色のついた命

「クリスマスにはこやたの作るケーキが食べたい」


たまに律と交わすメッセージで、律からそう言われて、俺はつい1人だというのに、笑ってしまう。俺の作るケーキか、懐かしい。律と知り合ったばかりの頃、何とか律と仲良くなりたくて、俺は律と2人で、デコレーションケーキを作ったんだっけ。あの頃の律は、俺の想い人。今は。


「作って届けようか?」


返したメッセージに、それ以上の意味なんてない。今となっては律はもう俺の、想い人だった人、だ。


寒っ。11月も半ばに入り、下旬が見え。こうなると、部活終わりの帰り道は十分暗いし、寒い。急に一瞬吹いた北風に凍える私に、陽真は言う。


「大丈夫?」


「へーき…」


応える声はでも、微かに震えてるのが自分でもわかった。陽真も気がついたんだろう。私を見てちょっと、苦笑している。はぁー、にしたって。


「で?イケメンはクリスマスを誰と過ごすの?」


「またそう言う」


「イケメン」。その単語を出せば、陽真がそこにいつも、引っ掛かりを覚えることは知っているから、私はわざと「イケメン」という単語を含めて聞いた。そうすれば予想通り。陽真は可笑しそうに笑って、僅かに呆れたように言って。けど、私が聞いたことにはいつも通りきちんと、応えてくれた。


「誰とも過ごさないよ、今年も1人」


今年もってことは、毎年1人なのか、陽真。何か意外…。女の子と過ごさなくたって、それこそ七海とか、仲の良い男友達と楽しく賑やかにやっていそうなのに。陽真の例年のクリスマスを想像する私に、続けて陽真が聞く。


「それで?律は?」


こいつの声は好きだ。男なのに少し中性的ですごい柔らかいし、話し方もゆっくり。こやたとか、文太に似てるけど、その2人よりずっと優しくておっとりした感じが、声によく出ている。どっかの馬鹿とは大違い。あいつはうるさいしうるさいし、うるさいから。…なのにいつだって私に元気をくれるその声に、私はこれまでどれだけ支えられてきただろう。クリスマス、とりわけ25日に一緒に過ごしたいやつ。私は今年はちゃんと、いた。珍しく、というか人生初。自分から誘いたい、そいつが。


「何で気づかなかったの?」、「股が緩い」、「お前が死ね」。優しめなものから、思い出すのもはばかられるようなものまで、一通り浴びた。わざと浴びた。これはそう、私への、罰だ。色んな年齢、性別、立場の人に、ネットという特に人の本音が出る場所で、私はそれをした。「私は、高校1年生の16歳で子供を身ごもりましたが、自分の人生のために中絶しました」。嘘は言っていない。こんなことで嘘なんて、つくはずがない。まさか、こんな嘘を言ってネットでわざわざ、叩かれたい人なんていない。そうすれば私のSNSはそれはもう燃える燃える、大炎上。一部、擁護の声もあったけれど、そんなものさえ埋めてなくすかのような、批判の嵐。「貞操観念が」、「これだから女は」、「そもそも日本の教育が」。色んな言葉が私へと投げつけられ、コメント欄では議論という名の、知らぬ人同士での言葉の殴り合い。現実でも、最低限明かさなければならない家族や、学校の先生達には、伝えて。父は言った、私へと。「クソ女」、「生きてる価値もない」、「お前に命を語る資格はない」と。私はそれにただ気丈を振舞って、「ごめんなさい」と頭を下げることしか出来ない。ねぇ神様、命に色は無いと言うのに、少なくとも私の父はいつかそう言ったのに。どうして私の命に色はあるの?聞いても、空から声なんて降ってくるわけがなかった。


入院中もずっと笑顔。悲しい顔も、涙も、何ひとつ誰にも見せなかった。


「叶恵ちゃーん!」


「はーい!」


看護師さんが私の名前を呼びながら、私の病室に入って来る。ああ、この時間、か。わかってても、嫌だ。憂鬱。怖い、思い出すだけで、痛い。それでも、駄目だ。私は、手伝ってもらっているんだから。


「処置の時間なんだけど…頑張れるかな?」


「はい!大丈夫です!」


気遣いの言葉に、私は笑顔で応える。手伝ってもらってるんだ。私は、どこまでも私の身勝手な都合によって行われる、この殺人を。


元々、生理周期は乱れていた。特に不正出血が多くて、比較的いつも、生理じゃなくても血が出ていて。逆に生理がこないことも、よくあることで。だから何も気にしなかった。何も、まるで。だけどもちろん恐れてはいた。あんなことを、されたんだから。


