見てる人

「ほっかいどおーーーーっ!!!」


うっさ…。ようやくの修学旅行。やっとついた空港から出ると、班長の男子はそう叫ぶ。いやうるさいし。私達以外の、一般の人だってここにはたくさんいるんだから、迷惑考えろよ。冷静に心の中で突っ込む。見れば楓もちょっと、困ったように笑っていた。んーでこいつはまあ。


「じゃあ俺、宮寺さんと2人で行くから!」


「はあー?!お前、いいとことんなよ!」


わかりやすく楓狙い。つーか同じ班の男子3人のうち、この2人は恐らく楓狙い。そんな素振りを、ここまでよく見せているから。思春期男子って大変だ、恋愛に忙しい。何かそんなことを思いつつ、私は私と楓の少し後ろに、控えめについてくるその子を見やる。…黒髪のボブがとってもよく似合っている、大人しいその女の子。この子はちょっと人付き合いが苦手なのか、ここまでの修学旅行準備だの話し合いだのでも、何か惑ったようにたどたどしく、私達についてくるだけだった。まあ私もつい最近まで、こやたとのことですっかり頭を悩ませていて、「勝手に決めとけ」と修学旅行に関しては投げやりだったが。他人のことは言えない。でもこの子は、明らかに人付き合いが苦手そう。さっきから話したそうにしているのに、全然私達の会話に加われていないし。気にかけないとな…。どうせなら、この子にだって楽しんでほしい。せっかくの中3の修学旅行なんだから。


…はぁ、なんて班に属してしまったんだろう。私が割り振られた修学旅行の第6班は、よりにもよってあの優しいマドンナ、宮寺楓さんと。小さくて可愛くてなのにかっこいいと、密かに人気な作間律子さん。それから男子は男子で陸上部のエース、谷津悠太くんに、同じく陸上部レギュラー、桐原康太くん。そして美術部の王子こと、神野史人くん…。な、なんて陽キャ集団。いやキラキラ美男美女班?ある意味当たりくじ。でも私には、ハズレくじ。何せ私は平々凡々だし、美人でも可愛くもないし、性格も何か特徴があるわけじゃあ…ない。なのにこんな最高の第6班に割り振られてしまったんだから、他の女の子たちからは羨望の眼差しだった。同時にものすごい嫉妬も。班長は谷津くん。とにかく明るくみんなを引っ張っていく。副班長は女の子から代表して、宮寺さん。優しくほんわか、ふんわりと谷津くんをサポートするそれは、何だか宮寺さんのイメージ通りだ。そんな宮寺さんは私の憧れの女の子。すらっとした背丈に、なのに女性らしい体つき。柔らかい雰囲気に、いつでも穏やかな微笑み。程よく高くて、聞く人を癒すような声音。毛先に緩やかに癖のある、胸元までのロングヘアーがよく似合う宮寺さんは、本当。…こんな、ちんちくりんな私の、永遠の憧れだった。でもきっと宮寺さんは、私と同じ小学校であったことすら、知らないだろう。その親友の作間さんだって、私の存在にはきっと気づいていない。…いいなあ。私も宮寺さんみたいに、なりたい。みんなに囲まれて、穏やかに笑うそんな女の子に。


1日目に行くのは旭川動物園だ。生き物が好きな私にとって、ここは最高の楽園。


「わ、可愛い~!」


ひょこっと姿を現した狐を見て、楓が嬉しそうにそう呟く。そうだね。楓のそれに、そう返そうとした私よりも早く反応したのは、やっぱあいつで。


「宮寺さんの方が可愛いっ!」


「え…?ええと…」


この6班の班長の谷津悠太。そう、あの空港から出た直後に、「北海道ー」て馬鹿なことを叫んでた男子。谷津は楓を下心丸出しの笑顔で見て、そう言う。うえー…。やめろ、せっかく可愛い狐の前で。狐が穢される、あと楓も。とにかく谷津のきもいその言動を見たくなくて、谷津と楓の2人から反対の方へと顔を逸らせば、そこには1人、私達からちょっと離れて、小さなノートを手に何かを書く伊藤天音の姿が。…大人しすぎて、同じ班でありながらも、私達の会話に上手く加わることがなかなか難しい、あの黒髪ボブの女の子だ。何してるんだろう。わざわざシャーペンでもない確かな鉛筆の動きは…よく目で追えば書いてると言うより、描いてる?まさか動物のスケッチ?彼女の目の先には、私達が見ている狐とは別の飼育場に、寄り添って眠る数匹の狸達。…ああなんかこの子。狸っぽいかも。何故かそう思って、失礼なそれを、私は頭の中から静かに消した。


