎは結局、目が覚めた瀬那をテンマが送って行く形で、収拾がついた。……と、思っている。

 羽鳥はもう瀬那からの通話が来ないことに機嫌を良くして自室に戻ってしまったし、血のついたタオルはウルがなんとかしてくれるらしい。

 なので問題なくシノグへの事情説明を出来るわけだが……。


「スカウトはもういいって。僕はスカイバイクが好きだし、メビウスで満足してるから」


 何度目かもわからない、シノグからのスカウトを断るという仕事も追加された。


「それに、この前メビウスはグラスターからトレーニング場を奪ったから、グラスター側は僕のことを嫌ってるはずだよ」

「聞いた。しばらくニシの機嫌が悪くて最高だった」

「ニシたち『スカイ』を自社トレーニング場から追い出したの、シノグだよね」

「ああ。試合も近いし、邪魔だからな」


 ガレージからバイクを移動させつつ、シノグはしれっと答えた。


「邪魔、ね。相変わらず仲が悪いことで」

「『ロード』で成績が振るわず『スカイ』に逃げたやつと仲良く出来るか。作り物の友情を演じるなんざ、葬式のときくらいでいい」


 「お前も同意するはずだぞ」という視線を寄越され、志真は「それは、まぁ」と頷いた。

 勝てないやつに手は差し伸べない。引きずり込まれてしまうから。

 幼い頃から志真とシノグは、その共通認識で今まで生きてきた。その考えによりバイク仲間が出来なかろうが、どうでもいい。


 ピカピカに磨かれた最新のバイクを押してシノグが現れた。

 グラスターで整備されているレース用のバイクとは違い、シノグの好みであれこれ改造されているようで、所々にシノグらしさが現れている。


「いいね。かっこいい」

「最近買った。とはいっても全然走れていないんだが」

「忙しいとレース全振りの毎日になっちゃうしね」

「お前と一緒にするな。俺はレース以外にも忙しいんだ」


 確かに。

 志真はレース以外のことは全て後回しにして生きてきた。

 たとえそれが日常生活であろうと、今後の人生への投資――つまり学生生活だろうと。

 同じ年代の人々がリソースを割くべきところに見向きもせず、ただひたすらにスカイバイクだけしかしてこなかった。


「僕はシノグみたいには生きられないんだよ」


 レーサーとしてしか生きるつもりもないし、とつけ足そうとして、やめた。

 シノグは皇家の奥の車庫へと顎をひとつ動かした。


「持って来いよ。お前の愛車」


 『ロード』における愛車と言うべきバイクは、志真にはない。

 渋々車庫へと足を進めると、シートに覆われた古いバイクが現れる。

 定期的にメンテナンスはしているので、走れる状態ではある。扱いやすく、速いバイクだ。

 志真がバイクを押して現れると、シノグが肩をすぼめる。


「物持ちがいいのか、『ロード』に興味がないのか、両方なのか」


 志真のバイクは、随分前にゲンから譲り受けたものだった。

 志真が小学生の頃。自身の乗っていたバイクが大破し、ゲンにバイクを借りた。

 そのまま、未だに借り続けているというわけだ。


「物持ちがいいんだよ。ていうか人のものだから、あんまり傷つけたくないんだよね」

「いい加減買えよ。ツーリングもレースも付き合う」

「僕がやりたいのはスカイバイクだから」


 そう言うと、シノグは大きなため息を吐いてから「損をする生き方だ」と言った。

 そんなこと言われなくともわかっている。


「まぁいい。ここから町内一周して戻ってくる。ヘルメットは通信を繋げておく。それでいいな」

「オーケー。勝ったらごめんね」

「言ってろ」


 バイクにまたがると、ひとつ大きく風が吹いた。

 未だ寒い冬の空気に、「綺真島の匂い」とも言える潮の香りを微かに感じる。

 スカイバイクで使用している愛車以外のバイクにまたがるのはかなり久しぶりで、体への馴染み方に少しだけ違和感を覚える。


『言っておくが、本気は出さなくていい』


 ヘルメットのスピーカー越しにシノグが言う。


「お気遣いどうも。でも『ロード』じゃ高所からの落車なんてないから、そこらへんは安心してくれていいよ」

『茶化すな。レースを舐めたやつから選手生命を絶たれるんだ』

「……舐めたつもりなんて、一度もないけどね」


 志真は一度もレースを舐めたことなどない。

 嘉さえいなければあの忌まわしい落車もなかったはずなのだ。

 それをシノグに説明するためにも、今は走らなくてはいけない。未だ衰えてない実力を見せつけて、そうして先日起こった物事を全て説明しなければいけない。


 そう考えると、「走りながら説明をする」というのはなんだかんだ理にかなっているのかもしれないと、今さら思うのだった。

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Desert Drive - デザートドライブ - 日生 良 @hinaseryo_

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