02.Ultimate Hell

第2話 お久しぶりです、太陽光

「あああああ!!」


 と、いう夢を見たのさ。なんちゃって。

 ……いいや。なんちゃって、などと冗談を言っている余裕なんてないし、冗談で済むレベルの話ではないのだけれど。


 死んだと思った次に目にしたものが病院の天井だったなど、絶対に信じてやるものか。

 志真はがばりと飛び起きて、深く息を吐き出した。

 大きく呼吸を繰り返しながら、肩まで伸びた髪の毛を意味もなくぐしゃぐしゃにかき混ぜる。目元へ手を持っていき、何度も何度もこすった。

 そうしてやっと目覚めた朝は、夜と見間違うほどに暗闇だった。

 病院で意識を取り戻し、退院してからもずっと――志真の見る景色は、三か月間同じだった。


「認めない」


 悪夢もずっと見続けたし、一日を始める言葉も変わっていない。


「僕は認めない」


 退院して自宅に引きこもるようになってから、約二か月が経っていた。

 その間に変わったことは、何もない。

 毎日同じ言葉で朝を迎え、絶望しながら眠りにつく。その繰り返しだ。


「僕が落車? ライダー引退? あり得るわけないだろそんなの。僕は認めてないし認めるつもりもない」


 恐らく壁なのだろう「闇」に向かって、吐き出す。


「僕からスカイバイク取ったら、何が残るっていうんだ」


 まぶたの裏に浮かぶのは、立体光コースの眩さだった。

 夜を切り裂く光の海と、観客の熱い声援が蘇るたびに、志真は頭を抱えてベッドにうずくまる。そうして朝の小鳥のさえずりを拒絶し続けた。

 朝など永遠にやってこない。たとえ来たとしても自分にはわからない。


 三か月前、九月二日のレースにて、シーマこと皇志真は落車――コースアウトをした。

 レース終盤の直線コースを走っている最中、突如視力を失ったのだ。

 そのまま制御不能に陥りバイク共々コースアウト。そこからの記憶がぽっかりと抜け落ちている。

 周囲の発言によりなんとか事の顛末は知っているものの、覚えていないせいで他人事のように受け取っている。


 志真は時速八十キロ超でコースから外れ、その勢いで近隣ビルに突っ込んだ挙句転落した、らしい。

 志真の異常に気付いたチームメイトにより大事には至らなかったが、視力だけは戻らず引退を余儀なくされた。

 ぼんやりと覚えているのは立体光が映った夜の雲と、観客の悲鳴と、誰かの笑い声だ。


 ありえない、と、思っていたい。何度も嘘だと信じようとしたし、夢であると思い込みたかった。

 しかし、気が向いた時だけうっすらと光を取り込むだけのぼやけた視界が、志真を現実世界へ引き戻す。

 視力喪失の原因は不明だった。

 どれだけバイクやライダースーツが頑丈だろうと、ウンタラカンタラとかいうなんだかすごい衝撃緩和素材で出来ていようと、そのおかげで志真の命が助かろうとも、目の病だけは原因不明と言われる。

 科学の力は、未だ未熟である。

 原因不明ならば、ということで、自身の症状を勝手に「暗闇病」と名付けてみたが、何かが変わるといったこともない。

 鬱々と生活し続けるのみで、うんざりしてくる。


 のろのろと起きた志真は、かけ布団を蹴とばして立ち上がり、家具のふちを伝ってカーテンを開けた。

 今日は少しだけ調子が良い、のかもしれない。

 志真の目は完全に視力を失っているわけではないらしく、たまにぼんやりと見えたり、何も見えない真っ暗な状態が続いたりと、その日によって症状が違う。

 一日中同じ症状が続く時もあれば、数時間単位で変わったりもする。

 今日の天気は、恐らく晴れだ。窓の外の景色はわからないけれど、光の強さがわかる程度には、調子が良い。

 今のうちに食事を摂っておこうと、自室を出て階段を下りた。


「あ」


 そうして足を踏み外すのは、いつものことだった。

 階段のてっぺんから足を踏み外すのはもう慣れた。足の裏が空気を踏む感覚にまたかと思いつつ、そのまま階段から派手に落ちる。

 寝間着のTシャツとジャージで廊下に倒れこんだまま、志真は動くのをやめた。

 落ちた衝撃で体が痛い。だが、どうでもいい。

 レーサーだった頃なら、体に異常がないかを必死になって確かめていただろうけれど、今となっては好きにしてくれ状態だ。

 やる気がないのだ。生きる意欲もない。セルフネグレクトで自分が死んだって、それはそれで構わない。


「ん、ぐぐぐ……」


 寝返りをうって、天井らしきものを見つめる。

 死んだってかまわない。だが、事故にしろ何にしろ、死ぬという行為が思った以上に難しい。

 手を打とうにも目が見えない。何も出来ず、ダラダラと絶望しながら生きていくことだけはしたくないというのに。


「お先真っ暗とは、まさにこのことですか? 志真様」


 誰が上手いことを。……というか、はて。今の声は……?

