噂の人は
「ねぇあの人誰?かっこよ」
「鳳明中学の制服じゃん。エリート?」
バレンタインの翌週。週初めの月曜日。何か、今日は随分昇降口が賑やかだな。下校時、いつも通り楓とそこに行けば、周りはみんな、「校門にいる鳳明中学のエリートイケメン」について話していて。なんじゃそりゃ、鳳明中学のエリートイケメンって。まあ鳳明中学といえば、当たり前に偏差値70超えだ。確か…73?全国トップだったはず。しかも中高一貫男子校。何で知ってるかって、そこは私の友達の文太が通う名門校だから。何だろ。イケメンかどうかはともかく、鳳明中のエリートがこんな平々凡々な中学に、何の用事?興味があって、ちょっとその人集りを覗いてみる。
「どんな人が来てるんだろうね?」
そのエリートイケメンの周り、軽い人集りのそこ。私も楓も興味心のまま、そこへと軽く近づいた。その時。
「あっ、律!」
人集りの向こうから、なのに私達が人集りへと到達するよりもずっと早くに、よく聞き慣れた声にそう呼ばれる。は、まさか。この人集りに囲まれて、なのに目ざとくこんなちっちゃい私を見つけたそいつはやっぱ、私目掛けて一直線。軽く駆けて来るともう、止まらない。
「律っ!」
そのまま思いきり私に抱きついたのは、言うまでもなく当然文太。鳳明中学3年。確かにエリート。でも…イケメンか?私にはよくわからない。だけど文太が私へと抱きついたその瞬間、文太を囲んでいたうちの中学の女子達が、一斉にどよめく。
「律、会いたかったよ!」
だけど文太は相変わらずマイペース。周りの反応なんて何も気にしない。ついでに私と楓の反応も。驚いて目を丸くする楓に、まじかよと据わった目をする私。そんな私達に一斉に目を向けられても、文太は私に抱きついたまま、絶好調の笑顔だった。
「…何でここに」
それからようやくそれだけを私が絞り出せば、文太はやっと私を離して、笑顔で言う。
「律が待ってるって言ったから」
いや、言ったけど、それは。
「ほら帰ろ?律っ」
呆気に取られていると、あろうことか文太は楓さえ置いて、私の手を取り歩き出す。何、どういうこと。戸惑う私以上に。
「…へ、えっ?」
更に戸惑う楓の声が、この背に小さく聞こえた。
それから何とか私は2人の後を追いかけて、続くけれど、文太くんが見るのはりっちゃんばかり。その姿はまるでもう、後ろから見る限り。
「ねぇ、せっかくだから寄り道してく?」
「しないって。私勉強が」
「それなら俺が教えるよ、ね」
恋人、みたいで。仲良く手を繋ぐそれは、文太くんだから、りっちゃんは許しているのかな?それともその、りっちゃんは文太くんが好きとか…?ま、まさか。りっちゃんの男性恐怖症や、恋愛…恐怖症?と言っていいのかわからないそれは、そんな簡単には治らないはず。悲しいけれど、でも確かに。だけどりっちゃんは。
「楓がいるからいいって」
「俺の方がわかりやすいよ、保証する」
何か、自分を優しく見つめる文太くんには特別、心を許しているように見えた。
文太がどうしてもって言うから、仕方なく私と楓のいつもの勉強会に、この日は文太も加えてやる。文太は帰り道で言った通り、私へと確かにすごくわかりやすく、様々なことを教えてくれた。意地悪く色んな教科の、どんな範囲を聞いたって、文太は一瞬で、まるで検索エンジンのような正確さと、なのに人間特有の知識の豊富さ、臨機応変さで、全てを教えてくれて。すごい。鳳明中に通うエリートってみんなこんななの?文太とは、中学進学で別れて以来、これが2度目となるまともな交流で。初めて、というか久しぶりに、文太の異常なくらいの頭の良さを見せつけられて、でもそれは小学生の頃よりもずっと天才的になっていたから、私はもちろん楓すらも絶句する。楓だって、私と一緒に霊峰青海を目指すまでは、偏差値71の高校を目指せるくらいの、頭の良さだったのに。それでも、そんな楓からしても文太の頭の良さというのは、やっぱり異常らしい。そんな文太を今日限定で味方につけた私に、楓は文太がトイレで席を外している間に、言う。
「りっちゃん、これは絶対、毎日じゃなくても文太くんに来てもらった方がいいよ」
すっごい真剣な眼差しで、珍しく力強い声音で。て、言われても。文太は気まぐれ。今日私のところに来たのだって、バレンタインの時に私が、「待ってる」と言ったから、なだけであって。…明日も、その次も来てくれる確約なんて、きっとできない。何か自信がなくて、私は楓のアドバイスに「うん」と言いつつも、僅かに顔を俯かせる。まあ、文太がいれば確かに心強いのはわかる。合格の可能性が、もう試験が間近に迫った今からだって、めちゃくちゃ跳ね上がることも。でも。何か自信がない。文太との間にある繋がりに、何か。会えば文太は私にべったりなのに、どうして私が「待ってる」と言うまで、文太は私に自分から、関わることをしてくれなかったんだろう。そこだけがずっと、引っかかっていて。
「…はぁ。文太くんってやっぱりすごいなあ。私もあんな風に、頭が良かったら…」
楓のため息混じりの嘆きを聞きながら、私も心の中で、言葉にならない何かを嘆いていた。
本当文太くんってすごい。見ているとそればかりだ。文太くんがいれば、私の出る幕なんてどこにもない。本当にどこにも。でも。
「わ、正解。よくできました~」
