チャレンジ

普通に体を壊した。宿泊研修2日目、最終のその日、家へと帰ればもう、私は動けない。何とかここまで、「ただ疲れてるだけ」だと、私の体調は周りにはばれずに済んだみたいで。無事に家へとつき、すっかり気の抜けた私は布団に倒れ込む。うう、ハイキングなんてもう2度と行かない…。何とか、生きて帰っては来られた。最後は情けないことに楓と、それから日野とあろうことかあの、宍戸の手まで借りて。帰っては来られたけれど、これじゃ私の完敗。ああ、悔しい…。謙と、一ノ倉沢に負けた私は、その日一晩は死んだように寝込んだ。


帰ってスマホを確認すれば、そこには陸人くんからのメッセージ。「お土産買ってきてくれましたか?!」。ないよ、そんなの。それを見て思わずそう、内心で返してしまう。面白くて、可笑しくて。約束の3ヶ月。明日が、それ。…私は。素直に向き合いたい。陸人くんはいつも素直に私へときてくれるから、私もその分、素直に。今はその思いだけが、私の胸に宿っていた。


翌朝になっても、だるさは抜けない。熱は幸い下がった。元々そんなに高くなかったのもあって、さっさと。あーよかった、でも今日も寝てよう…。だるすぎてもう、何かする気になんてまるでならない。はぁ…。ため息をつきつつ、雑な部屋着で私は布団の中にうずくまる。本当にもう、ハイキングどころかアウトドアなんて行ってやるものか。体調不良はもちろん、きつい筋肉痛だって。こんなのは御免すぎた。


先輩、来るかなぁ…。て、先輩がこれまで俺との約束、すっぽかしたことなんてないのに、今日の約束だけはどうにも、そう不安になる。いつもの、駅。いつも、俺が先輩と会う時に待ち合わせにする、そこ。この後のことを考えると、どうにも落ち着かなくてそわそわと待てば、でも俺だいぶ早めにここについてる。約束の時間10分前。先輩は当然まだ来ない。う、うええ、10分ってこんな長かったっけ…?やけに長い、俺のこの時の体感の10分に、俺は思わず1人で顔を顰めて。あー、駄目だっ!何か、何かこう、違うこと考えよう!だけど好きなバスケのこと考えても、楽しみにしてる新作のゲームのことを考えても、それを飛び越えて、俺の頭の1番前に出てくるのはやっぱ。


「陸人くんっ!」


「ひゃあっ?!」


先輩で。先輩なのに、あれ、え。いつの間に先輩は俺の前にいたんだろう。心配そうに俺の顔を覗き込み、先輩は俺の様子を窺っている。あ、あーと…。


「ど、どうも!」


慌てた俺は何か適当に挨拶して、けれど反するように先輩はいつも通り。


「陸人くん、大丈夫?ぼーっとしてたから、心配になっちゃった」


どころか余裕を持っているように見えて。自分が受けた告白の返事をする日。そんな時でも、先輩は優しく俺へと心配をしてくれる。はぁ、先輩ってほんと優しい、おおらか…。だけど何か悔しくて。先輩を素敵だと思うそれと同時に、あんまり俺って先輩に意識されていないのかと感じて、悔しくて。うう、でも今日俺は絶対勝つ!


「平気です!」


つい、昔からいつもバスケばっかしてきた俺は、先輩と付き合えるかどうかのこれさえも、勝負事のように捉えて。絶対勝つんだ。強く意気込んだってでもそれは、俺がいくら頑張っても、答える先輩次第のもの、だった。


寝込んでたって、でも途中から暇。私は昨日までの宿泊研修で、SNSの連絡先を交換していた木村さん、桃井さんとグループ通話をする。もちろん雑な部屋着のまま、布団の中で。


