第2章 29話 ロボットのできること

 少女たちが屋敷に着くと、ジャミールとロボットが玄関の石畳に座って待っていた。クロエは2人を見ると声を上げて駆け寄った。


 シャルロットは眉にシワを寄せて少しだけ急ぎ足で続いた。


「きゃー!砂漠のサボテンでさえ氷に抱きつきたくなるような暑さの日よ!外で待っていては病気になってしまうわ!


 ああ、でも、夏の暑さよりも私たちへのもてなしの気持ちが勝ったのね!2人は最高の紳士だわ!とても素敵よ。でも、もうおなじことはなさらないでね」


 クロエはスカートの裾を持ち、ひざを折って深々とお辞儀をした。ジャミールは目を泳がせて視線をそらした。彼は大きくつばを飲んでから、間をおいて話し始めた。


「待っていたというか……リチャードと話してたんだ。君たちのことについて。正直僕はまだ戸惑ってる。けれどリチャードは君たちを友達だと思ってるみたいだから、あとはリチャードに任せるよ……じゃあ」


と、彼にとってはこの上ない長台詞を言い切ると、ジャミールは少女たちの返答を待たずにさっさと屋敷の中へと逃げ込んだ。


 それが素早かったのでクロエも呼び止めることができなかった。ロボットはアンテナを左右に振っていたが、その理由は誰にもわからない。


「クロエとシャルロットが来ました。では何かをしましょう。何をしますか?見当もつかない僕は素敵です」


 ロボットは何故か右腕をくるくると3周回して、2人を眺めた。


「あなたは何ができるの?フットボールやテニスはできるの?」


 先に返答したのはシャルロットだった。彼女の口調は冷めていた。しかし、そんなことはお構いなしでクロエはロボットの返答に期待していた。


「僕にはフットボールもテニスもインプットされています。しかし、やったことはありません。この屋敷にはボールがありません。実物を見たこともありません。


 つまりできるかできないかわかりません。わからないことばかりの僕はやっぱり素敵です」


 シャルロットは間髪を入れずにさらに質問を重ねた。


「あなたジャミールとは遊んだりするの?」


「はい、もちろんです。僕はジャミールの友達なので話し相手にも遊び相手にもならなければなりません。


 家事は僕の仕事です。友達であるためには役立たないといけません。友達とは相手の役に立つ存在です!」


 シャルロットの頭が一瞬クラっとしたが、すぐに持ち直した。ロボットの思考が一般からずれていることはもうわかっていたからだ。


「ジャミールとは具体的には何して遊んでいるの?」


 シャルロットは核になる質問にしぼって尋ねた。クロエはシャルロットが積極的なのでなかなか会話に入り込めずにいる。


「はい、部屋を掃除したり、洗濯をしたり、食事を作ったり、オーブンの火をつけたり、夕飯の魚釣りをしたりして遊びます。ジャミールの願望で絵を描かされたりもします」


 シャルロットはいろいろと言いたいことが重なって次の言葉がすぐに出なかった。そこにすかさずクロエが割り込んだ。


「まあ!リチャードは絵を描くの?私も絵を描くのは好きよ!何か描いてみて?」


瞳をきらきらさせている。


「わかりました。絵を描きます。クロエは僕の友達です。友達のお願いには応えなければなりません」


 ロボットはそう言って、ゆっくりと井戸の方へと歩き出した。井戸の近くには木の枝が何本か落ちていた。彼はその中から1本を手にとって、地面に擦り始めた。どうやら枝で地面に絵を描くようだ。


 ロボットはまずいびつで大きな円を描いた。円とは言いがたいほど、でこぼこと歪んだものだったが、角がなく最初と最後がくっついたので円なのだろう。巨大な隕石いんせきのような形だ。


 その中にさらにいびつな四角形を4つ描いた。四角形と呼べるかはわからないが、角が4つずつあるので四角形なのかもしれない。


 次におかしな三角形のような模様を3つ。5つ角があるいびつな図形を5つ。大きさはまちまちで線と線が交わったものもある。最初に描いた円の外に描かれた図形もあった。


「リチャードは何を描いているのかしら?」


 クロエは興味深そうにロボットが描く様を眺めていたが、シャルロットの想像力では、ロボットの絵から意思を感じることはできなかった。


 ただ地面に乱暴に書きなぐっているようにしか思えない。しかもロボットが絵を描く速度は非常にゆっくりで、彼が四角形を4つ描くまでに、シャルロットの水筒のお茶はからっぽになってしまった。さらに終わりが見えない。


