セバスチャンのこと

青木雅

セバスチャンのこと

 先日、セバスチャンがちょっとしたできものが出来たので病院に摘出しに行くと突然言いだしまして、暇を与えてやりました。どうも様子がおかしかったので心配して終わったあとわたくしが病院まで迎えに行ったのですが、どうしてか医者からできものであろう物を差し出されて「セバスチャンさん、ですよ……」と言われてしまい、ひどく狼狽えてしまいました。それはどこからどう見ても小石ほどの小さなわずかに光沢のある黒い塊なのです。流石に悪い冗談だと思いまして医者にセバスチャンの居場所について尋ねましたが「ですから、こちらが、セバスチャンさん、ですよ……」と言って退かないのです。これにはわたくしもだんだん腹が立って「ならばできものの方を出してください!」と強く言いました。すると医者もようやく観念したのか横にいた看護師に何か耳打ちして「では、少々お待ち下さい」とおっしゃいました。なんだか嫌な予感がしたのですが、しばらく待っていると看護師が四人がかりでキャスターの付いた担架を押してきて、セバスチャンはその上で眠っています。嫌な予感は的中してしまったのでした。彼はどれだけ強くゆすっても一向に反応しません。わたくしは混乱して医者にこれは一体どういうことなのか尋ねました。「ええ、ですから、こちらが今回摘出したできもの、ですよ……。とても大きいものでしたから、大変な手術でした」と、医者は不気味なほど平坦な口調で言います。わたくしはこれ以上は言葉が出てこず、呆然と立ち尽くして冷たくなったセバスチャンを見つめる事しかできませんでした。医者は「それでは、私はこのへんで失礼します。お大事に……」と言って去り、看護婦らもわたくしを無言で担架から引き剝がして医者の後を追いかけていきました。わたくしは小さな小さなセバスチャンと共に取り残され、結局そのまま帰りました。

 できものは常に人肌ほどの温度を保ち、時々小さく震えます。こんな状態でも公的にはきちんと執事としてのお給金は振り込まれ、税金も払っていることになっている人間として存在しているのです。病院から死亡届が出されることはありませんでした。

 また、とても不思議なことに、これを見ていると何故かとてもあたたかい気持ちになってくるのでした。わたくしは何か嫌な気分になるたびにこのできものを指先で撫でたりさすりました。これはわたくしが人の形をしていたころのセバスチャンに向けていたものと同じ感情なのです。わたくしはゆっくりと時間をかけて、この黒い塊が確かにセバスチャンであるという確信を育ててゆきました。時には丁重に包んで旅行に連れて行ったり、映画を見たりもしました。

 そして何か月後かのある朝に、セバスチャンは冷たくなっていました。わたくしは直感的に理解しました。彼は死んだのです。わたくしは手を合わせてセバスチャンの冥福を祈りました。そしてそれからこれを指輪に加工することに決めました。ちょうど控えめな黒珊瑚のように見えるすてきな指輪になるに違いありません。完成したら、それを左手の薬指にはめることにしましょう。そういえば、今日はわたくしの誕生日なのです。つまるところ、まさにそういうことなのではないでしょうか? わたくしはやさしくセバスチャンを胸に抱き、いまにも溢れてしまいそうな涙を強くこらえてかすかに感嘆の声をあげました。


 わたくしとセバスチャンの結婚式は葬儀と兼ねて死亡の翌々日にしめやかに執り行われました。婚姻と葬儀を同時に行うのですから、わたくしは真っ黒のウエディングドレスを身にまとい、お色直しの際に真っ白な喪服に着替えます。

 式には、死者との結婚ですから、親族の皆様を生死を問わずに集まっていただき、勃興前から没落後にいたるまですべてのわが親族の皆様に蘇ったり生まれたりしていただいて集っていただきました。わたくしはこの家の本家の一人娘でしたから、お家はここで途切れてしまいます。言うなれば、これはひとつの総括なのです。そしてこれはあとからじいやに聞かされたことですが、セバスチャンは実はわたくしと遠くない血縁であったそうです。貴族なんて今時そう多くはありませんから、別段驚くようなことではありませんでしたが。また両親も近親婚であったらしいのです。ここで重要なことは、これによって、家系図がこれによって収束したことなのです。どのみち、土地を売って生活する貴族らしい暮らしにはもう終わりが見えていましたから、そういったことにわたくしは大した感慨を持っていいないのでしたこの式は財産という側面においても華々しい最後であったのです。これ以上の蕩尽というものが今後行われるとも思えませんし、じいやも賛同してくれました。