「そういえば桃井さんの苗字って、graineのももくんと一緒だよね」


そんな中で、アイドルとかイケメンとか、そんなのが好きな2人の話は、やがてそっちの方向に行き。


「そーなの!ももくんと一緒なのー!もしかして木村さん、ももくん好き?」


男性アイドルグループ、graineの5人組の可愛い担当とでも言えばいいか。そんな感じの立ち位置にいる桃井れおと、苗字が同じだと言われた桃井さんは、興奮気味に頷くと、そう木村さんへと聞く。それに対し木村さんは、至ってさっぱりと応えた。


「いや、信也くん推し。作間さんは?」


上で私へと聞いてくるから、私もさらっと答える。


「黒崎推し」


言えば何か桃井さんから「ひゃー!」と、悲鳴のようなものが上がって、あれ、私何か変なこと言ったかなと思う。木村さんが答えた信也が元気キャラなら、私が答えた黒崎コウはgraineのリーダーであり、ものすごいストイックな人。いつだかテレビのドキュメンタリー?か何かで、黒崎が特集されていたのを見て、普段ステージで堂々と振る舞うその姿の裏側。だけど現実では、本当塵ひとつレベルの努力さえ妥協しない黒崎のストイックさに、惹かれたんだ。こういう人は好きだなって。いつか見たそのドキュメンタリーを、何となく思い返す私に、木村さんは言う。


「さすが作間さん。好きなアイドルまで大人~!」


「は?」


どういう意味?言われたことがわからなくて、私は思わず、自分の横に置いていつもの通り、スピーカーにしていたスマホを見る。黒崎が好きだと大人なのか?私の中での大人のイメージは、graineの中なら花柳なんだけど。花柳はいつも何か余裕あるし、その礼儀正しさ育ちの良さがもう、テレビを挟んでたって伝わってくる。もしくはそれ以外なら、ダントツでKIRAの2人。特に…苗字忘れた。あの、陽平の方。雰囲気やらはがっちがちの俺様キャラの、それ。でもあの人も相当ストイックらしい。ちょっと前にルミカが「より惚れた!」とはしゃいでたから、少しだけ知っている。才能ばかりに甘えず、努力で自分の望むものを勝ち取るのはやっぱ、かっこいいな。それはすごく難しくて、すごく、簡単なことじゃあないけれど。私もいつかそうなれたらいい。今は何も、夢なんてひとつもないけれど、本当にいつか。おばあちゃんになってからだって、何も遅くはないんだから。



「りっちゃん、おはよう。少しは疲れ、とれたかな?」


「はよ、まあましってとこかな」


土日は重たい体のままにずーっとだらだらして、そのまま月曜の朝。また私と楓はいつも通り、私の家の前で待ち合わせて、学校までの道を共にする。互いが小学校1年生、その頃からずっと変わらないこれは、でも始めた時はまさか、高校生になっても楓と2人、変わらずに並んで歩いているとは思っていなかった。身長の差は、だいぶ出た。あの頃私と楓はほとんど同じくらいの背丈をしていたのに、今ではすっかり、私は楓に見下ろされて。ていうか私を見下ろさないやつには、今ではもうあんま出くわさない。文太も、謙も宙も、こやたも万理華も。梨々花達、早川さん、木村さん桃井さん、挙句日野や宍戸に矢谷?そいつらまでみーんな私より背が上。目線が上。私はいっつもみんなから見れば下。まあいいんだ。


「そっか、ならよかった!」


ちびにしか見えない世界って、結構あるから。こうやって、大事な友達の笑顔が見やすいとか、ね。


にしたって今日の楓は何か上機嫌だ。行きの電車。1人でずっとにこにことしている楓に、私はちょっとからかいがちに聞いてみる。


「で?何かいいことあったの?」


「えっ?」


聞けばその瞬間、驚いたような楓の声。そうしてすぐ、次には戸惑いきった「え、え…」の声、どころか最早音。はは、絶対何かあった。思わず謙にするような半笑いをしそうになって、でも相手は楓。私は慌ててそれを抑えると、とりあえず普通に聞いてみる。


