第20話 大人の事情

 トレーニング場へ着くと、既にメビウスのメンバーは集まっていた。

 各々ウェアに着替え、ストレッチや軽い運動をしているのがガラス越しに見える。

 前回のレースで一緒に走ったメンバーも当然参加しており、こちらに手を挙げて挨拶してくれた。

 志真もロッカーで素早く着替え、トレーニング場の中へと足を運んだ。ゲンはというと受付に行き、諸々手続きをするらしい。


「ねえ。通信端末の充電器持ってない? 充電切れそうなの」


 中に入った瞬間、聞いたことのある声が志真の名前を呼んだ。

 思わず立ち止まる。

 何故だ、何故ここにいる。


「聞いてるの?」


 絶対にいないと思っていた人間――というか、羽鳥歩がいる。

 トレーニングルームの長椅子に座った羽鳥は、ここにいるのは当然だろうと言わんばかりの表情でこちらに話しかけてくる。


「……ええと。なん、ですかね……?」


 先程のつるし上げ会が終わったと思えば、次は羽鳥か。

 というかお前は今日、一日中家にいると言っていなかったか?

 奇妙な同居をはじめてから、羽鳥とは少しずつ話をするようになった。が、彼女のことがわかったわけではなく、わかろうと努力したわけでもなく……「なんとなく」で二週間が過ぎてしまっている。

 まさかトレーニング場に来るなんて、と信じられない気持ちはあったが、羽鳥ならば強引に来てもおかしくはない、と思い直した。

 なんせ、まったくの初対面だというのに運営まで押しかけ、古参の瀬那と立体光コースの修復をしたくらいだ。メビウスのスケジュールなんて普通に調べるだろうし、トレーニング場に押しかけもするだろう。

 羽鳥は本当に物怖じをしない。そこは――そこだけは、志真は評価しているのだった。


「なにそれ。敬語?」

「ああ、いや別に。ストーカーは怖い、と思ってね」

「いつ私がストーカーしたのよ。あんたに個人的な用はないの。勘違いしないでくれる?」

「僕のセリフなんだけど?」


 先程のつるし上げ会でのこともあり、志真は早々に戦意を喪失した。

 疲れる。ここには言い合いをしに来たわけではない。トレーニングをしに来たのだ。

 志真は自身のトレーニングの準備を始めると、羽鳥は少し不機嫌そうに隣に立つ。


「あんた今日、運営のとこ行ったんでしょ? ……私のこと、なんか言ってた?」

「……なんで?」


 羽鳥と運営との接点は前回のレースだけだとは思うが、気にはなるらしい。

 表情で答えを急かすので、仕方なく答える。


「瀬那がお前によろしくって。それ以外はなんも言ってなかったけど」

「そう……」

「なんか問題でも?」

「……瀬那、ちょっと黙らせてくれない? 私の端末の充電切れたの、あいつのせいなんだけど」


 羽鳥は自身の端末画面を志真に見せた。

 充電、残り3%……確かにもう少しで切れそうだ。残りパーセントが赤字で表示されており、悲惨さを物語っている。


「あいつがしつこく連絡してくるから、物凄い勢いで充電が減ったの」


 志真は溜息を吐きつつ、「受付で充電してくれるよ」と言った。

 ここは設備やサービスがしっかりしている人気のトレーニング場だ。基本的にリピーターの予約で埋まってしまう。

 会員ならば、充電くらいは無料で何とかしてくれる。


「受付でこれ提示しなよ。僕のIDなら問題なく使えるから」


 志真は自身の端末を操作する。

 会員IDを羽鳥に共有し、トレーニング準備を再開した。


「ていうかさ。そもそもの話、何でいるの? お前はメビウスの人間じゃないし、トレーニングも関係ないだろ」

「そうね。私だって来たかったわけじゃない。……けど、なんていうか、うざったいことが多くて」

「うざったいこと?」


 羽鳥は小さく頷いてから、続ける。


「……瀬那、あいつなんなの?」

「執着でもされてるの?」

「そうだと思う。この間のレースで私、立体光の不具合が見えるって言ったでしょ? あれ、瀬那には見えないみたいで。どうやったら見えるようになるんだって連絡寄越してきてしつこいの」


