今年も君に

「あけたねー」


「おめでとー」


「よろしくー」


冬休み明け。叶恵や梨々花達と顔を合わせれば、今年はそんな気のない挨拶から始まる。相っ変わらず元気なのは梨々花くらいか。3年の人達はみんな何か、目前に迫る受験にそれぞれ少なからず、ぴりついていて。ただすれ違うだけの相手でさえそう。…あー、なんか、やな空気。あんまり、ギスギスしたくないわ。そうしてぴりつく周りに比べれば、私や楓達はまだ優しいもんで。というかほぼいつも通りだった。


「ねぇバレンタインさ、誰にあげる?」


こんな、くだらない話題が出てくるくらいには。…は?ルミカが口にしたその質問。それに真っ先に応えるのは梨々花。


「はいはい!彼氏~っ!」


あーいやそりゃ、そんだけ性格良い彼氏持ってて愛されてて仲良ければ、梨々花はその彼氏一択でしょうね。いつだか、見かけたことがある。放課後。すんごい仲良さそうに、昇降口から校門へと、2人で寄り添いあって帰ってる、梨々花とその彼氏の姿を。まあ、梨々花はそう、そうだよ。そんなのは聞いたルミカもわかってたみたいで、明るく「だよね~」と返した。それから「みんなは?」と向けられた視線に、今度は叶恵が応える。


「私も彼氏かな。あとは、女友達全員。」


ああ、友チョコってやつ。え、待って。全員ってことは、私もそれ返さなきゃいけないじゃん…。ちょっと面倒だな。せめてバレンタインがこんな、受験シーズンに被ってなけりゃ。無謀なことを思って、そんな私の前でルミカの質問に続くのは愛。


「私も友達かな…男の子にはあげない」


あーうんうん。そもそも愛って男嫌いだ。清楚だからモテるのに、「男の子って何かやだ」とか言って、いっつも告白されたところで振ってる。そこには同意。楓は誰かにあげるのかな?気になって、私は自分の隣に並ぶ楓の顔を、下からそっと窺う。楓はこの話題には特に何かの大きな反応は見せず、いつも通りに優しく、微笑んでいた。そして愛の言葉に頷きながら、言う。


「そうだね。私もりっちゃんや、お友達のみんなだけかな」


そう、なんだ。今年も楓に本命はなしか。よくわからないがこの1年程、楓に彼氏はいないし…。前はひっきりなしだったのに。何か、楓の中での考え方や価値観が、変わったのかな?そうとしか思えない変化で、そうだとしたら楓の中で、一体何が変わったんだろうと考え込む私に、梨々花は興味津々そうに聞く。


「りっちゃんは?」


「…え」


いや、そんなのそもそも、毎年誰にもあげてない。あげてるとしたら楓だけ。もしくは、貰ったら返すスタンス。なのに梨々花は追撃してくる。


「男の子に渡す~?」


しかも男の子に縛って。男…男?…あーまあ男といえば男か?こやたや謙、宙、文太…この辺は確かに男だ。何か去年の25日の礼を、上手くみんなにできていないし、こやたにもまめに気遣われている割には、それを私は返せていない。ちょうどいいか。思って、私は雑に言葉を返す。


「そうね、あげようかな」


「ええっ?!」


私以外の他4人の、驚いた声が揃った瞬間だった。


え、ええ。りっちゃんが男の子にチョコを…って。そんな、初めて聞いた。どうしよう。今ものすごく動揺してる、私。誰にあげるんだろう。あげるからにはやっぱり本命?相手、相手は?逸って転んで絡まって。そんな気持ちで、私の口からは何も言葉が出ない。みんなそうなんだろう。それぞれりっちゃんを見つめたまま、何か口をパクパク軽く動かすか、驚いた顔のまま固まっている。で、でも聞かなきゃ。聞かなきゃ私の、ううん私達の気が済まない。意気込んで、口を開いて。


「り、りっちゃん。お、おお男の子にあげるって、ほ、本命?誰に、何で?」


でもやっぱり、気持ちは逸るあまりに転んで、絡まったままだった。言葉も絡まったまま、そのままに出てしまって。対してりっちゃんは、いつも通りの無表情で私を見ると、当然に応える。


