第2章 25話 「大変です!」
そのとき、2階から重い扉が開いたような音がした。次にドタン、ドタンと重たい足音が響いた。
「大変です。大変です!」
無機質な声が少女たちのいる広間まで届いた。少女たちは反射的に階段のほうを見上げた。すると、ロボットが「大変です」を連呼しながら、スローペースで階段を降りてきているのが見えた。
内容とは裏腹にロボットのしゃべる速度は遅く、声質はのっぺりとしていた。
クロエとシャルロットに一瞬緊張が走ったが、ロボットが階段を降りるのに手間取っている間に落ち着いた。
「それで、何が大変なの?」
シャルロットは今日一番の歪んだ顔を見せた。クロエはロボットの顔をじっと見ていた。
「大変です。ジャミールがいなくなりました。クロエとシャルロットが挨拶できません。約束を破るのは悪です。ジャミールを見つけられない僕は素敵です」
ロボットはそう言うと仰向けになり、ひっくり返った虫のように両手両足をじたばたさせた。シャルロットは不意を突かれた。
ロボットの姿を見て真面目に対応するのが馬鹿らしくなって、クロエの背中をぽんと叩いた。同じく不意を突かれていたクロエは目を覚ましたかのように頭をフル回転させた。
「落ち着いて。ジャミールがどこに行ったかわからないの?」
「わかりません。ジャミールの行方が不明になったのは今回が初めてです。さっきまでは部屋にいました。
クロエとシャルロットを迎えに行くとも伝えました。ジャミールは返事をしました。今どこにもいないということは僕はジャミールに捨てられたということでしょうか?
ジャミールがいなくなれば僕の存在意義はなくなります。僕が素敵だから捨てられたのです!」
ロボットは仰向けのまま声のボリュームを上げた。クロエは戸惑いながら、ロボットに質問した。
「ジャミールはあなたを捨てるようなひどい人なの?素敵なのに捨てられるの?」
「はい、僕は素敵な廃棄物です。ジャミールがどこに行ったのかわかりません。クロエの約束も果たせません!僕は素敵なガラクタです!」
ロボットはしばらく手足をジタバタさせていたが、急に動きを停止した。呆れ返るシャルロットの横でクロエは考え事をしていた。
「……なんか素敵の使いどころがおかしい気がするわ」
そして首をひねった。ロボットは質問には答えなければいけないようにできていた。
「素敵は僕のようなロボットを表す言葉です!クロエに教わりました!それよりジャミールがいません!僕は創造主に捨てられました!なんて素敵な存在なのでしょう!」
クロエは状況を理解して仰向けのロボットに抱きついた。
「あなたは捨てられてなんていないわ……」
それは彼女が幼かったころ、自分に言い聞かせていた言葉だった。彼女は母親が亡くなった後、父親が出稼ぎに行ってしまった頃を思い出していた。
寂しくて仕方ないときに一緒に居てくれなかった父親に、彼女は捨てられてしまったのだと思った。
「えっと、はじめまして……」
クロエたちの背後からしゃがれた声が聞こえた。クロエとシャルロットは、ほぼ同時に振り返った。
そこには黒いジャケットと黒いズボンに身を包んだ老人が立っていた。前日のように薄汚い服ではなかった。
しかし、暗闇にシワのついた白い顔が浮かんだので、少女たちには亡霊のように見えた。
リビングデッド!シャルロットは叫びそうになったが必死にこらえた。屋敷に入る前から決めていたことだ。
一方のクロエは一瞬固まったあと、目を閉じて深呼吸をしてから恐る恐る目を開けた。先日彼女たちがリビングデッドだと思ったのは、やはりジャミールだったのだ。
「ジャミールです。ジャミールが帰ってきました。僕の存在意義が復活しました。クロエとの約束も守られます。さあクロエ、ご挨拶をお願いします」
ロボットはジャミールが現れると先ほどまでの動揺が演技だったかのように平然と立ち上がり、クロエに視線を向けた。クロエは目まぐるしい展開の中で挨拶するはめになった。
「は、はじめまして、ミスター。私はクロエ・ブラウン……ミュラングに住む者です。リチャードの親友なの。お会いできて光栄です。以後お見知りおきを」
クロエはスカートの縁を両手でちょこんとつかんで礼儀正しい挨拶をした。ジャミールは明らかに困惑しているように見えた。
「僕はジャミール・ドレスタです。えっと……ここに住む者です」
彼からは短い挨拶が返ってきた。クロエは肘でシャルロットの腕を押した。
