ご注文はツンデレメイド

「頼ってもらえないこんなのは嫌」。言われた言葉が、頭の中で繰り返される。つまり律は俺のことが嫌いになったわけじゃあない。俺との関係性が、嫌になったんだ。何がきっかけで、そうなってしまったのかはわからない。だけど確かに、律は俺との関係性が、在り方が嫌になった。少し前までは不満なんてなさそうにしていたのに、女の子ってやっぱり難しいな。これまで付き合った子はみんな、甘えたいばかりで、だから律だってきっと。…色々と考えては、思うけれど。ずっと、好きだったのに。俺本当にずっと、律だけが1番だったのに。あっさり振られて、でも。最後まで、俺は律を1番に優先していたかった。情けない。生まれて初めての挫折は、作間律子という、自分の何より大切な女の子から、躊躇いがちに与えられたものだった。


…帰りたくない。無性にそう思う。今、美久や母さんに会ったら、私、泣きそうだ。謙を前にしてたってそうなのに。もっと、もっと身近な人を前にしたら、私。文太との関わり方を変えれば良かったんじゃあって、思う。でもきっと、変わるまでの間が私には、つらい。本当に変わるかもわからないそんなものに、私は自分の時間をかけたくはない。文太の時間だって無駄にさせたく、ない。だからきっと、私の文太に対する好きって、所詮そんなもので。色々、ぐちゃぐちゃだ。ぐちゃぐちゃで上手く、考えられない。何ひとつ片付かない…。ただ自分に手を引かれて歩くだけの私に、ふと謙が振り返り、言う。顔は見えない。私が、深く俯いているから。


「なあ、遊んでこーぜ!」


だけど聞く限り、その声は明るくて、いつも通り、を装っている感じ。こんなばればれな気遣い、不器用な謙らしくて、何か。


「だから何でそこで泣くんだよっ」


泣きながら、ちょっとだけ笑みが零れる。それから、ずっと俯かせていた顔を恐る恐る上げれば、謙は目が合った私へと仕方がなさそうに、微笑んだ。



「宮寺先輩っ、お疲れ様ですー!」


着替えて会場を出れば、そこには、私を待ってくれていたのかな。笑顔の陸人くんの姿。けれど私の頭はまだ先程の、あの感覚の中。だから返すものは。


「あ、うん…」


短く、浮ついた返事になる。陸人くんはそんな私には気にせず、続けた。


「さっきのあれ、すごかったですね!何ていう曲名なんですか?」


曲名?考えたこともなかったな…。曲名、か。問われて、私はようやく先程のあれから、現実へと思考が引っ張られる。経験したあの驚きから覚め、やっと真面目に働き出した頭で、軽く考えた末に出てきたのは、そう。


「…ロンド・ルミナス」


言えば、けれど陸人くんにはちょっと難しかったのか、不思議そうにした。この曲名におけるロンドとは、輪舞曲のそちらの意味ではなく、フランス語の”輪”の意味。そちらの方。それからルミナスは、本来なら”発光”だとかそんな意味だったと思うけれど、それもここではそうではなく。そう、ここでのルミナスは、幸せ。だから、ロンド・ルミナスは幸福の循環。つまり。