はあー。いやほんっと宮寺さんって可愛すぎない?友達の作間とずっと一緒にいて、なかなか俺の方を見てくれないそれは残念だけれど、でも同じ班で一緒に修学旅行に行けるのは本当…眼福。幸せがすぎるー!でもそれは俺だけじゃない。何かよくわからん神野はともかく、俺と同じ部の桐原は当然宮寺さん狙い。あっちこっちで俺とぶつかる。昼食の席順だって。


「俺が宮寺さんの隣!」


「お前なんか床でいいっつの!」


どっちが空いた宮寺さんの左隣、そこに座るかで言い争っていた。頼んだ食事が来るまでの間、最早取っ組み合いそうな俺達に、作間が不意に席から立ち上がりながら言う。


「うっさいから私達、別に食べるわ。行こ、楓」


「は?!」


いや何それ?!ふざけんなよ作間…!せっかくの宮寺さんとのランチタイムを!だけど宮寺さんは、慌てる俺と桐原を気にしつつも、戸惑ったように「う、うん」と頷いて作間へと続いてしまう。作間はそのまま伊藤にも、「ほら、あんたも」と声をかけて、6班の女子全員を連れて少し離れた席に座ってしまった。店員にさっさと、席の変更を謝罪つきで軽く頼む作間を見ながら、俺は悔しさに顔を歪ませる。


「…な、何あいつ!くっそ生意気!」


何が、「別に食べるわ」だよ!クールな顔して気取りやがって!怒る俺に桐原も続いた。


「あーあ、男だけで食べんのかよ」


そう、それもちょっと不満。だけどここまで、我関せずで俺達のやり取りを見ていた神野は言う。


「…お前達が非常識だからだろ」


随分素っ気なく、冷たくどうでもよさそうに。


よ、よかったのかな…。私まで、作間さんに連れられて宮寺さんと共に、同じ班の男子達から離れて、穏やかに食事をとる。


「あいつらほんとクソガキじゃないの。頭ん中恋でいっぱいかよ」


「恋愛知り立て?」。ストレートに谷津くんと桐原くんの2人を批判する作間さんは、確かに噂通り、可愛い見た目とは裏腹にかっこいい。いいな、これはこれでひとつの理想の女の子像かも…。対して宮寺さんは言う。


「でも、ちょっと可哀想なことしたかなあ?神野くんも、少し嫌そうな顔してたのに、私達だけなんて」


あ…。そこまで気がつかなかった。そっか、神野くんも、谷津くんと桐原くんのやりとりが、嫌だったのか。そうだよね。こんなお店でああも騒がれたら…。それなら、誘えばよかったかな?内心で思う私に、目の前の作間さんは、自分の隣に座る宮寺さんへと、言葉を返した。


「さすがに女ばかりのとこに誘っても、気まずいかなって…。私も楓も伊藤さんも、そんな神野と仲良くないし。」


宮寺さんへとそう返す作間さんの言葉に、うんうんと内心で頷いて、でも、えっ?い、今作間さん、私の苗字を並べた?伊藤さんって…。覚えて、たの?覚えてもらえているの?ずっと、日陰者として生きてきた私にとって、誰かに苗字を呼ばれるそれはとても稀有なことで。驚いてつい、作間さんを凝視してしまう。そうすれば作間さんは、ちっちゃくて可愛い顔で、私に聞いた。