「…え、こやたとかに、日頃のお礼にって感じなんだけど…何か変だった?」


あ。


「ああ!」


理解すると私達は、どこか安堵した笑顔で、また声を揃えて納得した。そっか、友チョコってやつ。むしろ感謝チョコ?そうだよね。りっちゃんがまさかそんな。…そうだったら、それはそれで嬉しいけれど、どっちかって言うとまだ心配が勝るから。今年度の初めに、小夜太くんとのことで、あんな様子を見せていたりっちゃんを知る、私としては、どうしても。


こやたはクラスメイトな上に、毎日顔を合わせるから論外として。謙はたまに会うし、宙はまめに電話するし、だけど文太はもう、あの中2のクリスマスからもう、会っていない上に電話もしていなかった。一切。文太には…あげたところで、迷惑かな。大体文太は何で、会うとあんなに私にくっついてくるくせに、どころかひっついて離れないくせに、会わない間はこんなにドライなんだろう。本当は私のことが嫌いだとか?よくわからない。小学生の頃は、私といつも一緒だったのにな、文太。…はぁ。小さく、ため息が漏れる。いつもはきっと、私の無意識の中で考えないようにしている、文太のこと。本当は寂しいなんて、こんなくだらない気持ち、折れたシャー芯と一緒にゴミ箱に捨てれば、消えてなくなるんだろうか。振り返れば、最早一昨年になってしまった25日。みんなで集まったその日、文太だけ、私の欲しいものをその場で見抜いて、買ってくれた大きなクマのぬいぐるみ。大きすぎて、小柄な私には持って帰るのが大変で、結局文太が私の家の前まで運んでくれたんだっけ。勉強の途中、その前に行って軽く、クマの頭を撫でてみる。白い毛並み、柔らかな肌触り。こんなおっきなクマより、たまには連絡のひとつくらいくれたっていいのに。何か、私は文太がくれたお気に入りのクマのぬいぐるみを見て、文太へとそう不貞腐れてしまった。


謙はそもそも何でも食べる。宙も割と何でも食べる、というか貰ったものは無下にはしないから、多分好みから外れても大丈夫。文太は甘いもの大好きだから、砂糖は私からしたら多めの分量で、甘めのお菓子を作る。で、問題は。


「え、好きなお菓子?」


そうこいつ。こやた。こやたとはよくお菓子の話をするし、2人で色んなお菓子を作るくせに、そういえばこやたが好きなお菓子って知らない。1番好きっていう、それを。だから聞いてみれば、私の予想内の反応が返ってきて、思わずそれを遮る。


「お菓子なら何でも」


「ひとつだけね」


即座に遮って言えば、文太は困ったようにその視線を斜め上へと動かす。「え、ええと…」と、小さく動揺に満ちた声を漏らし、それから。


「…フォンダンショコラかな」


へぇ。何か、意外だな。ショートケーキとかかと思った…。何かこいつ、甘ったるいイメージあるから。いや、フォンダンショコラも甘いけれど、とにかくメレンゲやら、デコレーションやらが必要なものじゃなくてよかった。


「美味しいよね」


適当に言葉を返しながら、私は思う。面倒くさいから、みんなチョコチップマフィンでいいや。結局そう、私の都合よく一律に。甘さも私好みのそれね。いいでしょ、私の1番得意なお菓子なんだから。「お店にあると、いつも頼んじゃうなあ」と、朗らかに話すこやたには悪いけど。…実の所は、悪いなんて思ってないけど。


今年もりっちゃんからのバレンタインは、チョコチップマフィンかなあ。それとも、今年は叶恵達や、小夜太くんや謙くん達にもあげるって言ってたから、みんなに合わせて違うものだったり…?そうだとしたら、何になるかなあ。ああもう。この時期は毎年、私にとって最高に幸せな時期。私は元々大好きなチョコレートを、誕生日のその時以外口にすることを、お母さんから禁じられていたから。だから毎年りっちゃんがこっそり、どころか私のお母さんの前で、堂々とくれるバレンタインのチョコチップマフィンのそれが、楽しみだったんだ。他の何より、ずっと。今はもう、もちろん誕生日以外にもお母さんから、「好きなものを食べて、好きなことをして」と笑顔で言われているけれど、この幸せな感覚はやっぱり、抜けない。それにりっちゃんの作るチョコチップマフィンって、特別美味しいんだ。どんなお菓子屋さんのものよりも、どんな有名なものよりも、ずっとずっと。だから今年のバレンタインもできれば、りっちゃんからのお菓子はチョコチップマフィンだといい。我儘に、私はりっちゃんと2人で勉強をしながら、1人だけこそこそと、夢の世界を頭の中に広げていた。