「幸せが、みんなに巡ってくるって意味だよ」


自分の中で出たその答えを、笑顔で陸人くんにそう伝えれば、陸人くんも「へぇ!」と納得したように、無邪気に笑ってくれた。そうして。


「なんか、宮寺先輩っぽくていいですね!」


不意に、そんなことを言うから。…私っぽい?ロンド・ルミナスが?…それには何だか私が褒められたように感じてしまって、私は陸人くんから少し視線を落とし、はにかんだ。


好きという気持ちを忘れたのは、いつからだろう。それでも止まるわけにはいかない。止まってはいけない。多くの期待を背負い、生まれる新作は常に光り輝いていなければいけない。駄作は到底許されない、ひとつも作り出してはいけないのだ。世に、出しては。暇つぶしにと1人で訪れたピアノコンクール。都内で行われるブロック大会。曲がなければただの老いぼれである私に、気がつく者など周りには誰もいない。私とはそれほどちっぽけな存在なのだ。…常に、それほどちっぽけであれたのなら。無駄な望みをした。ぼーっと耳にする音、音、音…。どれも下手だ。あまり上手くはない。まあ、未熟な彼らの弾くピアノなど、そんなものだろう。つまらないままとにかく、ぼーっと時間を潰していく。そもそもがこれは暇つぶし。くだらないことを、くだらないようにして。だから合っているのだ。時間を投げ打っているわけではない。何かの言い訳を自分へとしながら、次にステージへと出てきたのは少し、西洋人の血でも混じっているのだろうか。明るい薄茶の髪の、まるでティーンモデルのような容姿の女性。だからか、グランドピアノについたそれは絵になる。まあしかし、それとこれとは当然別だ。彼女もまた、これまで出てきた者と同じで、大した腕は持たないのだろう。彼女がピアノの前につき、少しの間の後始まったのは、ハイドン。ソナタ終楽章。…上手いが、特筆して何か、ということは何も。そう思った瞬間、その時、変わる。違う、この曲この部分にこんな音は無い。存在しない音符が私の頭に流れた。いや最早そこから次々に、あの歳若い彼女から私へと、この世のどこにも存在しない音達が、投げつけられている。問われるかのように、老いて少し曲がったこの背を叩いて正すかのように、「お前はそれでいいのか」と。なのに厳しくはない。乱雑かと思えば全く綺麗に纏めあげる。これは、この子の曲なのか?自分で作ったものを、こんなピアノコンクールで?まるで、自分のピアニストへの可能性を潰すような、夢を踏むようなそんな真似を、何故。本当に自分で作ったのだとしたら、それをこんな、彼女からすれば大舞台で披露できる勇気は、どこからきた。どこにある。それも躊躇がない。まるで迷ってなんかいない。その先にあるのは何だ。見ている世界は何色か。ああ私は、いつからこの気持ちを忘れたのだろう。現代日本で、名曲と呼ばれるものは様々、私が手がけてきた。その自負がある。なのに。いつからか満たされなくなり、いつからか空虚になり、いつからか見失ったものは。好きとはつまり、幸福だ。幸福を生み出す、根源だ。


「ブラボー!」


気づけば私は立ち上がり、そう叫んでいた。


…加護仁さん、かあ。渡された名刺をお風呂上がり、私は自室で1人、手にしてみる。よく、知っている。加護仁。とても有名な日本の作曲家で、私達の身近なところだと、ゲームやアニメのBGMなんかも、たくさん作り上げている。聴けば誰もが「ああ、あれか!」と1発でわかるほどに有名な曲も、加護さんはとても多く手掛けていて。「君の将来にピアニストなんて似合わない、作曲家になるべきだ」。コンクール終わり。控え室に戻り、そこにいた加護さんに私が言われたのは、まさかの、そんなこと。作曲家に、って。嬉しいけれど、そんな。…だいぶ、恐れ多くて、なのに。踏み出したいと思う私の足がちょっと、震えていた。



「無理!とれないっ!」


「かっこ悪!」


訪れたゲーセン。見かけたUFOキャッチャー。景品の丸くて大きなアザラシのぬいぐるみ。謙に「取って」って言っても、謙は何回やっても駄目だった。その度本気で悔しがり、互いのお金が消えてく消えてく。


「あーくそ!何で取れないんだ!」


頭を抱えて叫ぶ謙に、私はいつの間にか暗さも忘れて、思い切り笑う。まさか、もう心が痛くない、そんなわけじゃない。でも謙といると、それを超える楽しさがあって。つい笑ってしまうから、やっぱり謙っていうのは私にとって、何にもあてはまらない不思議な存在だ。もちろん、いい意味で。「う~、もっかい!」と、果敢どころか無謀にアザラシへと挑もうとする謙に、私はもう、笑いすぎて目に涙さえ浮かばせながら、言う。


「もうやめときなよ」


「でも!」


止めれば謙は本気で悔しそうにそう言って、私の方を振り返った。


「このアザラシ、何かむかつく顔してるし!」


「どこがだよ、可愛いじゃんか」


そんでもって意味わからんことを言うもんだから、私は益々可笑しくなる。やめろこいつ、私を笑い殺す気か。思う私の前で謙は、強敵アザラシと睨み合い、「可愛くねーよ!憎らしい顔しやがって!」と、本気でアザラシと相撲か何かをとっていた。