「ん?どうかした?」


問われて慌てて、私は返す。


「あ、ええと何でも…っ!」


駄目駄目そんな、期待しちゃあ。同じ班だからたまたま、覚えてただけのはず。浮つく自分の気持ちを、何とか落ち着かせようとする私に、だけど作間さんは続ける。


「そういえばさ、さっき何描いてたの?」


「へ?」


さ…さっき?わからなくて、私は素っ頓狂な声を上げる。そうしていると矢継ぎ早に。


「ほら何かノートに、書いてたじゃない。狐や狸のところでさ」


「え~ほんとに?!もしかしてスケッチ?見たいなあ!」


作間さんが細かく”さっき”を説明して、それを聞いた宮寺さんが純粋そうな笑顔を見せて。…み、見てたの?作間さん…。私が、狸達のスケッチをしているところを。恥ずかしい…しかもこの流れ、見せなくちゃいけない感じだよね。運良く、今この瞬間に、頼んだ料理が運ばれてこないかな。願うけど、そんなに世の中ってタイミング良くない。仕方なく私は、緊張しながらさっき、狸を描いていたノートを鞄から取り出し、2人に広げて見せてみる。


「…あ、あの、これ…のこと?」


どうしよう。絵を他人に見せたことなんてない。ただ好きで、ずっと好きで描いているだけのこんな、素人趣味のもの。恥ずかしくて、きっと否定されるそれが怖くて、しかも相手は学校で人気者の2人で…。全てを恐れ、構えて目を閉じた、その時。


「え~っ、すごい!」


宮寺さんの明るい声が、響く。私の世界に、目を閉じて暗くしていたそこに、祝福の鐘のようにたおやかに。その声に閉じていた目を開けて、自然と目の前の2人を見やれば、2人は私が見せたそのノートを仲良く手にして、楽しそうに笑っていた。


「本物みたい!毛の1本1本まで細かく描いてあるし…!」


宮寺さんの嘘のない笑顔に、心がときめく。ああ、これ。


「へぇ、すごい。こういうの何て言うんだっけ、写実?最早本物超えてんじゃない?」


作間さんの、どこかクールな微笑みさえ。これ、こんなの。知らない世界だ。


「そ、そう、写実画…っていうの。」


嬉しくて、恥ずかしくてはにかみながら、私は作間さんの問いに小さく答える。作間さんはそれに、「生きてるカメラね、あんた」と悪戯っぽく笑った。そんな称号、からかいであってもくすぐったくて。…嬉しくて、笑顔ばかりが零れる。私は作間さんが言った通り、描く絵と言えば写実画ばかり。でも今私が一瞬見たもの、目にした世界は一体何?抽象画を描けるなら、私にその力があるのなら、きっと私は今見た世界を形にできたのだろう。もったいない。でも同時に思う。私だけが見ることのできた、優しい世界。それってとても価値があるから、ずっと私だけのものにしておきたいって。欲深く、強く。



「なーに盛り上がってんだろ」


「何か宮寺さんがはしゃいでるな」


「つーか伊藤って笑うんだ」


くだらない2人のやりとりは、どうしたって耳に入る。…同じ卓についているせいで、物理的に距離が近いからだ。すごくどうでもいい2人の会話よりも、俺は先程聞こえた宮寺さんの、「すごい!」の言葉が気になっていた。別に宮寺さんに興味があるわけではない。そこはどうでもいい。ポイントは宮寺さんと、隣に座る作間さんが手にしているノート。2人はそれを見て何か、はしゃいでいる。あんまりはしゃぐから、自然と大きくなっている声で、時折耳に入る会話を聞く限り、それは2人の向かいの席に腰掛ける伊藤さんのもののようだった。しかも「写実」と聞こえた。写実画?伊藤さんが、そのノートに自ら?そこにものすごく、興味がある。俺は美術部に所属し、様々絵を描いては有難く賞も頂いているが、それはどれも抽象画だ。これまで写実画には何度も挑戦したが、どう足掻いたってどうにも駄目。そんなに、はしゃぐほど上手い写実画とは。作品を見る素人とは、プロ以上のプロだと思う。感想が素直すぎて、特に写実ともなれば、全てが精巧に描かれていないと、いまいちな反応を示されることがほとんどだ。なのに、2人はどこまでも「すごい」と、そのノートを開いてはしゃぐ。…どうにか、そのノートの中を俺にも見せてもらえないものか。それにはまず、伊藤さんと仲良くなる必要があることは、当然承知の上だった。


