第1章 11話 炎の友達

「ほのおってきれいですね」


 家のキッチンでも火は見ているが、自然の中で見るたき火の炎はひと味違っていた。ジャミールは風でゆらめく炎にみとれている。


「人間だけが炎の友達なんだ。他の動物はみんな火を恐れて遠ざける。なんでだと思う?」


 リチャードから質問が飛び出した。少し考えてジャミールが答える。


「動物は本能で火をおそれるんですよね?」


 リチャードは間髪いれずに質問を続ける。


「そこだ。人間と他の動物の違いはなんだ?同じ地球上で暮らしながら人だけが炎を恐れずに利用する。いや、火の恐ろしさも理解しながら上手くコントロールしているんだ。なんでだと思う?」


 ジャミールはそんなことを考えたことはなかった。だから本で得たことを答えた。


「それは人間が賢い生き物だからだと思います。だから火を利用することを思いついたのです。本にもそう書いてありました」


 ジャミールの答えにリチャードは軽くうなずいて口を開く。


「ジャミールは本当によく勉強しているね。確かにそうなんだ。でも図鑑や本に書いてあることはほんの一部にすぎない。僕たちの祖先が火の怖さを知ったとき、怖さを克服したとき、怖さを利用することになったとき、きっかけも心情もまったくわからない。感情は文献には残らない。もう誰も知ることができない謎なんだ。文章で過去を知ることができてもそれはもう冷めた鉄なんだよ」


 リチャードの言葉を聞いてジャミールは難しいと思いながらも少し納得した。確かに図鑑に感情は載っていない。そしてジャミールなりに、なぜ人が炎を使うことを覚えたのかを考えてみたが、答えは見つからなかった。


 しばらくすると良い香りが漂ってきた。魚の皮が黒く焦げてきている。そろそろ食べごろのようだ。


 リチャードは木箱の中からコップと水筒を取り出した。水筒には温かいお茶が入っていた。ジャミールにお茶を渡すとリチャードはにやりと笑いながらポケットに手を突っ込み、ウイスキーを取り出した。


「はっはー、僕は幸せものだ!心地よい天気に自然、上手い魚に親愛なる友との最上の酒!なんという幸せな男だろう!」


 そう言い終わる前に喉を潤した。


「先生、これも授業ですか?」


 授業という名目で湖にきて、酒を飲み始めたリチャードにジャミールは尋ねた。


「うーん、これは授業でもあるし授業ではないな。物事なんてそんなものさ。まあ考えるだけ無意味だ。さあ、食べよう」


 ジャミールは質問をはぐらかされたように感じたが、あまり気にしなかった。リチャードは右手に魚を持ち、左手にウイスキーを持ち、乾杯のポーズを大げさにとっている。


 ジャミールはじっとそれを眺めた。リチャードはジャミールの様子をうかがったあとで、何事もなかったように魚を食べはじめた。ジャミールもそれに習って魚を一口食べた。


「……おいしい」


 そして思わずつぶやいた。これはめずらしい反応だった。ジャミールはプラスの感情を表に出すのが苦手だからだ。


「うまいだろ!自分で釣った魚はうまいんだ。先生の魚もうまいぞ!」


 リチャードは満足そうに魚を食べている。その顔を見ているとジャミールは少し嬉しい気持ちになれた。


 一気に魚を食べて、温かいお茶を飲んだ。涼しい風が2人の間を吹き抜けて鮮やかな紅葉が舞い上がった。ジャミールはそれに見とれた。


「君は学校のことをどう思う?」


 リチャードはウイスキーのビンを左手で揺らして、ふいに質問した。ジャミールは恐れていた質問をされて身構えた。


「あまり楽しくないし……できれば行きたくないです」


が、素直に答えた。両親を悲しませる言葉だ。だからあまり口には出さない。リチャードは笑いながらうなずいた。


「おお、そうか、学校は嫌いか!ジャミールは素直だな。それで良いぞ。別に学校に行く必要はない!勉強なら僕が教えてあげるから問題ないさ!」


「……冗談ですか?」


「もちろん本気だ」


 ジャミールは全身を震わせた。これまで学校を嫌いと打ち明けて「それでいい」と言ってくれた人はいなかった。「学校に行く必要はない」と言われたのも初めてだった。

 気づけばほおを涙が伝っていた。感情を言葉にできなくても体は反応した。


「よしよし!辛かったな。もう大丈夫だ」


 リチャードはジャミールの頭をぽんぽんした。ジャミールはその言葉に応えるように大粒の涙を落とした。長い間、内にため込んでいた思いがあふれ出した。外へ外へ、止まらない。しばらくしてリチャードがジャミールの肩をそっと抱き寄せた。


 ジャミールはリチャードに抱きしめられるのは2度目だが、今回はウイスキーの香りに安心感を覚えた。


 ミフェイズ湖に咲く花が視界の隅に映った。たき火の炎が小さくなってきた。鳥が水面の魚を狙って急降下している。気づけばうさぎの姿は見えなくなっていた。強い風が吹き、小さくなっている炎が揺れた。ジャミールの涙もおさまってきた。


「さあ、そろそろ帰ろうか」


 リチャードはジャミールの頭をもう一度ぽんと叩いたあと、よいしょと立ち上がってバケツに湖の水をいれてきて、たき火を消した。釣り竿を解体して木箱に詰めこむ。ジャミールはただそれを眺めているだけだった。


 リチャードは馬に水を飲ませ、馬車に乗り込んだ。ジャミールはその横に座った。ミフェイズ湖をあとにして馬車は帰路に着く。ジャミールは湖に向かったときとは違うことを考えていた。やわらかい風が吹いた。


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