結局。


「あー、何も取れなかったー」


あのアザラシ以外にも、お菓子とか色々挑戦してみたけれど、謙は何も取ることができず。私は元々UFOキャッチャーがめちゃくちゃ下手。だから当たり前に、お互い手にした景品は何もない。お金を失うだけ失って、誇れる戦利品は本当、1個さえも。そうして私達は、すっかり遅くなった帰路についていた。


「だっさ。1個くらい取れた方が、女の子の前でかっこつくよ」


あんまり格好悪かったものだからつい、そう言えば、謙は何かぎこちない様子で、私へと言葉を返す。


「い、別にいいし…」


その反応を見て思う。ん?まさか、こいつまた好きな人できたとか?何だっけ…いつだか初彼女に振られて以来、謙からはそんな話をまるで聞いていなかったような。考える私に、謙は何でか聞いた。


「…や、でも、取れた方がいい?」


「は?」


いや、何で私に聞く?しかも何故かちょっと照れながら。…や、まあ。


「…まあ、1個くらいは?」


「だよなー…」


戦利品はないよりあった方がましかと思ってそう答えれば、謙は肩を落として頷いた。何だ、自分でもわかってんじゃん。そりゃあ、女の子の好きなもの、欲しがったものひとつくらい、あげられる男の方がモテるもんでしょ。考えながら、思う。でもまあ私は。


「でも私は、楽しい方がいいよ」


そう、楽しい方がいい。だから素直にそう告げれば、謙は不思議そうに、目を丸くして私を見つめる。


「は?」


そうして短く聞き返してくるから、私は微笑んで、告げた。


「私は、物より楽しい時間の方が、好き」


「…そ、そう…」


言えば、謙は何かまた私から顔を逸らして、照れるようにしていた。


翌朝。


「おはよう、りっちゃん」


「おはよ」


いつも通り楓と、私の家の前で待ち合わせ。2人で霊峰青海へと向かう。入学から、もうすっかり慣れてきた朝のこの、流れ。とはいえもちろん私は朝に弱い。つまり眠い、し。


「…りっちゃん、大丈夫…?眠たい?」


やっぱ、昨日の今日。文太のことを考えて、上手く眠れなかった。あの後謙に家まで送ってもらって、それから落ち着かなくて宙にまで、「暇」だと称して電話した位、色々自分の気を紛らわせようとしたのに。それはどれも上手くいかなくて、結局私はちょっと酷い顔の朝を、迎えていた。だから楓が心配するのも無理はない。私はそれにいつも通り、「大丈夫」と強がろうとして、でも。…そうだ。昨日の、ピアノコンクール。私まだ楓に、何も伝えられていない。楓はきっと、あの曲を私のために披露してくれた。あんな、大切な場所で、きっとものすごく勇気が必要だったはずなのに。なのに何も躊躇わず、真っ直ぐに。私は楓を見上げて、伝える。


「ねぇ、楓」


「うん?」


私も楓がしてくれたことと、同じくらい真っ直ぐ。それを心がけて、きちんと。


「ありがとう。私…今は、駄目でも。ちゃんと、後悔なんてしないから」


何がなんて言わなかった。まだそれを、楓へと伝えられるほど私の心の傷は、癒えていない。だけど楓も。


「…うんっ!」


何をなんて聞かなかった。ただ、私が少し吹っ切れたことに、嬉しそうに笑ってくれた。私達は常に全てを共有しなくたっていい。私もきっと、楓のことで知らないことなんて、いっぱいあるんだから。


律、大丈夫かな。何か、昨日俺へと電話をくれた律は、無理をしていたようだった。文太なら、何か知っているだろうか。まあ、文太なら律のことで、知らないなんてそんなことは…。思って、でもふと気がつく。文太なら、律のことで知らないなんてことは、確かにない。その上できっとそれをすぐに、解決してしまうことだろう。じゃあどうして律は落ち込んだまま、よりにもよって謙じゃなく、俺に連絡を寄越した?…答えは、簡単だった。謙だけでは、足りなかったのか。それとも俺は謙の穴埋めか。何でもいい。ただ、いつかの自分が好きだった人が、またいつものように前を向けるのなら、何でも。


