第2章 26話 温度差

 1階奥のリビングは灯りをつけなくても明るかった。南向きの2つの窓は大きく、周囲を覆っているツタはその部分だけが切り取られていて、十分な光が入った。


 中央の年季の入った木のテーブルは長方形で、縁に金属でできた凝った文様があった。やはりテーブルクロスのような小洒落たものはなかったが、椅子は6脚並んでいた。


 ジャミールは最初にリビングに入って、何も言わずにその中のひとつに座った。ロボットがジャミールの隣に座り、クロエとシャルロットは2人で目配せして隣同士、ジャミールとロボットの向かい側の席に座った。


 クロエの眼の前にはジャミールがいた。ジャミールを見つめるクロエの瞳はエメラルドの輝きだ。シャルロットはそれに気づいて少し不安になった。


「ミスター・ドレスタ!あなたはファンタジー小説のようにロマンティックだわ。リチャードのような気高いロボットに魂を与えるなんて。どこからこれほど近未来的なアイデアを思いついたのですか?」


 クロエはこれでも差し障りのない質問を選んだつもりだった。お茶は出てきそうになかった。


「えっと……なんか……なんとなく……」


 ジャミールは傷口をえぐられているような気分になって言いよどんだ。リチャードを造った理由が友達が欲しかっただなんて、初対面の人に言えるはずがなかった。クロエは頭の中で情報を処理するより先に口走った。


「なんとなくでこんなに尊いリチャードが生まれたのね!そうだわ!奇跡はいつも導かれた運命ですもの!最初から決まっていたのですね!」


 クロエは興奮気味に話すが、ジャミールには突飛な意見なのでどう対処していいかわからなかった。


「もうひとつあるわ。私、よく考えて行動する人と直感で行動する人の違いについて考察したことがあるの。そうしたら直感で行動して成果を出す人の方に、天才が多いという結論に辿り着いたの。


 どんな世界でも天才は凡人が難しいと思うことを簡単にやってみせるのよ。ミスター・ドレスタは高度な技術を直感で生み出せるのね。インスピレーションがリチャードを造った。あなたは本当の天才だわ!」


 クロエの甲高い声がジャミールの頭に響いた。彼はひねくれているので、真っ直ぐなほめ言葉をそのまま信用できない。


 それにリチャードを造ったのは子どもの頃からの夢で、10数年もかけて学術書を読みあさり、何万回という失敗を繰り返して、13年前にようやく完成させたのだ。


 心が挫けそうになりながらもリチャード先生との誓いを守るために並外れた努力で成し遂げたのだ。その苦労を何も知らないくせに。


「でも私はあなたが天才でも凡人でも魔法使いでも気にしないわ。大切なのはリチャードが今ここにいることよ。大切な事実はそれだけだわ」


 クロエはうっとりしてロボットを眺めた。シャルロットはクロエが暴走しないように少し硬い表情でクロエとジャミールを交互に見ていた。


 ロボットはクロエの話についていけずに小さな声で「クロエの話がわかりません。僕は素敵です」などと呟いていた。


 ジャミールはクロエの顔を見ることができずにずっと下を向いていた。


 しかし、次の言葉を聞いて、思わず視線を上げてしまった。


「リチャードは私の親友なの。だから、彼を造ったあなたも私の親友だわ」


「あっ……」


 何かを言いかけたジャミールはすぐに口をつぐんだ。そして、テーブルの下で両手を強く握って、唇をかんだ。


「えっと……ミス・ブラウン。僕たちは歳も離れているし、友達にはなれないんじゃないかな」


 ジャミールは精一杯の言い訳を思いついたのだが、クロエはまったく怯まなかった。


「まあ!友達に歳の差なんてつまらないことだわ!友達になるのに弊害なんてないわ」


 ロボットがここで体を揺すって割り込んできた。


「ジャミールが正しいです!クロエは友達を間違えています。友達には制約と重責があります。ジャミールが正しいです!」


 それすらクロエは戸惑わなかった。


「リチャード、そういう考え方もあるかもしれないわね。けれど、私は友達は状態ではなく心情だと思うの。


 あなたは友達にどういう感情を抱く?すき?大切?一緒にいて楽しい?私は自分がプラスの感情を抱ける相手を友達だと思うわ」


 クロエは高揚が抑えきれずに立ち上がり熱弁をふるった。ロボットは思考が停止して無言のまま体を揺すり、ジャミールは複雑な心境になって黙っていた。


 シャルロットはクロエがいつ本格的に暴走を始めるかひやひやしながら、しかし、眠気で軽いあくびをした。






「えっと、クロエは人の話を聞かないタイプ?」


 それから15分ほどクロエは友達について熱く語り続けた。ようやくひと息ついたところでジャミールがぼそっと言った。


 クロエは笑顔のままで首を縦に振って、


「自覚はないのだけれど、よく言われるわ。ごめんなさい。みんなで楽しくお話をしていると思っていたの。少しだけ私の話す量が多かったかしら」と謝った。


 ジャミールは大きなため息を吐きたいのを我慢して話を続けた。いろいろとめんどうになった。


「……クロエが良かったら、リチャードと友達になってあげて。僕は……やっぱり友達にはなれないと思う……歳が離れているからじゃなくて……友達が……」


 その途中で体を揺さぶりながらリチャードが割って入ってきた。


「えっ!僕はクロエの友達になるのですか!?次の任務は責任重大です。友達は最大の仕事です!」


 ロボットはさらに大きく体を揺すったため、テーブルがガタっと傾いた。クロエはロボットを見つめてから、真面目な顔でジャミールに向き直った。


「ありがとうございます。ミスター・ドレスタ。私はあなたを良いお友達だと思っているわ」


 ジャミールはクロエに「お友達」だと言われ、心臓をぎゅっとつかまれたような息苦しさを感じた。それは単純な苦しさだけではなく、いろいろな感情を含んでいた。


「……今日はもうおひらきにしてもいい?僕……疲れてて」


 ジャミールはとにかくこの場から逃げたかった。ロボットとクロエが友達になることを許可したのは面倒くさかったからだ。感謝されるようなことはしていない。


「わかったわ。今日はもう帰りましょう」


 リビングではずっと傍観者ぼうかんしゃでいたシャルロットが切り出した。彼女はジャミールの第一印象の悪さを引きずっていたので、ジャミールがクロエを拒まなかったのには感心していた。


 クロエは「そうね。ミスター・ドレスタ。お疲れのところ、お話につきあってくださってありがとうございました」と、握手を求めて手を差し出した。


 しかし、ジャミールはその手を取らずに「じゃあね」と逃げるように部屋を後にした。ロボットは、


「僕はクロエの友達になりました。大変な激務です。僕は素敵。無能な友達です」


と呟きながら首を上下に伸ばし、さらに頭から蒸気を吐き、両手を上げたり下げたりして部屋を徘徊した。クロエはそれを眺めて寂しそうにうなずいた。


「リチャード……」


そしてロボットを抱きしめた。


「僕はクロエの友達なので、黙って抱きしめられます」


 ロボットは動きを止めて答えた。クロエがロボットから離れて「またね」と言うと、ロボットは、


「友達なのでお見送りしなければなりません」


と玄関までついていった。




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