第1章 12話 バレンとロゼッタ

 「いったいどこに行ってらしたんですか?リチャード先生」


 家に帰るとロゼッタが笑顔で迎えてくれたが、よく見ると右側のほおがひきつっている。


「おお、親愛なる我が主よ!僕の帰りを待ちわびていてくれるとは光栄のかぎりです」


 リチャードはすぐさま右手を胸に置き、ひざをついて頭を下げた。


「あなたのことは待っていません!ジャミールのことが心配なんです!本当になんて先生なの!」


 苛立ちを隠せないロゼッタは口で爪をかみながら答えた。バレンも家の奥から出てきた。リチャードは立ち上がり、声を張り上げた。


「ジャミール君のことは心配いりません!彼は立派な冒険者です!」


 ロゼッタの頭にさらに血がのぼる。ジャミールはリチャードの後ろに隠れた。


「あなたは何がしたいのですか?家庭教師の立場で勝手にジャミールを外に連れ出し、あげくの果てに私の質問をはぐらかす。私を怒らせて楽しんでおられるのですか!」


 ロゼッタは眉間にしわを寄せてリチャードに詰め寄った。バレンに入り込む余地はない。


「いえいえ、神に誓ってそのようなことはいたしません。僕はジャミール君に外の世界を見せたかっただけです」


 リチャードは笑顔で答える。やはりロゼッタの怒りはおさまらない。


「ではなぜ窓から出ていく必要があったのですか?もう次回からはいらっしゃらなくて結構です!」


 ロゼッタはきつく言ったあとで、顔をそむけた。ジャミールの心がきゅっとしまった。


「我が親愛なるドレスタ夫人。寛大なるお心で私めをお許しください。今日の課外授業はどうしても決行したかったのです。今後はこのようなことはいたしませんのでどうかお慈悲を……」


 リチャードは頭を下げて頼み込んだ。ロゼッタは聞く耳を持たない。


「いえ、もう結構です。お帰りになってくださいませ」


「どうかお許しを!」


「お帰りください!」


 2人とも一向に引下がらない。バレンは気後れしながら様子を見ていた。


「……先生はそんなに悪い人じゃないよ」


 ジャミールが小さな声で会話に入ってきた。足が震えている。ロゼッタはびっくりして目を見開いた。まさかこれほど非常識な先生をジャミールがかばうとは思ってもみなかったからだ。


 リチャードは頭を下げたまま黙っている。ジャミールはリチャードのコートにしがみついていた。バレンがその様子を見て少し考えてから言葉を探した。


「ジャミール。今日はどこに行っていたんだい?」


 バレンは腰を落として穏やかに尋ねた。


「ミフェイズ湖」


「そうか。ミフェイズ湖に連れて行ってもらったのか。楽しかったかい?」


「うん。自然がきれいだった」


 ジャミールはリチャードの腕にしがみついたまま答えている。


「そうか、それは良かったね」


 バレンは深く息を吐いて立ち上がり、ふり返ってロゼッタに言った。


「ロゼッタ、もうしばらくリチャード先生に任せてみないか?ジャミールを見てごらん。リチャード先生がそこまで悪く思えるかい?様子を見てジャミールに悪い影響がでるなら、そのときに考えよう。駄目かな?」


 ロゼッタはじっとジャミールを見た。息子は目で何かを伝えようとしている。ロゼッタはジャミールの訴えかけるような目を見ていると、無下にリチャードをクビにはできなかった。


「もう勝手にしてください!私は寝ます!」


 ロゼッタは怒りの矛先を失い、足音を立てながらその場を去った。リチャードはロゼッタの背中に向かって大きく「ありがとうございます」と叫んだ。それからバレンに深々と頭を下げて家に帰っていった。

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