第1章 14話 無理難題

 次の日曜日は雨が降っていた。ぬれた土のにおいが辺りにただよっていた。リチャードは傘を片手に大きな鞄を抱えながらドレスタ邸にやってきた。彼は庭先の石で革靴についたドロを落としてかは呼び鈴を鳴らした。


「おお、親愛なるドレスタ夫人!今日は雨、自然の恵みに満ちあふれています!草木は嬉々として作物も美味しく育つことでしょう!ああ、なんて素晴らしい日なんでしょうか!」


 リチャードは傘を片手にロゼッタにあいさつをした。


「わざわざ足元がお悪いなかご苦労さまです。先生が疲れてらっしゃるときはいつでも休んでいただいてかまいませんよ」


 ロゼッタは皮肉をこめてあいさつしたが、リチャードは意にかえさず平然と玄関に入った。嫌みが通じなかったことを不愉快に思いながらも、ロゼッタはそれを悟られないようにジャミールの部屋に通した。



「おお、親愛なるジャミール!恵みの雨に感謝の意は示したかい?」


 リチャードは部屋に入るなり、くるりと回転して神に祈り始めた。


「先生は信仰深いですね」


 ジャミールは机の上に両ひじをついて、しかたなく神に祈った。


「先生ではない!僕はリチャード司教だ!」


 どうやらまたリチャードのごっこ遊びが始まっているようだ。


「……司教には見えませんけど」


 ジャミールはリチャードの風貌ふうぼうを見て答える。くたびれたコートによれよれの帽子、大きくて古い茶色の鞄、酒で赤くなった顔には無精ひげ。清潔なイメージの司教とはかけ離れていた。


「何を言っているジャミール司祭よ。このミトラ(宝冠)が見えないのかね?玄関で取り上げられてしまったが、司教杖も持ってきた。そしてこのあくなき信仰心を持ってすれば僕が司教でないわけがない!」


 リチャードは両手を大きく広げ天井を仰いでいる。ジャミールは「さっきからこの人は何を言っているんだろう」と思ったが、どうやら古ぼけた帽子をミトラといい、傘のことを司教杖と呼んでいるようだ。


「雨は素晴らしいものだ!雨があるから生物が干物にならずにすむ。酸素があるから呼吸ができる。夜があるから眠りにつけて、朝があるから希望がうまれる。いや、朝などこなくても希望ならどこにでもうまれるぞ!この自然に包まれた大地にうまれ、多くの絆を育み、命つきるときは大地に帰る!主の御心に感謝の気持ちが途絶えることはなーい!」


 リチャードはかなりのハイテンションで踊りながら唄うようにしゃべり始めた。ジャミールは、突然現れた司教をどうあつかっていいのかわからずに呆気にとられた。


「さあてジャミール司祭。今日は何の修行をしよう?」


 リチャードがふいに質問した。


「あ、え?」


 ジャミールは急に話題をふられて回答に困った。


「宇宙や星座の話はどうだろう?天文学は私の得意分野だ。自然科学や生物学も面白いな!今日は司教としての知識をジャミールに伝授しよう!ああ、世界のすべてが教科書だー、生命は美しい賛美歌だー」


 リチャードはオペラのようにジャミールに語りかける。ジャミールは授業の内容について意見を求められていることに気づいた。


「……星座の話がいいです」


 ジャミールは星を観るのがすきだった。


「そうか、ジャミールは星座の話がしたいんだね。それではバガテルを作ろう!」


「え?バガテル?なんですか?」


 ジャミールは突然飛び出した知らない単語に困惑した。


「バガテルは一種のゲームだ。『習うより慣れよ』って言葉がある。うん、いい言葉だ。よし、材料はここにある。さあ作るんだ!」


 リチャードはそう言って、鞄の中から工具と木材を取り出した。のこぎり、クギ、ハンマー、木の板、木柱、ボンド、ハサミ、糸、象牙でできたボール。針金、ドライバー、ネジ、金具、布、絵の具、紙。


「え?ええ?」


「さあ、バガテルを作るんだ!」


「これ……全部使うのですか?」


 ジャミールはバガテルをまったく知らないので、どうしていいかわからずに尋ねた。


「全部使っても半分しか使わなくてもいいぞ!なんならここにあるものは何も使わなくてもいい!」


 ジャミールはなんて無茶を言うんだと思った。バガテルが何かも知らない。何を使って作るのかもわからない。作り方も教えてくれない。それでバガテルを作れるわけがない。


「僕には無理です」


 顔を曇らせて答えた。


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