第1章 15話 バガテル

「ふむ、ジャミール司祭よ。深く考えなくていいぞ。バガテルという名前、床に転がる工具たち。あとは自分のインスピレーションを信じるんだ。司祭の思うままに作ればいい。それをバガテルと呼べばいいんだ。主はいつでも僕たちを導いてくれーる!」


 リチャードの顔は晴れわたっていた。賛美歌を唄うがごとく声を張り上げ、部屋の端から端へと踊りながら移動している。花束を持たせればひざまずきそうだ。


「えー……」


 ジャミールはどうしていいか迷っていた。リチャードが華麗に回転しながら近づいてくる。


「ジャミール司祭よ。新しいものを作るんだ。すでに存在するものを作る必要はない。飛行機が存在していなかった時代に、それを作った兄弟がいる。ライト兄弟だ。彼らも当時の人たちにさんざん馬鹿にされた。不可能なことに挑戦したんだ。そして今の飛行技術がある。もう誰も彼らを馬鹿にはしなーい!」


 リチャードはジャミールと向き合い、両肩に手をおいて歌うように話した。リチャードの瞳は輝いていたが、ジャミールの瞳はそうではなかった。


「……僕はライト兄弟じゃありません」


 ジャミールにはそんな気概はない。世界の偉人を引き合いに出されたら、心苦しくなるだけだ。それを聞いたリチャードは目を丸くしている。


「はっはー!ジャミール司祭よ!面白いことをいうね!100人に聞いてもだれもジャミールとライト兄弟を間違える人はいないよ。そもそもライト兄弟は2人組だからね!だれも1人と2人組を間違えたりはしない!ジャミールはジャミールだ!だからこそ君にしかできないものがある!」


「……そんな」


 ジャミールはリチャードの屁理屈に疲れてきた。何も知らずにバガテルを作るのは雲をつかむような話だ。それでも何かを作らなければ先には進めそうもなかった。


「ふうー」


 ジャミールはしばらく考え込んでから深いため息をついた。設計図がないことが気持ちの上で負担になっていた。とりあえず木の板とボールを手に取った。木の板にボールを軽くぶつけてみる。


「おお、それがバガテルか?テニスのようなゲームなのかね?」


 リチャードが笑顔で反応する。


「違うと思います」


ジャミールは淡々と答えた。次に木の板を2つ持って合わせたり、2枚並べたり、垂直に組み合わせたりした。どんな形を作ろうか悩んでいた。


「おお、ジャミール司祭は想像力があるぞ!たった2枚の板で様々な形を生みだす。バガテルは箱のなのか盤のようなものか、いやピラミッドのような形かも知れないな!」


 困っているジャミールをリチャードは楽しそうに見ている。


「いえ、わかりません」


 ジャミールは言葉を返したあとに思った。「何を作ってもいい」と言われたのだからとりあえず形にすればいいんだと。それで今日の授業は終了だと。ピラミッドの形は魅力的だが、作りにくいことにはすぐに気づいた。


 次は箱型か盤型か、長方形か正方形か、はたまた円形か。しばらくして箱型にすることに決めた。理由はなんとなくだ。のこぎりを手に持ち、木の板を切ろうとしたが、板が動いて上手く切れない。


「ジャミール司祭よー。のこぎりはハサミではないんだー。木の板を固定させないと切りにくいぞー。一番はそうだなー。この部屋にあるものなら、そこの椅子に木の板を置いて、足で押さえて切るのがいいだろー、らららー」


 ジャミールは椅子の上に木の板を置いた。台からはみ出した部分の板をのこぎりで切り、台に載せた部分を足で押さえれば切りやすいのにはすぐに気づいた。だが、なかなか真っ直ぐに切れない。


「そうだ。いい感じだぞ!のこぎりは引くときに切れる。変な力が加わらないように真っ直ぐに引くんだ!そうだ!おーいえ!おーいえ!」


 リチャードがベッドに座り、こぶしを挙げて声援を送っている。のこぎりを使い慣れていないジャミールは木の板を切るのにずいぶん時間を費やした。最後の方はバキッと板が割れて床に落ちた。少し斜めになってしまったが、作り直すのも面倒だったのでこれで良しとした。汗もにじみ出てきている。


 次にボンドで木の板を箱型になるように貼り合わせた。ここでジャミールはある事に気づく。箱の中身が作りにくいのだ。


「どうやらジャミール司祭はお困りのようだね。先に中身になる部分を板に貼り合わせてから箱の形にした方が良かったかもなー」


 リチャードはひげを撫でながら言った。


「どうして先に教えてくれなかったんですか?」


 ジャミールは不機嫌に答えた。


「はっはー。ノープロブレムだ!『失敗は成功の母』という言葉があーる。何事も失敗はつきものだ。その失敗を次にどう活かすか。それにより人生は大きく変わーる。司祭はいま成功への階段をかけあがったんだ。バガテルの完成に近づいたのだ。なんて素晴らしい出来事なんだろう!主の御心、ここにありーだ!」


 リチャードはベッドから立ち上がり、箱を手に取ると、力を入れてジャミールが貼り合わせた板をはがした。


「あっ!?」


 ジャミールは思わず声をあげた。


「ノープロブレム。ノープロブレム。上手くいかないときは1からやり直すんだ。未練を残すんじゃない。失敗した過去は洗い流せ!これが新しいものに出会える秘訣だ!」


 そう言ってリチャードは分解した板を置いた。ジャミールはボンドのついた板をしばらく眺めてから、


「失敗ではありません」


と、つぶやくと、またボンドをつけて箱型に貼り合わせた。今度はクギも打った。リチャードは少しおどろいてそれを興味深く見守った。ジャミールはフタのない箱を完成させたあとに、箱の外側の一面に、絵の具で、眉毛、目、耳、鼻を描いた。目の高さがちょっとずれた。


「おお。素晴らしい!それが司祭のバガテルか?じつに魅力的だ!で、どうやって遊ぶのだ?」


リチャードは目を輝かせて質問した。ジャミールは落ち着いて答える。


「これから考えます」

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