私は馬鹿だ。馬鹿だから、アフターピルなんてそんなものの知識がまだ、その時にはなかった。もちろん今は違う。今は、その辺で全然知らない誰かに、突然レイプされたって大丈夫なよう、避妊用のリングをあれ以来いれたし、ピルもずっと、飲んでいる。全部、自分を守るため。不測の事態から、全部全部私と、まだこの世には存在しない大切な命を守るため。男なんて、信じてたまるものか。目を閉じなくたって、今でも簡単に思い出せる。私は、進学先の学校で入学すぐ、上級生達に集団レイプをされていた。


生々しい、ところまで思い出すのは自分のためにやめておこう。レイプされ、でもそれを誰にも言い出せなかった私は、馬鹿にもそのまま普通に、過ごしてしまう。…約、3ヶ月程も。でもさすがにそこまで、そこまで生理がこなければ馬鹿な私だってさすがに、わかる。わかったからこそ更に、遅れたんだ。怖かった。本当にそうだったらどうしようって。本当に、妊娠していたら、私はどうなるのかなって。ただの病気だったらいいのにって。妊娠するのはいつも女側だ。人間はそういう繁殖の仕方をとってるんだから、これが当然であることはわかっている。でも、男がこんな恐怖を抱く日なんて、いつの時代のどんな男の生涯をどれだけ細かく追っても、こない。妊娠や出産で、心身を壊し、その先で死ぬのも。そもそも産んだその時にもう死んでしまうのも。10ヶ月も、お腹の中で赤ちゃんを、文字通り自分の身を削って守るのも。それらを男がやる日なんて、こない。そんな瞬間なんて、人類には永遠に有り得ない。怖くてたくさん調べた。妊娠出産に関する、現実を。喜びや幸せばかりじゃない、それらを。なのに日本の男達はこう言うらしい。奥さんへ、自分の子供を産んでくれたその人へ。「俺は妊娠出産なんてしたくない」。「子供産んでからお前は女を捨ててる」。怖いまま、ひと月が経った。いい加減怖さに足踏みをしていてはいけないと思って、私は震える手で、調べた。結果は、陽性だった。


あれ。ふと見たスマホの画面に、叶恵の文字。陽真と帰る途中、それは表示される。電話だ。


「ごめん電話、出ていい?」


「うん、もちろん」


少し早口に聞けば、陽真はそう返してくれる。「ありがと」。そんな陽真にまた短く礼を言って、私は叶恵からの電話に出た。


「叶恵?どうかした?」


叶恵から突然の電話なんて、それもまだこんな早めの時間には珍しい。叶恵とでんわをするのはいつももっと、遅い時間帯だから。だから自然とそう聞けば、電話口の叶恵は何か。


「…ごめん、りっちゃん、今から会える?」


微かに震える声で、そう言った。それは私みたいに、寒いから?叶恵は多分外にいる。スマホの向こうから、車が多く通るような、そんな音がするから。でもまさか、叶恵の声が震えているのは、何かそんなくだらない理由じゃないような気がして。


「うん、どこに行けばいい?今から行くよ」


急いで行かなくちゃ。そんな思いに駆られてただそう返せば、叶恵は小さく「ありがと」と零した。


子供を殺す時、私は願った。「ママも一緒に連れてって」と。妊娠4ヶ月、15週。私が殺した子供はきちんと、人の形をしていた。目も、指も、全てきちんとあって、「男の子だったのね」と、その時担当してくれた若い助産師さんが言ってくれた。肌は、赤くて。普通の赤ちゃんとか、そういうのに比べたら赤くて。頭でっかちで、体は貧相で。………確かな、お産。私が産んだのは遺体、とはいえ、これもひとつの、それ。それを終えて自分の股から血が止まらないそのまま、私は、思う。この子の笑う顔を、見たかった。どうしてもどうしても見たかった。叶わない未来に、滲みかけた涙はでも流しちゃいけない。私に、つらいと思うそんな権利なんて、ない。「この子の写真を撮ってもいいですか」。聞けば助産師さんは「いいわよ」と、私に向かって優しく微笑んでくれた。


