第2章 42話 重責

「これでクロエは30分遅刻したことになります。友達との約束に遅れることは悪です。クロエは約束を破りました。友達失格です」


 ロボットはジャミールがクロエを待つリビングに入ってくるなり、部屋を徘徊しながら言った。


「少し遅れているだけだよ。もうすぐ来るんじゃない?」


 ジャミールはテーブルに着き、両手をついてアゴを載せていた。時折、大きなため息を吐きながら。ジャミールはクロエに会いたくなかったが、彼に拒否権はなかった。


「わかりました。クロエはジャミールに会いたがっていました。では、もう一度玄関で待機してきます」


 ロボットはガシャンガシャンと足音を立てて部屋から出て行った。ジャミールは曖昧にうなづいた。



「少し遅れるには遅すぎます。もうすぐ今日が終わります。やはりクロエは約束を破りそうです。ジャミールが寝てしまいます。僕は時間を持て余しています」


 玄関で待ちくたびれたロボットは真っ暗闇の中、外に出て、地面に魔法陣のような幾何学模様を描き続けていた。もはや地面は穴だらけだ。


「クロエは友達の任務を放棄しました。やはり友達はとても重責が伴うものです。そんなに簡単には友達になれません。しかし僕は責任を放棄しません」


 そう呟きながら、彼は丸い図形を書き足した。ロボットはその日が終わる瞬間まで外で絵を描き続けていた。クロエとの友達の任務を果たすために。



 ジョルジュがルーク(チェスの駒)を手前に引きニヤリと憎たらしい笑みを浮かべた。アンドリューはハッとして黙りこくった。代わりにシャルロットが声を出した。


「なんでいつもモタモタ攻めてるの?もっとリズミカルにパパっと終わらないの?」


 彼女は退屈そうに目を細めている。ここであくびでもすれば兄たちの神経をさらに逆なですることに成功したことだろう。状況に困っているアンドリューが答えた。


「シャルロットは本当に考えが浅いよな。よく考えて動かないと負けてしまうんだ。あのときもっと考えていたらと後悔してしまうから、長考してでも確実に勝つ道を探すんだよ。それがチェスだ。論理的思考の探求だよ。この美学がわからない者にうだうだ言われたくないな。特にスポーツ馬鹿にはね」


 アンドリューはここぞとばかりに皮肉を込めた。


「ええ、全然わからないわ。チェスは見てるだけで退屈。論理的思考うんぬん言ってるけど、時間と脳を消費するだけじゃない。人生は限られてるんだから、たかが遊びに脳を疲弊させる根性が理解できないわ。体を動かしてストレス発散させたほうがよほど賢いと思うけど」


 シャルロットは退屈そうに答えた。


「おい、チェスを馬鹿にするなよ」


 アンドリューがカチッときて反論すると、ジョルジュが、


「シャルロットに構うな。暇だから話しかけてきてるだけなんだから」


と、それを止めた。


「……ああ、その通りだ。今はジョルジュに勝つことだけを考えよう」


 アンドリューは腕を組み熟考にふけった。ジョルジュは「しまった。相手をたきつけてしまった」と思ったがもう遅かった。それから2人は考え込んだまま全然駒を動かさない。シャルロットは2人に興味を無くして「つまらん」と窓の外を眺めた。せっかく早起きしたのにこんな日に限ってクロエがなかなか遊びにこない。



「母さん、ちょっとクロエを迎えに行ってくるわ。たぶん、また空想の世界に浸って約束を忘れてるんだと思う!」


 シャルロットはしっかりと帽子を被ってマリーに向けて言った。その日も日差しがギラギラ暑かった。マリーはくすくす笑って答えた。


「うふふ、クロエらしいわね。行ってらっしゃい。熱中症には気をつけてね。3時くらいにはチーズケーキが焼き上がるから、それまでにクロエを連れて戻ってきてね」


 マリーの言葉を聞いてアンドリューが「いえー!」と子どもっぽくはしゃいだが、照れくさくなってまたチェス盤へと目を落とした。シャルロットは「わかったわ」とだけ返して、そそくさとクロエの家へと向かった。


 クロエの家まではいつも同じ道を通るが、途中でクロエと行き違いにならないように辺りを見渡しながら、道が交差している場所や、本筋に外れた道にも目を配って歩いた。


 クロエは道草に夢中になっているときがある。シャルロットはクロエがその辺りを歩いていることを期待していたが、家にたどり着くまで遭遇することはなかった。


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