第1章 21話 絵の価値
ガチャッとドアが開いて、まずリチャードが入ってきた。バレンとロゼッタがあとに続く。
「おお、これは……」
バレンが壁に描かれたジャミールの絵に気づいた。ジャミールの心臓がドキッと飛び跳ねた。
「まあ!なんてことかしら!これはいったいどういうことですか?」
ロゼッタも絵に気づいてリチャードに尋ねた。
「これはジャミール君の描いた作品です。どうですか?いい絵でしょう!」
リチャードは楽しそうに答えた。
「どうして壁に絵が描かれているのですか?しかもこれ油絵の具じゃありませんこと?」
ロゼッタはさらに追求する。
「壁に絵を描いて消せないとなると少々問題がありますね」
父親もいぶかしい表情を見せる。ジャミールは表情を曇らせた。話が違う。両親は事情を知らないようだ。心臓がドコドコと変な音を立てた。その場から逃げ出したくなった。
「何をおっしゃるのですかミスターバレン。大切な作品が消えてしまわないのは喜ばしいことではありませんか!」
リチャードはにこやかな態度を崩さない。
「あなたこそ何をおっしゃるの!壁をこんなに汚して!私たちに断りもせずに!」
ロゼッタは追求を止めなかった。「汚す」という言葉にジャミールの心は砕けそうになった。
「はい、確かにお二人に断らずに絵を描いたことは問題かもしれません。でもサプライズを用意したかったのです!どうですか、この素晴らしい絵をよく見てください。みんな生き生きと輝いていますよ!」
リチャードに言われて、2人はしぶしぶ壁の絵をじっくりと見た。中央に子どもが3人、これはおそらくジャミールと同級生だろう、そして自分たちとリチャードが描かれているのがわかった。みんな笑顔で幸せそうだ。優しい感情があふれだしている作品だった。感情が乏しいジャミールが描いたとはとても思えなかった。2人は壁を見ながら息子との接し方について考えてしまった。
「これ、本当にジャミールが描いたのですか?」
ロゼッタは思わず尋ねていた。「そうですよ」と、リチャードが口を開きかけたそのとき、
「……うん」
部屋の奥で小さくなっていたジャミールが声を出した。
「僕が描いたんだけど……下手だよね?壁を汚してごめんなさい」
下を向いたまま、泣き出しそうな声になっている。
「そんなことないわ、とっても上手よ!」
「ジャミール、落ち込まなくてもいい。とってもいい絵だよ」
両親はたまらずジャミールに駆け寄った。
「で、でも……壁を」
「いいのよ」
「こんなに楽しそうな絵が部屋にあったら毎日が楽しくなるな」
ロゼッタとバレンはそれぞれジャミールの頭をなでたり、ぎゅっと抱きしめたりした。ジャミールは緊張の糸が切れてそのまま泣き出してしまった。リチャードはすっかり乗り遅れて、ふむふむと感慨深い様子でうなずいた。静かで優しい時間が過ぎていった。
ロゼッタがジャミールを離したのを見計らって、リチャードが尋ねた。
「どうですか?この絵をこの家に残したいと思いませんか?」
バレンにもロゼッタにも異論はなかった。2人はこくりとうなずいた。
「はっはー。よくやったぞジャミール航海士よ!君の絵は高い評価を得た!後世に残すにふさわしいということだ。さすがはサニーレタス号の航海士だ!私は君を誇りに思うぞ!」
リチャードは絵の前で大きく両手を広げて叫んだ。バレンとロゼッタはなぜジャミールが航海士なのかわからなかったが、かたわらで微笑んだ息子の顔を見て驚いた。いくら努力してもジャミールを笑わせることはできなかったのだ。それを、この型破りな教師はたった数回の授業で笑わせてしまった。なんということだろう。しばらく絵を見たあとにバレンがジャミールの頭をそっとなでた。ジャミールが不快そうな表情をしない。ロゼッタはそれを見て大きな感動を覚えた。
「さあ、素晴らしい絵も見られたことですし、先生はそろそろ帰りますか」
リチャードが満足そうに言い放つ。
「……いつもありがとうございます。気をつけて帰ってくださいね」
ロゼッタがめずらしくお辞儀をした。バレンも頭を下げる。
「いえいえ、船長としての役目を果たしているにすぎませんから。そうだ!船長としての仕事がもう一つあった」
そう言ってリチャードは鞄の中をあさり、1冊のノートを取り出した。
「ジャミール航海士よ。これは君のための航海日誌だ。今日のことや今までのこと、これからのこと、なんでもいい。とりあえず書きためてみるんだ。今を大切にできれば未来も大切にできる。まあ、私の持論だけどね」
そう言ってまたニカっと笑った。ジャミールはノートを受け取り静かにうなずいた。
リチャードが帰ったあとジャミールは航海日誌を広げた。ノートを開けると真っ白なページがある。何もないページに自分の言葉をのせていく。ジャミールは気づけばわくわくしていた。リチャードとの思い出を形に残す。その作業が楽しいようだ。
ペンが走る。音符を並べるように。絵を描くように。毎週欠かさず見ていたテレビ番組「世紀の恐竜王ゴゾランくん」を見損ねていたが、それも気にせず書き続けた。
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