それから私は休学し、上手く、生きることが出来ていない。何かしなきゃ。焦るのに、全て、上手く回らない。父は私がレイプされたことを知らない。自分でそうして、結果馬鹿をして、こうなったと思っている。唯一全てを知る母は、退院と同時にぷっつり糸が切れたようになった私を、優しく明るくあちこち息抜きに連れ回したり、心療内科に連れて行ったりしてくれたけれど、どれも駄目。私の世界は酷く靄がかかったまま、もうどことも繋がらない。最後の望みは。


「叶恵!」


「ごめん、待った?」。いつか、私達2人が通っていたあの中学。そこからほど近い小さな公園のベンチ。そこに1人で腰掛ける私の前に、りっちゃんは走ってやって来る。りっちゃん、何か変わった?見た目は何も変わらない、小さくて可愛いまま。なのに、何か、より強くなったような。そんな気がして、私は自分がまた、全ての世界から1人だけ置いていかれたような感覚に、陥った。


「…大丈夫」


強いりっちゃんを直視していられなくて、私はすぐにりっちゃんから顔を逸らす。りっちゃんはそんな私を見て、私から少し距離のあるその場から動かずに、心配そうな顔をした。


「…どうかしたの?叶恵」


どうかしたの、なら、どうかした。どうかしたけれど。上手く、どこから話していいかがわからなくて、私は深く俯く。そんなりっちゃんが、私へと踏み出そうとして。でもそれが嫌で、私は自分からりっちゃんを呼びつけておきながら、拒むように冷たく本題に入った。


「りっちゃんは男が嫌いでしょ」


あの中3の1年。小夜太という男友達と関わるりっちゃんを見ていたら、そのうちに何となく察していたこと。りっちゃんはきっと、男が嫌い。というより何か、生理的に受け付けない。だから私はりっちゃんを自分の最後の希望に、した。言えば図星だったのか、りっちゃんは踏み出した足を、その場で止める。そんなりっちゃんには構わず、そのまま、私は続けて。


「私もね、男が嫌い。嫌いになった。あいつらは、女を利用して散々自分の下に踏みつけて、それで自分達は何も失わずに済むんだ」


中絶の費用も、火葬の費用も、全て私の両親が持ってくれた。心身を壊したのは私だった。死んだのはあの子だった。じゃあ私を、レイプしたやつらは?学校にさえ何もばれなかった、あの子の父親は?


「私をレイプして、子供が出来て殺したって、何もお咎め無しなんだ」


ねぇ何を。


「りっちゃんならわかるでしょ、男なんて汚いって!」


何を失い、何が傷ついたっていうの。思わず叫ぶように同意を求めれば、りっちゃんはそこに突っ立ったまま。私を見つめて、それから。


「ねぇ叶恵」


いつものように私を呼ぶから、私はりっちゃんを自然と見てしまう。りっちゃんは言った。


「恨んでいいんだよ」


瞬間、自分の目から涙が零れ落ちたのがわかった。…あれ、違う。拭ってみればそれは、もうとっくに、いつから私は泣いていたの?私の服さえあちこち、落ちた自分の涙で濡れていて。りっちゃんは、それから私の前へと歩み寄り、続けた。


「この世界の人口って何人いるんだっけ?」


え?…ええと…考えてみたけれど、やっぱり馬鹿な私には、わからない。な、何人だっけ。視線を落として戸惑う私に、りっちゃんは私を抱きしめて言う。


「まあ何人か知らないけど、多分相当いるから、そのうちの私と叶恵の2人くらい、そいつらを恨んだってバチは何も当たらないよ。むしろ」


瞬間伝わる温もりが、妙に暖かくて、安心する。当たり前に、「私と叶恵」と言って私に寄り添ってくれるその姿勢に、ようやく守られている感じさえする。その上。


「叶恵が頑張ったのは、その子がちゃんと、ずーっと見ていたんじゃないかな」


「叶恵がきちんと向き合ってくれると、そう思ったから、来たんだよ」。そんな、ことまで言うから。まるで私にはなかった視点。「私のせいで」。誰のせいにもしたくなくて、頑張って頑張ってずっと笑顔で全てを1人で背負った、結果。私は今日この後、何をしようとしていた?本当は産んであげたかったけれど、両親に反対され、どうしても叶わなかったあの子のもとへ。いこうと、していなかったか。気づけば私はりっちゃんに抱きしめられて、泣いた。「恨んでいいんだよ」。神様でさえ言ってくれなさそうなその許しがなければ、きっと私は今日、色のついたこの命を捨てていただろう。


