第2章 1話 クロエとシャルロット

 青々とした葉を茂らせた木々が湖に反射する。夏の太陽を真上にして2人の少女が湖畔に座っていた。


 短い草の上に麻布を敷き、脇に灯りのついていないランプを置いている。2人のすぐ横には羊皮紙がまるまっていた。


 髪の短いほうの少女が最後のサンドイッチを食べ終えて、傍らに咲く青い花に見とれていたときだ。


「ああ、湖面に映るきらきらした命、鳥たちの愛のささやき、透き通った太陽に手が届きそうな空、なんて素敵な日なんでしょう!私、3ヶ月後に訪れるセントアントニオ号の進水式より素晴らしい日が存在するなんて知らなかったわ!」


 ゆるくカールした髪をそよ風になびかせながら、もう1人の少女がはしゃいだ声をあげた。この少女の名前はクロエ、今年の春に14回目の誕生日を迎えた。


「あんたの素敵な日は毎日じゃない。ここ1

週間素敵じゃなかった日なんてあったかしら?」


 髪の短いほうの少女が答える。クロエの言葉を拾うのはいつも彼女の仕事だ。


 彼女の名前はシャルロットという。気が強く、男の子たちと一悶着するのも彼女の仕事である。


 背が高く、顔立ちもいいのだが、つやのある美しいブラウンの髪を短くしすぎていることを、いつも男の子たちにからかわれている。


「まあ!シャルロット!素敵なことを思い出させてくれてありがとう!そうよ、今日という日はいつでも素敵でなくてはならないのよ!これほどリアルに胸の鼓動を感じられるのはいつだって今日なの!」


「はいはい、本当にそうね。今日はめずらしく私もわくわくしているわ。あんたはいつもわくわくしてるみたいだけど」


 いたずらな目をした2人の言葉が行き交う。


「あら、わくわくを抑える術なんてナマケモノでも知らないことよ。そんな方法があるなら夢なんて存在しないわ。生命を生みだす湖に、美味しいサンドイッチに古ぼけたランプ、恥ずかしがり屋の魚に生涯の友、ここにわくわく以外の何かあって?」


 輝く瞳でシャルロットを見つめ、両手を胸の前で組み、こみ上げてくる音楽を感じながらクロエは言った。


「あなた本当に幸せな考え方してるわね。私もたまにはあんたみたいに生きてみたいと思うけど、やっぱり嫌だわ。疲れそうだもの」


 そう言うと、シャルロットは草原に座ったまま手を空にぐぅーと伸ばし、そのまま後ろに倒れ込んだ。


「うーん、風が気持ちいい」


 彼女は仰向けに寝そべって大きく息を吸い込んだ。それをゆっくりと吐き出して気持ちを落ち着かせた。そこへコオロギがやってきて、彼女の頭の上に飛び乗った。


「あら、かわいいコオロギさん。シャルロットの頭の上を高台にして、くるくる回ってるわ。福音を鳴らして、私たちの冒険を祝福してるんだわ!」


 コオロギが見えていない親友に向かってクロエのぎらぎらした眼差しが向けられた。シャルロットは茶色い目を眉に寄せてみたが、頭の上にいる小さな虫が見えるはずもなかった。ため息を吐く。


「コオロギねえ、確かに幸せを運んでくれるって聞くわね。この胸のわくわくが大当たりするのかしら?しぼまなければいいのだけれど」


「まあ、私の友人は素敵ね。わくわくを『しぼむ』なんて表現をするなんて。つまりわくわくは風船のように空に舞い上がるものなのね!シャルロット、あなたまるで詩人だわ!」


 クロエはほほを紅色にそめて話している。まだ見ぬわくわくの正体に恋をしているようだ。


「詩人って……あんたには言われたくないわね」


 シャルロットは言葉とは裏腹にはにかんで言う。


 クロエはとにかく明るい。彼女は貧しい家庭に生まれ、早くに母親を亡くし、父親は大きな港町に出稼ぎに出ているため、祖母と2人暮らしだ。父親とはもう2年も会っていないらしい。