「あ、ああ……ごめんなさい。私は……シャルロット・エマーソン……クロエの友達」
最後に挨拶したシャルロットの声が一番うわずっていた。彼女もそれに気づき、苦笑いでその場を取り繕った。ロボットが場を仕切るように話を続けた。
「これにて、皆さんの挨拶が終了しました。本日の予定は無事に遂行されました。あれ?この後の行動がわからない僕は素敵です。ジャミール、次に僕は何をすればいいですか?」
ロボットからの問いかけにジャミールの口元が引きつった。クロエには、その歪んだ口元が「僕に話を振らないで」と全力で言っているように思えた。クロエは落ち着いた口調でジャミールに話しかけた。
「ミスター・ドレスタ今までどこにいらっしゃったの?」
彼女は場を繋ぐための質問を投げかけただけだったが、ジャミールはまるで尋問を受けているかのような痛々しい表情になった。
「ええと、いや、うん、どうしていいか……わからなくて……とりあえず正装してみたんだけど……」
ジャミールは古ぼけた黒いジャケットの下に茶色のネクタイをしていた。一見正装のようにも見える。しかし、衣服からはカビの匂いがするし、ネクタイは見たこともないおかしな結び方だった。いや、むしろ結べていない。
「まあ、私たちのためにお着替えまでしてくださったのね!
クロエは安堵のため息を交えたあとで、ロボットに向かい笑顔を向けた。
「はい、僕は捨てられていません。情報を更新しました」
「僕はリチャードを捨てたりしないよ」
ジャミールはロボットとクロエの会話に驚いて、はっきりとした口調で断言した。瞬間的に緊張が解けたようだ。クロエはそこを見逃さなかった。
「良かったわ!あなたにそれだけ迷いがないのなら、私は今日安心して帰れそうよ!」
彼女は両手を組んで神に祈るようなポーズを加えた。
「えっと、場所を変えない?」
ずっと横で聞いていたシャルロットが我慢しきれずに割り込んできた。長い話になりそうなので椅子が欲しかったのだ。ジャミールはまた緊張でどもってしまい、返答が遅れた。
「え……えっと……誰もお客さんが来たことないんだけど……」
ジャミールはそれ以上言葉を続けなかった。完全に困り果ててしまったようだ。クロエはこの屋敷に客人が来たことがないと聞いて驚いたが、それにも増して他の感情があふれ出してきた。
「ミスター・ドレスタ!あなたさえ良ければ、みんなで楽しくリビングでお話しませんか?私は我が親友リチャードにあなたが命を与えた理由、そしてあなたの命に対する
クロエは今まで接したことのないタイプの人間と、今まで語り合ったことのない話題で盛り上がる未来を想像して鼓動が速くなった。
あるいはこの天才科学者は表向きの顔で、裏は優秀な魔法使いかもしれない。この古い屋敷を一瞬できらびやかなお城に変えてしまう能力を持っているかも知れないなどと妄想も膨らんで、心臓が飛び出しそうになった。いったい彼はどんな新鮮な風を送り込んでくれるのか。
一方、ジャミールはクロエの食いつきに引いてしまったのと同時にうんざりした気持ちになった。知らない少女たちをリビングという自分の安らぎのスペースには入れたくはない。
だいたい、自分の娘ほどの年齢差がある少女たちとどんな話をすればいいのか、見当もつかない。しかし、彼は会話が下手なのと同じく、拒否することも下手だった。
彼は追い返す言葉が見つからずに沈黙した。幼少期からいろいろなことを諦めて受け入れてきた。
その性格をいまさら変えようもない。頭の隅で手短にこの場を終わらせてベッドで横になりたいと思った。
「リビングでお話ですね!それが次の任務。ジャミール、次の予定はリビングでのお話に決定しました!」
ロボットは猫のような目を黄色く光らせて、首を1周回して、両手を左右に振った。この行動が何を意味したのかは誰にもわからなかった。ジャミールはロボットの強引な決定に「えっ?」と、眉根を歪めた。
ところがクロエは喜びで軽く飛び跳ねて、ジャミールに握手を求めた。
「まあ、ありがとう!ミスター・ドレスタ!今日はとってもいい日になりそうよ!私、あなたとお話ができるなんてホウキも使わずに空に舞いあがれそうよ!」
ジャミールは半分強制的に握手をさせられて、クロエの好意を断ることもできずにうなずいた。
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