「何があったの?」


「…その、彼氏ができたの」


聞けば、でもそんなの楓なら、これまでだって何度も、どころかいつものことじゃない。なのに何を恥じらうのか。この時の楓は珍しく俯いて、少し顔を赤くしていた。よくわからなくて、私は小さく首を傾げる。


「よかったじゃん?久しぶりの彼氏」


「う、うん…」


私が普通にそう言っても、でもやっぱり戸惑いがちな楓の声音、返事。何か、今回の彼氏は楓の中で、これまでのやつらとは違うんだろうか。それならそれで、良い意味で違うといい。これまでの人達とは、楓は付き合っていても何も、楽しくなさそうだったから。


教室につけば、やっぱこれ。


「おはようございます、律子さん!」


本日もお嬢様感満載。あーはいはい、ごきげんよう~。内心のそれはさすがに嫌味が過ぎるので、私は自分へと挨拶をしてくれた早川さんへと、庶民の挨拶を返す。


「はよ」


正直、早川さんより木村さん、桃井さんの方がまだ付き合いは楽だ。早川さんは何か…キャラが濃い。濃すぎる。個性豊かでいいことだけれど。ちょっと私にはお腹いっぱいかな。思いつつ席について、そこへ。


「おはよう、作間さん!」


「ねぇねぇ、昨日のテレビ見た~?星羽ちゃんの!」


木村さんと桃井さんが丁度よく現れて、私に当たり前に話しかけてくる。あれ…。それに何か、私は。


「私、見ました!同じ音楽番組でSternの2人が、それぞれ別に楽曲を披露されるなんて、新鮮でしたね!」


私の席の周り。早川さんまで自然と加わり、数人の女の子達に囲まれる自分は。まるで人気者の楓のようで、そんなふうに考えてしまった自分に、何か私はおかしさを感じていた。おかしいな、私は日陰者なのに。それはいつまでも、そうであるはずなのに。なのに何か少しだけ、私は日の目を見てしまったような気がして。


「ももくん月子ちゃんのタッグが推し、推しっ!」


「星羽ちゃんの正統派アイドルパワーもいい!」


「まあお2人とも、推しがはっきりしてて羨ましいです」


それが嬉しくてくすぐったいけれど、だけどこんなアイドルの話は、私にはよくわからない。いやさすがにSternはわかるけど、桃井って月子ちゃんとタッグ組んでたっけ…?グループの垣根越えて?そもそも何をどう。ぐるぐると考えこむ私に、桃井さんは言う。


「作間さんは、月子ちゃんと星羽ちゃんなら、どっち派?」


「どっちもあんまり」


「ええ~!」


素っ気ない私の反応に、3人が揃えたように声を上げる。変なとこで息ぴったりなの、あんた達。でもさ。


「ていうかそろそろ、その”作間さん”っていうの、やめてくれない?」


気づけばみんなからのその、よそよそしい呼ばれ方が嫌になってきたんだから、早川さんごとひっくるめて、みんな私の友達にさっさと昇格だった。


それからみんなで改めて自己紹介しあって、私はようやく早川さん以外の2人の名前を知ることに、なる。


「桃井このみです!」


このみ、ね。


「じゃあこの、よろしく」


このみ、という名前なら何となくそう略したくて、呼べば、このは驚いたようにその目を丸くし、それから嬉しそうに、晴れやかな笑顔を浮かべる。


「うんっ!」


元気よく返事するこのに続いたのは木村さん。彼女の名前は何て言うんだろう?何か興味深く、耳を傾けて。


「木村千鶴。漢字だと画数多くて面倒ね」


はー。ああ、何か木村さんのイメージにあってるかも、千鶴って。こっちはそのまま千鶴と呼びたいな。


「確かにね。千鶴、よろしく」


「うん!よろしく」


思って試し呼びも兼ねてそう言えば、千鶴は少し大人びた笑顔を見せた。次に続いたのは、私はもう知ってる。早川秋歩。


「早川秋歩です、よろしくお願いします」


私達へと丁寧に深く頭を下げる彼女は、本当にお嬢様。育ちの良さが服着て歩いてんの?って感じ。そんな秋歩にこのが慌てて応じようとして、でもこんなことにはもう慣れている私が、それを適当に止める。


