第2章 35話 離れていても

「こんにちは、クロエ。おかしいです、友達失格のシャルロットがいません」


 例によって今日も玄関で待っていたロボットが無機質な声を発した。クロエはその言葉を聞いて心臓が冷たくなったが、すぐに気を取り戻して言った。


「残念だけど今日はシャルロットはお休みなの。他の友達と遊ぶみたいよ」


 寂しげな瞳の少女が口元に笑みを浮かべた。


「なるほど、シャルロットは今日はお休みですね。シャルロットには他にも友達がいるのですか!驚きです!クロエは他に友達はいないのですね。情報を更新しました。今日は何をしてクロエの役に立てばいいですか?」


 クロエはロボットの容赦の無い言葉の羅列に驚いたが、これも個性として受け取ることに決めていた。


「今日は2人っきりだから、ゆっくりお話をしましょう。そうね……私あなたが釣りをしている姿を見ながらお話したいわ。


 もちろん針のついていない釣り竿でね。私あなたの釣り竿がとても好きなの。優しさにあふれた穏やか釣り竿がね」


 クロエはいたずらっぽい顔でウインクをしながら答えた。ロボットは頭をクルクルと回転させた。


「名案です。釣りは僕の職務でもあります。定期的にする必要があります。まさか釣りがジャミールだけでなく、クロエの役に立つことを知りませんでした。僕は素敵なロボットです」


 ロボットは右手を前に突き出して前屈みになり、口を開けてしばらく静止した。クロエはロボットの意味不明な行動がいつも通り面白くてクスクスと笑った。


 2人は納屋に入り、ロボットは釣り竿と桶を持ち出してズルズルと引きずった。クロエが「わたくしめがお持ちしますわ」と声をかけたが、ロボットが「とんでもありません!友達に責務を負わせられません!」と強く拒んだので後ろをついて行くことにした。


 川に着くとロボットは桶に水を入れて川に釣り糸を垂らした。クロエは横に座った。しばらく2人は何を言うでもなく静かに川を眺めていた。


「とっても不思議だわ。私たちがここでこうして動いていないように見えても、地球はきっと自転していて、太陽の周りを公転しているんだわ。そして私の心臓は絶えず脈打って、リチャードのバッテリーは回転し続けている。


 時を感じられるものはすべて活動を続けているのね。私たちがこうしてる間にも世界中で同時刻にまったく違うことが起こっているのよ。


 予想以上にたくさんのことが、予想できないほど奇天烈なことが……こんなに壮大で不可思議な世界のことを私たちはほとんど知ることができないんだわ。


 私、ときどきこのことを考えて泣きたくなるの。憧れが大きすぎて、自分がちっぽけなのを実感して。強い想いに吸い込まれて胸に穴が空いたように苦しくなるのよ。


 それでね、どうして自分が生きていたいのかを知るの。きっと知らない世界を少しでも多くみたいのよ、リアルな時の中で新しさをいつも探しているの。生きるってそういうことだわ、たぶんね」


 クロエのほおを一筋の涙が伝わった。


「クロエの話が理解できません。何を言っているのか意味不明です。友達と会話が成立しない僕は素敵です」


「あ、いつかのお話の続きよ。誰も世界の1%も知らないという話。だってここにいない人が何をしているのかなんて知ることも出来ないし、たとえ隣にいたとしても相手が何を感じているかすら理解できないってこと」