1日目終了。たった1日で、私は宮寺さんと作間さんととても仲良くなっていた。…仲良く、してもらっていた。あの狸の絵ひとつをきっかけに、すごく早く。2人とは就寝班も一緒で、でもそこには2人の友達である、和木さんもいて。


「叶恵見て見て!すごいんだよ、伊藤さんの絵!本物みたいなの~っ」


はしゃぐ宮寺さんに、和木さんが呼ばれて私の手元のノートを覗き込む。わ、は、恥ずかしい…。相変わらず絵を人に見せる瞬間というのは、酷く緊張をして、でも。


「…え、まじじゃん!何これ!私とか描いてもらったら、毛穴までいくんじゃない?」


和木さんはとっても明るく笑って、悪戯っぽくそう言った。あ、またこの感じ。


「はは、確かに。やばそ」


「りっちゃんはスッピン綺麗だもんなー!」


それに作間さんが素直に返して、でも同じくらい和木さんも素直に、悪意なんて何も含んでいない言葉を返す。ふふ、いいな、こんなお友達関係。また、見えた、昼間感じたものと同じ世界。ギャルっぽくて、苦手だから避けていたけれど、実際はこんなに明るくて、悪い子じゃなさそうな和木さん。子供みたいにはしゃぐ一面もある宮寺さんに、噂通りかっこいい作間さん…。今日、自分が初めて知ったことは、とても多い。今日というたった1日で知ったことは、とても。私の世界は狭かったのかもしれない。上手く、他人と関わることが出来ないからって、狭いままでいることに、もう私はとっくに膝をついて諦めていたのかも。いいな、仲良しのお友達。いつか私にも、宮寺さん達のようなお友達ができたら。そんな、淡い夢がこんな私にも芽生えた。今日はそんな日だった。たった1枚の狸の絵が、私を少しだけ前向きにしてくれた。気なんて何も遣っていなさそうなくらい、楽しく言葉を交わす3人を前に、黙って見守っていると、不意に和木さんがこちらを振り返って言う。


「てかさ、名前何?」


「へ…?」


唐突な質問に驚く私に、代わるように応えたのは意外にも、作間さん。


「天音でしょ」


「えっ…」


お、覚えてたの?というか、知ってたの?先程から続けて驚いてばかりの私に、最後、宮寺さんが言う。


「じゃあ、天音ちゃんだね。」


そんな、あの宮寺さんから、名前で呼んでもらえるなんて。嬉しさに感極まって、変わらず私は何も言えない。頷くことも何も出来ない私へと、宮寺さんは微笑んだ。


「私達のことも、名前で呼んでくれると嬉しいなあ!」


天使みたいな、真っ白い無垢さで。


翌日は富良野。富良野行って何すんの?って思ったけど。


「無理っ、死ぬっ、沈むっ!」


まさかの渓流釣りで、運動神経皆無の私はこのザマ。楓に支えられながら小魚と戦うのに、逆に私が引っ張られて水の中へと釣られそうだった。楓はそんな私を見て楽しそうに、「あはは」と笑い声を上げている。一方天音はそんな私達のすぐ隣で、やっぱ釣るより、私と楓が釣った戦利品の写実をしている。その顔はまあ充実していて幸せそう。それはいいけど。


「あっ」


「あーもうっ!」


私って釣りの才能はないらしい。楓はよく釣れるのに、私はかかっても逃げられてばかりで、まるで釣れなかった。


2日目の富良野は、運動音痴な私にはきついな…。フィールドワークの連続で、昼食にはもう、私はすっかりバテていた。それを見た谷津が、私の横を通りすがりに小さく、言う。