文太はどうして律とすれ違ったんだろうか。あいつは誰のどんなことでも、何も言わなくたってほとんど、勝手に察してしまうくらい、色々と勘がいいのに。人付き合いが上手くて、それこそ誰とでも上手くやれるのに。練習に集中しながら、でも俺は頭の片隅の方で、そんな頭までずーっと回る。もちろん勝手に。あの時、律は泣いていた。だから連れ出したゲーセン。律が「欲しい」と言ったものをどれも、俺は律へと取ってやれなかった。なのに律は笑って、最後、「楽しい時間の方が好き」と言って。文太なら、きっとどんなものだって律へと取ってやれただろうし、どんなことだって、きちんと。…なのに、律が零した「楽しい時間の方が」。それが、答えなんだろうか。別に、文太といて律は、楽しくなかったわけじゃあないと思うんだ。2人を見ているととても仲が良さそうで、だからこそ俺は自分の負けを認めようと、必死になっていた。律が幸せなら、と。だけど、現実は違かったんだ。…次に文太に会ったら、俺は文太に何をして、何を言うだろう。俺は優しくないし、宙みたいに常に理性が先を行くタイプじゃないし。あーそれこそ、軽く頭叩くくらいはするかも…。くそ、ぐだぐだ考えるなんて俺らしくねぇ。考えすぎて頭痛くなってきた。なのに、不謹慎なのに俺は逆にある面で、吹っ切れるんだ。文太がいなくなったなら、俺が律をって。今度こそって。俺って意地、悪すぎ…。だけど、他の誰かに律を任せて、律がまた同じようになるそれはもう、嫌だった。


頭ん中が文太とのことばかりで、すっかり上の空だったから、忘れていたけれど。


「文化祭、楽しみだねっ!」


そう。11月の頭には文化祭。もうずっとぼけっとしていた私は、そもそもうちのクラスが何をするのかさえ、知らず。というか多分、聞いていたけれどまるで覚えていない。だから私は、自分の馬鹿さがばれても1番恥ずかしくないやつに、そっと小声で聞いてみた。


「…ねぇ、うちのクラス、何やんの…?」


「ああ、メイド喫茶だよ」


聞いた先は陽真。答えはメイド喫茶。へぇ、じゃあ。


「陽真がメイド?」


純粋に聞けば、陽真はふっと笑って私の言葉を否定する。


「違う違う、俺じゃなくて」


それから私を軽く指さして、イケメン特有の綺麗な顔で微笑んだ。


「律だよ、頑張ってね」


「…は?私?」


でもその顔で言われたのは、あまりに非現実的なことで。メイド喫茶、のメイドを私が。いや、え?いつの間に私は、それを引き受けてしまったんだろう。戸惑いから固まる私を、陽真は追撃するように言う。


「みんな、楽しみにしているみたいだから」


…本当、そんなことを言われたら後はもう何も、言うことは出来なかった。


律はあれから何か少しずつ、吹っ切れてきたみたいで、目前に迫った文化祭を前に、奮闘していた。少し前まではどこか身が入らず、ぼけっとしていたそれを、今では律らしく全力投球でこなす姿は、やっぱり俺の理想の女性。好きになるなんて、とてもおこがましいから出来ないけれど、友達くらいなら許してもらえたから。…いつまでも、律と友人でいられたらな。長い人生で、そんな縁を結べる相手は、ほんのひと握り。わかっているけれど、律がそうであってほしい。そうありたい。もう、律の髪には無い白い花の髪留め。それを思いながら、俺は自分の願いも更新していく。律がもっと、幸せになれますように。今の律にはきっと、もっと相応しい誰かがいるのだから。



「メイドやんの?!お前が?!」


あんまり「文化祭何やるの」とうるさいので、仕方なく伝えればそれはもう、馬鹿にされる意味で謙には驚かれた。…と、思ったのに。


「…何?黙っちゃって」


スマホの向こう側。向かって会ってるわけじゃないから、決して目にすることの出来ない謙は何か、「律がメイドをやるのか」と驚いたきり、黙りこくってしまう。何、その、言葉を失うくらい私にはメイドは似合わないってこと?わかってるし、そんなの。何か変にひん曲がりながら、私はとりあえず謙の反応を待つ。すると謙は。


