第10話 血

 小さく空気を割く音が聞こえたので、志真は素早く音から離れることにした。

 非常に嫌な予感がしたのだ。

 だがが、タイミングが遅かったらしく、固いものが額をかする。


「……え?」


 今、何が起こった?

 一瞬目の前が真っ暗になり、チカチカと点滅した。

 そうしてすぐに嫌な音が聞こえたので逃げようとしたわけだが、果たしてこれは偶然なのか、違うのか。

 志真は状況を理解する前に、音のした方向へ向き直った。


「ちょっと、……なんなんです?」


 額から、つーっとひとつ。あたたかいものが垂れた。血だ。

 教師が生徒を殴るだなんてありえない。

 一体何がどうなってるのだ。

 担任は少々うつむいたまま、志真のほうへフラフラと足を進ませる。

 手には数学で使う大きなコンパスを持っていた。コンパスの先端をずりずりと引きずりつつ、前進してくる。

 志真は担任の速度にあわせてじりじりと後ずさりをしつつ、ウルの名を呼んだ。

 だが、ウルは現れない。声も聞こえないし、昨日のように電撃を出してもくれなかった。


「ウル? ウル、おい。ちょっと――」


 志真の声に反応をしめさない。

 そうこうしているうちに担任は武器代わりのコンパスを持ち直し、顔を上げた。

 そして志真に向かって、しっかりとした足取りで近づいてくるのだった。

 担任の顔を見た志真はハッとする。


 ――目が、黒いのだ。

 瞳が黒い、とありきたりなことを言いたいわけではない。

 黒目も白目も、全てが黒い。どこを見ているもがわからないし、何をしようとしているのかも、どんな感情をもってこちらを見ているのかもわからない。

 まるでホラー映画に出てくるような出で立ちに、ぞくりと背中が震えた。

 この状況で、本当に逃げることが出来るのだろうか、と恐怖心が湧き始めた。


 担任はコンパスを振り上げ、志真へ向かって振り下ろす。

 志真はそれを避け、カーテンを思い切り引っ張った。

 カーテンレールの音が大きく聞こえるとともに、太陽の光が室内に一気に入ってくる。

 何が担任をこうしたのかはわからない。だから、何でもいいから突破口が欲しかった。

 ほんの少しでいいから、怯んでくれたらそれでいい。

 光で一瞬でも動きを止めることが出来るのならば、志真は逃げやすくなる。


「……いや、待てよ」


 だがそこで、ふと考える。

 担任は怯まなかったのだ。怯まないどころか、志真をはっきりととらえ、狭い部屋内で追いかけるようになった。

 コンパスの攻撃を再び避けると、金属製の棚に当たって大きな音が出た。


「目が黒くて、光に怯まない……。むしろ光があると活発になる……?」


 ……まさか。

 志真が考えられることは、ひとつしかない。


「ウル? ねぇ、この人を治して。たぶん絶対、僕と同じ――」


 暗闇病かもしれない。志真と症状が同じだ。

 ホラーじみた見た目になるのは知らなかったけれど。


 ウルはやはり出てこなかった。

 どうしてこの肝心なときに、と内心腹を立てていると、上靴が何かを踏む。


「立体光の、コア……?」


 立体光はコアと呼ばれる小さな装置によって映し出される特殊な光だ。

 コアがきちんと起動しないと立体光は写らない。

 では、どうしてここにコアがあるのだろうか。学校生活において立体光は必要ないというのに。


「なるほど。ウルのコアか」


 恐らくこのコアは、ウルのものだ。

 最初の攻撃。担任が振り回したコンパスがウルのコアに当たったのだろう。


 通常の”物”では立体光には触れない。

 スカイバイクのタイヤやライダースーツなど、立体光用に特殊な加工がされている”物”でしか立体光に触れることが出来ない。

 なので特殊加工がされていないコンパスの攻撃は立体光を貫通し、直接コアに当たった。

