第2章 43話 親友
シャルロットがクロエの玄関の呼び鈴を鳴らすとキャロラインが出てきた。シャルロットは「クロエに会いにきました」と端正な顔つきで挨拶した。しかしキャロラインは申し訳なさそうな表情で「じつは……」と切り出した。2人は玄関で15分ほど話した。
本題はなかなか出てこなかった。キャロラインがシャルロットに事実を伝えるかどうか判断に迷っていたからだ。最終的にはキャロラインが何かを隠していることに気づいたシャルロットのほうから尋ねるかたちになった。
逃げ道を失ったキャロラインはクロエが部屋に閉じこもっている理由をシャルロットに伝えることにした。それを聞いたシャルロットは大きなショックを受けて今日クロエと会う約束をしていて良かったと思った。自分からクロエの家を訪ねてきて良かったと思った。
キャロラインの許可を取り、シャルロットはゆっくりとクロエの部屋へ向かった。ドアの前に行くまでに何度も深呼吸をして心を落ち着かせた。クロエの部屋の前には手つかずの料理が置かれていた。シャルロットは気を引き締めて、元気よく言った。
「クロエ、今日は遅いじゃない。待ちくたびれてこっちから来ちゃったわ」
シャルロットだ!クロエはまたキャロラインがやってきたと思っていたが、シャルロットの声だとわかった瞬間に止まっていた涙がまたあふれ出した。天使の声のように思えた。
今すぐドアを開けて泣きつきたい気持ちがあふれ出すのと同時に、弱い自分を見られたくないという情けない気持ちがまとわりついて返事ができなかった。
「クロエ、どうしたのよ?親友が遊びにきたのよ!開けてよ!」
シャルロットはクロエの返事がないので暗い表情になったが、さらに声を張り上げて言った。部屋の中からは大泣きするクロエの声が聞こえてきた。しかし、ドアは一向に開かない。
「クロエ、ドア開けるよ?」
シャルロットは抑えめな声で尋ねて、勢いよくドアを蹴り開けた。古いドアの鍵はバキンと簡単に外れてはじけ飛んだ。部屋の中にはベッドにうずくまりながら布団にくるまって震えているクロエがいた。シャルロットはそのままの勢いでクロエに駆け寄り力いっぱいに抱きしめた。
「ごめん、ちょっと遅刻しちゃった?」
親友に肩を抱きしめられたクロエは一瞬硬直したが、すぐにまた震えだした。
「ヒャルロット、わたし……わたし……」
クロエは泣きじゃくりながらシャルロットにしがみついた。シャルロットはクロエを抱きしめて、肩をさすりながら何も言わなかった。部屋の中にはクロエの泣き声だけが響き続けた。しばらくしてクロエの体の震えが小さくなった。肩で大きく息をしながら、言葉を吐き出した。
「……お父さまが……ね」
ここでクロエは言葉に詰まった。シャルロットは優しくうなづいた。
「うん」
「……しんじゃ……た……」
最後のほうは泣き声にかき消されてよく聞こえなかった。シャルロットはクロエの肩をさすりながら「そっか……」とだけ答えた。クロエはさらに泣き出して、しゃくり上げた。
「辛いね」
「……うん」
「クロエ、お父さん大好きだもんね」
「……うん」
「お父さんもクロエのこと大好きだったよ」
「……う、ん」
シャルロットが何か言う度、クロエはうなづいてから声を上げて泣いた。シャルロットが黙り込んでからもクロエはシャルロットの肩に顔をうずめたまま泣き続けた。涙が洋服をつたって生温かい温度がシャルロットにも伝わった。
「好きなだけ泣いていいよ。クロエの気が済むまで今日はここにいるから」
シャルロットがそう言うと、クロエの泣き声が嗚咽混じりになった。やっとのことで「……ありが……とう」とだけ答えると、クロエは叫ぶように泣き続けた。シャルロットは長丁場になるなと思い、壁にもたれかかって座り直し、体勢を楽にした。クロエはシャルロットの服をつかんでしがみついている。まるで最後の砦にすがりついているようだ。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。マリーのチーズケーキはもう焼けた頃だろう。泣き続けていたクロエが急にしゃべり始めた。
「私特別なものを望んでいないわ。つまらない、なんのへんてつもない日常で十分なの。楽しくも素敵でもなく、ファンタジックな要素も何1つなくて、ただ平凡な家族がそこにいて、けして裕福でもなく、日々をぎりぎりに生きていくお金だけがあって、たまにくだらないことで笑いあって、そんな一生を送りたいの。
それって特別なものなのかしら?ありきたりなようでとても幸せなことだわ……私には高望みなの?お母さまが病気になってから平穏が奇跡的なことだと気づいたの。私、お母さまのことあんなに大好きだったのに、大好きだけでは幸せを繋ぎ止められないのね……お父さまも出て行ってしまったわ。私はお金なんて要らなかったのに、大人はそんな思いだけでは生きていけないのね。いろいろなものがすごく寂しかった。私は世界と不仲だったのよ。でもね、それじゃあ幸せになれないと思ったの。だって狭い世界は私のすべてだったのだもの。だから、私は世界を愛そうとしたわ。悪い言葉を封印して、代わりに素敵な言葉をたくさん使おうと思った。そしたら、世界は少しずつ私の味方になってくれたわ……だけど……それなのに世界はやっぱり私を裏切ったのよ!!