「…や、の、え。おま、き、キッチンとかでもやってろよ…」


すごい、途切れ途切れの言葉でそう言ってくるから、益々意味がわからない。そんなの、私だって出来れば裏方に回りたかった。だけど謎にみんな、「メイドは作間さん!」と私推し。多勢に無勢で歯が立たず、私はメイドの役を担うことになったのだ。


「仕方ないじゃん。私だってそうしたかったけど、みんな私にメイドやらせてくるんだもん」


だからそれを素直に伝えれば謙はまた、何か口をつぐんでしまった。


律が通う高校の、文化祭のその日。「一応来る?」と誘われたし、つーか気になるし、色々と気になるし俺は当然行く。律のクラスは…ええと、3組だったっけ?霊峰青海へと到着早々、そこを目指せば、3組には確かに”メイド喫茶”の看板。…まじかよ。いよいよ現実が、嫌になってきた。律はこのメイド喫茶の、メイドなんだよな?一体俺はどう律に出迎えられて、結果何を口走ってしまうのか。自分ですら恐ろしい。…いや、でも、「行く」って言っちまったし。話を聞く限り、少なくともクラスメイトからは無自覚に人気のありそうな律が、何か変なやつに絡まれてたら嫌だし…。……よし!バドミントンの試合前、と同じくらいに俺は自分へと気合を入れて、1年3組。メイド喫茶のそこをくぐった。


「お帰りなさいませ、ご主人様」なんて誰が言うか。とはいえ「いらっしゃいませ」も言ってやらない。とにかくこの衣装、メイドのそれが恥ずかしくて、いつも以上に全てを斜に構える自分に、気がつきながらも私は自分じゃあこれが、どうにもならない。来る人達みんなに、適当に「…どうも」と言えば、しかしそれはそれで彼らの何かに火をつけたのか、「ツンデレ」と言われて騒がれる。うるさい、もう本当嫌だ。苛立ちが頂点に達して来たその時、他のメイド役の子が「いらっしゃいませ~」と可愛く声を上げたから、私もそちらへと自然と振り返って、けれど。


「いらっしゃらなくていい!」


「はあ?!」


つい、思い切り自分の本音が漏れたその先。そこにいたのは私服姿の謙。謙は私に急に暴言のようなことを吐かれて、驚きから目を丸くしている。あ、やば。相手が幸い謙とはいえ、思い切り本音が出てしまった。慌てて自分の口元を手で押さえる私に、謙は爆笑しながら言った。


「っお前、客に来るなって言うのかよ、メイドのくせに!」


謙らしい真っ直ぐな指摘と共に思い切り笑われて、私はちょっと、本当にちょっとだけ恥ずかしくなる。見れば他の視線を私は集めていて、それが益々恥ずかしくて。仕方がないから、もう。


「客じゃなくて、謙は来るなって意味よ!」


全部を謙のせいにすれば、謙は尚のこと、可笑しそうに笑った。


でも来てくれたから、一応もてなしはする。


「はい」


「はいってメイドさん、もっと愛想良い接客はないんですかね」


「ない」


「まじかよ」


頼まれた珈琲。それを適当に謙がついたテーブルに置けば、謙は私の雑も雑、素っ気なさと冷たさに溢れる接客態度を、さっと指摘してくる。メイドらしくないって言いたいんだろう。でも仕方がない。…あんな恥ずかしいこと、できるか。ちらりと見やった私の後方では、メイドをやっている同じクラスの他の女の子が、カフェに来た客に本物のメイド喫茶のそれのような、小っ恥ずかしいことをしていた。よく、あそこまでなりきれるよなあ。あれは最早ひとつの才能だ。私にはもちろん無理で、元から備わっていないタイプの。他所に、ちょっと意識を向けていると、その声は突然この教室…いや、今はメイド喫茶か。その中へと明るく響く。


「噂の可愛いツンデレメイドさんはいないかしら~!」



は?誰?わざわざこんな”ツンデレメイド”をでかい声で指名してきて、この3組…もといメイド喫茶に入ってきたのは、何だ。アシンメトリーボブ?とでもいうのか、そんな髪型の男?と。それにだるそうに続く男の、2人組。2人はさっさと中に入ってきて、それから律の姿を見つけると、言う。


