第2章 40話 発覚
「ああ、なんて有意義な時間だったのでしょう。
クロエは小走りしながらも夕焼けに顔を赤く染めて呟いた。今日という1日に満足した彼女はキャロラインも満足させようと急いで帰宅することにしたのだ。
「今クロエが帰ったわ!」と元気よく響く声に家の中から反応はなかった。仕事部屋から物音もしない。おそらくキャロラインはどこかに出掛けているようだ。
「神様って時折いじわるよね。可愛い孫が定時までに帰ってきたというのに、おばあさまに用事を使わせて離れさせたのだわ。話したいことが沢山あるのに!」
クロエはぶつぶつ言いながら周りを見渡した。ふと食器棚の異変に気づいた。少し右側が傾いて前に出ているのだ。クロエは頭の中で、
「まあ、妖精さんがやってきてお昼寝したあとかしら。小人の家族が引っ越してきて隙間に住みついているかも。あーもしかしたら本物の天使たちがかくれんぼしているのかしら?今なら、どんな物語だって現実のことだと思えるわ」
とわくわくしながら食器棚の裏にある隙間をのぞき込んだ。すると隙間に茶色い封筒が落ちていた。クロエは興味本位でそれを取り出した。消印は半年前のもので、差し出し人はマッキャロウのハグ・バルトンという人だった。
「マッキャロウ、お父さまがお仕事している街だわ」
クロエは声を漏らして封筒を開けて手紙を読んだ。
「親愛なるアルバート・ブラウンのご家族様へ
私はルナテクス号の船長をしているハグバルトンといいます。今回筆を執らせていただいたのは大変悲しいお知らせがあるからです。優秀なクルー、アルバートは先日の嵐の日に海に放り出されました。1週間が経ちましたが、まだ行方知れずです。もはや期待は持たない方がよいでしょう。
しかし、彼は勇敢でした。マストをたたむ際に風と波にあおられて船から投げ出されそうになったクルーを助けようとして一緒に海に落ちたのです。一瞬の出来事だったために私は何もすることができませんでした。船員を守るという船長の務めを果たせなかったことをここにお詫びいたします。そして、アルバートの勇気と優しさを讃え、追悼の意を申し上げます。
アルバートの友 ハグ・バルトン」
「……う、うそっ……この手紙は嘘ばっかりだわ!!半年前のものだもの!お父さまは毎月手紙をくださるわ!」
クロエは脳裏によぎる嫌な予感をかき消すように何度も首を振った。
「お父さまは毎月私の手紙を楽しみに待ってくれてる!サニーアントニオ号の進水式には帰って来られなくなったけれど……今までお父さまが約束を破ったことなんて一度もなかった……」
クロエの顔はくしゃくしゃにつぶれたサンドイッチのようになっていた。手紙を何度も読み返した。クロエは動揺してこの手紙が何を意味しているのか考えるのを放棄した。
「この手紙はきっと何かの間違いよ。それともお父さまと同姓同名の別人の話かしら。私ハグ・バルトンさんなんて知らないわ。お父さまの手紙には一度も出てきてないもの。今もお父さまは元気に働いているわ、お父さまからの手紙が何よりの証拠よ!」
しかし、しばらくすると疑問も生まれた。「じゃあ何故こんなところに隠すようにあったの?」クロエは頭の中で半年前の出来事を思い出そうとした。すぐに出てきたのはシャルロットとの大げんかだ。
昨年のシャルロットの誕生日にクロエは大好きな本を親友にプレゼントした。しかしシャルロットは半年経っても1ページも本を読まなかった。
それをクロエがとがめるとシャルロットが「読書は嫌いだから」と一蹴したことにより、大げんかに発展した。その本は両親がいないクロエを孤独から救い出してくれた救世主だった。
大切な宝物を親友にプレゼントしたのにシャルロットは読む前から全否定したのだ。クロエにはとてもショックだった。しかし、口うるさい母親から読書を強要されていた過去を持つシャルロットには読書は苦痛以外の何ものでもなかった。
そのケンカはシャルロットからすれば、些細なことだったのでクロエが機嫌を直せばすぐに仲直りできたのだが、それまでにはひと月もかかった。
クロエは仲直りするまでの間、部屋に閉じこもって心を閉ざしていた。ときおりキャロラインに泣きついて愚痴をこぼした。
それがだいたい半年前の出来事だ。それ以外に思い出せる記憶はなかった。父親からの定期の手紙も途切れずに来ていた。何が書かれていたかは細かく思い出せない。
「半年前……どんな手紙が来てたかしら」
クロエはハグ・バルトンの手紙を床に放置したまま自分の部屋に向かった。父親からの手紙を確認するためだ。部屋に着くと、乱雑に引き出しを外して床に置いた。
クロエは2年前から毎月来ている手紙を古い順番に重ねている。ハグ・バルトンから来た手紙の消印の1つ前の手紙と、すぐ後の手紙を並べて、クロエの手が止まった。
封筒の宛名が2つ並んでいるが、筆跡が違う。今度はそれ以前と以後の封筒を左右に分けて並べていった。手が震えた。半年前とそれ以降で確かに筆跡が分かれているのだ。
「アルバートも少しは字を綺麗に書けるようになったものだね」キャロラインの苦笑いが蘇った。クロエは頭をぶんぶん振って記憶を打ち消そうとした。
筆跡を細かくチェックした。やはり字のクセが違っている。半年前のハグ・バルトンという人からの手紙が届いたときを境にだ。
「どういうこと?お父さまの字が変わった?急に?そんなことってありえる?」
クロエは完全に静止して、頭の中を整理しようとしたが混乱して上手くいかない。良い方向に考えたいのだが、考えれば考えるほど思考は悪い方向へと向かっていくのだ、良くない感情を押し殺していくうちに頭の中は真っ白になった。
気づけばクロエは永久凍土の世界に足を踏み入れていた。極寒の風が頬をなでるのに痛みも寒さも感じない。生まれたときからずっとそこで耐えてきた花のように無感情だ。
クロエは力なくその場にしゃがみ込んだ。すると何故か瞳から涙が流れてきた。それは感情を置いてけぼりにしたまま勢いを増し、止めどなく溢れてきた。
最初は静かにただ涙をこぼしていたが、そのうち悲鳴のような声がもれてきて、泣き叫ぶような状態になり、床にうずくまった。クロエはしばらくそのまま泣き続けていた。
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