「あーいい、いい。秋歩はこういうキャラ。気なんて遣うだけ無駄」


最早秋歩との間には、余計な気は私は置いていない。だからそう言えば、頭を上げた秋歩も綺麗に微笑んで、言った。


「ええ!律子さんの仰る通りです。らしくいきましょ、らしく!」


何かを、熱弁するように。らしくっていうのは納得だけど、急にどうした、あんた。まあ、とりあえずそれは放っておいて、私も。そう思い、私もみんなに続いて名乗ろうとした時、3人は合わせたように口々に言う。


「りっちゃんでいい?」


「りっちゃんがいいよねぇ」


「りっちゃんに3票、決定でよろしいですか?」


…いや、何でも、いいけどさ…。やっぱり”律子”という名前なら、あだ名はそれに限るのだろうか。何かちょっと3人の勢いに押されて、私は一瞬の間を置き、けれど確かに頷く。


「…いいけど」


「やりましたっ!」


私の返事に1番にはしゃいだのは、秋歩だった。


同じクラスの作間律子は人気者だ。あんなふうになれたら、私もこの高校生活、どころかこれまでの学校生活、全て楽しかったのかななんて、彼女を見ているとよく思う。作間律子はいつも、クラスの中でも人気のある早川さんや桃井さん、文武両道で優秀な木村さんに囲まれて、楽しそうで。その上最近はもう、校内1と噂のイケメン、宍戸陽真に声をかけられているところさえ、見る。なのに。


「律っ!」


あ、まただ。霊峰青海なんて、偏差値がそう高くはないここには不釣り合いに、優秀すぎる鳳明高校の制服を着て夏の校門に立つ、その人。その人はたまにこの霊峰青海の校門前へと現れて、作間律子を待ち、彼女を見るとそれはもう嬉しそうに、抱きついていた。むかつく。それを見て無性にそう思う。だって作間律子は聞く限り、見てる限りあの宮寺さんとも仲が良くて、宍戸くんにも気に入られてて、その癖。こんなに可愛くて、かっこいい秀才が、彼氏なんでしょ?彼女のその人間関係は、プロフィールはどこの少女漫画なの。いかにもお嬢様って見た目して、なのにすごいギャップ。中身は至って普通の、どころか一匹狼タイプの飾らない女子って感じで。だっていうのに声も容姿もすごい可愛い。入学式のその日から、作間律子は周囲の視線を宮寺さんと共に、多く集めていた。「あの子可愛い」って。対して私は。…不細工で、運動も勉強も苦手で、友達だっていない。頑張ったって何も上手くいかない。まるで、結果が出たことがない。何もかも、あれもこれも全部。鳳明高校の可愛くてかっこいい彼氏に抱きつかれ、薄い笑みを、なのに幸せそうに浮かべる作間律子の近くを過ぎながら、私は彼女を呪う。何でもある人は、いいな。努力なんてしなくて良さそうな人は、本当に。そう、しっかりと強い気持ちを込めて。



「もう暑くて死にそう」


律が気だるげにそう零す。もう十分夏、どころか昔ならば秋と呼べるこの時期。暑さに弱い律は、うんざりしたように俺と共に帰路についていた。


「まだ7月なのにね~。これから更に暑くなるとか、ちょっと人類の適応能力超えてくるよね」


「ほんとそれ」


近年の日本の暑さは最早、日本人向けのものではない。だからついそう返せば、律はわかっているのかいないのか。けれどとにかく暑いのは嫌なのだろう、短く頷く。うーん、何か良い手、あるかな~。子供の頃から暑さが苦手な律に、俺は今何ができるかなと、ぼんやりと考えていた。