 今の時点ではコアが壊れてしまったのかまではわからないが、恐らくそれが原因で起動しなくなった、と思われる。


 志真はウルのコアであろうものを制服のポケットに入れたのちに、担任と向き直った。

 ここから絶対に、脱出しなくてはいけない。

 ウルを修理しなければいけない。


 そう考えを巡らせていると、またしても、目がチカチカしはじめた。

 次の瞬間、資料室に数十人に及ぶ生徒や教師が勢いよく入ってくる。

 上靴を見ると色はまちまち。性別もまちまち。もちろん、顔は全く覚えていない。

 全員目が黒くて、無言でこちらを見つめてくる。


 目のチカつきが、うざくて仕方がない。

 昨日から新しく出始めた目の症状に未だ確信は持てていないが、どうやら”ご主人様”が志真の行動を邪魔するときに、目が反応するらしい。

 なので目の前の教師や生徒たちも、志真の行動を邪魔するために現れたのだろう。


 ――落ち着け。

 深く息を吐いて、彼らを見る。


「僕に何か用?」


 声を掛けると場所がバレてしまうが、一応聞いてみた。

 生徒たちは何も話さず、黙って志真の方向へ向かってくる。

 そこで、数人の生徒の手が、きらりと光った。

 相手から間合いを取りつつちらりと視線をはずして光ったものを見ると、果物ナイフを手にしている。

 自前なのか、家庭科室から持ってきたのか。思わず「冗談でしょ」と呟いてしまった。


 襲ってきた生徒たちを避けた拍子に、ゴミ箱が倒れた。

 中にはゴミが入っていたようで、ボロボロの数年前の学祭資料やら、丸まったガムテープやら、曲がった画鋲やマジックペンやら紙屑やらが一面に散乱する。

 空になったゴミ箱を相手に蹴ると、ヤツらは面白いくらいに転んだ。立ち上がる際に散乱したゴミを踏み、混乱しているのも面白い。


 志真は逃げようと試みる。

 だが、一人に腕を掴まれ、ナイフを振り下ろされてしまう。

 まぁ、ギリギリで避けられたのだけれど。

 皮膚には当たらなかったが制服には当たってしまったようで、二の腕当たりのシャツがすっぱりと切れていた。


 このままでは本当に危ない。

 命の危機を感じた志真は、窓を思い切り開け放ち、ふちに足をかけた。


「――このっ……!」


 だが、奴らはゾンビのように志真に手を伸ばす。

 押されるので蹴りで対応する。しばらくはその繰り返しだ。相手と何とか間合いを取りつつ、志真は思った。

 こいつらは、本気で殺しに来ているのだ、と。


 「目だけで済まそうと思ったが、そうも言ってられないので殺そう」……なんて考えているのではなかろうか。その”ご主人様”は。


「僕が死ぬわけないだろ!」


 ”ご主人様”が人生を諦めきれないように、志真だって生を諦めたくない。


 本日は大変天気がいい。風も吹いていない。

 これなら、志真が少々無茶をしたところで、天気に殺されはしない。


「パルクールはあんまやったことないんだけどさ」


 苦手だなんだと言っていられる状態ではない。

 開け放った窓枠を伝い、志真は資料室から逃げるのだった。



◆◆◆



 とはいえ、そう上手くは行かない。

 教室へ戻れば戻ったで、志真は注目されてしまう。

 頭から血を流したクラスメイトが窓から現れれば、誰だって驚くに決まっている。

 窓付近で談笑していた女子が悲鳴を上げる。目立ちたくない志真はジェスチャーで静かにするようにお願いをしてから、目的の人物を探した。

 教科書をパラパラとつまらなそうにめくっているテンマを見つけ、速足で近づき、話しかける。


「お前さ、絆創膏みたいの持ってない?」

「え? なんで――うわっ! どうしたんすかその頭!」


 声が大きい。話しかけるんじゃなかった。

 テンマが手軽に騒ぐものだから、簡単に注目されてしまったではないか。


「静かにして。転んだだけだよ」

