第2章 49話 コミュニケーション
リビングに着くと、よれよれの服を着たジャミールが豆鉄砲をくらったかのような驚いた表情で出迎えてくれた。クロエは穏やかな笑みを浮かべてジャミールに目配せした。シャルロットはぶっきらぼうな態度で軽く会釈した。ロボットは瞳を真っ青にして、
「ジャミール。友達失格者のクロエとシャルロットが約束もしていないのにやってきました。しかし僕はクロエとシャルロットの友達としての任務を果たさなければなりません」
と、がしゃんがしゃんと大きな音を立て、ジャミールに接触しそうなぐらいまでぐいっと近づいた。ジャミールは状況が飲み込めていない様子で口を半開きにしている。
「こんにちは。ミスタードレスタ。一昨日は約束を破って本当にごめんなさい!一身上の都合で泣く泣く来られなくなったの。本当に悲しくて泣いてしまったわ。どうか許してください」
クロエは申し訳なさそうな表情を作ってジャミールに近づき、右手を差し出した。ジャミールが握手をしてくれることを期待したのだが、彼はクロエの右手を握ることはなく、驚いた表情のまま固まっていた。クロエは一歩後ろに下がって慌てて右手を引っ込めた。
「驚かせてしまってすみません。やっぱりお怒りなんでしょうね。一方的に約束させられて一方的に破棄されたら怒って当然だわ。本当にごめんなさい」
クロエは今度は淑女のようにしとやかに繊細な表情を作った。シャルロットはクロエの演技力に感心した。ジャミールの表情筋がぴくぴくと動いたが、それ以外は反応がない。
「怒る?怒るとはどういった行動ですか?僕はジャミールの怒るという行動を見たことがありません。素敵な僕には怒るがわかりません!」
ロボットが声を上げた。シャルロットはロボットの空気を読めない発言に呆れた。こういうところが苦手なのだ。しかし、気を取り直したジャミールが「リチャード、それは必要のない情報だよ」とロボットをいさめると、彼はアンテナをだらんとさせておとなしくなった。
「それに、あの……別に、特に僕は怒っているわけではないよ……」
ジャミールなりに円滑なコミュニケーションを取ろうとして出てきた言葉がこれである。彼は会話がすこぶる苦手なのだ。ここ10数年、まともに人と話していないことも関係しているかもしれない。
「まあ、ありがとうございます、ミスタードレスタ。あなたに謝罪できただけでも心が10ポンドは軽くなったわ!今日ここにうかがって良かったと思います!」
クロエはほっと胸をなで下ろしたかと思うと、途端に瞳を輝かせた。
「それでね、ミスタードレスタ!よろしければあなたとゆっくりお話がしたいわ。今日はお時間いただけますか?」
「ゆっくりお話……」
ジャミールはゆっくりとその言葉を繰り返し、足元を見つめたまま再び固まった。場に沈黙が走り、空気が重たくなった。シャルロットは我慢できずに肩をむずむずと動かした。
「次の任務はゆっくりとお話ですね!僕はお茶を入れてきます!」
ロボットはクロエの発言を決定事項だと受け取って、椅子から立ち上がり部屋を出ていった。ジャミールの意志とは関係なく4人はお茶をすることに決まった。シャルロットは今回のロボットの行動には感心し、心の中で「グッジョブ」と呟いた。
クロエはすました笑みを浮かべたまま、ジャミールの座っている目の前の席にさりげなく座った。彼女は終始笑顔を作っていたが、ジャミールの表情は固かった。シャルロットはクロエの左側に座った。
「ミスタードレスタ、夏はすきですか?私はすきよ。今日は屋根で目玉焼きができそうなくらい良い天気だわ。きっとたくさんの命が燃えているのね」
「……うん、そうだね」
クロエの持ち出した話題にジャミールは無表情でうなずいた。
「こんな天気の日には友達とお出かけしたくなるわ!美味しいサンドイッチと新鮮なわくわくを持ってね!ミスタードレスタもそんな気分になることはありませんか?」
「……うーん……僕ずっと1人だから……」
一瞬クロエの顔が凍りついたが、すぐに笑顔に戻った。ジャミールには、その表情の変化が怖かった。
「まあ、あなたは1人じゃないわ。リトル・リチャードがいるもの!」
