第16話 プライド

 志真の視線と仁王像の視線とがぶつかった。

 バチリ、と全身に電流が流れたような衝撃が走る。

 お前に敵意を向けているぞ、という強烈な意思を、体全体で感じたのだ。

 ウルじゃあるまいし、この時代に立体光が意思を持つことなどない。

 出来るとするならばそれは未来の力であり、嘉の仕業だ。


「今、志真様のお体に異常が――」

「だろうね」


 志真はグリップを握りなおす。

 何度目かもわからない、コースについての全体共有を行ってから、再び仁王像を見た。

 仁王像はレーサーを妨害するという本来のシステムどおりに動いているようで、最後尾のレーサーに視線を合わせている。

 再びこちらを見ることはない。

 だが先程までなかったはずの、殺意のようなものをしっかり感じるのだった。


 仁王像が意思を持っている。羽鳥はそう言った。

 もし仁王像が操られているとするならば……。


「僕が仁王像(あいつら)を壊したら、レースはなんとかなる……?」


 もちろん、現段階でいい策は思いついていない。

 独り言として呟いた言葉だったが、すぐに内部スピーカーから反応が返ってきた。


『待ってよシマ君、レースが先だよ。復帰戦ってのもあるし、シマ君に頑張ってもらわなきゃ困るよ。トップはシマ君なんだよ』

『それにな、シーマ。仁王像を壊すとは言うが、どうするつもりだ? テクニックレーサーならある程度……とは思うが、お前には無理だ』


 ”生き残ってる”二人――ゲンとユウキの二人に真っ当な反論をされてしまう。

 今コース上を走っているのは、純粋なスピードレーサーであるこの二人と、志真のみだ。

 これ以上レーサーを失いたくないという二人の意見はよくわかる。

 志真の復帰戦ということもあるため、志真を失いたくないというのもわかる。

 なんだかんだいってファンがつかなければ資金繰りが厳しいという大人の事情も込みで、わかる。

 それに志真も”全員無事でなんとかなる策”を思いついていないため、「そうだね。早計だった」と返答するしかない。


 レースは既に四週目の中盤に差し掛かっていた。

 スピードの出ないバイクはあらかた脱落し、純粋に速いレーサーが残っているようだ。

 バイクに武器を積んではいけないという決まりはないが、やはりスピードコースは速くなければ淘汰されてしまう、ということなのだろう。

 志真はヘルメットを操作し、カメラの画像を数か所同時に画面に出した。

 二体の仁王像を出来るだけ綺麗に映っている画像を探す。


「――なるほどね」


 先程、志真がゴアの攻撃をかわした際に、阿形の胴体部を溶かした。

 他の無傷の立体光はシステムにより動いてはいるものの、辛うじて動いている状態の立体光も複数見られる。


 ――ダメージを受けている立体光コアを上手いこと使うことは出来ないだろうか。

 ――それとも、ゴアのように物理的に仁王像を壊すことが出来ないだろうか。

 頭の中で、ぐるぐると思考がまわる。


『シマ君!!』


 大きな音と振動。それに自身の思考と、ノイズ混じりのユウキの声が重なる。

 ハッとして音がした方向を確かめると、吽形がコースを掴み、持ち上げようとしているところだった。

 近くのビルでは配信者たちが「五週目以降は動きが変わるのかぁー!?」と呑気に騒いでいる声が耳に入った。

 確かに動きが変わってもおかしくないし、今までもそのようなコースはいくつかあった。

 だから特段驚くべきことではないのだが――


「これは絶対にシステムじゃない……!」


 無傷のほうの仁王像――吽形が、持ち上げた周回コースをちぎり、ねじったのだ。

 沸く観客たちをよそに、志真は「勘弁してよ」と呟いた。

 嘉は仁王像に何かを仕掛けている。ということは、仁王像の動きは、本来の動きではない。

 おそらく。たぶん。多分だけど絶対に。


「今、志真様のお体に異常を――」

「わかってる!」


 じゃないとこんなに、体に異変をきたすわけがないのだ。


 ねじられたコースの近くを走っていたのは志真だ。