「どう転んだらそうなるんすか。あとどこから現れたんすか」


 ええい、今そんな話をしている場合ではない。

 さっさと家に帰ってウルを修理しなければいけないし、早くここから離れないと、ヤツらが来てしまう。


 テンマにどこまで説明しようか。今、ここで。

 こいつならばある程度はすんなり理解してくれるだろうが、しかし――

 そうこうしているうちに廊下の一番奥の部屋――資料室から複数の生徒たちがドアを蹴破って現れた。

 バタバタとこちらにかけてくる足音に、志真は舌打ちをする。


「ウルのご主人とやらが僕にまた嫌がらせをしてる。以上」

「肝心のウルはどこにいるんすか?」

「壊れた。たぶん。知らないけど」


 詳しいことは調べてみないとわからない。

 志真がそう言ったタイミングで、ヤツらがこちらに駆けて来るのが見えた。

 とはいっても、あまりよく見えていないようで足取りは頼りない。

 廊下を歩いていた普通の生徒が悲鳴をあげて、近くの教室へ逃げていった。

 かと思えば、その横にいた生徒は数秒間立ち止まったと思いきや、黒い目をして方向転換。志真へと向かってくる。

 どうやら、暗闇病にかかる人とそうでない人がいるらしい。


「なるほど。あれが”ご主人様”の嫌がらせのやり口なんすね。ワンパターンというかなんというか。皇くんやったときとおんなじか」


 理解してくれてなにより。

 そしてやはり自分もあのような怖い出で立ちをしていたのだな、と志真は地味にショックを受けるのだった。


「ねぇ。アレ、なんなの?」


 騒ぎに気付いてやってきた羽鳥が言う。

 ああもう、面倒くさいやつが増えた。

 だが、丁度良くもある。


「ちょっとごめん」


 志真は羽鳥の腕をつかみ、全速力で駆けてきた生徒の前に出す。

 立てこもりの犯人が、人質を自分の前に出して盾にするようにすると、生徒たちはぴたりと止まって動かなくなった。


「ははぁ。そういうことね」


 テンマが「えっ」と小さく声を出したまま驚いている。

 生徒たちが羽鳥を前にして止まったことに驚いたのか、志真が女子を盾にしたことに幻滅しているのかはわからないが、志真は考えないことにした。


「何するつもり!?」


 羽鳥は当然怒っているし、周囲のクラスメイトも驚いた表情でこちらを見ている。

 なんというか、自分の評判というか、人望というか。そういう何か大切なものを失ったような気がした。

 せっかく、目立たず、悪評を立てず、で頑張ってきたのに。

 ウルの”ご主人様”のせいで志真の人生はぐちゃぐちゃだ。


「”ご主人様”は羽鳥には手を出さない」

「え、マジすか」


 だって、”ご主人様”は志真をスカイバイクから切り離し、普通の人生を歩ませたいのだ。

 その”普通の人生”のキーとなる人間には、攻撃できない。


「羽鳥が死んだら困るからね」


 未来家系図のいう通り、羽鳥が未来の結婚相手だというのならば。

 志真はそのまま羽鳥の手首をつかんで走った。


「テンマも来て! 僕一人じゃちょっと無理!」

「え、俺に何をさせようと!?」

「穴掘って埋める」

「羽鳥を!?」


 違う。だが説明している時間がない。

 三人はそのまま学校を飛び出し、大通りまで走る。

 制服のブレザーを脱いで羽鳥の頭にかぶせ、顔を隠した状態で、タクシーを拾って乗り込んだ。



◆◆◆



「ていうかシーマさん。問題ごとに巻き込まれ過ぎじゃないですか?」


 その通り。

 理解力の塊であるテンマが、コンビニから買ってきた飲み物を配りつつ呆れた声を出した。


「巻きこまれた被害者を責めるのはよくない。巻きこんだ加害者を責めてほしいね」


 つまりは、責められるべきは羽鳥だ。

 未来家系図を志真に渡したのは羽鳥であって、彼女の意思なのだから。


