第2章 51話 ジャミールの気持ち

「ミスタードレスタの意見も聞きたいわ。私今ちょうど扉を開けてほしくてドアをノックしているところよ」


 そう言って微笑んだ。ジャミールはクロエが鍵を掛けた部屋に不法に侵入してくるような気がしてぞくっとした。クロエの巧みな笑顔がよけいに怖い。


「え?クロエは扉を開けてほしいのですか?しかし、今クロエはドアをノックしていませんが……わかりました。次の任務は扉を開けることですね」


 ロボットは少し悩みながら部屋のドアに向かって歩いて行き扉を開けた。クロエはロボットに比喩が通用しないことを思い出した。


「まあ!ありがとうリチャード!次の任務は扉を閉めて戻ってくることよ!」


 クロエがそう言うと、今度は指示がわかりやすかったようで、ロボットはすぐに「わかりました」と答えて扉を閉めて席に着いた。


「任務完了しました」


 シャルロットは無言のままで頭を左右に思いっきり振った。ロボットがそれを見て「シャルロットに不具合が発生したようです」と反応したために、シャルロットはロボットのように静止した。クロエはシャルロットに精神の限界が近づいていると察して、もっと円滑に会話を進めることにした。


「ミスタードレスタ。私はあなたが大きな思い違い、あるいは見落としをしていると思うんです、それは……」


「大変です!重大な問題が生じました!」


 ロボットの瞳が赤く点滅して手足を激しく上下に動かし始めた。シャルロットが大きく顔を歪めた。ロボットが問題について説明を始めた。


「僕のバッテリーの充電が赤く点灯し始めました!充電不足です!早急に充電しないと僕は約34分後に自動停止してしまいます!しかし今は友達としての任務の最中です!会話を続行する義務があります……重大な問題です……ジャミール、僕は活動が停止するまで任務を遂行するべきでしょうか?」


 ロボットは手足をバタバタさせるのを止めて瞳を青くした。クロエが、


「まあ、大変!お話は後回しでいいわ。急いで充電しなくちゃ!」


と叫んだが、ジャミールは顔をしかめるだけですぐには応対しなかった。シャルロットは「ただバッテリーの充電が減ってきてるだけじゃない。重大でも何でもないわ。さっさと充電に行けば?」と心の中で呟いた。


「ジャミール。僕はどうするべきですか?何を優先すべきでしょう?」


 ジャミールは不安そうな表情を浮かべつつも「充電してきていいよ」と答えた。ロボットは途端に瞳を黄色く輝かせて「了解しました!」と叫んで部屋を出ていった。クロエはロボットがいなくなって少し残念だったが、シャルロットは清々したようだ。一方ジャミールは自分をフォローしてくれる存在を失い、逃げ場を失ってしまった。しかしクロエはそのまま話を続けた。


「ミスタードレスタ。あなたは何も疑問に思いませんか?」


 ジャミールはもううんざりといわんばかりに皮肉を言った。


「……君が何を言いたいのか、わからないよ。ここは懺悔室?……君はシスター気取りなの?……疑問に思うとしたら君の質問そのものを疑問に思うよ」


 クロエは伝えることの難しさを実感した。


「この質問はさっきのリチャードの言動についてよ。ロボットの充電が切れるというのは人にとっては飢餓の状態よ。リチャードは飢えているのに、任務を優先するべきか悩んで、その答えをあなたに託したのよ。きっと任務を優先すべきだと言われたらそうするわ。あなたはリチャードにとってどんな存在なの?……本当に友達なの?」


「……よくわからないよ。君は攻撃的すぎるよ。自分の思ったことを何でもぶつけてくる……僕の同級生たちと同じだ。怖いよ。友達にはなれない。僕の気持ちは君にはわからないよ。ずっとわからないと思う。もう帰ってくれないかな?僕は、これからもリチャードと2人で静かに暮らしたいだけなんだ。リチャードは僕の気持ちを真っ先に優先してくれる」


 ジャミールは苛立ちと混乱の中でどうにか言葉をつなぎ合わせた。クロエの目尻が熱くなって涙が静かに頬を伝った。ジャミールはそれを見て驚いた。


「え?ご、ごめん。泣かせるつもりじゃなかったんだ……でも……僕、ひどいこと言ったかな?そんなにひどいことは言ってないはずなんだけど……」


 ジャミールは人が泣くところをほとんど見たことがない。いつも人は作り笑顔でやってきて、次第に苦笑いになり、最後は無表情で離れていった。そんな人間関係ばかりだった。


「ミスタードレスタ。あなたこそ、人の気持ちをわかっていないわ。あなた、とっても冷たいもの。人の心を理解しようと努力したことはある?思いやりや優しさは、やわらかい言葉遣いや、ありがとうやごめんねの言葉ではないのよ」


