贈り物

25日。約束の13時。待ち合わせの大きな駅はクリスマスだからかな。人が多い。まあでも謙は背が高いし、すぐ見つけられ…るか?いや、見つける前に、この人混みじゃあ私の視界がない。ちょっとやばいかも。思った時、いつだかと同じように、私の腕は誰かに引かれ、隅へと連れて行かれる。あーこの、強引な感じ。ちょっと懐かしくて、私はそいつが誰だか確認するよりも早くに、少し、笑ってしまった。ちょっと人の少ない隅に寄ると、やつは言う。


「お前ほんと、ちびだな!」


「うるせー、ばーか」


謙。謙は私を何か自信満々そうに見下ろして、「ちび」だと馬鹿にするから、それが更に可笑しくて、私はつい笑ってしまう。何、自分は背が高いからって、見下してるつもり?全然、羨ましくないし。ちびの視点も悪くないと思っているから。だけど。


「大体謙は背高すぎ。見上げんのつらいから、縮んで」


「無理言うなよ!」


首が疲れる。それをいつかみたいに素直に伝えれば、謙は焦ったように私の言葉につっこんだ。


吉野先輩は今日という日を、どう過ごされるのだろうか。私はいつも通りに、このブックカフェ。いつか、吉野先輩が「来る」と言っていたここに、期待を寄せて来てしまう。期待するのはもちろん、吉野先輩が今日ここに、私がいるうちに来てくださらないかという、そんなそれで。…有り得るわけがない。実際に、これまでにはここで何度か、吉野先輩と偶然にお会い出来たことは数度、ある。それでも。今日は、クリスマス。25日。イヴは過ぎたけれど、いいえ、過ぎたからこそ確かなクリスマスのその日。吉野先輩はきっと、素敵な女性と…。2つも、歳下の私に興味なんてあるはずが、ない。その証拠に吉野先輩から連絡がくることは、いつもない。吉野先輩との短いやりとりは、いつも先輩と言葉を交わしたくて。お話をしたくて、我慢出来ない私の方から、始まる。前回、SNSのそれで私が吉野先輩と言葉を交わしたのは、1ヶ月は前。吉野先輩のご迷惑にならないよう手短に済ませるその中で、けれど私はいつも、吉野先輩という人の新しい部分を、知ってしまうから。話せば話すほど、知ってしまって、吉野先輩という人を形容するものが、何も出てこなくなる。これまでは、静寂や夜、そういったものがぴったりだと思っていた。けれど、そう。少し前に、吉野先輩が何故かストリートライブをされていたその姿を、見た時。そんなものはもう、吉野先輩の一部に貼られた、飾り付けでしかないと気がついた。本当の吉野先輩はどこにいるの。本物の吉野先輩は、一体どんなお方なの。悩みながら、目を通すお気に入りの本はまるで読むふり。何も、内容なんて頭に入ってきていない。それさえ何か、虚しい。そんな時。


「小笠原さん」


聞きたくて、仕方がなかった声がして、私はぱっと、自分の手元の本からそちらへと顔を上げる。そこには私を見てほんの微かに笑み、柔らかく、小首を傾げる吉野先輩がいて。


「ここ、いい?」


聞かれて私はただ顔を赤くし、声も出せずに頷いた。不意をつかれて、それも吉野先輩のことを熟考していたものだから、余計に恥ずかしい。どうして。先輩、こんなクリスマスにどうして、こんなところ。思う私に更に不意に、吉野先輩は言う。


「星歌さんの名前って、今夜にはぴったりな字だよね」


「え…」


どうして。どうしてばかりが私の頭に浮かんでは、消えずにそこに鎮座していく。もう、てこでも動かなさそうなくらいに、どんと。どうして、どうして私の名前。大人しい私には似合わない、とんだキラキラネーム。「いや、今夜だけじゃなくて昨夜もか」。ついた私の向かいの席で僅かに視線を落とし、何かそう小さく訂正する吉野先輩は、やっぱり。何度、我慢しても。何度私より、他の人の方が相応しいと言い聞かせても、駄目。我慢できずに呟いた。かっこいい。好きです、先輩。偶然出会えたクリスマス。今だけはわかる。吉野先輩とは、神様が私へと与えてくれた、贈り物だ。


そうして結局、謙が私を連れて来てくれたのは、大きな複合施設。


「わー…でか」


第一の感想はそれ。クリスマスの飾り付けだってたくさんされているそれを、「すごい」とか「綺麗」とかじゃなく、「でかい」と口走ったあたり、私、可愛げない?やばいと思って、私は慌てて今からでも、違う感想を探そうと自分の頭を必死に回す。でもやっぱ、「でかい」しか出てこない。こんなとこ、来たこともないし…。可愛くない上に、貧乏丸出しの私に、謙は私と同じく、目の前の大型複合施設を見て笑う。