2月13日。この日は木曜日。学校終わりにまた楓の家で勉強して、でも今日は早めに切り上げて、家に帰って家事の傍ら、明日のチョコチップマフィン作り。の更に傍らで受験勉強。正直、チョコチップマフィンは年に何度か作るし、難しくもないから、傍らで作ってその更に傍らで何かをするなんて、私には造作もない。にしても。明日はこれをどうやって、1人1人に渡していくか。うちの学校はけっこう緩くて、バレンタイン、ホワイトデーの各その日だけは、生徒達が何かこそこそとお菓子を持っているのを見ても、明らかに食べたり、手にしていなければ、先生達は黙認してくれる。普段はもちろん駄目、1発で指導へ直行。だけどバレンタインとホワイトデーだけオッケーって、先生達もその昔は色々と苦労したのかしら。変なことを考えつつ、綺麗に焼けていくチョコチップマフィンの香りで、この狭いリビングは満たされていく。出来上がったそれに、ラッピングはいるだろうか。もちろん何か袋とかには包むけれど、プレゼントみたいなそれは、いるのかな。楓にはもちろんする。梨々花達にも。でも、問題は野郎共。いるのかな。あいつらなんて、食べて終わりじゃない?…いや、でも。こやたは、前にクッキーをくれた時に、丁寧にラッピングしてくれていたっけ。じゃあこやたは少なくともいるか。食べるだけの馬鹿じゃないってことだし。宙も何だかんだ、贈り物には見た目に拘るタイプだったような。もちろん自分から相手へ、のそれだけど、それなら貰うのも見た目綺麗な方が良さそう?謙と文太は確実に食べられればいいだろう、それだけでもう、それだけが全てだ。…ああもう、面倒だから全部ラッピングするか。一応、買い出しの時にはまだ決めかねていて、人数分それは用意しているんだから。謙と文太のそれはあくまで仕方なく、しかたなーく。


バレンタイン、かぁ。でも、学校ってお菓子禁止だし、みんな何もないんじゃあ…?今年のこの日は平日。というか毎年高確率で平日。だから、俺も周りも何もない気がするけど。そう思いながら、今日も無事に1日を終えて、帰り支度をする俺に、律が話しかけてくる。


「ねぇ」


「ん?どうしたの?」


手元の鞄から顔を上げれば、律は「鞄開けて」と俺に少し小声で言ってきた。


「え?何?」


わからなくてでも、見られて困るものもないし、俺は律にも見えるように、言われた通りに自分の鞄の口を開ける。そうすれば律は。


「…え」


どこに持っていたのやら。何かラッピングされたものを、俺の鞄の中へと素早く放った。そうして驚きから固まる俺に代わり、素早く俺の鞄を、律が閉めてしまう。


「…律?」


わからなくて、聞けば律は悪戯に笑った。


「フォンダンショコラじゃなくてごめんね」


言われて、少し前に聞かれたその質問が、蘇る。「好きなお菓子」。それ。これはもちろん義理だとは思う。本命なはずがない。それはこれまでの律とのやりとり、律の過去…そんなものでよくわかる。だけど。返事も出来ずに、未だに固まったままの俺の前から、律はさっさと去っていく。それでもすごく好きな人から貰った、お菓子。それを意識しないなんてそんなことは、不器用な俺にはできなかった。


バレンタインっつったって、この受験シーズン真っ只中、そんなもん俺達中3にはない。しかもこんな金曜日、平日。普通に学校にチョコなんて、持ってくるやついないだろ。何にしたって俺は今日もバドミントン。放課後はさっさとそれ。いつも通りのその日に、でも。