 次の瞬間耳にしたのは、人の声と電子音、どちらともつかない音声だった。


「おはようございます、志真様。というかもうお昼なのですよ。お食事のご用意は出来ておりますので、どうぞこちらに」

「……え?」


 志真の思考が止まる。


「朝ごはん兼用ということで、昼食は寝起きでも問題なく食べれるものにしたのです」


 うむ。これは幻聴の類ではないようだ。

 とうとう精神に異常をきたし始めたかと思ったが、耳をふさぐと聞こえない。

 ということはつまり、ちゃんと「声」や「音」が現実にあるということだ。


「は?」


 声の主を見る。まぁ、見えないのだけれど。

 青緑のような球体がふわふわと浮いているのはなんとなく確認できた。

 その球体が声を出しているということも、これまたなんとなく、わかる。


「お気に召さないのですか? 作り直しも可能ですが――」

「いや、そうじゃない。誰? 泥棒? 宗教勧誘? 受信料? 新聞? 僕のファン?」

「申し訳ございませんなのです。今の選択肢の中に、ウルが属するものはないのです」

「は? 何、何、何。なんなんだよ。何が目的で僕の家に? っていうかなんで飯まで作ってるの」

「はい。私――ウルフガードは志真様のサポートをするためやってまいりました。ご自宅に鍵がかかっておりましたが、まぁ、どうにかしたのです」


 どうにかするな。

 あまりの展開に思わず声を上げそうになったが、とりあえずは置いておく。今聞くべきことではない。

 目が見えないということが実生活において大変危険であるということは知っていたつもりだったが、まさか家に不審者が侵入し、堂々と料理を振る舞おうとするなどとは考えていなかった。しかも昼に。

 親は一年ほど家に帰ってきていないので、一人暮らしの心得的なアレコレはわかっているつもりだと自負していたわけなのだが。


「情けない」


 額に手をやり、項垂れる。

 役に立たない目め。いいや目だけではない。役に立たないのは志真の意識や思考回路全般だ。

 人生に絶望すると変なところで躓き、変なところで大胆になる。

 スカイバイクレーサーのシーマが消えたということで、自分などに接触してくるやつなどいないと決めつけていた。

 決めつけていたというか、まぁ。今までがそうだったというだけなのだけれども。

 みんながみんな、メビウスのシーマに興味はあるが、皇志真には興味がない。


「つまりお前は、皇志真に会いに来た」

「はい。間違いないのです」

「誰の許可も取っていないくせに、俺の世話をしに来た」

「はい。必要ないと判断したのです」


 つまるところ、「ただの皇志真」は現実世界でこのような雑な扱いをされる。

 モブと同じ生活を送り、モブと同じ事件に巻き込まれ、モブと同じようなわけのわからない変質者に付け回される。


「ムカつく……」


 レーサー時代は「注目されないモブ生活」もそれなりに楽しんでいたのだが、モブになり下がった途端に腹が立つのは何故なのか。

 不満を吐き捨ててから、壁を頼りに洗面所へと走る。

 そして、奥に立てかけていた掃除機からノズル部分を取り外し、正面に構えた。


「志真様。何をなさっているのですか。お食事はリビングにご用意したのです」


 こそこそ隠れずに志真の前に現れたということは、志真に何かしらの用があるはずだと踏む。

 志真は掃除機ノズルを野球のバットのごとく構え、追ってきた不審者に向かって思い切り振った。


「金? それとも僕を笑いに来たとか? または、善人ぶった施しをすることで悪どいこと企んでる!?」

「違います! ウルフガードは志真様をサポートするためにここにいるのです」

「いらないよそんなの! 何しに来たんだか知らないけど帰って。励ましの言葉もうんざりなんだよ! 同情で何かが救えると思ってるなら大間違いだ。ただの自己満を僕に押し付けるな」