今度は私とお父さまを一生離ればなれにしたわ!!しかも、おばあさままで私を騙してた!一体私がどんな悪いことをしたというの!?私が世界の味方ならば世界は私の味方でいてくれると思ったのに!これから私は何を信じればいいの?何を信じればいいのかわからない!教えてシャルロット!」
クロエはシャルロットの肩に顔をうずめたまま、体を揺さぶった。
「私を信じれば?」
シャルロットはそれが今はとても重い言葉だと感じたが、迷いなく言い切った。クロエは雨に濡れたひな鳥のように震えている。
「信じていいの?シャルロットは私の側から離れない?私を裏切らない?絶対に?」
シャルロットは天井を仰いでふうっと息を吐いた。
「離れるときはくると思うけど、裏切らない」
「いやよ!シャルロットが離れていったら、私もう生きていけないわ!私ずっと離れていかない人が欲しい!」
シャルロットは少し考えた。
「クロエのお母さんはクロエを裏切って病気になったの?クロエのお父さんはクロエを裏切って死んだの?2人ともクロエを裏切りたくなんてなかったんじゃない?それでも離れなければいけないときもあるわ。2人ともできればクロエと一緒に離れずにいたかったと思うけど?キャロラインさんだってそうだと思うわ。あんたすごく愛されてるじゃない。あの人はクロエを裏切ってないと思う」
シャルロットには人の慰めかたなどわからなかったので、思ったことをそのまま話した。クロエはシャルロットの肩から顔を上げて、シャルロットの瞳を見て涙を浮かべた。
「おばあさまは私を裏切ったわ!お父さまが亡くなったことを半年も黙っていたんですもの!私はおばあさまを信用していたのに!なんで?どうして?ただ怒りと不安だけが押し寄せて涙になるのよ。シャルロットもいつか私を裏切って離れていくんだわ……私、怖い。この世界のすべてが……」
「私はクロエを裏切らないわよ!」
シャルロットは親友にしつこく不信感をぶつけられることに腹が立って、ベッドから立ち上がってクロエを鋭い眼差しでにらんだ。そして言葉を繋げた。
「クロエは私のただ1人の親友なのよ!あんたに会うまでの私を私はよく知ってる。学校には心を許せる友達がいなくて、自分だけが人間じゃない別の生物なんだと思ってた。男子たちと走り回るのはそれなりに楽しかったけれど、言葉の通じない動物たちとじゃれあっているような感覚だった。女子たちとは趣味が合わなかったし、なぜか気が合わない人間を遠ざけるようなグループばかりだったし。まあ、そんな仲間には入りたくなかったしね。
クロエが飛び級してクラスに入ってきた日を覚えてるわ。1人でぽつんとしていた私のところに瞳を輝かせてやってきて『あなたがどんな人でもかまわない!今日から親友よ!』って言ったのよ。変わり者すぎて面白かったわ。クラスメイトから変わり者呼ばわりしていた私に『今日からクラスの変わり者の座は私のものよ。勝負なら受けて立つわ!』って挑んできたときは思わず笑ったわ。その言葉に私がどれだけ救われたか知ってる?
その頃からなのよ。私が自分を人間だって認められたのは。私は少しずつクラスメイトとも会話するようになって、少しずつ人間を好きになって、自分を好きになれたわ。私がどれだけあんたのことを信頼してるかわかってる?私の気持ちを裏切らないでほしいわ」
今まで知らなかったシャルロットの本音を聞いてクロエの心は震えた。様々な感情が複雑に絡まってぐちゃぐちゃになってきた。今度は「ごめんなさい」と謝罪の言葉が出てきたが、クロエはもう自分の感情がどこに向かっているのかわからなかった。ただ流れる涙は尽きなかった。シャルロットはクロエがあまりに泣きじゃくるので、脱水症状を心配して水筒のお茶をクロエに飲ませた。クロエはお茶を一口飲んだかと思うと、ごくごくと一気に飲みほしてしまった。それを見たシャルロットは笑った。少し落ち着いた。
「クロエ、私を信用して。キャロラインさんはあんたのことを大切に思っているわ。何度も会っていればわかるもの。キャロラインさんが大切なことをクロエに黙っていたことは許せないと思うわ。私も同感。でもどうして黙っていたのか気にならない?理由もなく隠しているはずないわ。あの人はあなたを愛しているもの。裏切りたくて騙したわけではないはずよ。相手の話を聞かないとわからないこともあるわ。心だけで通じ合えると思わないで。お互いに話し合わないとわかり合えないことのほうが多いんじゃないの?そうしないとクロエはずっとキャロラインさんに不信感を抱いたままだわ」
シャルロットはできるだけ丁寧な説得を試みたが、クロエはすぐに受け入れられなかった。彼女はまた体を小刻みに震えさせて「……考えてみる」とつぶやいた。
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