「ゆずー」


うえ。俺をこう呼ぶのは1人だけだ、声をかけられて仕方なく振り返れば、そこには1年の時同じクラスで、席が隣になったことをきっかけに話すようになった、阿部の姿。


「何だよ」


正直、俺はこいつがあんまり好きじゃない。何故かは自分でもわからないが。そんな俺に阿部は歩み寄ると、こんな廊下で堂々と、俺がさっき内心で、持ってくるやついないだろと思ったものを差し出す。げ、まじ?まさかさすがに、いらない、とは言えなくて。


「どーせくれる人いないんでしょ?だからあげるよ」


他人からの厚意を、いらない、とはっきり切り捨てられるほど、そこまで酷い人間にはなり下がれなくて。渡された小さな箱を、俺は仕方なく受け取る。だけど、仕方なくと言ってくれるんなら、受け取るのも仕方なくを丸出しでいいだろう。


「そりゃどーも」


雑に受けとって、そのまま踵を返せば、やつは何か不満そうな雰囲気を俺へと、出していた。


んでもその先で、俺は意外な人物に出くわす。


「謙ー。何か可愛い女の子来てんじゃん」


市営の体育館で今日は練習するところだった。だから阿部からチョコらしきものを受け取った後、そのまま校門へと行こうとすれば、凍也は頼まれたのか?門の隅に寄って立つ、ちっちゃいやつのことを軽く指さして、いやらしく笑って言う。何で。凍也のからかいなんて耳に入らない。俺は昇降口から駆け出すと、何故か俺の通う、遠いこの中学にまで来た律の元へと、向かった。


「律!」


声をかければ律は俺へと振り返る。ついでにその他大勢も振り返る。あ、やべ、ちょっと声でかかった?気にする俺にでも律は、何か手招いた。不思議に思いながらも、俺はそれに従う。そして。


「ここならいいか。はい」


何か、律が手にしていた紙袋から1つ、ラッピングされたものを手渡されて。手にしたそれをよく見れば、多分律の手作りだ。こいつはお菓子作りが得意だから。それも中でも1番得意な、これはチョコチップマフィン。…その遠く下に更に、校門を出た自分の足さえ、見えて。…あー、何だよ。


「仕方なく、か?」


さっき、阿部にも言われたことを俺は今度は自分で、自嘲するように聞いてみる。そうすれば律は笑って、意味深に言った。


「そ、ラッピングだけ仕方なく」


「は…?」


ラッピングだけ?どういう意味だ、それ。呆気に取られるうちに律は行く。


「じゃ、私この後忙しいから」


俺の横を通り過ぎて、駅の方へと。…忙しいって、何で、何が?何か色々引っかかる。なのに同じ「仕方ない」でも、言う人と言い方が違うとこんなに、思わせぶりなのかと。手にしたチョコチップマフィンをまじまじと眺めながら、俺は何か、学んだ。


…あ。感覚的に、察する。多分もうすぐ18時。いけない、読書に夢中になってまた、先生に注意されるところだった。門が閉まる前に学校を出ないと。つい、俺は学校の図書室には、いつも引きこもりがちだ。入学当初から、それはもう”本の虫”と周りから囁かれたもので。でも、仕方がない。本には有益なことが書かれている。周りとの関わり、遊び、経験。そんなものも大事だけれど、俺よりずっと先に、ずっと前の時代を生きていた人達が記した、架空のストーリーや手記、他の様々なものだってまた、素晴らしいんだから。読んでいた本を棚に戻すと、図書室の机に置いた自分の鞄を、俺は雑にとる。その時開けっ放しだった鞄の中から、今日の昼間に、1年生の女の子からもらったチョコが、転がり落ちた。あ…。床に落ちたそれを拾い上げて、俺は思う。「高校、どちらを受けられるご予定ですか?」。彼女から恥ずかしげに聞かれたそれに、俺は素直に「央京大高校」と答えた。…律と同じ場所には、俺は結局向かわないことにした。迷ったけれど、何か、そんな単純な理由、俺らしくないと結論付けて、俺はこの道を行く。彼女のこれはひとつだけだと思う。だけど律からはそもそも、多数のうちのひとつさえも、俺にはないと思うから。