にしても、平和だ。最近暑いこと以外は本当毎日、平和。家事もバイトもNGで、部活もやる気無しな私には、ちょっと、退屈がすぎる。文太は文太でずっと理化学部?というのに入っているらしく、その名前だけでは、馬鹿な私に具体的な部の活動内容、というのはまるで浮かんでこず。聞いたってわかる気がしない、だから何も聞かずに諦めた。敵前逃亡する方が、賢いことも時にはある。早々に帰った家。思いつく友達はみんなきっとまだ、部活とか。文太は今日は早かったから、私のところに来てくれた、それだけだし。謙は当たり前にバドミントン。宙は部活にも属さず、小学生から変わらず図書室で本の虫。こやたは何か、ちょっと前に聞いたら書道とか言ってたな。確かにそれは何か、あいつっぽい。梨々花達もそれぞれ部活やってるし、それこそ何もやってないのなんて、私と楓、叶恵くらい…。楓は、「お母さんを支えたいの」って言って、それで。というかあの子は部活なんてやらなくても、小さい頃からずっと習っているピアノがある。高校受験の時にはだいぶ控えていたから、つい忘れがちだったけれど。いつだかコンテスト?があるって言ってたな…いつだっけ。それで叶恵。叶恵はちょっと前に会ったけれど、髪をばっちりピンクに染めて、もうこてこてのギャル。なのに中身は変わらない、曲がったことが嫌いないい人のままなんだから、いつか私や楓、梨々花達が心配していたようなことには、今のところなっていないようで。「りっちゃん、その制服めっちゃ似合ってるよ!」。明るく褒めてくれた叶恵の笑顔、嘘がなくて好きだなぁ。その時のことを思い出してぼんやりと、私はそう思う。でもそう、つまり。大した理由も何もなく、部活をしていないのは私と叶恵くらい。他にも、天音は当たり前に美術部。秋歩は校外の習い事。このは料理研究部で、千鶴はテニス部らしい。は、みんなすご、青春してる…。んー、せっかくだから私も何かやりたいことを。そう思い、考えてもう、入学から早3ヶ月。カレンダーは7月。だいぶ、出遅れた上に未だに私にはやりたい部活というのが、ない。どうしよう…。このままじゃ暇だし、何かやりたい。でもやりたいことがない。…こんな時は。私は自分の通う高校に、一体どんな部活があったのかなと、自室の椅子に掛けたそのままで思い返してみる。ぱっと浮かぶのはやっぱ運動部。だけど私は運動がくそほど苦手。体力なんて壊滅的にない。だからさすがにいきなりそこに挑むのは、自殺しに行くようなもん。となると、やれるのはせめて文化部で。…よし決めた。園芸部。これ、やろう。私が今まで生きてきた中であまりやったことがなくて、現状では壊滅的にない体力や腕力を無理なく鍛えられそうで、ついでに植物に癒してもらえる、そんな三文の徳のやつ。…あ、でも虫と日焼けだけはやだ。やるなら、日焼け止めと虫除けだけはしっかりしておこう。とりあえず、明日ちらっと…見学を飛ばして入部届出しちゃえ。思い立った時が、行動をする時。少なくとも私はちょっと考えたら多分、そこで「待てよ」となり、躊躇ってしまう。あまりに無謀でなければ勢いも大事だ。私はそう、自分へと思っている。


翌日の放課後。入部届を片手に、園芸部の顧問の先生のところに行けば、それよりも。


「1年生?!それも夏休みを前に入部?!やだ最高っ!」


その時顧問と一緒にいた、3年か何か?とにかく私より先輩っぽいその女子生徒が…ん、女子生徒?よく見れば制服は男子。声は可愛い感じだけど低め。でも化粧してるし、特徴的なアシンメトリーボブがめちゃくちゃ似合ってる美人なその人は、ん?混乱して、目を白黒させて自分を見つめる私に、その人は言う。


