第11話 修理完了

 志真の父親は、十一年前。立体光の初となる事故――通称『綺真十人消失事故』に巻きこまれ、現在も行方不明となっている。

 丁度、立体光というものが出来たばかりの頃で、志真は五歳だった。

 母親と手をつなぎながら、上空にかかった小さなコース――立体光に胸をわくわくさせていたのを、志真は今でも思い出す。

 立体光開発の第一人者の父親――皇博士と、モーターバイクレーサーだった母親。そうして、一人息子の志真。

 家族三人の団らんの思い出は決して多くはなく、父親が事故に遭ったその時で終わっている。

 だが嫌な思い出や悲しい思い出、というものはない。

 いつだって皇家はあたたかく、楽しく、幸せな家族だったし、今だって志真は寂しいと感じたことはない。


「――出来、た?」


 ただ、唯一後悔していることは、あまりに父親との別れが早すぎたことだ。幼すぎて立体光について学べなかった。

 バイクについては母親にしこたま教わった。だからこそ、志真は強くて速いレーサーとなったのだ。

 父親が壊滅的に字が下手ということもあり、遺った資料だけではどうにも学ぶことができなかった。

 それに父親と仲が良かったプロジェクトメンバーはほとんど事故に巻き込まれて行方不明になってしまっているので、聞くことも出来ない。

 立体光について志真は、軽い知識しか持てていないのだ。

 今になってはある程度父の資料を読むことが出来るが、幼い頃に仕込まれるのと今覚えるのとでは違うし、熱量だって違う。

 それに志真はスカイバイクレーサーとして走り続けたいという思いがある。

 知識は無駄にならないとわかっていながらも、今さら本格的に学習する気にはなれないでいた。


「おい、起きろウル」


 なので、ウルが起動したのはある意味奇跡に近い。

 著・父親の”ヤバい資料”を見つつ勢いで修理を始めたわけだが、浅い知識と技術でよくもまぁ上手くいったものだ。


「――イグニド社 ステレオライトパートナー ウルフガード キドウ」


 しかも二百年後の立体光を直せるだなんて。

 未来の立体光は、志真が思うほど進化していないのかもしれない。


「――嘉様。おはようございますなのです」

「ヨミ? 僕は志真だけど」

「志真……?」


 起動してから、ウルの記憶が怪しいことに気が付いた。

 マズいかもしれない。志真は額に手を当てて、深くため息を吐いた。

 原因となりうる物事が沢山ありすぎて、見当がつかない。

 大の男に巨大コンパスをフルスイングされておかしくなったのか。

 それとも、今志真がおかしくしてしまったのか。

 どちらにしても結局志真は、コアを大雑把に直すことは出来ても、細部まで修理は出来ないようだ。


「嘉様のご先祖様の皇志真様なのですか?」

「そうだけど……って、記憶ないの?」

「少々お待ちくださいなのです。今、バックアップを――」


 ウルはそう言って目を瞑ると、そのまま動かなくなってしまった。

 小さくジジジ……という電子音が聞こえ、その音に合わせて立体光に若干のノイズが入る。


「シーマさん、もう夕方っすよ。時間ないっす」


 背後でテンマが焦った声で言う。


「俺、今日シーマさん出るって公式メッセージに投稿しちゃったんで、何が何でも出てほしいんですけど」

「それはうん。出るし。絶対」


 当たり前のことを言うな。わかってるくせに。

 ウルから目を離し、窓を見ると、空はもう暗くなっていた。

 冬ということもあり、夜が早い。

 街方面の高層ビルは既に光が灯っていたし、ホログラムの掲示板なども煌々と映し出されていた。

 もうすぐ夜が来る。胸が高鳴る。

 暗い空と人口の光を見ていると、鼓動が早くなるのを感じた。


「で、私はどうしたらいいの?」


 羽鳥がソファに座ったまま、志真に問いかけた。

 膝の上には父親の分厚い資料が乗せられている。暇潰しに読んでいたのかもしれない。


「帰っても良いし、ここで見てても良いよ。遠いから小さいかもだけど、一応窓からも見れるし、PC貸すからそれで見ても良いし」

「え、置いてくつもり?」


 精一杯の優しさで言った発言だったが、羽鳥は不満そうだ。


「狙われてるんでしょ? 私がいたら安全なのに、どうして置いてくの?」

「どうしてって……? レースだし」

「女人禁制ってわけじゃないでしょ。学校から拉致っといて帰れはさすがにひどいし、自分勝手すぎると思わない?」


 そう言って羽鳥はテンマに向き直る。


「ライダースーツ、貸して。靴とかグローブとかも一式、全部」

「は?」

「資料読んだ。立体光って専用の服じゃないと貫通するんでしょ? だからあんたらレーサーは、スーツ一式を特注で作ってる」

「そうだけど。いや、そうじゃなくて、なんでお前にそれが必要なんだよ」

「志真のバイクに乗ってる時に振り落とされたら死ぬじゃない」


 ――マジか。

 タンデムシート――後部座席に乗るつもりか?? スポーツバイクの後ろに? そして、レース中に?