「あら、発見!」


「木藤先輩」


アシンメトリーボブの男?に明るく、嬉しそうに声をかけられた律は、けれどこれはもう、いつものことなのか。落ち着いて言葉を返す。先輩ってことは、文字通りこの人は律の先輩か。てことはこっちも?目をやった、だるそうな男。そいつも律には何か、優しげに薄く微笑んで。


「よ、ツンデレメイド」


「やめてください、栗原先輩」


軽くからかわれて、律はそれを同じように軽く、あしらう。見る限り仲の良さそうな3人は、つか木藤に栗原って。律が所属する園芸部で、今年の9月まで部長をやってたその人と、部にいたその人じゃあ。思い出したところで、計ったように2人は俺のいるテーブルへと、当然の様子でついた。


「接客中かしら。ご相反にあずかるわ」


「は?」


「他校のやつか?知らねぇ顔」


「いや」


全くキャラの濃い2人に押され気味な俺に、しかしそこはやはり慣れたもん。律はいつも通りに、俺を2人へと紹介していく。


「これ友達です。皆川謙。」


「ども」


言われて軽く頭を下げれば、アシンメトリーボブの木藤先輩はにっこりと微笑んで、「木藤よ、よろしく」と言い。対照的に栗原先輩は表情をなくし、「栗原だ」と言った。まるで太陽と月並みに性格の違う2人に、何か静かに圧倒されつつ、俺は不器用な笑みを返す。そうすると、木藤先輩は唐突に、言った


「彼氏?」


「はあ?!」


その質問には俺も律も、揃って変な声が出る。な、何でそう思ったんだ。いや、その、俺としてはそう思われることはむしろ…と、何か舞い上がりそうになりながら、けれど律は違う。現実を思い出して、俺は自分の側に立つ律の様子を軽く、窺った。そこで律は何故か、顔を赤くし木藤先輩へと、詰め寄っていく。


「な、何でですか」


上擦ったその声が、何とか、自分で自分を落ち着かせようとしているのが、よくわかる。いや、何その反応。


「だって、出入口からずーっと2人を見ていたけれど、2人何だか、お似合いだったから」


「に…ちが、違います。彼氏とか、そんなんじゃあ」


「何だよ、これからか?」


「違いますって!」


木藤先輩と栗原先輩にからかわれるほど、照れて顔を赤くし、焦っていく律のその様子を見ていると、期待してしまう。そもそも、いつか。…そうだ、中学卒業の打ち上げ、そんなのをみんなでした時に。律は、自分に少し好意のようなものを見せた俺へと、それを鋭く感じ取って、何か怯えていたのに。あの時は、ほんのあれだけで怯えていたのに。何で今は、怯えるどころか律は、照れているんだろう。あーくそ、自分に都合良く考えるな…。からかわれているのはどちらかというと律なのに、こんなことを考えて俺まで1人、黙りこくって頬が熱かった。


小学生時代からの友人だという皆川と作間。2人の元を後にし、木藤は満ち足りたように言う。


「初々しかったわね!」


「まあ、そうだな」


こいつ、あの2人から生気か何かでも吸い取ったか?そう思うくらいの満足気な笑顔で、木藤が「初々しい」と評したあの2人はけれど、「付き合ってるのか」とからかえば確かにそんな感じだった。それに。


「りっちゃん、やっぱり前の人とは別れたのね」


丁度、考えていたことを先に木藤に言われて、俺は思わず口をつぐむ。何か、作間が前に少し俺達へと話してくれた、当時の作間の彼氏。それとは上手くいかない気が、お節介に俺も木藤もしていた。あいつの話をする時、作間は。


「そうだな」


俺が思い出せる限り、いつも「何かをしてもらった」話ばかりで。作間がその彼氏から大事にされていることは、全くの他人の俺や木藤にだってよくわかるのに。話を聞く限りそれはまるで、そう、作間が人形のようだった。それを望む女だっているんだろう。だけど作間は違った。どこかできっと、作間は気づいたのか。


「完璧って、不完全なのね」


悟ったように木藤が言うが、こいつにはそもそも彼氏が出来たことはない。つまり。


「…そうだな、時雨」


そういう、意味だ。

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