 なるほど。そういう「うざったいこと」か。

 瀬那とは先日の件について話しただけで、腹を割ってきちんと話したことはない。

 そこまで立体光や技術に執着しているとは思わなかった。


「私が端末とらなくなったら、家電までかけてきて……相手するのも何かバカらしい」

「家電?……それ、僕ん家の電話ってこと?」

「そう。どうかしてるとしか思えない」


 確かに。どうにかしているかもしれない。

 ということは、今ごろ皇家では何度も電話が鳴り響いているのだろう。

 双方の話を詳しく聞かなければわからないが、羽鳥の話だけを聞く限り、結構な執着具合で大変よろしくない。


「いやでも、会議室ではあいつ、普通だったんだけどな……?」


 会議が終わって――というか強引に終わらせてフリーになってから、速攻で羽鳥に連絡を取りに行ったのだろうか。

 何か伝えたいことがある可能性があるかもしれないので、後々詳しく聞いてみる必要がある。


「ていうか、協力してやれば済む話じゃないの?」

「協力出来るならしてる。努力で”見える”ようになったわけじゃないから、教えてくれって言われても無理ってだけ」

「それは確かに」


 志真も前回のレースで「予測」や「予知」をしたわけだが、どうやってやるんだと聞かれても答えられない。

 そういう意味では、羽鳥の言い分はわかる。


「僕たちさ、なんであの力が使えるんだろうな……?」


 そもそも、それすらわかっていないのに。

 志真も羽鳥も、首をかしげるしかないのだ。


「……というか。いい加減、問題事を持って来ないでほしいんだけど」


 少し多すぎやしないか。未来家系図のことも、同居のことも、今回のことも。

 今のところ、羽鳥にばかり問題事を持ってこられ、そして解決しろと押し付けられているような気がする。気がすると言うか、確実にそう思う。


「私は巻きこまれてるんだけど。自分から問題事を作ったことはないわ」

「僕だって巻きこまれてるんだけど。主に、お前に」


 そうこう言っていると、準備を終えたゲンが皆を呼んだ。

 先程までは少し様子がおかしかったゲンだが、いつも通りに戻ったようだ。機嫌良さそうに指示を飛ばしている。

 よかった。志真はそれ以上は追及しないことにする。

 レーサーのプライベートに関与しすぎるとよくない、ということは、身を持ってわかっていた。

 ゲンに問題がないなら、それでいい。志真はそう思いつつ、ゲンのもとへと行くのだった。


「よし、揃ったな。今日も張り切ってトレーニング、といきたいところではあるんだが……。いつも通り、というわけにはいかなくなった。各々、空きスペースを主に使って、怪我のないように自主トレをしてくれ」

「自主トレ?……どういうこと? 空きスペースって……貸切じゃないの?」


 そう聞くと、ゲンは困った顔をした。


「この国は資本主義だ。つまり、金を持っているやつが偉い」

「そうだね」

「つまり……買われた。俺たちのトレーニングの予約を――」


 ゲンの説明を遮って、トレーニングルームのドアが大きく開いた。

 我が物顔でぞろぞろと入ってくる人々のトレーニングウェアを見て、志真は小さくつぶやいた。


「……グラスター」


 スカイバイク界の強豪チーム、グラスターだ。

 前回戦ったゴアは新しいチームだが、グラスターは古くからあるチームだ。

 元はロードレースのチームだったが、最近はスカイバイクにも進出してきており、ロードとスカイ、大きく分けて二種類のチーム編成となっているようだ。

 どちらもチーム名は同じで、ロゴだけ少し違っている。

 全員で統一されているらしいトレーニングウェアにもしっかりと、グラスターのロゴが印刷されていた。


「悪ぃな、ゲン。使わせてもらうことになっちまって」


 グラスターのリーダーであるニシが申し訳なさそうに言う。

 ニシ自体は特別悪いやつというわけではないが、グラスターというチームが金に物を言わせて強引な手法を取ることが多いため、なんとなくニシの心証も悪い。

 規模も、資金も、メビウスとは雲泥の差だ。

 今回も謝ってはいるが、志真的には非常に気にくわない。


「ニシ。俺たちは快く貸したわけではない」

「わかってる。前のレースが不具合ばかりで不安だってことで、入念にトレーニングしなきゃいけなくなった――っていうか、上から言われちまったんだよ、ここを使えって。ここのトレーニング場は立体光扱えるからな。仕方がないだろ?」

「それはこっちも同じなんだがな。グラスターは自社でトレーニング場を持っている。そっちでやればいいだけの話じゃないのか」

「本来はそうなんだが、うちは『ロード』のほうもレースが近い。だから邪魔は出来ねぇ。こっちを使わせてもらうしかない」

「全部お前らの都合だろう」


 ゲンから漏れる刺々しい雰囲気に、結構キレてるな、と志真は思った。

 そりゃそうだ。予約が取りにくいトレーニング場を前もって予約しているのはゲンだ。チームをチームとして存続させるために、ゲンはすすんで裏方も、事務仕事も、芋をひくような仕事もしてくれている。