「ちょっと!何を描いているの?」


 せっかちなシャルロットは我慢しきれずにロボットに問いかけた。彼は動きを止めた。


「絵を描いています」


「何の絵よ?」


 シャルロットはかりかりしている。ロボットは少し考えてから答えた。


「円と四角形と三角形と五角形です。次に六角形を描きます」


「上手よ、リチャード!」


 クロエが歓声を上げたが、シャルロットには聞こえていないようだ。彼女は質問を続けた。


「どういう意図があって図形を並べているわけ?」


「絵を描いています。クロエに絵を描くように言われたので。僕は絵を描くようにプログラムされています。情報があるので、絵は描けて当然です。僕は少しは役立っていますか?シャルロットの友達になれていますか?」


「いえいえ、全然なれていませんから」


 シャルロットはクロエへの気づかいも忘れてきっぱりと否定した。ロボットを傷つけることなど考えもしなかった。だって相手はロボットなのだから。


 しかし、ロボットの瞳は青く変化し、一度動きを停止した。クロエがシャルロットの真横にやってきて、小声で「お願いシャルロット……」と呟き、手を握った。クロエの真剣な表情を見て、シャルロットは我に返った。


「あ、リチャード、ごめん。あんたは悪くないわ」


 その言葉を聞いて、ロボットは再び動き出したが、動作がいつもに増してぎくしゃくしたものになった。そして彼はまた円を描いた。


「僕は素敵です。シャルロットの友達としての役割を果たせていません。役立たずの素敵なロボットです。


 もっと絵を描きます。シャルロットを満足させるまで絵を描き続けます」


「あ、もう絵には充分満足したわ。ええと……」


 シャルロットはロボットを傷つけないように言葉を選んだ。しかし途中で続かなくなった。


 ロボットは「友達は重責です。これは任務です」などとぶつぶつ呟きながら三角形を描いていた。


 シャルロットはロボットの独り言にどう対処していいかわからず、右手で眉間を押さえて考え込んだ。クロエが2人の間に入り込んだ。


「リチャード、あなたは素敵な絵描きさんね。空想が広がる絵だわ。いろいろな物語が浮かんでくるもの。


 この大きな円は世界のようだわ。大きな円の中にいろいろな形の図形たち、この円は世の中の個性のすべてを包み込んでいるのね。


 大きな円が現す角のない世界。そこからはみ出しちゃっているのもいるけど、それがまた素敵ね!


 はみ出しものも許容するのが本当の世界よ。そしてこの円は魔方陣でもあるわ!この円は私たちの友情を表しているみたい。そうよ、この魔方陣は私たちの友情の証なのよ!」


 クロエの解説を聞いてシャルロットの口がぽかんと開いた。「あんた幼児教育に向いてそうね。子どもを褒めて伸ばすのが上手そうだわ」と。


 シャルロットはクロエが教鞭きょうべんを取っている姿を想像して一瞬笑顔になった。


 クロエはその顔を見て、にこっとシャルロットに笑い返した。シャルロットは勘違いされてなんだか居心地が悪くなって、ロボットが描いた絵の上にしゃがみ込んだ。


「この円は魔方陣だったのですか?今知りました。僕は素敵です。情報を更新しました。この円は僕たちの友情の証です」


 シャルロットはしゃがみ込んだまま、自分の腕に顔をうずめた。目をつぶりながら苛立ちを必死で抑えた。「この魔方陣は僕たちの友情の証です」この台詞は今までで1番ロボットの声が無機質で感情がこもっていないように聞こえた。


「友達ってなんなの?会話が成り立たなくても、心が通じ合わなくても成立するの?」という思いが頭の中を巡った。


 しかしクロエは今の状況に満足しているようだ。不満をぶつける相手がいない。シャルロットは真夏だというのに体が冷えていくのを感じた。


 クロエはロボットに寄り添って、まだかみ合わない会話を楽しんでいる。一番の親友が頭を抱え込んで苦しんでいるというのに。しばらくすると、ようやくクロエがシャルロットの異変に気づいた。


「シャルロット?どうしたの?」


「なんでもない。ちょっと眠いだけ」


 友情とは一体なんなのだろう。その日シャルロットは15年生きてきて、一番深く友情について悩んだ。


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