「そもそも羽鳥は最初から自分勝手なんだよ。”誘拐”だってもとはと言えば自分ちの揉め事だし、家の宝――未来家系図を盗んだのも羽鳥だし。僕はマジで関係ないんだ」

「でも目のことに関しては知らないわ。あんたの先祖だかが――」

「先祖じゃない。子孫」

「そう。子孫が勝手にやってるだけでしょ」


 羽鳥と口喧嘩をしながら、志真は書斎の一面に並ぶ分厚いファイルを見ては戻すを繰り返す。

 父が行方不明になって以来、立体光の資料を見る機会はないに等しかったが……処分しなくてよかった、と心から思った。

 志真が掃除をしていなかったこともあり、父の部屋は少々埃っぽかった。その部屋の中で、二人は文句も言わずに部屋に留まってくれている。


「シーマさんの子孫の話と、羽鳥の未来家系図の話。どっちも理解に苦しみますけど、まぁそれは全部受け止めるしかないとして……」


 テンマは頭をがりがりとかいてから言う。


「よくもまぁ、繋がっていきますね。このわけのわからない事象が」

「僕もそう思う」

「なんかこの時代が関係してるんですかねェ……」


 テンマがぼそりと呟いた。


「あら、随分詳しそうじゃない?」

「詳しくねぇよ。おかしな事象が次々出てきて繋がるんなら、原因があるかもって言いたいだけだ。もちろん”時代”じゃねえかもしんねぇけど。なんか原因があってもおかしくない」


 二人は父の部屋にある大きなソファに座りつつ、志真の引っ張り出してきた資料を眺めている。

 恐らく二人にはわからないだろうし、文字すらも読めないだろう。

 志真は棚から目的の資料を探し出す作業を続けた。

 というのも、今日はタイムリミットがあるからだ。


「レース前までに、ウルをどうにかしないと……」


 もう昼が近い。

 これからウルの修理をして、万全の状態でレースに出なければいけない。

 レースの開始時間から逆算しても、頭を抱えたくなるタイムスケジュールだった。


「ウルがいなきゃダメなの?」

「どうせまた立体光が不具合を起こす。”ご主人様”が干渉してくるだろうからね。立体光が不具合を起こした場合にウルの力が必要だし、そうじゃなくても……仮に、もし僕がまた目をやったときのためにも、いてもらわなきゃ困る」


 先程の学校での一件から、志真以外の人間も、暗闇病になってしまうことがわかった。

 ならば、志真の目が再発する可能性は大いにある。

 レース中に再発してしまえば、三か月前と同じく落車事故を起こしてしまうかもしれない。

 ”ご主人様”にとってみれば、それが一番好都合だろう。


「今度の落車は打ちどころが悪くて一生寝たきり……なんて僕は嫌だ」


 三ヶ月前は後遺症なく済んだのが奇跡だったのだ。

 失敗は成功の基――ならば、”ご主人様”は今度は確実に志真を仕留めにくる。

 それこそ、ビルに突撃させるなんてぬるいことはせず、一番高い地点でコースアウトさせてアスファルトの上に落とす……なんてことも出来るわけだ。

 色々と嫌な想像をしていると、テンマが、


「俺が”ご主人様”なら、次は完璧に寝たきりにさせますね」


 と言った。

 やはり考えることは同じのようだ。


「ねぇこの資料、何書いてあるのかわかんないんだけど。皇博士は何語で書いたの?」

「日本語。父さんは字が壊滅的に下手なんだ。読めるのは当時の立体光開発チームと、僕と母さんくらい――」


 そこで、志真はやっと関連資料を見つける。


「あった!」


 その資料を父の机に広げ、近くの工具を取り出した。

 これでウルを直せるかもしれない。

 志真がてきぱきと準備しはじめると、二人は


「血、なのかしらね」

「かもな」


 と言った。

 悪いが、返事をしてやる暇はない。

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