第9話 学校生活

 綺真第一高等学校の二年一組は、目を患う前と何も変わらなかった。

 つまりは、とってもつまらない。

 どうしてこんなところに来てしまったのだろうか、と思わずにはいられなかった。

 昨日の夜、端末のメッセージにて担任に目が治ったと報告したところ「たまには登校しないと単位やらんぞ」と脅されたのだ。

 なので本日は渋々来たわけだが……この学校の代わり映えのなさは精神的にきついものがある。

 スカイバイクでスリリングな毎日を送っているからこその弊害かもしれない。


 教室の平和な雰囲気にうんざりしつつ、志真は鞄から教科書類を出し、自身の机に入れた。

 椅子に座って、ぼんやりと考え事をする。

 内容は、昨日、羽鳥に未来家系図を渡された件に関してだ。

 家系図自体は家で保管して何かあったら困るので、今日はポケットに入れ登校している。

 協力すると自ら言ったはいいものの、結構な面倒ごとに首を突っ込んでしまった、と志真は思う。

 それに、家系図に書かれていた自分の名前についても気になる。

 羽鳥に詳しく聞かなければいけないし、自身のこれからについても改めて考えなければいけない。

 ウルの発言が正しければ、そして未来家系図が”正しい物”ならば、羽鳥家という存在が自分にとって危ういものとなるのだから。

 だが、しかし――


「疲れた……」


 昨日一日でここまで疲れるだなんて。

 怒涛の一日を過ごし、いろいろな物事に振り回されまくった志真は、朝からとても元気がなかった。


「それは昨日、夜遅くまでバイクをいじっていたからなのです。ウルが話しかけても全然聞いてくれなかったのです」


 志真の目の前に現れたウルが親のようなことを言う。


「しょうがないだろ。レースは今日なんだ。急いでバイクを仕上げておかないと」

「バイクを仕上げても人体を仕上げなければ意味がないのです。志真様。今は若さでどうにかなっていますが、そのうちバイクより人体にガタが来るのです」

「じゃあ、僕の体力を回復させて疲労を取ってよ。出来るでしょ」

「ウルを都合のいい存在として扱わないでほしいのです」


 やはり親のようなことを言いながら、ウルはシュッと消えた。ちなみに、呼べばすぐに出てくるし、待機中も会話は全部聞こえているそうだ。

 ウルはもっと自己主張してくるタイプかと思ったが意外にも違うようで、結構空気を読む。

 志真が誰かと会話をしていると、基本的には呼ばれるまでは姿を現さない。

 これは昨日一緒に過ごしてわかったことだった。

 なのでこうして、信用して学校に連れてきたわけだ。


「シーマさ――……す、皇くん? 学校来るなんて珍しいっすね」


 テンマが話しかけてきた。

 黒縁眼鏡を洒落た風にかけており、頭が良さそうに見える。髪型も少々変えているようで、レースのときとは雰囲気が違った。


「……ええと」


 こいつの名前、なんだっけ? ライダーネームじゃなくて、本名のほう……。

 志真は一生懸命名前を思い出そうとするが、まったく覚えていなかった。


「杉浦! 俺の苗字は杉浦っすよ。普通に名字で呼んでください」


 テンマは人のよさそうな笑顔を向ける。

 ……なるほど、性格はレーサーのままでいくのか。

 基本的にスカイバイクレーサーは、日常生活において面倒ごとを避けたいと思っている。

 事故やトラブルで周囲に睨まれたくないという思いから、少々姿を変えて過ごしている人が多い。

 もちろん、志真やテンマも心得ているので、日常生活はバレない程度に変装をしている。


「わかった。ごめん、覚えてなくて」

「いいっすよ。皇くん学校久しぶりですもんね」

「たまに来ないと怒られるんだ」


 今までは目のおかげで登校を免れていたのだが、これからはそうもいっていられないようだ。

 すぐ横の窓から直射日光が入るので、朝ではあるがカーテンを閉めた。

 基本的にレースは夜行われる。志真はそれに合わせて生活していることもあり、朝と太陽の光に弱いのだ。


「朝から勉強だなんて、よくやるよね」


 自分のタイミングで勉強する、でよくないか?