「え?僕が冷たい?何言ってるのか全然分からないよ」


 ジャミールにはクロエが泣いている理由も、傷ついてる理由も、何を訴えたいのかも全く理解できなかった。彼はクロエに精一杯優しくしているつもりだった。もう訳がわからない。苛立ちが募るばかりだ。クロエは涙を拭き取って冷静さを取り戻した。


「リチャードの気持ちをもう少し考えてあげて。リチャードがどれだけ無理してあなたに合わせてくれているかわかっていらっしゃる?」


「僕だって無理してリチャードに合わせてるよ!」


 ジャミールがいきなり声のトーンを上げて体を震わせた。そのあとですぐに「あ、声が大きかったね……」と言って静かになったが、クロエとシャルロットが驚くには充分だった。


「ごめんなさいミスタードレスタ。私の言い方がいけなかったわ。確かにあなたもリチャードに合わせて無理をしているところがあるとは思うわ」


 クロエは頭を下げて申し訳なさそうに答えた。ジャミールは苛立ったまま、早口になった。


「君に僕らの何が解るというの?僕とリチャードのことをどれだけ知っているの?数日前にいきなり現れて、僕とリチャードの13年間の関係をぜんぶ解ったつもりなの?それで説教しにきたの?君は学校の先生なの?……僕が尊敬してる学校の先生は僕のことをよく理解してくれていたよ。リチャードだって同じように僕のことを解ってくれてる。他の人たちは誰も僕を理解してくれようとしなかった。僕にはリチャードだけなんだ。それがうまくいってないって何様だよ。君みたいな人生で苦労したことがなさそうな人にずっと孤独だった僕の気持ちなんてわかるわけないよ。もういいから帰って。お願いだからそっとしておいてよ!」


 ジャミールは今までにないくらいに感情的になって言葉を荒げていた。両手で両腕をしっかり押さえて体の震えを止めようとした。思えば、これほど真剣に人に向き合ったのは久しぶりだった。シャルロットはジャミールの感情的な態度を見てようやく人間味を感じたが、クロエはジャミールに負けないくらい感情的になっていた。怒りや悲しみや哀れみや蔑みの混ざった感情だ。


「ミスタードレスタ。あなたは大人になりそこねたのね。あなたはいつまで甘えているの?本当に人生で全く苦労なく満たされたまま育った人間がいると思うの?人間関係が円滑な人たちがみんな恵まれた環境で育ってきたと思ってる?確かに私はあなたの過去を知らないわ。あなたがどれほど過酷な人生を歩んできたかも知らない。親に愛されなかったのかもしれないし、孤児だったのかもしれないわね。けれど、今のあなたは幼い子どもではないわ。あなたは立派に大人に成長し、自分の力でロボットを造り上げたのよ。リチャードを親代わりにするつもり?自分は赤ん坊に戻って代わりになんでもやってもらいたいの?リチャードは使用人?ペット?対等な関係の友達が欲しかったんじゃないの?」


「……君は僕を困らせたいわけ?リチャードと僕は良い友達だって言ってるじゃないか。他人には関係ない。甘えているなんて意味がわからない。僕は誰にも迷惑をかけないようにここで静かに暮らしていただけだ。人との付き合いが苦手だからそうしていたんだ。それのどこに問題があるの?」


「問題ないわ。あなたが本当に独りぼっちならね。けれどあなたにはリチャードがいるわ。彼はあなたを友達だと思って慕ってくれている。それなのに甘えて孤独ぶらないで。あなたの心が独りぼっちだから、リチャードの心も独りぼっちだわ。あなたから歩み寄らなければ相手も歩み寄ってこられないのよ」


「……もういいよ。ほっといてって言ってるだろ」


 ジャミールは小さく息を吐いて椅子に深く座り直した。クロエも心を落ち着かせて声のトーンを落とした。


「ミスタードレスタ。あなたはリチャードに釣りをさせてるわね」


「……釣りはしてもらっているけど、それがどうしたのさ?」


 ジャミールはクロエの話題が突然飛んだので面食らった。


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