「いや、さすがにこれでかいよな」


あ、よかった。感想が一緒。それに何か安心しながら、私は自分の隣を歩く謙を見て、頷く。


「だよね」


もっと、このとか、楓とか天音とか梨々花とか。みんなみたいに、女の子らしくなれたらな。そんな、柄にないことをほんのちょびっとだけ、思いながら。


複合施設の中のショッピングエリア。私には見慣れない店ばかりで面白い。もちろんどれも値段が良いから見るだけだが、それでも。でもやっぱり、所々に並ぶ色んなカフェ。クリスマスのこの時期は、ショコララテやチョコレートドリンク、つまり私の好きなココアに似た類のものが多くて。しかもフェアなんだろう。店先の看板にどれもこれも、でかでかと載せられてアピールされてるんだから、つい目がいってしまう。ばっちり花より団子。そんな私に謙は、可笑しそうに言う。


「ココア巡り、するか?」


腹やばいことになりそう。でも。


「いいね」


馬鹿だってわかってても、今しか出来ないことをしたい。賢く向こうなんて見ず、私は謙を連れて馬鹿に、1軒目のココア巡りに挑んだ。


ココア巡り3軒目。


「お前よくココアばっか飲めるよなあ、もう3杯目だぞ」


律は3軒目、つまり3杯目であるにも関わらず、目の前のココアをそれはもう、普通に…どころか美味しそうに飲んでいる。いや、違うな。これココアじゃなくて。ココア関係にうるさい律には、これじゃあ訂正される。思って必死に思い出そうとした時。


「違う。これチョコラータ」


「あー、それそれ」


チョコなんとか。覚えないと、次間違えたら殺されるんじゃないか、俺。それくらい、今の律は俺を睨み、厳しく冷たい声でさっと指摘してきたもんだから。…ココアの魔人は怖い。久しぶりに見た、ココアの魔人。それは小学生の頃以来か。律は相当なココア好きで、本当にもう恐ろしいレベルだ。ココア巡りなんて言うんじゃなかった。律よりも、ちょっと自分の腹の方がやばそうで。…まあでも。


「謙もチョコラータにすればよかったのに」


幸せそうな顔で、チョコラータの入ったマグカップに口をつける律を見ていると、いいかと思えてくる。そんな時ふと思い出した。謙、か。こいつの呼ぶ謙はいつだって、”常勝、皆川謙”じゃない。ただの俺、なわけで。だからこいつに呼ばれるそれが好きだ。昔から、もうずっと。


「俺には甘すぎねぇ?」


苦笑しながら返す。俺にとって甘すぎるのはチョコラータじゃない。いつも、律本人だった。


小夜太、小夜太…そもそも何小夜太?


「あ!」


出てきた表示を見てつい、暇だからと出かけた先のカフェで1人、大きな声を出してしまう。あーやっば、ごめんなさーい…。恥ずかしくてちょっと、周りに向けて笑ってしまった。これはそう、照れ隠しのそれ。なんてそんなのはどうでもいい。尾野、か。すっかり忘れてた。もうずっと名前で呼んでいるから、苗字なんて正直どうでもよくて。小夜太の名前が在り来りなものじゃあなくてよかった。よくいるような名前だと、この70はいる私のSNSの友達一覧から、苗字とセットで探さなきゃいけなくなる。個性って大事ね。変なことを思いつつ、私は全くやりとりをしていない小夜太との、トーク画面を開いた。まっさらな、それ。顔を合わせると普通に話すのにな。あいつは気が弱い…わけじゃないのに、何かそれに近い感じがして、からかいがいがあって。それからいっつも、優しい。あんなくだらない、私が適当に言った、約束ですらないことをわざわざ覚えて、叶えてくれるくらいには。しかも、美味しかった。あいつの作ったケーキ、すごく美味しかった。だからまた作って欲しくて、作らせるためにもこうする。「こないだはケーキありがと!りっちゃんと2人で食べたよ~!また作んないと殺すからね!」。ばっちり脅迫付きのメッセージ。送れば…あ。やば、今日ってクリスマスじゃん。まさかとは思うけれど、あいつが誰か女の子と過ごしてたら、私の今のこのメッセージはやばかったんじゃあ。送ったものは取り消せない。取り消せるけど、取り消したらめちゃくちゃ不審。…あー、やば…。ま、いっか!どーせ小夜太だし。もし今彼女とか、好きな人がいるのなら、振られればいいんだ。大好きなりっちゃんに、以前そうされたみたいに。


