第2章 50話 何でもできる

「ジャミール、僕は本当に何でもできるロボットですか?……はい、確かに僕は何でもできるリトル・リチャード97型として造られました。その通りです……僕は何でもできなければなりません。それがリトル・リチャード97型だからです……お茶が入りました」


 ロボットがぼそぼそ呟きながら不安定な足取りでリビングに入ってきた。ガシャン、ガシャンという音と共に、少しずつお茶がトレーにこぼれていた。そして、テーブルまでやってくると同時に椅子の脚につまづいてバランスを崩し、トレーごとポットとコップを床に落としてしまった。すぐにロボットは目を青くして地団駄を踏んだ。


「ごめんなさい!何でもできるリトル・リチャードはまた任務に失敗しました!僕は素敵なロボットです……!」


 真っ先にシャルロットが椅子から立ち上がり、金属のポットとコップを拾い上げ、(こういうときのために用意されていたのだろう)リビングの隅に置かれた薄汚れた布で床を拭いた。彼女は部屋に入った時から目ざとくこの布の在りかをチェックしていたのだ。


「はい、OK!」


 シャルロットはトラブルがあるとすぐに動いてしまうところがあった。場の空気が悪くなることに耐えられないのだ。


「さすがよ!シャルロット!」


「シャルロットが友達としての任務を果たしてくれています。ありがとうございます」


 クロエとロボットがほぼ同時にシャルロットに反応した。ジャミールが少し遅れて御礼を言った。


「あ、ありがとう……きみ、素早いね」


 シャルロットはツンとすましている。


「御礼を言われるようなことでもないわ」


 ロボットは気を取り直して、青く光った瞳を黄色に戻した。


「今度こそ……任務を成し遂げます!お茶を入れ直してきます!」


 彼はポットとコップを持ち帰るのを忘れてトレーだけを持って部屋を出ようとした。


「ちょっと待って!」


が、シャルロットがその腕をつかんだ。


「お茶はもういいから。ここにいて。話し合いにあんたも参加してちょうだい」


 彼女はもう一度床を拭くのが面倒でロボットを引き留めた。


「申し訳ありませんが、僕は任務の途中です!任務には責任が伴います!最後まで遂行しなくてはなりません!」


 ロボットはシャルロットを引きずったまま、すごいパワーで歩き出した。


「ミスタードレスタ!リチャードを止めて!」


 シャルロットの甲高い声が響いてもジャミールは「え?」と答えるだけだった。


「ミスタードレスタ、お茶をいれる任務を中止してくださらない?」


 クロエがフォローすると、彼はようやく「あ、リチャード、お茶はもういいよ」とロボットの任務を止めた。ロボットは「わかりました」と言ってトレーを投げ捨ててジャミールの横に座った。シャルロットがため息を吐いた。


「私……フットボールがしたいわ」


 ロボットが席についたあと、シャルロットが疲れたようにテーブルに体を預けた。


「ねえちょっと、シャルロット!それはだめよ!」


 シャルロットの態度の悪さにクロエがびっくりして注意をした。シャルロットは虚ろな瞳を面倒くさそうにクロエに向けてから姿勢を正した。


「クロエ頑張って。私はもう疲れたわ」


 彼女はそう言って窓の外を眺めた。クロエはここは1人でどうにかするしかないと思った。


「えっと、どこまで話したかしら?そうそうミスタードレスタとリチャードが孤独だというところね」


 クロエは自分が話したい内容を懸命に頭で整理しはじめた。


「ジャミールと僕は孤独なのですか?そう言えば孤独というものは定義でしかしりません。孤独とは具体的にどういったものなのですか?」


「えっと、孤独は特定のものではないの。個人の心の問題よ」


 クロエは優しくロボットをなだめるように言った。


「すみません。僕はロボットなので心は持ちません。インプットした知識だけで判断します。クロエの話を心で理解することはできません。素敵なロボットです!」


 ロボットは表情を変えずに口だけをぱくぱく作動させて答えた。クロエが困ってどうしようかと悩んでいるとシャルロットがむくっと起き上がってクロエを見た。目を丸くしてしばらくクロエを見つめてから、ジャミールとロボットの方へ視線を移した。そして瞳をとろんとさせて無表情になった。どうやらシャルロットはキャパシティをオーバしたようだ。ジャミールはずっと迷惑そうな顔をしているが慌てている様子はない。いつものロボットの言動なのだろう。クロエはしばらく考えて短い質問をロボットに投げかけた。


「リチャード。あなたミスタードレスタのことはどう思う?」


「ジャミールは僕にとって善であり全です!ジャミールは僕の正義です!」


 その発言にジャミールはひっかかって眉をぴくりとさせた。さすがのクロエもその言葉には違和感を覚えた。


「ミスタードレスタの悪いところは?」


「ジャミールの悪いところですか?インプットされていません。ジャミールは全能であり、欠点はないようです。何でもできるロボットの僕には欠点だらけですが……。友達失格のクロエにも欠点があるようです。約束を破ったことです。嘘もつくようです。クロエは友達としての任務を軽視しています。相手に尽くす度合いが低いようです。それでは忠実な友達ではありません」


 ロボットは、首を上下に伸び縮みさせて答えた。クロエはロボットの返答に耳をそばだてた。


「リチャード。あなたは私のことが好き?嫌い?」


 ロボットの首の伸縮が止まった。瞳を光らせて何やら計算しているようだ。


「情報が不確かです。好き、嫌いという情報はとてもわかりにくいようです」


 クロエは吹き出した。


「そんなこと言ってくれる友達はあなたが初めてよ!リチャード、あなたとてもユニークだわ!私あなたのことが好きだわ。私の悪いところを指摘してくれて嬉しい!あなたってとても良い友達だわ!」


 ロボットは椅子に座ったまま頭をぐるぐる回転させ、何事もなかったかのように元の位置に収まった。


「クロエは僕の友達です。裏切り者のクロエは友達失格ですが、僕は友達の任務を放棄しません。裏切らないのが友達の定義です」


 カヤの外にいるはずのシャルロットが頭を抱えてうずくまった。どうやらまだ1人で苦しんでいるようだ。クロエはゆっくりと深呼吸をした。


「リチャード。あなたはとても信念が強いのね。素敵だわ。たとえ友達が裏切ったとしてもあなたは友達を裏切ることはないのね。そうね、友情は、ある意味孤独なものかもしれないわ。互いに強く結んだとしても、きっと同じ性質ではないし、同じ結び方ではないのよ。強い衝撃を受ければどちらかの友情が一方的に解けてしまうこともあるわ。その衝撃の受け方や、方向性や、どんな衝撃に耐性があるかによるわね。きっと友情は一方的なものなのよ。あなたの友情がそうであるように、私の友情もとても自分勝手で一方的だわ」


 このクロエの発言にロボットは対応できなかった。彼の友達に対する情報とは大きく矛盾していたからだ。


「ジャミール、クロエが言っている意味が理解できません。友達とは相互関係があるとインプットされていますが、クロエは一方的だと言っています。大きな矛盾です。矛盾は難しいとジャミールに教わっています……対応できない僕は素敵です」


 ジャミールはまた豆鉄砲をくらった顔になった。やはり彼にもロボットとの議論は面倒なのである。面倒なロボットが面倒なクロエと対話してくれていたので、少し気が緩んでいたのだが、自分に話を振られたことにより急に緊張感が戻ってきてしまった。


「えっと、その……」


ジャミールはどもるばかりだった。ロボットに向けられていたクロエの視線がジャミールに向かった。

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