 走っていたコースの背後を高く持ち上げられたうえ突如曲げられることとなり、前につんのめりそうになる。

 ジェットコースターの一番上からの急降下、くらいのありえない角度だ。

 転びそうになったところを何とか踏ん張って堪えると、三か月前の落車が少しだけ、頭をよぎった。


 街の爆発。

 観客の悲鳴。

 壊れたビルと、投げ出された浮遊感。


 あの時は今よりも安全装置と呼べるものが少なく、たとえ落車しても命の保証はされなかった。

 三か月間で「落ちても大丈夫」とそこそこ安心できるくらいにまでは安全になったようだが……しかしだ。


「お前がコースに手を入れていいわけがないんだ」


 レーサーでも観客でもない部外者が、勝負にチャチャを入れるな。

 嘉にチャチャを入れられても大丈夫なように、安全装置が付いたわけではない。

 スカイバイクはスリルが売りのマイナーモータースポーツで、観客はそれを見て楽しむ。

 レーサーはスカイバイクのあらゆる危険を把握したうえで挑む。

 スカイバイクはそれだけのものだ。

 たったそれだけの、かけがえのないものでなくてはいけない。


「未来の人間はすっこんでろ」


 今まで起きた数々の妨害行為にやっと心が慣れてきた。

 慣れてから初めて湧いてくる感情は、とてつもない怒りだった。


「志真様! 修復はウルがやるのです!」


 ウルは蓄えている予備の立体光コアを起動させ、ちぎれたコースを速攻で修復させた。

 一週目のコースの穴を修復したときと同じ方法だ。

 羽鳥はコースにはあまり異常は見られないと言っていたが、仁王像がコースを壊し続けるのであれば、ちっとも安全ではない。


『うわぁっ!?』


 だって仁王像は自由なのだから。

 コースが修復されても、また壊せばいいだけなのだ。

 修復したコースはまたもや破壊され、別のレーサーに影響が出てしまう。

 その被害は志真だけにはとどまらず、とうとうユウキが振り落とされることとなってしまった。

 ただでさえ高い位置にあるコースが捻り上げられ、更に高くなる。そこからユウキが落ちる。

 死人が出てもおかしくない妨害だ。安全装置がなければ、確実に死んでいただろう。


「くそっ……!」

『……この状態で、ゴアは生き残っている、か――』


 もうわかりきっていることだろうに、ゲンが呟いた。

 二対二。現時点ではメビウスがリードしているものの、ゴアがもし操られている状態だとすれば、メビウスは不利になる。


「志真様。立体光コアの予備がもうないのです」


 修復を繰り返したことで、とうとうウルが保有していたコアが尽きた。

 ウルがひとつ目をしょんぼりとさせながら、ヘルメットモニターの邪魔にならない部分に映し出された。


 仲間が三人やられてしまった。

 ただでさえ初見のコースだというのに、嘉の邪魔が入りとんでもないことになっている。

 対戦相手のゴアも、おそらく今回に限っては味方にはならない。


 ここまで追い詰められたことなど、今まであっただろうか?

 いいや。ない。

 レースで追い詰められたことなら何度もあるし、悔しい思いも死ぬほど経験している。

 だが、それはレースで正々堂々と戦ったうえでのことで、今回のように理不尽になじられ、おちょくられたことはない。


「絶対に走り切る」


 志真ははっきりと宣言した。

 それはただのプライドだ。それ以上でもそれ以下でもない、純粋なプライドだった。

 運営がまた無効試合と判断して中止の指示を出したとしても、今このレースだけは走り切らなければいけない。

 嘉が喧嘩を吹っかけてきているのならば、死んでも降りてやるものか。


 ――どうしたらいい?

 志真は自分自身に問うた。

 昨日の無効試合のときも嘉の邪魔が入った。

 その時の自分は、どうやって切り抜けた?

 昨日はコースに人型が現れ行く手を塞がれたため、上手く走れなかった。


 ――なぁ、志真。お前は、どうやって走った?

 ――昨日の走りを思い出せ。今すぐに!