すっかり暗くなってきて、時刻は17時を回る。そうすると、謙に「こっちこっち!」と手を引かれ、やって来たのは定番、かな。イルミネーション。


「眩しい…」


クリスマスのイルミネーションの中。やっぱり、「すごい」だとか「綺麗」だとかじゃなくて、変な感想が出てくるのは最早、私らしいということで片付けて欲しい。「眩しい」と思わず零した私に、謙は可笑しそうに言う。


「サングラスでも買ってくる?」


「いらないし」


それには即座にそうつっこんだ。さすがに、そのレベルじゃあ。思う私に謙はまだ、笑ってる。…楽しそうだな、謙。よかった。謙はいつも、緊張に晒され、期待を背負わされ。いつも、誰かのためにいないといけないから。私は謙の全てを見てきたわけでも、知っているわけでもない。だけど、少し考えれば何となく、わかる。謙が日常的につらい、そんなことなんて。だから、こんなクリスマスくらい、謙には自分のためにいて欲しい。25日、誰かのためを願ったのは、いつぶりだろう?この日はいつも、父に「来て欲しい」と願っていた。吹っ切れた去年は「受験」を願っていた。気がつけば、いつから私は12月25日を、自分のためだけに使うようになっていたんだろうか。駄目だな、しっかりしないと。イルミネーション。あちこちを謙と楽しく回りながら、でも内心何か、寂しくなる。怖くなる。私は謙と来年も、過ごせるだろうか。謙に来年は、それこそ好きな人とか彼女とかいたら、そっちと過ごした方がいいって。謙はそっちの方が幸せだって、思うのに。…自分勝手に、私は謙の傍にいたいと願ってしまう。だけど。置いていかないで、独りにしないで、一緒にいて。今まで抱いた、そんな気持ちとは少し違う、傍にいたい。これは、何て言うんだろう?これは。回りすぎた自分の思考に、思わず黙り込んだ。その時。


「あー…あのさ」


謙が言いづらそうに、口を開く。何かと思い、私は自分の隣に並ぶ謙を見上げた。謙は何か、私と目が合うとすぐに、視線をさ迷わせて。それからわざわざ、私へと体ごと向き合い、何か気合を入れたように。


「…よし」


意を決したように、自分になのか?そう小さく零して。…何だろう?不思議に思う私を、謙は今度こそ真っ直ぐに見て、言う。


「俺、律が好きだ」


「……へ」


言われた瞬間、でも何を言われたのか理解出来なかった。だから私はすぐに反応を返すことが出来ず、間が開いて、それから呆けたような声を出してしまう。馬鹿みたいな、そんな声を。けれど謙は至って真剣、どころか、これまで見たことがないくらい真面目に、私へとその言葉を続けて。


「文太と別れたばっかで、自分が何かずるいことしてるのはわかってる。でも、その、律にもう、同じようなことで傷ついてほしくない。その辺の誰かに任せたくない。だから、それなら俺が律を、ちゃんと大事にしたい」


何、それ。急なことで頭が回らないのに、変なとこだけ勘違いしそうになる。そんなに言われたら、「律を思っている」みたいなことを言われたら、謙は私のことがずっと好きだったのかと、自分の都合良く捉えてしまいそうで。そんな、わけない。そんなわけないのに。いつかの、謙達とした中学卒業の打ち上げ。当時、私と文太が付き合っていると知ると、謙は言った。「何で文太なの?」。動揺しきった様子で。ひとつわかると、芋づる式に、紐解くようにわかってしまう。去年の25日に謙が、わざわざ私の家にまで来て、何時に帰ってくるかもわからない私を待って、くれた兎のぬいぐるみは?私が”ただの誕生日プレゼント”と受け取ったそれは。ねぇ、謙はいつからだったの。私はつい最近だ。それこそ、文太と別れて、好きって何かがようやくちょっと、わかってからだ。なのに、謙はいつからだった?私は謙に、酷いことをしてきたかもしれない。思うと、やっぱ。


「…て、泣かれるのはさすがに想定外だったけど!」


「そんなに嫌か!」と、謙は賑やかに、なのに慌てて私の涙を自分の服の袖で雑に、拭う。痛い。ちょっと痛いし、別に嫌だから泣いたわけじゃない。ほんと謙って馬鹿だなぁ。思うと、笑えてくる。泣いたと思ったら笑った、そんな私を見て謙は、目を白黒とさせて、それから。