「やだ、ごめんね!私一応女だけど、ほら!…ねっ!」


具体的に言葉にされなかったそれは、でもすぐに察した。あー。それを聞いて私は顧問の先生へと、言う。


「何で制服、女子のやつにしないんですか?おかしいですよ」


そうすれば、困り果てて曖昧に苦笑を浮かべた顧問の先生とは裏腹に、話の中心である先輩の方が、より早く私へと口を開いて。


「嘘、こんな早く私のめんどくさい性別身体問題を理解して、その上庇ってくれるの?あなた、いい子ね」


そう、言われたけれどよくわかんない。だってこの人は女なんでしょ?今自分で言ってたじゃない。なのに、男子用の制服を無理に着せられてるなんて、おかしい。校則はあくまで校則なのであって、独裁をしてはならないはず。だから私は、適当に言葉を返した。


「何がですか?」


何が「いい子」なのか、私はこの先輩から何を驚かれているのか。彼女は私を見て上品に微笑むと、顧問の先生へと目を移し、言った。


「入部、断る理由ありませんよね?」


「断るなんてそれこそおかしな話だよ」


相変わらず、何か苦笑を浮かべながら、顧問が口にした言葉が妙に私には引っかかる。”それこそおかしい”なら、この先輩がどうして男子の制服を着ているのか?私からすればそっちの方が、”それこそおかしい”、であった。


そのままその先輩…彼女は園芸部の部長なんだそう。木藤先輩に私は手を引かれ、「善は急げ!」と、「せっかくだから今日は見学していって!」と言われる。見学と入部届の提出がまるで逆じゃあ。思うそれは自分の心の内にそっとしまっておいて、木藤先輩に手を引かれて行った先。園芸部の部室を、私の前を行く木藤先輩は元気よく、開いた。


「みんな聞いて!新入部員よ、来週からの!」


「来週からかよ」


木藤先輩が部室の扉を開き、そう言った瞬間、中にいた部員達が全員こっちを見て、それから何か嬉しそうな反応を各々したのに、何かこの扉のすぐ側、部室内から鋭く落ち着いたつっこみが入る。そう、来週から。私はそのつっこみに心から深く、頷き、ていうか今のはどっからと、周りを軽くキョロキョロと見回した。そんな私の手を引いたまま、木藤先輩は部室の中に入ると、入ってすぐ左手側、黒板の真ん前。教卓のそこにいた目つきの悪い男子生徒に、正論を言われたからだろうか。突っかかる。


「何よ、いいじゃない!活動は来週からだけど、気分はもうこの瞬間から、私達の仲間よ!」


「あっそ」


熱弁する木藤先輩に対し、応えた男子生徒は全く素っ気ない。立ったまま、教卓にだるそうに頬杖をついて、木藤先輩のことすらその視界に入れておらず。…あー何か、いつもの自分を見てるみたいだわ。無性にそう感じて、だけど瞬間、その男子生徒と目が合う。けれどそれはすぐに向こうから外されて、まあ、一応新入部員が来たことは意識しているのか、こいつ…?と私は思った。見ている限り、多分この人は木藤先輩と同学年、つまり3年の先輩なんだろう。早く名前と顔を覚えないとな。私の最も苦手とする分野、と言ってもいいかもしれないそれに、1人軽く意識が向いた時、男子の先輩が木藤先輩へと冷たく言い放つ。


「お前それいつまで手ぇ繋いでんの?お前の馬鹿力じゃその子の手、折れねぇ?」


「あっ!」


言われた瞬間、木藤先輩は私の手をぱっと、慌てて離した。最早捨てるかのように。はは。2人のそのやりとり、木藤先輩の反応。それに密かに呆れ笑いを浮かべる私に、木藤先輩は申し訳なさそうに言う。