 楽々と横入りされてはたまったものではない。


「そう言うなって。上はお前らメビウスに慰謝料を払うって言ってたぞ」

「金の問題ではない」

「俺もそう思う。けど、ここの主であるトレーニング場は、うちとおたく、両方に使わせるって決めたんだ。それは覆せねぇだろ?」


 ニシの発言を聞いていると、志真が大嫌いな、権力を振りかざした年寄りのにおいを感じる。

 つるし上げ会にしても、今回にしても……。本当に馬鹿馬鹿しい。

 もう今日は帰ろう。見たところ、テンマもニイナもユウキも、白けた顔をしてしまっている。

 立体光は使えないが、『メビウスロック』の地下も筋トレ用のスペースとなっている。こんな嫌な空間でトレーニングをするよりも、黙々と筋トレをするほうがまだマシだ。

 志真が立ち去ろうとすると、


「だったら私が買うわ。その、トレーニングの予約を」


 羽鳥の声が聞こえた。

 険悪な雰囲気のトレーニングルーム全体に、羽鳥のよくとおる声が響く。その声に、ゲンもニシも、その背後で悪態をついていた双方のレーサーたちも黙る。

 声のほうへと振り向けば、端末の充電を終えたらしい羽鳥が端末片手に仁王立ちをしていた。


「貧乏人の分際で何を偉そうに。お金でイキれる安い世界なら、私は常にトップを走れるわね」

「ちょ、羽鳥……!?」

「なんならトレーニング場まるまる買収してメビウス専用にしてもいいのよ。それをされたら困るっていうなら、くだらない御託並べてないでさっさと帰りなさい」


 ニシは困ったようにゲンを見る。なんだこいつは、と言いたげな顔だ。

 ゲンも内心困っているだろうに、顔には出さずに「うちのボスが言うなら仕方ないな」と笑った。

 誤解を招くため訂正するが、羽鳥はボスでも何でもないし、メビウスとも全く関係ない。この場をいい感じに収めたいゲンの”口から出まかせ”というやつだ。


「そちらも上からの命令で大変だろうが、うちも”上からの命令”だから仕方がない。グラスターには悪いが、メビウスが使う」

「い、いや待て。トレーニング場はまだ許可していないはずだ」

「あら、してるわよ」


 羽鳥は充電し終わった端末を見せびらかしながら言う。

 端末画面には「決済済」の文字が。そしてその下には、信じられない桁の数字が表示されていた。


「トレーニング場の”言い値”で送金済み。つまり――そういうこと♡」


 そう言って、羽鳥は笑った。

 この世の全てを燃やし尽くしたかのような、凶悪な笑顔だった。

 ぞくり、と背中に嫌な汗をかく。


「私の名前は羽鳥歩。諸々あってメビウス側の人間なの。以後、お見知りおきを」


 帰れ。殺すことだって出来るんだぞ。

 ……と言いたげな笑顔でグラスターを見る羽鳥のそれはまさしく悪魔だ。


「……厄介すぎる」


 結果的にトレーニング場の練習権利が戻ってきた。それは素直に嬉しいし、感謝はしよう。志真だけではなく、メビウス全体が救われることになったのだから。

 ……なんというか、少々、気にくわないけれど。

 グラスターたちは悔しげに退散してゆく。捨て台詞を吐くかと思ったが、それすらもせずに無言で去ってゆく。

 改めて、羽鳥財閥というもののすごさを感じてしまうのだった。


「……助かったよ。ありがとう」

「ううん。話聞いててムカついたから、ムカつくやり方でやり返したってだけ。あんたたちのためじゃない。私がスッキリするためよ」


 羽鳥に礼を言うと、羽鳥はつまらなそうにトレーニングルームを出て行く。


「瀬那のことも伝えたし、充電も出来たし。もうあんたに用はないわ。じゃあね」

「え、いや、お前どこ行くの?」

「暇だから買い物でもしようかしら。欲しいものあったら買ってくるけど?」

「いや、ないからいいよ……」


 羽鳥は手をひらひら振って出て行く。

 トレーニング場のスタッフが深く礼をして羽鳥を見送っていた。


「相変わらずやべぇっすね。羽鳥は……」


 テンマに言われて、思わずうなづく。やることなすこと、なんていうか、やばい。


「おい、トレーニングだ。すぐに始めるぞ」


 ゲンの号令が聞こえる。

 そうだ、今は余計なことを考えている時間はない。トレーニングを始めなければ。

 他のメビウスのメンバーは、先程の表情とは打って変わって活き活きとしている。

 これでいいのかはわからないが、本来の権利が戻ってきたことも、強引なグラスターの面々を追い返せたのも、小気味がいい。

 志真もトレーニングを始めようとしたところ、羽鳥から一件のメッセージ着信があった。


『色々巻き込んでごめんなさい。これで借りは返せたかしら』


 それか。

 先程、軽口のようにアレコレ言ってしまった発言を根に持っていたらしい。

 志真はメッセージに返信はせず、鞄の中に放りこむ。

 トレーニングの開始だ。

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