特有のほんわかとした、昔から変わらないその調子で話す文太くんは、問題に正解したりっちゃんの頭を、当然のように撫でる。りっちゃんもそれを「あってた?」と聞くだけで、何も気にしない。…う、ほんとに。恋人同士の何か、勉強会を見ているみたいで。文太くんをこの先の勉強会、ラストスパートには、巻き込むべきだと思う。でもりっちゃんと文太くんのこのやりとり。恋人みたいなこれ。これを見ている私の方が恥ずかしくて、頭がオーバーヒートしそうだった。
19時頃。今日はもうお開きにしようとなった時に、私は楓から「りっちゃん」と小さく声をかけられて、仕方なく文太へと声をかける。
「…ねぇ」
「あ、明日も来るからね?俺」
でもその時、私が文太へとかけた声に被せるように、そう言われて。
「…は?」
願ったり、叶ったり。だけど思いもしないそれに、私も楓も目を丸くする。文太だけがいつもの笑顔で、私へと言った。当然に、堂々と。
「律が待ってるって言ったから、これからは毎日来るからね。勉強も、何でも教えてあげる~」
文太らしくゆる~く、なのに何かとんでもないことを言われて、私は目を丸くして固まったまま、言葉も出ない。いや、毎日、って。んな、毎日じゃなくていい…。思わず心の中で突っ込むけれど。
「…あ、ありがと」
そんな自分の心の声とは裏腹に、確かに嬉しい自分もいて。私は何か恥ずかしくなりながら、とりあえずそう返しておいた。
翌日も、文太くんは本当に来た。相変わらず、私達の中学校の校門まで、わざわざりっちゃんを迎えに来て。そこから私の家まで私達とともに、帰る。そうしてまた、まるでりっちゃんと恋人みたいな感じに勉強をして、それで。
「じゃあまた明日ね」
文太くんらしい可愛い笑顔で、「また明日」を約束して、帰っていった。その背を見送り、私とりっちゃんはどちらからともなく、顔を見合わせる。文太くん、急にどうしたんだろう?こんなにたくさん、突然会いに…私達の受験勉強に、協力してくれるなんて。心に浮かぶ疑問は2人とも、一緒だった。
「りっちゃんにさ、かっこいい彼氏ができたって噂になってるよ~。それも鳳明中のエリートイケメンだって!」
そんな毎日を繰り返していれば、入試のその日を目前に控えた中でも、そういった噂は自然と立つ。叶恵が面白い話を掴んだように、私とりっちゃんへとそう言って。それに私は、いけない、とつい思った。りっちゃんは、性的に男の人を意識するような話…つまり恋愛とかそういったものが、苦手。ただの、純粋な恋バナであっても、りっちゃんにとってそれは恐ろしいもの。それはりっちゃんの凄惨な過去が、りっちゃんにそうさせていて。だから慌ててりっちゃんの様子を窺えば、だけどりっちゃんは。
「彼氏じゃないんだけど」
至って冷静に、落ち着いたまま、そう言った。あれ…?それに1人、戸惑うのは私。言われた叶恵は「えー!じゃあ誰、あのエリートイケメン」と、逆に興味津々そうで。それにやっぱり落ち着いたまま、応えていくりっちゃんを前に、私は頭の中がこんがらがってくる。…りっちゃんは、文太くんなら手を繋いでも、頭を撫でられても、恋人なのかと疑われても、怖くないの…?りっちゃんが恋愛の意味で怖がらない男の人なんて、そんな対象なんて私、これまでに1人も知らない。でもそうだ。文太くんはそもそも、小学生の頃からりっちゃんに対して、好きって感情表現が豊かで、抱きついたりしてるのに何も…。あれ、そもそも文太くんが昔からりっちゃんへと表している、好きってそもそも…?考えれば考えるほど、深みにはまる。あ、う、ん…?叶恵とりっちゃんの会話はもう、私には遠く耳に入らない。今の私の頭の中は、りっちゃんと文太くんの、その不思議な関係性で満ち満ちていた。
それからすぐに入試は本番を迎える。学力検査の方は楓と、最後に投入した鳳明中学のエリートイケメン、文太のおかげで自信の出来だった。でも、面接の方はやっぱちょっと、苦手。もちろん死ぬほど練習はしてきた。だけど、どうしても私の雑さっていうか、人柄…そんなものが出てしまう。…まあ、いいか。偽った自分で入学が叶っても、何か違う気がするし。7月頃からがーっと駆け抜けた、中3の時間。怒涛のそれがようやく、終わった。
合格発表までの時間は、もう全力を出し尽くして疲れたから、私はいつかの自分が送っていた毎日を、久しぶりに、だけどいつも通りに過ごす。楓も、「きっと大丈夫だと信じて、そうしよっ」と言ってくれた。家事と、学校と、楓達と。それから何故か。
「あ、俺こっち手伝う~」
相変わらずにこにこ楽しげな笑顔の、文太。文太は私の入試が終わっても、ずっと私にべったり。毎日うちの中学まで私を迎えに来ては、楓と私の間に割り込んで一緒に帰り、果てにもう、私の家で家事の手伝いまでするようになった。…いや、助かるからいいんだけど…。まさか、あの時言った「待ってる」の一言が、こうも文太を引き寄せるとは思っていなくて、私はまだ内心、呆気に取られたまま。なのに。
「…ふ、下手」
自ら手伝うと言ったそれ、野菜の切り方。めちゃくちゃ下手で、私は思わず笑ってしまう。そうすると文太は、ちょっと困ったように笑った。
「あはは、そう?ご愛嬌で」
そんな言い訳を述べながら。何だろ、文太とこうして毎日を過ごせることが、最近の私はすごく嬉しい。何だか昔に、戻ったみたいで。ずっと、私にべったりだった文太が、戻ってきてくれたみたいで。どうしてそれが嬉しいんだろう。わからないけれど、確かにわかるこの嬉しいを、私は今、ただ大切にしていた。
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