 そう思うものの、ただの愚痴にとどめた。


「あら、おはよう。皇志真。杉浦天馬」


 そこに、厄介な女子の声が聞こえてきた。

 羽鳥歩だ。

 羽鳥は今登校してきたようで、マフラーと鞄を持っていた。

 HRの時間まであと五分程度だ。その時間に志真のクラスにいるということは、つまり――


「お前たち、僕と同じクラスなの?」


 と、いうことになる。

 テンマには昨日聞いたような気がしたが、羽鳥もとは思っていなかった。

 羽鳥は呆れた、といわんばかりに盛大に溜息を吐いている。申し訳ないが、クラスについては本当に覚えていないのだ。


「ていうか――杉浦ペガサスって、誰そいつ」


 妙な名前を聞いたような気がして聞き返すと、羽鳥はぷっと噴き出した。

 機嫌が直ってくれたのはよかったが、今度はテンマが微妙な顔をする。


「皇くん。俺の名前は、名字で呼んでくださいっす」


 圧をかけるな、圧を。

 志真は先程の羽鳥の挨拶を脳内で数回、分解してみる。


「すぎうら、ぺがさす……? 杉浦ペガサス???」

「名字でお願いします」


 テンマの頑なさに、羽鳥が声をあげて笑った。

 ……ああなるほど。理解した。どうしてライダーネームが「テンマ」なのかも理解した。

 天馬で「ぺがさす」と読む。それが本名なのか。

 そしておそらく、テンマはそれを嫌がっており、名字で呼んでほしいと思っている。

 ライダーネームではテンマと名乗っている。なるほどなるほど……。


「名前なんて気にすることない。僕のシマって名前も女の名前とか言われることあるし……」

「私のアユムって名前も、男の子に使われたりするし……」


 名前なんて気にすることないよねー!

 テンマのフォローにまわると、何故かテンマは遠い目をした。どうしてだろう。バカになんてしていないのに。

 そこでとうとう、HRのチャイムが鳴った。

 羽鳥とペガ――テンマは各々自席に戻っていったので、自分も黒板の方向を向いた。


 ……驚いた。

 なんというか。学校生活って、ここまで楽しいものだったか?

 志真は初めて、学校というものに楽しさを感じた。

 今までスカイバイクのことばかりだった。というか今もスカイバイク人生を歩んでいるし、それに対する後悔は全くない。

 だが、バイクから少し離れた生活というのも、そこそこ悪くない。ということを初めて知った。

 ……まぁ、やはりスカイバイクから離れるつもりはないのだけれど。


 羽鳥の席は窓際の一番前、テンマは廊下側のドア付近。そして志真は窓際一番後ろ。

 席替えを面倒くさがる担任のおかげで、春から同じ席のままだ。志真はあまり登校していないにもかかわらず、神の席を手に入れ続けている。


『登校していないということで心配しておりましたが、意外にクラスに馴染めているのですね』


 ウルが直接脳内に語りかけてくるので、「そうだね」と心の中で返事をした。

 SLPというモノは、どこまでも人間と生活を共にするものであるらしい。

 対象の人間――つまり志真の心に語りかけることが出来るし、口に出していなくとも志真の考えをある程度読むことが出来る。……らしい。

 意図した行動ではなかったが、昨日の昼間、男たちから羽鳥を奪い返した時も、羽鳥と逃げる最中に男たちに電撃攻撃をしたことも、志真はウルの名前を呼んだだけで細かな指示を出していない。

 にもかかわらず、ウルは志真の考えを読み取り、立体光のコースとなったり、電撃を出したりした。


『完全ではありませんが、ある程度、心を読むことは可能なのです。そして心の中に語りかけることも』


 ほうらね。

 つまり今日、抜き打ちテストがあったとして。まったく勉強していない志真が窮地に立たされたとしても、ウルは助けてくれるわけだ。


『助けないのです』


 ああ、そう。ポンコツLSPめ――志真がそう思うと……。


「――痛った!」


 体に激痛が走った。

 恐らく、ウルが電撃攻撃をしたのだ。

 痛みに思わず声を上げると、担任が心配そうにこちらを見た。


「皇。大丈夫か? 調子悪いなら無理するなよ」

「あ、はい。大丈夫です……」


 前髪とマスクを定位置に戻し、顔を隠しつつ、志真は小さく頭を下げた。

 この野郎……。

 スカイバイク第一で人生を考えている志真が、日常生活で気をつけていることは「目立たないこと」だ。

 学校でも、街でも、出来る限り目立ちたくない。皇志真という存在を消していたい。

 レーサーとして認知が上がれば上がるほど、気を遣っていることだった。


『ウルをバカにしたからなのです』


 ウルがつんとした口調で言った。

 SLPにはしっかりとした自我があり、感情があり、自分の意思で人を攻撃することが出来るらしい。

 ロボット三原則、というものは、きっと未来にはないのだろうな、と思う。

 志真は心の中で、更に話しかける。


「頼むから学校終わるまで大人しくしてて。下校時間になったらさっさと帰ってレースの準備しなきゃいけないんだから」

『わかっています。でも、平和に下校時間まで過ごせるとは思わないほうがいいのです』

「なんで」

『志真様が物凄く目立っているからなのです』

「は?」


 視線だけ彷徨わせて周囲を確認する。

 志真はあまり真面目に登校していないほうだが、それでもいつも通りの平和なクラスだと感じている。


「目立つ要素なんて僕にはない」


 志真が目の病気にかかった、という話は学校には報告してある。

 なので話が漏れてうっすら知っている生徒もいるだろう。羽鳥のように。

 病気だと噂されていた生徒が学校に来た、という意味では、志真のことを少々注目して見る人もいるかもしれないが。

 ……そこまで、目立つだろうか?