なのに、暗くなった冬空の下。ぼんやりとした灯りが照らす校門を出れば、律とばったり会うんだから、神様って何か意地悪い。


「あ…」


驚いて、そんな声しか出ない俺に、律はそもそも俺に会いに来た…のかな?言う。


「よかった。家に行ったけどいなかったから。すれ違わなくて」


わざわざ家にまで?何の用だろう。しかもこんな遅くに。律は小柄だから、暗い中を歩くのは心配だ。何か、変な目に遭わないかと。


「ごめんね。どうしたの?突然」


何の連絡もなしに。せめて連絡してくれれば。そんな思いまで含まさって、俺の口からはけれど、ちゃんとした心配の言葉が出てくる。何か、俺はそれに安堵して。一方、自分を心配する俺に律は、「えーとね」と言いながら、その腕に下げた紙袋の中から1つ、何かを取り出す。そしてそれをそのまま、俺へと差し出してくるから、俺も当然、相手が律だということもあって、無警戒に受け取った。何…。見れば暗がりの中、わかるのは。


「…マフィン…かな?」


「そ!」


当てて見せれば、律は笑う。チョコチップマフィンのように見えるそれは、多分律の手作りだ。いつか小学生の頃にも、俺はこれを口にしたことがある。もちろん楓や、謙、文太と皆で。ああ、ないと思っていた、律からの多数のうちのひとつ。今年はあったんだ、俺にも。嬉しくて、だけど。


「ちゃんと義理だから、安心してよ」


何か、言葉が出ない俺へと、律は悪戯に笑う。そこに悪意はないのに、あの中2の冬。クリスマス、25日。久しぶりに会った律に惚れた俺の気持ちはここで、この瞬間で確実に、過去のものになった。


彼女と過ごした今年のバレンタインはまあ、うん、普通。だけどこれも経験。いつかはそう、必ず。19時近く。帰宅すれば家事をしている母親からは呑気に淡々と、俺からすれば重大なことを告げられる。


「そういえば、律子ちゃん来てるんだよ」


「えっ?!」


来て…ってどこに。


「文太の部屋にいる」


「もっと早く言ってよ!」


全くマイペースな母に、呆れを通り越して怒りを覚えながら、俺は2階の自分の部屋へと駆け上がった。


「律っ!」


雑に足音を立てて階段を駆け登り、自分の部屋の扉を開けば、そこには確かに母親が言ったように、律がいた。


「よ」


律はどれくらい待っただろうか。わからない。だけど礼儀正しくちょこんと、その場に座って、俺を見ると短く声を上げた。いつぶりかなんてもうずっと数えてる。もうずっと、会えてない日のその数を、毎日欠かさず。2023年の12月25日。律に会えたのは、律の14歳の誕生日以来だ。嬉しくて、俺は部屋の扉を後ろ手で適当に閉めると、いつも通りに律へと抱きついて。


「律、来てくれたのっ!」


ああ最高っ。律の紺藍の長く綺麗な髪からする、ブーケのような香り。細い体。全部好き。嬉しいあまりにぎゅうっと抱きしめれば、律からは苦しそうな声が上がって。


「…ぶ、文太、死ぬ…」


「あ…ごめんね?」


駄目だ、好きすぎてうっかり相手を殺すなんて。そっと律を離せば、律は疲れたようにひとつ息をつくと、何かを言おうとして。でもそれよりも早く、俺は律へと言葉をかけた。


「そんなことよりっ、律、こっち座って~!」


言いながら、俺は律の体を誘導し、自分のベッドに腰掛けさせる。律は「え」と戸惑いながらも、それに従った。だって律がそれまで座っていたのは、ラグが敷いてあれど確かに床。それも何故か正座で。そんなの、律には相応しくない。律と会えたことにはしゃぐ俺に、律は俺のはしゃぎっぷりかな。それを見て、何か目を丸くしていて。


「ねぇねぇ、ゲームしよう、ゲームっ!」


「いや、私そんな余裕ないから…受験勉強あるし」


「受験勉強~?」


そんなの俺が教えてあげるのに。思って首を捻る俺に、律は「今日は違うことで来たの」と、せっかく俺が腰掛けさせたベッド脇から立ち上がり、自分の荷物。そのうちの紙袋を軽く漁る。