帰って、落ち込む。もちろん口外はしない。叶恵のために、それはならない。だけど。…どうして、平等とか言いながら常に、色んな差別というのはいつの時代も、生じてしまうのだろう。命は平等なんて言うのに、叶恵が守られなかったのはどうしてなんだろう?新しく、より弱いものばかり優先されて。それに比べて古く、より強いものは簡単に投げ捨てられるのは、何故。誰だって、守られていいはずだ。どんな命だって、きちんと。


その週末、私は叶恵の家にお邪魔させてもらう。


「お邪魔しまーす」


初めて来たけど、叶恵の家って何だかカントリー調で可愛いとこ。外観も、中もばっちりそれだ。


「叶恵の部屋はこちらです、どうぞ」


案内してくれた叶恵のお母さんはすごくいい人で、私もその言葉に軽く頭を下げて、会釈する。…でも。私を案内して去っていく、叶恵のお母さんのその背中。それはもちろんのこと、向き合った時の顔も、見る限りちょっと疲れている様子だった。原因は…叶恵、かな。叶恵のことが、心配なのかも。そりゃそうだよね。叶恵のお母さんがどこまで、叶恵のあの事を知っているかはわからないけれど、娘がこんなことになったら、普通の母親は誰だって。思うと胸が痛くて、でも私はそれを自分の心の中にきちんとしまい、それから叶恵の部屋の扉をノックする。


「叶恵、律子だけど」


言えば、何か中でガタガタって音がして。次には慌てた様子で勢いよく、叶恵が出てきた。


「わーりっちゃん?!どうしたの?!」


「むしろどうやってうちに?!」。叶恵のその発言、だるそうなルームウェア姿。それらの限り叶恵ってば、私からのメッセージを見なかったんだな。すっぴんで慌てまくる叶恵に、私はちょっと苦笑いしながら、説明をする。


「ルミカから聞いたの、叶恵の家。それで今日この時間に行くよって、連絡したはずだけど」


「まじ?!寝てたわ、ごめん!」


言えば、叶恵は両手を合わせて大袈裟なくらいに謝ってくる。…数日前に公園で会った時より、ずっと元気だな。あの時は本当、叶恵が死んじゃうんじゃないかと思って、すごく焦った。私があの時に、叶恵へと伝えた言葉、対応が正解かはわからない、でも。


「ね、これ、届けに来たんだけどさ」


私の言葉が少しでも、あの時の叶恵の支えになれたなら、それがやっぱり正解かななんて、単純に思う。そう思いながら軽く掲げた白い小さな箱。それを見て、叶恵は一瞬不思議そうにしたものの、すぐに中身が何なのかを察したみたいで、ぱあっと明るい顔をした。


「ケーキ?!最高じゃん、どうしたのこれ!」


その答えはそう。


「こやた」


「は?!」


「だから、こやた」


「…まじ?」


久しぶりに食べたいから作ってって言ったら、クリスマスどころか、全く早い今日に作って、私にくれてしまったのだから、それには私も驚きを隠せなかった。「それから」と、このケーキ片手にうちを訪れたこやたに言われたそっちにも、驚くばかりで。私はそれも、叶恵へときちんと、届けておく。


「それから、律と2人で作ったものじゃないけれど、よかったら、だそうです」


そうしてケーキの箱を差し出せば、叶恵も思い出したかな?少し、きょとんとした末に叶恵は箱を受け取り、本当に嬉しそうに微笑む。


「…あんな約束、まだ覚えてたの」


それは私達がまだ中3だった頃。叶恵がこやたを脅すようにして取り付けた、「律と2人で今度お菓子を作るのなら、私にも食べさせろ」という、約束で。ねぇ叶恵、男が嫌いなのはよくわかる。私もそう。どうしても駄目な相手っている。怖い相手とか、瞬間とか。でも、そんな自分が間違っていて、嫌だと思う自分も確かにいるし、こうやって叶恵を笑顔にしてくれる男だっているんだから。


「だからほら、迷惑じゃなければ一緒に食べたいなって」


「もっちろん!入って入って!めっちゃ汚いけどー!」


だから一緒に頑張ろうよ。1人じゃなくて一緒に。踏み入れた叶恵の部屋は確かに、ここにある物を全て引っくり返したのかって感じで、汚かった。

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