5-2 生きた証

 僕と黒崎さんは、次週の水曜日にカフェでランチを共にした。カフェは黒崎さんの行きつけのカフェで、「カフェ・ルーブル」という名だった。時々、絵画やイラスト、写真などの展示を行っているカフェ・ギャラリーで、若い人から年配の方まで、幅広い客層が利用していた。


 黒崎さんが口を開いた。

「どうして、本を出版しようと思ったの?」


 僕は沸き立つ想いを抑えて、言葉を口にした。

「僕、生きた証が欲しいんだ。何でも良いから。インターネットを見ていても、スマホを触っていても、何も手応えを感じないんだ。『電子的な何か』ではなく、形ある物体を生きた証としたいんだ」


「分かる気がする」

 黒崎さんは、静かに頷いた。


「今回、本を自分の手で造ってみて『僕は生きているんだ。ここに生きているんだ』って、言えた気がする」

 僕は一息に告げた。自分の中に、つかえていたものを「どっ」と吐き出したような気分だった。



「素晴らしい時間を過ごしたのね」

 黒崎さんは、優しい口調で答えを返した。

「私には、良く分からないけれど、全部自分一人でできるのが、すごいよね」

「そうなんだ。個人出版といわれる理由さ」

 

 僕は語を継いだ。

「僕らの暮らしって、すごく細分化されているよね。例えば、食べる物にしても、レンジで温めるだけとか。今、DIYなんかが流行っているのも『一人でイチから造る』ということが見直されているのかもしれないね」

「そうだと思う。農業なんかもそうね」

「もう一つは『リアルさ』かな」

「リアルさ?」

 僕の言葉に、黒崎さんが反応した。


「そう。パソコンとかスマホの画面で見るだけでなく、リアルな物体としての存在が、重要なのかも知れないね」

「たしかに、今はバーチャルなものが多いね」黒崎さんは、ホットコーヒーに二つ目の角砂糖を入れながら答えた。

「わたしも、実際に触れるものがあるって、幸せなことだと思う。コーヒーだってそうよ。実際に飲まなきゃ、美味しさを感じられないもの」

 黒崎さんはそういうと、ランチの後のコーヒーに口をつけた。コーヒーの甘い香りが漂う。


「僕、まだ実際に見ていないけれど、見本の書籍が届くのがすごく楽しみなんだよ。どんな風に仕上がっているか、ワクワクする」

 黒崎さんは目を細めた。

「楽しんで造るのがイチバンね」


 僕らは、そんな話をランチの後で小一時間ほど続けた。

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