クロエのくいぎみの発言にジャミールはタジタジと答えた。
「リチャードはその……ロボットだから……やっぱり人とは違うと思う……僕、人と話すのはちょっと苦手だから……リチャードは……ロボットだから……言葉の裏とか考えなくていいから……僕、普通の人とは少し違っているから……」
クロエはジャミールの言葉を聞いていて寂しくなった。根本的なことが彼には欠けているように思えた。ジャミールは心の奥に1人で閉じこもって鍵を掛けている。その扉はとても頑丈なようだ。
「あなたはとても繊細な人なのね。確かに少数派だわ。世の中に上手く溶け込んでいる多くの人はもっと狡猾でおおらかで器用だもの。でもだからってどうってことないわ。それならそれで大丈夫よ。ここからが重要なことよ。あなたは……本当に人と違ってるの?」
「……え!?」
ジャミールは少し遅れて、狐に化かされたような表情をした。
「1人は寂しいとは思わない?誰かに気持ちをわかって欲しいとも?心の奥では世の中の多くの人と同じように友達が欲しいと思ってるんじゃないかしら?じゃあ、あなたはなんのためにリトル・リチャードを造ったの?」
ジャミールはギクッとして何も答えなかった。ただ固く唇を結んだ。
「みんなが友達をどうやって作るのかご存じ?ただ1人で黙って部屋にこもっているときに、陽気な誰かが家のドアを叩いて『お待たせ!あなたの友達がやってきました!』ってやってくるものだと思っているの?みんなあなたの存在すら知らないままよ。怖くても自分からドアを開かなきゃ、相手だって入ってこられないわ」
クロエはどんどん興奮してきて声が大きくなってきた。シャルロットは親友を横目で見ながら、ヒートアップし過ぎたら止めなくちゃと考えていた。ジャミールの方はなぜ罪を犯したわけでもないのに自分が尋問を受けなければならないのかと考えていた。
「そうなんだ……」
彼からの返答は少なかった。しかも、無感情で義務のように言わされているだけだった。
「感想だけ?他に付け足すことはないかしら?」
「特には……」
それだけ付け足して、ジャミールはかたくなに黙った。クロエは唇を尖らせてジャミールを見つめた。
「クロエ、あんたちょっと自分の意見を押し付けすぎよ」
シャルロットが水を差すように間に入った。クロエははっとしてからおすまし笑顔に戻って椅子に座り直した。
「ミスタードレスタ。私はあなたを責めにきた訳じゃないの。ただ理解して欲しいことがあってお話に来たの。あなたが心を解放していないから、あなたの大切なリチャードまで孤独を強いられているの」
クロエは落ち着いて話したつもりだったが、言葉尻には力が入った。ジャミールは少し以外に思ったようだ。
「……え?リチャードが孤独?彼が自分からそう言ったの?……僕は一度もそんなこと聞いたことないよ。そもそもロボットだから孤独を感じることはできないと思う。僕はそんなに難しいプログラムはしていないよ」
ジャミールは言葉に詰まりながらも、思ったことを口にした。「ちゃんと自分の気持ちを伝えられるじゃない」とシャルロットは1人でうなずいた。
「ええ、そうだと思うわ。あなたがそこに気づいてあげないとずっと気づけないと思うの」
クロエは自分の話した言葉に胸を痛めて表情を歪めた。一方のジャミールは少し不愉快になってきた。
「リチャードが孤独だなんて……僕らが孤独だなんて、勝手に決めつけるのはやめてほしいな……何も知らないのに……。君がどうしてそんなことを言うのか意味がわからない。リチャードはロボットなんだ。きちんとプログラム通り動いてくれているよ。できないこともたくさんあるけれど、あるけれど、一生懸命尽くしてくれているんだ……僕が子どもの頃から、ずっと思い描いてきた理想のロボットだよ。リチャードはずっと側にいてくれて、僕の友達なんだ……何でもできるロボットだ」
ジャミールは普段は心の奥にしまったままの自分の気持ちを精一杯表現した。瞳が少し赤くなった。
「何でもできるロボット……」
クロエは「僕の友達」という表現よりも、なぜか最後の言葉に引っかかった。
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