 生活は貧しく着ているものもみすぼらしい。それでもいつも幸せそうだ。それが周りからは恵まれた環境で育っているように映っていた。


 そして相方のシャルロットは変わり者だ。3人兄妹の末っ子として生まれたが、言葉を覚えて1年と経たずに反抗期を迎えた。


 初めての娘に両親はかわいいピンクや薄い空色のひらひらした服を着せていた。しかし幼い彼女は、人形扱いされることが嫌でたまらなくなり、着ていた可愛らしい服をところかまわず脱ぎ散らかした。


 そして現在の彼女はスカートを一切はかず、上下とも暗色の地味な服を着ていた。それを同年代の男の子たちがからかうので、いつしかケンカを覚えた。


 けれど彼女は自分が女の子であることが嫌なわけではなく、男の子が嫌いなわけでもなかった。ただ男女の区別を嫌っていた。


 女の子は髪を長くしておしとやかにしなければならないなんてまっぴらごめんだ。彼女は男の子の輪にも女の子の輪にも入らず、いつも1人でいた。


 そんなときクロエに出会った。シャルロットは女の子らしい女の子を敬遠していたが、不思議なことにクロエからは女の子独特の雰囲気も男の子っぽさも感じなかった。自然体でいられた。それがとても居心地が良かったのだ。


「詩人なんて恥ずかしい言葉もあんたが使うと違和感ないわね。じゃあ、詩でも朗読してみますか」


 そう言うと、シャルロットはクロエの横に置いてあった羊皮紙を手に取り、からかうような眼を相手に向けた。


「そうだったわ!その羊皮紙よ!あら私ったら何をぼーっとしていたのかしら。今日は宝探しをするはずなのに、まるで心ここにあらずだったわ。幸福って恐ろしいものね。すべてを忘却の渦に飲み込んでしまうわ!」


 クロエは耳を真っ赤にして、両手をほおにあてた。


「あら、あんたまた目的を忘れていたの?やっぱりどこかおかしいわ。宝探ししたいってあんたが言い出したんじゃないの」


 シャルロットは起き上がり、バックパックにランプをつめた。そろそろ行きましょうかとつぶやく。クロエは立ち上がり、希望に身を震わせた。


 シャルロットがコンパスを取り出し方位を確認する。北は自分に向いている。彼女は先ほどの羊皮紙を広げた。


「さて、この湖が私たちのいるところ。目的の場所はここの南東にあるから、向かって左上ね。あそこに見えているところが道だと思うわ。もう一度確認するけどこのルートでいいのよね?」


「まあシャルロット!私そのルート今初めて聞いたわ!あの道が私たちのスタート地点なのね!」


 クロエは目の前に見えている木々の間の小道を見つめながら歓喜の声をあげた。


「あんたはいつも人の話を聞かないもんね」


 シャルロットは冷めた言葉を発しながらも、口元が緩んでいる。


「さて、目的地にはどんな金銀財宝が眠っているのかしら」


 羊皮紙を掲げたシャルロットの声のトーンが上がった。クロエは一歩前に出てスタート地点に向かって指をさした。


「普遍の車輪はいま放たれた。それは白銀の鳥となり羽ばたく。終わりなき旅の中で見つけるであろう真実、サファイアの剣は未来を切り裂き、金のロザリオは魔を退ける。翡翠ひすいの髪飾りは調和をもたらし、幾つもの足跡を共に生きた金貨は暗闇に輝きを与えん。今こそなんじが勇気を示せ、さすれば神の息吹が道を創る!さあ、ともに歩まん蒼き風の道を!」


 クロエは酔いしれているが、いつものことだ。


「さあ、ともに歩まん風の道を!」


 シャルロットは言葉をかいつまんで続いた。




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