「バカなのか?」


 バカなのか?

 そう思ったつもりだったが、声に出ていたようでキッと睨まれてしまった。


「私が乗ってたら、あんたは襲われない。安心してレース出来るでしょ?」


 羽鳥は未来家系図をひらひらさせて言った。


「それに私も、あんたに死なれたら困るの。ちゃちゃっと勝って、このクソ家系図を埋めて帰りましょ。レース中はテンマに穴でも掘らせておけばいいわ」


 まぁ、それが一番スムーズかもしれない。

 ”ご主人様”は羽鳥を襲わない。羽鳥と一緒に居れば、襲われない可能性が高い。

 志真をピンポイントで襲ってきたとしてもウルと協力すればなんとかなる。

 あとは未来家系図をさっさと埋めて帰れば、なんとか――


「――なんとかなるのか?」


 志真については”ご主人様”がよく知っている。

 学校での出来事のように人を操ることが出来るようなので、家系図を埋めたところで、掘り起こされそうな気がする。

 志真が首をかしげると、羽鳥は不満顔だ。


「穴を掘っても無駄な気がする。別の方法も考えないと」

「別の方法って何よ」


 それを聞かれても困る。

 策を考えていると、ウルがバックアップの作業を終えたようでパチパチと瞬きをした。


「志真様! 先程は失礼いたしましたなのです」

「直った?」

「はい。細かなところは自動修復機能で徐々に回復させていきます」


 ウルはにっこりと笑った。

 まだ本調子ではないようだが、そこそこまともに起動しているようだ。

 ホッとしつつ、志真は椅子から立ち上がった。


「テンマ。お前はどうすんの? 穴掘るの?」

「まさか。スタート地点行きますよ。穴掘ったって絶対に失敗するに決まってるっす」

「は? なんですって」


 テンマは既に私服姿で準備万端だった。

 対して羽鳥は、当然だが制服姿のままでいる。

 テンマの様子を見る限り、羽鳥にスーツやジャケットを貸すつもりはないと見た。

 ……何故この二人が微妙に仲が悪そうなのかは少々気になるところなのだが、それを聞いたところで自分には関係ないし……、というところで聞かないでおく。巻きこまれても困るのだ。


「羽鳥。お前は自分の考えつく作戦すべて失敗すると思ったほうがいいぞ。何も知らない無能なんだから」

「このっ……!」


 テンマの言動にカチンときたらしい羽鳥が、テンマの足を蹴ろうとして、スカす。

 テンマは運動神経がいいし、勘もいい。

 羽鳥の行動はお見通し、といった具合にするりと避けると、羽鳥はバランスを崩して転んだ。


「ちょっと……!」


 やめろやめろ。

 危害を加えようとして避けられたら責めるムーブは小学生までにしておけ。

 羽鳥は転んだ拍子に未来家系図を手から離してしまい、家系図は空中に放り出された。

 未来家系図はひらひらと空中を舞い、未だ本調子ではないらしいウルの頭にかぶさった。

 ――その時だ。


「ヒギャッ――!!」


 ウルと未来家系図の接触部分から、バチバチッという大きな音と光が放たれた。

 あまりに強い光で、一瞬目が白んで何も見えなくなるほどだった。数回瞬きを繰り返し、再びゆっくりとウルを見る。


「ほあっ!? ウルに何をしたのデすか!?」


 ウルも突然のことに驚いているようだ。

 空気の抜けた風船のように、空中をくるくるとまわっているが、幸いなことに大きな損傷はないようだ。

 普通に動き、普通に羽鳥に抗議をしている。


「ご、ごめんなさい。でも、これ……え?」


 羽鳥は驚きの表情で、床に落ちた一点を見つめている。

 落ちているものは家系図だ。約三分の一が消滅していた。


「家系図が、消えた……?」


 傷をつけようとしても無駄だったのに?

 志真は落ちた未来家系図を拾い、改めて見る。

 そこには昨日見たとおり、人の名前が羅列してある。変わりはない。だが、消滅部分は消えている。もちろん、物理的に。

 紙の断面を指先で触ると、確かに消失していた。

 ――もしや。

 理由はよくわからないが、ウル――または立体光に触れると家系図を処理することが出来るのでは?