「何?何かあるの?」


気になってその手元を覗き込もうとすれば、それよりも早く律はこちらへと振り返って、紙袋から取り出したらしい、ラッピングされたお菓子を、俺へと差し出した。


「はい」


え、これってもしかして。受け取るよりも先に、早く期待してしまう。差し出されたお菓子を見つめる俺に律は、笑顔で続けた。


「一応バレンタイン」


「やったっ!」


「待ってました~!」。はしゃいで受け取れば、律も可笑しそうに、なのに楽しそうに笑ってくれるから、それを見た俺もまた嬉しい。中身は何だろう?可愛い柄が細かく入った、そのラッピング袋の中身。じーっと見てみればこれは多分、ううん確実にあれだ。チョコチップマフィン。律の1番得意な、手作りお菓子。小学生の時から変わらない、それ。やった。これ食べるのいつぶりだろう。本当に嬉しくて、でも。


「あのさ」


ふと、律からそう声をかけられて、俺は受け取ったチョコチップマフィンは離さずに言葉を返す。


「ん~?」


見れば律の顔は何か、悩んでいるような、複雑そうなそれで。…どうしたんだろう?律が何か悩んでるなら、俺。思った時、律は迷いながらも俺へと確かに、それを打ち明けてくれる。


「…お返し、いらないから、たまには連絡くらいくれてもいいんじゃない」


…え。まさか、そうくるとは思わなかった。律の訪問自体、予想外なのに、提案されたお返しのそれさえ、予想外。しかも、連絡くらいでいいの?でもな…ん~…。上手く、言葉を返せない俺に、律は続ける。


「…待ってるから」


「あ、ちょっと…!」


一言続けて律はそのまま、自分の荷物をひったくるように持つと、俺の部屋を駆け出してしまった。何か、追えなくて。せっかく会えたのに追えなくて、俺は1人、その場に残される。開け放たれた扉から、俺の母親と律の、「お邪魔しました!」、「もういいのー?」の言葉が聞こえてきて。…俺はつい、話しかけるみたいに、律から貰ったこの手元のチョコチップマフィンを、見るんだ。そんなの、俺だって律に毎日でも会いに行きたいし、毎日だって電話したいし。でも。…でも、「待ってる」って言われちゃったもんなあ。「待ってる」って言われるくらいなら、もう十分かな?自分で決めた目標よりも、律の望みを叶えるほうが、俺としても気持ちがいいかもしれない。それに一応、成功な気がする、この形は。わかってる。今は多くのうちのひとつに過ぎなくても、確実に俺が律の、他に代わりのないひとつになってみせるから。



「ハッピーバレンタインー!」


集まった私達の声が、楓の家のリビングに響く。梨々花、ルミカ、叶恵、愛、天音、楓、私。7人揃っても、楓の家のリビングはまだ広かった。


「…私まで、いいのかな?」


その上控えめに天音がそう言うんだから、なんか可笑しくて、私もみんなも顔を見合せて笑う。


「いいんだよー!天音ちゃんだって、私達のお友達でしょ?」


そして梨々花がそう言えば、口々にみんなそれに頷くんだから。私達って最近ちょっと、友達の基準が緩くなってきたのかもしれない。なんて思っていると、流れ弾か。私は叶恵から不意に責められる。


「ほんとよ。てかりっちゃん、来んの遅すぎ」


「ごめん。色々遠くてさ」


叶恵達は謙達のことを知らない。だから、「昔馴染みにチョコを渡してくる」とだけ、みんなには伝えていた。楓以外は事情を知らない中、でもみんなって本当純粋よね。楽しそうに無邪気に、言う。


「えーでもさ、こんなに時間がかかっても、チョコを渡したい友達がいるって、素敵じゃない?」


「わかる。私にもいたらな、そんな人」


「男の子とかー?」


「男の子だけはなし」


相変わらずのやりとりに、私も楓も笑う。ふと、隣を見れば、そこにいた楓も隣の私を丁度よく、見た。目が合って、でも先に口を開いたのは私。


「楓、今年もありがと」


毎年、それは何か新年の挨拶と同じくらい真面目に、まめに交わす言葉。だから楓だって当然に、こう返す。


「りっちゃん、私こそいつも、ありがとう」


そこに心を込めて、きちんと。

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