「好きだから、何?」


ちゃんと、言って欲しくて先を催促した私に、謙はちょっと拍子抜けした感じに、その言葉を私へとあっさり贈ってくれる。


「へ?だからその、俺と付き合って欲しくて」


「うん、いいよ」


「は?!」


それに二つ返事で頷けば、謙はもう天変地異でも起きたのかってくらい、目を丸くして驚いた。いいよ、だって。


「私も、謙が好き」


真っ直ぐに、謙を見て伝えれば、謙は驚きから固まった後、嬉しそうにはにかむ。気恥しそうないつものそれ、本当、少年か何かみたい。私はまだ、好きが何かなんて、正確にはわからない。はっきりとは、まるで。でも、謙には「謙が好き」だと迷わず、言葉に出来る。生まれて初めて、誰かを好きだと。支えたいとか傍にいたいとか。好きの理由はいっぱいある。好きになる理由も。だけど私の場合は間違いなく、”言葉に出来ること”。まるで嘘をつけない自分の口が、これは真実だと、言葉にすることを許す、そんなそれ。大好き。心の中でもちゃんと言える。全てが一致して私はようやく、その人を好きになれる、好きでいられる。好きの形は人それぞれ。それでいいんじゃないかなって結局、私は思った。文太の時には感じたことのない、苦しいくらいの胸の感覚に、私はちょっと、自分の胸元に軽く右手をやる。でも。


「じゃ、じゃあー…手!」


謙に、左手を出されて。顔を見ればもう、照れてるのかそれはちょっと赤くて。こいつは小学生男子かよと、私は可笑しくなった。まあでも、笑ってはやらない。自分の胸元へとやったこの右手を、私は今度は謙のその左手と繋ぎ、歩き出す。ちょっと、くすぐったい。気持ちがだいぶ、くすぐったい。だから、今だけはからかってなんてやらない。初めて繋いだ謙の手はやっぱ、大きいな。だけどそれは、謙に比べて私が小さすぎるからか。なのに。手を繋いで歩き出した時。踏み込んだ私達のタイミングは同じで、前へと進む速度も、同じだったから。多分、間違ってなんかいない。…ううん、絶対。何かそんな自信と安心に、満ちていた。



「謙」


「…お前、それやめろって」


「…え、何が?」


何がじゃない。律と付き合い始めたあの日から、まだ数日。でも俺はもう駄目だ。頭ん中が律だらけ。元々そうだったのに、更に律まみれ。ラケット振ってないと本当それ。なのに本物が目の前で俺を、「謙」と呼ぶそれ。それが1番つらい。


「…その…や、何でもない」


「は?」


とはいえまさか、「呼ぶな」とは言えなくて。というか、律に「謙」と呼ばれたい自分がいるのに、それでも呼ばれるともう律が可愛くて、癒されてしょうがなくて。…それから何より、その度に自分がただの皆川謙であることを実感して、たまらなくなる。ただ、宙という幼なじみを持ち、文太達っていう友人がいて、律という彼女がいる。そんな、それだけの平凡な自分だって、律が呼ぶ「謙」はいつだって俺へと教えてくれる。それが、嬉しい。心がむず痒いくらいに、嬉しい。1人物思いに耽っていると、「今日は動物園に行きたい」と言い、俺が迎えに行った律の家。そこから少し離れたところで、律は言う。


「手」


「て?」


「て」って何。思って見れば、隣に並ぶ律はその小さな手を、俺へと控えめに差し出していた。顔は何か、不満そう。…あ。その意味に気がついて、俺は慌てて律の、差し出された手を取り、繋ぐ。


「よし、これでいいだろ!」


何か、自分なのか律なのか。どちらなのかはわからないが、どちらかを納得させるようなことを言えば、けれど律は。


「よくないし。遅い」


俺から顔を逸らして明らかに不貞腐れるから、こんな律は今までの俺は、知らない。そっか、もしかしたらさっき名前を呼ばれたのも、「手を繋げ」って意味だったのかも。わかると、これまでは知らなかった、すぐに拗ねる律というのは可愛くて、つい、俺は律をからかってしまう。


「何だよ、拗ねんなよ」


尖ったような言葉とは裏腹に、にやにやとした笑みを隠せずそう言えば、律は。


「拗ねてないもん」


こっちも言葉とは裏腹に、思いっきり拗ねた顔で、俺を睨むように見た。でもそれが俺には可愛く見えるから、多分、俺は既に重症だ。「ちび」とからかうそれさえ、本当は小さくて可愛いと思っているんだから。…そう、思っていたんだから。でも、それと同時に確信する。俺はこいつがいれば常勝できる。常に、上を目指し続けることが出来る。もちろん律だけがいればいい、それだけで、なんてそんな幼稚な精神論じゃない。けれどそれでも、確実に律は俺が見てる世界の、中心に存在するわけで。だからつまりきっと、ずっと。律は俺の、大切なパートナーだ。

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チョコチップマフィン 猫野みい汰 @nekomi1021

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