 そんな考えが頭をよぎった。


「ウル、体はどう? 変になってない?」

「はい! 問題ございませンなのです」


 だが――大きな損傷はないものの、少々おかしくなってしまうようだ。

 ウルは医療用として作られたと言っていた。

 そのせいか、人に好かれるような、所謂”可愛らしい”外見をしている。

 だというのに――


「……その顔ヤバくない?」

「えっ」


 今のウルは一言で言うと、化け物だ。

 もう少し親切めに言うと、ひとつ目のモンスターと言ってもおかしくない外見になっていた。

 バスケットボール大、という大きさは変わらないが、ぎょろっとした大きな目玉がひとつついている。

 その下には大きな口と牙があり、獰猛な肉食獣のようだった。


「あーあ。羽鳥がウル壊した」

「私のせいなの? ちょっと家系図が触れただけなのに」

「加害者はすーぐ、”ちょっとやっただけ~”とか”遊びの範疇で~”とか言うんだよな。結果的に加害してたら加害者なんだって」

「はぁ?」


 本当にいい加減にしろ。

 テンマと羽鳥がまたしても言い合いをし始める。

 志真はウルをまじまじと見つめると、ウルもひとつ目で志真を見つめた。


「志真様。ウルは大丈夫なのデす」

「声にノイズが混じってる。気にならない程度だけど、少しだけ」

「今は問題なイのです。でも、今日のレースが終わッたら、もう少シ細かく点検してほしいノです」

「出来るかどうかはわからないけど、わかった」


 さぁ、早くレースの準備をしなければ。

 志真が準備を始めると、テンマが準備を手伝ってくれた。


「ねぇ、私は? ていうかテンマ、ライダージャケットとか貸してって」

「オレのは家にあるから無理。取りに戻る時間もねぇよ」

「タクシー使いなさいよ」

「その金はどこから出てくるんだよ。これだから金持ちは……」


 ああもう、わかった。

 言い合いは続くんだな。やれやれ。

 志真は羽鳥にスペアの通信機を投げてから、


「それにマップ送信するから、その地点で立ってて」


 と言った。


「そこ、今回のゴール地点。ゴール前に敵が大量発生したら事故るから、生贄になっててよ」

「生贄?」

「別に危ない意味じゃないよ。敵は羽鳥を襲わない。ゴール地点は一番スピードが出て危ないから、羽鳥がいたらみんな走りやすい。だから協力してよ」


 これでなんとか、喧嘩をおさめることは出来ないか。

 ……まぁ、自分が面倒ごとに巻き込まれるのが嫌というだけで、ふたりの喧嘩に対しては基本的にどうでもいいのだけれど。


「レース中は危ないから後ろには乗せられない。けど、ゴール地点にいてくれれば、僕は助かる。僕に死なれて困るのなら、協力してくれるね」


 志真が提案すると、羽鳥はしぶしぶ頷いた。

 それを見てから、志真は小さくなってしまった未来家系図をポケットにしまった。家にはさすがに置いていけない。


 さてと、そろそろ家を出よう。

 三人そろって玄関へ向かっていると、ひとつ目のウルがじっと志真を見つめているのに気が付いた。

 二人の後姿を見てから、志真は立ち止まる。


「どうしたの」

「志真様は、未来家系図を消したい。……それでいいのですヨね?」


 ウルが感情のない声で聞くので、素直に頷く。

 自分にとって邪魔になる要素は全て消したい。志真はレースが出来ればそれでいい。


「消すよ。僕の邪魔をするやつは、なんだって潰すよ」

「はい。そウですよね」

「だってお前が言ったんだろ。僕は望んでない縁談に巻き込まれて、精神を病んでいくって。確かに目は治ってレーサーに戻ることは出来た。けど、いつ縁談を迫られるかわからないだろ。羽鳥家、結構物理で来るっぽいし、力で抑えられたら僕は負ける。そういう可能性は今のうちに潰しておきたい」


 この考えは間違っているだろうか。

 もっと穏便に、スマートに出来ることなのかもしれない。

 だが今の志真には、「潰せるものは潰しておく」という強引な考えしか思いつかなかった。

 もしかしたら、未来家系図を存続させたまま縁談に巻き込まれない方法も考えられたかもしれないが、それでも――


「未来家系図なんて、僕には関係ない」


 レースに出れなくなった時の恐怖と絶望を考えると、どうしても今、排除しておきたい。


「これは僕の人生だ。誰にも邪魔させない。絶対に。たとえお前の”ご主人様”――嘉ってやつを殺すことになったとしても、僕は僕の人生を生きる」


 本当は、今すぐに未来家系図の全てをウルに押し付けて”消滅”させてもいいのだ。

 ただ、そうなるとウルがまた壊れてしまうかもしれない。

 壊れてしまえば、嘉がまた妨害してきたときに、対抗手段がない。

 そのためにあえてウルを”生かしている”のだ。

 これは、脅しだ。ウルを従わせるための。


 ……まぁ、それは言わないけれど。だが、志真が元の生活に戻るためになりふり構わない性格だということはおそらく、ウルもわかっているのではないだろうか。

 ウルはしばし志真の顔を見てから、


「もちろんです。志真様のゴ意見に従うのです」


 と言った。

 ウルが何をどう感じたのかはわからない。

 本心なのかどうかも志真にはわからない。

 壊れかけているSLP――そして、ひとつ目の顔になってしまったウルからは、何の感情も見えなかったからだ。


 玄関からテンマの急かす声が聞こえる。

 志真は慌てて玄関に視線をやると、すぐ横をウルが通り過ぎた。


「今晩のレースは、盛り上がリそうですね」


 本心なのか、ただの社交辞令的な言葉なのか。

 志真は頷いて、共に玄関へと向かった。

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