 わたくしはセバスチャンの指輪をしっかり左手の薬指にはめ、ヴァージンロードを後ろ向きに歩いて神父のもとに進んでいきます。みなさまはわたくしたちを見て泣いていましたが、果たしてどのような涙だったのでしょうか。おびただしい数の先祖がひしめき、めいめいがかすかな音を立ててそれがざあざあと波のように空間に響き渡ります。この式ははじめから価値というものが転倒しており、結婚式ではみなさま悲しげに家の終焉を嘆くのですが、わたくしとセバスチャンが瞬間の愛を神父に誓いあった後、お色直しで葬式を始めれば今度はどんちゃん騒ぎです。まるでこれからすべてが始まるかのように全力でセバスチャンを弔ってくれました。遺体は指輪にしてしまいましたから、空の棺を用意して焼却炉を空焚きし、骨壺を空のまま桐箱に入れます。また遺影は黒い小さな粒でしたので、写真で見るとなんだかシュールなものでした。やはり実際に目で見たものが本当なのだと言う事でしょうね。わたくしはただ一人、この式を通して幸福な気持ちに満たされていたのでした。

 式が終わると、先祖の皆様もそれぞれもといた場所へ帰ってゆきました。残されたのはわたくしとセバスチャンとそしてじいやだけです。もう家を終わらせる儀式も済んだのですからと、わたくしはじいやにお別れを告げました。じいやは惜しいようでしたが、じいやにはじいやの人生があるのですから、どうかこれから楽しく生きて欲しかったのです。それはセバスチャンの願いでもありました。

 わたくしたちとセバスチャンはわずかに残った財産でつつましいアパートの一室に引っ越し、新たな生活をいとなみ始めました。わたくしは初めてのパートには大変苦労しましたが少しずつ慣れてきました。今では手際の良さは職場でちょっとした評判です。左手の薬指のセバスチャンの遺体も喜んでくれていることでしょう。もちろん、じいやも。そしてなによりわたくし自身がうれしくてたまらないのでした。


 そしてある夜、わたくしは指輪からセバスチャンを取り外し、いつものように口に入れて嘗め回していたところ、外から物音がしたのに一瞬ひるんだ勢いで誤って飲み込んでしまいました。慌てて吐き出そうと試みたのですがなかなか出てこず、最終的に胃洗浄までしても出ては来ませんでした。こんなことならピアスにでもしておけばよかったと嘆きましたが、そんな悲しみは驚くべきことに湧き出た途端に自然と引いていくのです。このときわたくしはセバスチャンと一体になったのだと悟りました。セバスチャンがわたくしの中でわたくしをこれまでと同様に慰めてくれているのです。とはいえ二度と視界に入れることが出来ないと思うとそれはひどく応えました。そんな思いも簡単に消え去ってしまうことがむしろ辛いほどに。驚くほど健康な精神を、喪失感が不断に侵しました。それからわたくしは体調を崩しました。さすがに身体はこれに耐えきれなかったようです。熱に浮かされ、まだ人の形をしているセバスチャンの夢を見ました。わたくしとセバスチャンが二人でこの質素なアパートで穏やかに暮らしている夢です。わたくしがパートから帰ればセバスチャンが食事を用意して待っていてくれて、泣き言を言えばすぐにやさしく抱きしめてくれるのです。はっきり言って、わたくしは今の生活に満足しているつもりでした。それでもどこかで、やはり人の形のセバスチャンと愛し合いたいという気持ちがあったのでしょう……。この夢の終わりには、わたくしとセバスチャンが協力して首を吊る台を作りました。シンプルな、ホームセンターですべて手に入るような材料で作ったそれを、二人で最大限きらびやかに装飾していました。クリスマスに飾るリースのように、リボンやら何やら、電飾までつけて、これでお互いいちばん幸福でいられるね、と言いあいました。セバスチャンは泣いていたような気がします。

 目が覚めると熱が引いていました。これもセバスチャンの効能であるのかもしれません。ちょうどパートも休みだったので、久しぶりにゆっくりしようと思います。じいやは元気にしているでしょうか、手紙でも送ってあげたら喜んでくれそうですね。

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