 コースは合流部分に差し掛かり、広いコースが目の前に現れた。自由に動ける。丁度いい。

 志真は深く息を吐きながら、目を瞑る。

 そうして目をあけて、再び深呼吸をした。


「――見えた」


 そうだ。

 昨日はどこに人型が現れるのかの「予測」をしたのだ。

 だが今回したいのは「予測」なんて生ぬるいことではない。

 もっと、深く深く、探らなくては。

 立体光という存在に、芯から触れていかなければいけない。


「……コースと呼吸を合わせろ。一体化しろ。立体光に溶けろ……」

『シーマ?』


 ゲンが何かを喋ったような気がしたが、よく聞こえない。

 自分のまわりに、見えない防壁のようなものができ、必要のない情報を遮断されているような感覚に陥る。


 スローモーションに見える綺真島の景色に、黒い影がかかる。音もこもって聞こえる。

 美しい立体光だけが煌々と、ハッキリ視界に入ってくる。

 その光を体全体に浴びていると、ドクン、と心臓の音がひとつ、大きく聞こえた。

 そうして次に志真が見たのは、今見ている立体光とは別の立体光――幻影、のようなもの、だった。


 今現在ある立体光とはまた別に、違う立体光がうっすらと見えるではないか。

 これは一体、何なのだろうか。

 志真の目は治っているし、定期的にウルが異常を感知してくれるので視界の問題ではない。

 となると……。


『予測じゃなくて、予知、なわけか――』


 幻影のようなものが動いた数秒後に、元ある立体光が同じ動きをする。

 つまり、立体光の数秒後を”見る”ことが出来ているわけだ。


 志真は立体光から視線を外し、周囲を見る。

 観客、建物、日常生活を送るための光――それらの幻影は見えない。


「――熱ッ!!」


 そこに、背後から何かが飛んできた。

 志真の腕を軽くかすってどこかへ飛んでゆく。

 一週目で志真を攻撃してきた、ゴアのレーサーからの攻撃だった。


「ミサイル野郎か。まだ生きてたの?」


 生きていたことにも驚きだし、再び追い上げて攻撃してきたことにも驚く。

 さてはこいつ、結構速いな。

 そして、武器を積んだ状態でまだ生きているだなんて。

 正確にわかるわけではないが、レーサーとしての質がいいのではないだろうか。

 だからこそ、操られていたとしても、トップを走る志真を妨害するという芸当が出来ているわけだ。


 志真は自身の腕を見る。

 腕も体も、腕をかすって飛んでいった”ミサイル”も、幻影は見えない。

 ということは、決まりだ。


「ねぇゴアの人。そのバイク、ちょっとよく見せてよ」


 志真はカツアゲの常套句のようなことを言いながら、少しだけスピードを落とした。

 隣につけてしまえば、発射口が前についているミサイルには攻撃されはしない。


「ゲン、二人でこいつ挟もう」

『策があるのか?』

「さっき言ったよね。僕は仁王像を壊したいんだ。ゴアのこのミサイルで何とかしようと思ったんだけどさ」


 志真の予知と、仁王像を広範囲で攻撃できる”武器”があるのなら、壊すことが出来るかもしれない。


「運営のプログラムで動いてるならともかく、嘉にいじられて妨害行為をする仁王像なんていらないでしょ。守護神どころか、破壊神になってるわけだし」


 もちろん、このあと運営から物凄くお小言をもらうのだろう、とは”予知”している。

 だが運営のお小言が怖くてスカイバイクがやってられるか、と常々思っているし、それは他のレーサーたちも同じ考えではなかろうか。

 それに、だ。


「僕が仁王像を倒してヒーローになるっていうシナリオはどう? 昨日の無効試合も含めて、僕がヒーローになるんだ。一貫性があっていいと思うんだけど」


 それならば、メビウス自体にも利がある。


「いったん賭けてみてよ。悪いようにはしないからさ」


 ゲンは少し黙った。

 そして、


『もうどうとでもなれ』


 と言った。

 ナイスアイデアだと思ったのか、諦めたのかはわからないが、話が早くて非常に助かる。

 それに奇遇なことに、志真もまったく同じ気持ちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る