「ごめんね!痛かったでしょ」


「いえ、別に」


それに対し短く応えれば木藤先輩は、「よかった~」と明るい声を上げ、安堵していた。


あの目つきも口も悪い先輩は、栗原先輩というらしい。木藤先輩が園芸部に入ったばかりの1年の頃。園芸部は今より廃れていて、部員が足りなかったからそのために、木藤先輩により無理矢理ここへと、所属させられたのだとか。ふーん、だからあんなにやる気なさそうなのか。まあちょっと可哀想かも、ちょっとだけ。ていうか木藤先輩って何かその雰囲気通り強引、容赦ないのね。第一印象を裏切らないキャラは悪くない、好き。こやたと知り合った時にも似たようなことを思った、ような気がして、私はそれに何か、もう懐かしくなる。こやたと知り合ったのは、まだ去年のことなのにね。これから来る夏休みに向けて、今の園芸部は野菜の苗を植えているとかで、私は木藤先輩の手伝いをしながら、適当に木藤先輩と言葉を交わしていく。


「昴…栗原とは腐れ縁なのよ。りっちゃんにもいる?そういうの」


その中でふとそんなことを聞かれて、私の頭の中に第一に浮かんできたのは謙の顔。でも。腐れ縁っていうかあれは、謙との縁は私にとって、かけがえのないものだから。家族でも恋人でも、友達でも補えない、謙だからこその何か。私にとって謙とは、そういう人。きっと、木藤先輩にとっても栗原先輩は、そうなんじゃないかな。じゃなきゃ何か、あんな楽しげに、互いに言葉を投げつけ合えない気が、して。生意気にも私は木藤先輩の顔なんて見ず、手元の作業をこなすそのままに、色々知ったかのように答える。


「いますけど、いません」


「あら、私には難しいな」


対して木藤先輩はしっかりと、野菜の苗を植える手伝いをする私の横顔を見て、綺麗に笑っていた。


新入部員だというそいつはどうにも、体が細いし、園芸部に向いてるようには見えない。特に夏場の園芸部なんて地獄も地獄。年中やる校内の雑草抜き、花壇の手入れに加えて、今植えているこの野菜の苗の世話が始まる。園芸、と聞くともっと何か楽なものをイメージして入ったのか。考えの浅さが目に見えて、作間律子…木藤がりっちゃんと呼ぶそれを、俺は軽く睨むようにして盗み見る。まあ、俺ら3年は9月で部から消えるわけだからいい、あいつがどうなっても知らない。とても、この園芸部の活動にはついていけなさそうな作間を、俺は改めてもう一度、見た。


園芸部って意外とハードだ。見学、という名の実際は体験だったそれを終えて、今日はもちろん楓とは別々。夕方の帰り道を行けば、ちょっと疲れたかも。今日はあくまで、木藤先輩の活動を手伝っただけだというのに、私ってどこまでも体力とかがない。だけど、だからこそあのハイキングで思ったんだよなあ。1番苦手なものに、取り組もうって。つまり運動とか、それに近いものに。今の私には全くない体力だの腕力だのって、あった方がきっと得すると思う。この先社会に出るなら特に、すぐに電池切れを起こしていては、私はまるで使えない駄目人間だ。仕事ができるかどうか、の問題ですらない。このままでは能力がわかるその前から既に最早、未来の私は戦力外。そうなりたくない。はあ、頑張ろ。特に夏休みの園芸部は過酷だと、木藤先輩から今日聞いた。「覚悟しててね?支えるけれど!」という力強い言葉と共に。支えてくれる人がいるって、いい。ただの先輩後輩の間柄でも、嘘でもそう言ってくれる人がいるって、何か。文太と付き合い始めてから、私は特にそう思う。1人じゃないっていいなって。…いつか私の父親は、ずっと1人だったのだろうか。だから寂しくて、家族も誰もいない単身赴任先で、自分の方へと向いてくれた唯一のその人へと、すがりついてしまったのだろうか。いつか、私にもその気持ちが理解出来る時が、くる?理解したいけれど、理解したところで不倫の全てを、許したくはない。許されてはいけない気がする。考え込むあまり、自然と俯きがちになっていた顔を上げれば瞬間。複雑で生ぬるい、夏の風が吹いた。

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