 ウルフガードというらしい不審者は、志真のスイングを華麗に避ける。志真は舌打ちをしてから、今度は出鱈目に振り続けた。

 目を患ってから三か月間、医師やチームメイトの励ましの言葉を常に聞いて生きてきた。


「励ましの言葉がありがたいと思えるのは、そこに希望があるからだ」


 人は、希望がなくては生きていけない生き物らしい。一概に括れはしないけれど、志真に関してはそうだ。

 原因不明の病に侵されて、この先も続くであろう人生のどこに希望を見出せば良いのだろうか。

 地獄を生きろと? ふざけるな!……というのが、志真の捻くれた思考で行きついた答えだった。


「僕のサポートなんてしなくていい。別のやつにしなよ。まともに生きてて、喜んで社会貢献とかしそうな善人を!」


 ノズルを振り回し続けていると、不審者の側面に微かに当たるが、効いているようには見えなかった。

 こいつは一体何なのだろう、と思う。

 もしかしたら泥棒ではないのかもしれない。けれども突然やってきた、わけのわからない物体を信用するわけにもいかない。

 志真は一歩踏み込んで、不審者の正面からノズルを振り下ろすことにした。


「――この!」


 最近、色々と慌ただしいなと思う。「暗黒病」を患ってからは特にだ。

 周囲が見えない分警戒心も強くなったし、人の何気ない言葉に腹を立てるようになった。


 踏み込んで、振り下ろして、そしてよろける。

 近くに転がっていた洗濯籠を蹴とばしたことでバランスを崩した志真は、ノズルを持ったまま、壁へとぶつかった。

 壁と額とがぶつかる音が響く。ぐるぐると視界が揺れて、床に手を付けずに、転ぶ。


「少しくらい、ウルの話を聞いてくれてもいいと思うのです。志真様の精神が穏やかではないことは承知していますが、初対面のSLPに襲い掛かるなんてあんまりなのです」

「SLP……?」


 この不審者は今、何を言っているのだろうか。

 洗面所にふわふわと浮かぶ青緑色の球体、バスケットボール程度の大きさの不審者は、こちらににこりと笑いかける。

 大きな尻尾を左右に振りながら、「あれ、言いませんでしたっけ?」と丸い瞳で見つめてくる。


「未来から来たサポートSLPだって」


 ウルフガード――ウルの声は明るくて、非常に優しかった。

 サポートSLPって、なんだ……? AIのようなものか……?

 そして未来から来た、とは?

 ウルは志真の次の発言を待っているのか、大きな耳がぴくぴくとこちらを向いている。

 よく見れば若干透けていた。というか、その透け方は見覚えがある。


「立体光?」


 立体光ならばその透け方をする。

 中心に光を放つ核があり、時折透けムラが出る。


「さすが志真様ですね。そうです。ウルは立体光で作られています」

「嘘だろ……?」


 やっと立体光を使った空飛ぶバイクレースが出来る時代になったと喜んでいたのに、もうAIまで搭載されたとは。

 ――いや、でもおかしい。

 立体光関連の研究に関してはそこそこ詳しいと思っていたのに、今まで全く知らなかったなんて。


「どうなってるんだ……」


 呆然とウルを見ていると、ウルは志真の周囲をくるくると飛んでから、「お食事はリビングです」と言った。


「とりあえずお前は、泥棒じゃないんだな?」

「まだ言うのですか? 違います。宗教勧誘でも受信料の徴収でも新聞配達員でも志真様のファンでもありません」

「そして人間でもない」

「はい。ウルはただのSLPです」


 ウルは尻尾をぐるぐると振り回す。


「さぁ、お食事にいたしましょう」


 志真を誘導するように、リビングへ向かって進んで行く。

 勝手知ったる何とやら。我が物顔で家の中を移動するくらいには間取りを把握しているようだった。

 ウルの後姿を目で追ってから、志真は立ち上がる。

 埃が隅に溜まった状態の洗面所を見て、掃除をしなくては、と思った。

 どうして今まで掃除をサボっていたのだろう。目が見えなかったので上手く掃除が出来なかったということと、生きることにやる気をなくしていたということもあるが、それにしてもひどい荒れようだ。

 洗面台の埃を人差し指で掬い取り、しばし瞬きをする。


「目が……。見えてる」


 志真が付いてこないせいか、振り向いた状態で立ち止まっていたウルが言う。


「ですから。ウルは志真様のサポートSLPなのです」

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