『気になりませんでしたか? 登校中とHR前に、志真様はしっかり注目されていたのです』

「普段学校来ないやつが来たから珍しくて、とかじゃなくて?」

『彼らの表情を分析するに、そういうものではないと思うのです』


 まったく気づかなかった。

 存在を消すことに必死になりすぎて、人の目というものを感じ取ることが出来なかった。

 これだから学校という多数の人間が密になる空間は嫌なのだ。

 街中の人混みとは訳が違う。常に相手に見られており、逃げられない。

 相手が自分のことを知っているということを念頭において生活しなくてはいけないのだから、非常に厄介だ。


「このまま帰ろうかな」

『帰ってよろしいのですか』

「よくない」


 単位がもらえないのは困る。

 とりあえず、卒業だけはしたい。


「学校の命令はある程度我慢して聞かなきゃいけないんだ。面倒くさいけど」


 志真が溜息を吐くと、ウルは少々考えたのちに、


『では、ウルが学校の見回りをしてきます』


 と言った。


「お前の存在、バレたらまずいんだけど」

『御心配には及びません。ウルはバレません』


 そう自慢げに言う。

 その自信はどこから来るのだ。ステルス機能などが搭載されているのならともかく、ウル――立体光にそのようなものはない。

 体を大きくしたり小さくしたり、といったことくらいしかできないはずだ。


「いざとなったらまた”立体光が動くわけない”っていう今の時代の常識で逃げるつもり?」

『それもありますが――』


 そこで、担任の声が大きくなった。

 HRが終わったようだ。次第にざわつき始める教室内を、志真は見渡した。

 誰が志真を見ているのか。少しでも手掛かりがほしかった。


「皇はちょっとこっち来い。話がある」

「え? 僕、ですか……?」


 だが、上手くはいかない。

 担任に呼ばれ、渋々教室から出ることになってしまった。

 温かい教室内から、寒い廊下へ。いい加減廊下にも暖房器具を入れてほしいものだ。


「皇。目は大丈夫なのか。原因不明の診断を受けていたんだよな?」

「あ、はい。親の……えー。親戚の紹介で、目に関するニッチな研究をしている医者を紹介されまして」

「そうなのか。皇博士ならそういう知り合い多そうだもんな。それで、治ったのか?」

「まぁ、はい」


 廊下を歩きながら、志真は適当な嘘を並べたてた。

 まあまあそれっぽいことを言うことが出来たし、担任も信じているようなので、内心ほっと胸を撫で下ろした。

 この嘘のまま、卒業できますように。何事もなく、疑われず、目立つこともありませんように。

 そんなことを考えつつ歩いていると、担任は『資料室』と書かれた部屋の前で立ち止まった。


「急に呼んで悪かったな。教室に教材を持っていってもらいたいんだが、頼めるか?」

「いいですけど。……あれ? 次の授業、先生でしたっけ……?」


 今日の時間割は頭に入れてきたつもりだったが、変更になったのだろうか。

 担任が資料室の鍵を開けると、埃の臭いが廊下に漏れ出た。

 ああ、学校のにおいだ……。嫌な懐かしさを感じながら部屋に入ると、古びたクリーム色のカーテンが真っ先に目に入った。

 ドギツい太陽光を優しい光に変えてくれるカーテンは、夜型の志真には大変ありがたい。


「何を持って行けばいいんですか?」


 男手を必要としているのなら、大きなもの、または重いものだろうか。嫌すぎるが、我慢するしかない。


 大きな三角定規、コンパス、地球儀、イーゼル……。珍しいものがたくさん置いてある。

 部屋に置かれている数々の道具を眺めつつ、志真は聞いた。

 普段はあまり見かけない教材だ。これを持って教室に戻れば目立ってしまうな、と思ったが、今回ばかりは仕方がない。

 手伝わないほうが目立ってしまうのだから、大人しく手伝ったほうがいいに決まっている。


「先――」


 ――恐らく、そのあたりで、志真の目は真っ暗になった。

 何が起きたのかはこの時点ではわかっていないが、ひとつだけ――

 すごく、聞き覚えのある笑い声がした。

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