 クロエは腕の間に顔をうずめた。ロボットはクロエの行動には目もくれず、頭を回転させていた。


「僕は今までジャミールと離れているときにジャミールが何をしているか知っていたことがあります。そのときの感情も分かります」


「えっ!?」


 クロエが思わず声を上げた。ロボットは冷静に続けた。


「あらかじめジャミールが何をするのか尋ねておくのです。もしくは後から何をしていたか尋ねれば良いのです。そのときに何を感じたかも聞けば良いのです」


 ロボットは座ったまま微動だにせず、瞳を薄く黄色に点滅させていた。クロエは予想外の言葉を聞いて、少し笑った。


「その通りだわ。リチャードはやっぱり頭がいいのね。そうね、簡単なことだわ。相手に尋ねればいいのよ。私は今シャルロットが何をしているのか気になっているの」


 クロエの本音がでた。やはりシャルロットが隣にいないのは寂しい。


「シャルロットは今日はおやすみです。クロエはそのことを知っています」


 クロエの笑顔が固まった。


「ごめんなさい。シャルロットはもうここには来ないわ。今日だけじゃないの」


 クロエは唇を噛みしめて答えた。それを聞いたロボットは釣り竿を川に放り投げた。


「ひどいです!シャルロットは友達失格です!友達としての責務を放棄しました!」


「違うわ。友達は失格にするものじゃない。ずっと一緒にいなければならないものでもないわ。離れていても友達は友達よ」


 クロエは自分の言葉にはっとした。頭では理解していたはずのことが感情に押し流されてどこかにいってしまっていた。


「クロエは友達の定義を間違えています!友達とは決して裏切らない存在です。相手に誠実に対応し、相手のためを思って相手の役に立つ存在です。


 大切にするものです。友達は離れていってはいけません。いつも相手のことを思っているのが友達です。


 友達は途中でやめるものではありません。相手を傷つけるのも友達ではありません。ボールをぶつけるのは友達失格です。


 友達とは守り合わなければいけないのです。友達になるということは重大な任務です。軽々しくなるものではありません。


 ジャミールにそうインプットされています。ジャミールは僕の善であり、僕の全てであり、僕の正義です!」


 ロボットはそう言い切ると、両手で頭を抱え上下に振った。頭から水蒸気のようなものが出ている。


 クロエは返答に困った。このロボットの思考は偏っている。察するに創造主のジャミールの凝り固まった考えがそのままインプットされているのだろう。クロエはその息苦しい定義をとても悲しいと思った。


「ねえリチャード、友達のことをそんなに重く捉えないで。友達とは気の合う仲間よ。一緒にいて楽しかったり、幸せな気持ちになれたらそれはもう友達よ。かばい合うばかりでもないの。お互いに張り合って成長できることもあるわ。


 もっと開放的で自由であるべきよ。自己犠牲とは違うのよ。負担を与え合うべきでもないわ。友達とは対等の立場にあるべきよ。


 良い影響を与えあえる関係が素敵ね。重りではなく羽根のような存在だわ」


 クロエはよくシャルロットに話していた言葉が出てきて、胸がじわっと熱くなった。そう、シャルロットはクロエの片翼だ。


「クロエは非常識です。友達には全力で尽くすものです。対等な立場であろうとなかろうと関係ありません!常に相手のことを思い、相手の助けになるのです。


 クロエは僕に尽くしてはくれないのですか?クロエも僕の友達ではないのですか?でもたとえクロエとシャルロットが僕を裏切っても、僕は任務を放棄しません。


 クロエとシャルロットの友達であり続けます。僕はクロエの友達ですからクロエに尽くします。そうでなければ、僕はジャミールの期待を裏切ることになります。


 僕はきっとジャミールに捨てられます。そして僕の存在意義はなくなります。それは避けなければいけません。さあ釣りを再開しましょう」


 ロボットはいきなり立ち上がり、辺りを見渡して釣り竿を探しまわったが、川に流されていった釣り竿が見つかるはずもなかった。


 彼は意気消沈してまたクロエの横に座った。瞳は青くなり、頭部のアンテナは垂れ下がっていた。クロエはこぶしを握りしめて立ち上がった。


「私、ジャミールに言いたいことがあるわ!!」


 ロボットは温度のない声で答えた。


「わかりました。クロエはジャミールに言いたいことがあるのですね。ただし、本日はジャミールは病院に行っているので会えません。僕がジャミールに伝えます」


「ええ、絶対に伝えてちょうだい。これはとても重要なことなの」


 クロエの声は怒りで震えていたが、ロボットはそれに気づかなかった。


 ロボットは隣で「また釣り竿を無くしました。今日は魚が釣れそうにありません。僕は素敵なロボットです」と呟いていた。


 クロエはロボットの方をしっかり見据えて言った。


「ねえ私、明日はシャルロットに会おうと思っているの。明後日、あらためてお屋敷にお伺いしたいわ。どうしてもジャミールに言いたいことがあるの」


「わかりました。友達の要望には応えないといけません。明後日クロエがジャミールにお屋敷で言いたいことを言います。約束です。素敵な僕ですが、ジャミールを説得します」


「……ふふ、あなたって素敵の使い方が素敵ね」


 クロエは少しだけ笑顔になって言った。


「はい、素敵はクロエから教わった新しい言葉です。素敵な僕にはぴったりの言葉なので多用します」


 ロボットはそう答えると座ったまま体を左右に振った。クロエもつられて体を左右に振りながらしばらく2人で川を眺めていた。






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