「だっせ」


その声は本当に嫌味がこもっていて、こいつ、昨日の昼間のことで私を恨んでるんだなって、すぐにわかった。にしたって仕返しのやり方が幼稚。謙ですら面と向かって言うわよ、しかももっと違う何かを…。どうでもいい嫌がらせなんか無視して、でもそういえば謙から、「俺様はお前のような下僕にお土産を買ってきてやったぜー!」というようなことを、ちょっと前に言われたことを思い出した。…仕方ない、買ってやるか。でも、そんな体力残ってるかな。今日、空港について帰る頃には私はもう、死んでいそうだった。


飛行機の席も、基本は班でまとまって、だ。行きも帰りも私達の席順は同じ。谷津くんと桐原くん、楓ちゃんと律子ちゃん、それから私と神野くんの組み合わせで、2人がけのそこに座る。神野くんとは、行きの飛行機では何も話さなかった。ただお互い、自分の好きなことや趣味をして、北海道までの時間を過ごしたと思う。神野くんは谷津くんや桐原くんと違って物静かで、怖くないから、この席順は私には有難かった。帰りも何もないよね。安心していると、だけど予想外に私は神野くんから、声をかけられる。


「伊藤さん」


「は、はい…っ」


瞬間、驚いて姿勢すら正してしまった。わ、駄目駄目。変な人に見えちゃう…。でもまさか、神野くんから話しかけられると思っていなかった私は、変な反応をまるで隠せないままぎこちなく、神野くんの方へと顔を向ける。一方の神野くんは至って普通に、私へと言葉を続けた。


「宮寺さんから聞いたけど、写実画を描くんだって?」


へ?う、嘘、ばれてる…?しかも、美術部の王子に。…色んな作品を描いては、様々なコンクールで評価を得ているような、人に。やだ、さすがに見せられない。考えて思わず顔を逸らす私に、神野くんは残酷にも、言う。


「見せてくれないかな。昨日の旭山動物園でも、描いていたんだろう?」


…う…。私は、こういう圧に弱い。頼まれたら、断れないタイプ。ええい、どうにでもなれっ。そう思うと私は、手にしていた小さな荷物からあのノートをとりだす。


「こ、これ…だけど…」


そうして言葉に詰まりながらも、確かに神野くんが言ったあの狸の絵。楓ちゃんがあんなに喜んでくれたこの狸の絵を、広げて見せた。神野くんはそれを見て、何も表情を変えないし、何の声も出さない。…やっぱり、神野くんくらいすごい人から見たら、私なんて。怖くてまた、目を閉じた、その時。


「…すごいな」


「へ…?」


世界がまた、開ける。その感覚に私は自然と、この目を開けた。つられるように、そっと。告げられた言葉は落ち着いていて、だからかな。開けた世界は昨日のように煌びやかではなく、とても静かで、どちらかというと安堵に満ちていて。神野くんは薄く、微笑みながら続けた。私が描いた、みんなで寄り添いあって眠る狸の絵を、見つめて。


「でも時間がなかったのか?少し雑だ。本当はこんなものじゃないはずだろう」


その絵が、本当じゃないそれすら見透かして。…ばれちゃったか。もちろん、その通り。私が写実画を描く時は、それこそ何時間何日間だって、対象を見つめ続ける。ほんの10分ちょっと、見ただけの狸達は、本当に私からすれば雑に描いたもので。見透かされた私は困って、笑う。


「…ばれちゃいましたか?」


聞いたのは神野くんなのに、私がそう言えば神野くんは、何か驚いたように目を丸くして、私を見つめていた。



「りっちゃん、大丈夫…?」


富良野でのフィールドワークでもう本当死にかけ。死体直前の私を楓が支えて、何とか私は自分の家に辿り着く。


「…はぁ、もう無理…」


まじで、無理だ。だから素直に言えば、楓は心配そうな表情で、それでも私へと気遣うように優しく微笑んで、軽く手を振った。


「お疲れ様、りっちゃん。ゆっくり休んで!」


言うと、楓は「またね!」と去って行く。その背をぼやーっと見送りつつ、私もこのぼろ木造アパートの中へと入った。


長いコール音の後、表示されるのは「応答無し」の文字。……出ねー。もう2回、かけた。いつもなら1発、気づかなかったら2回目で出るのに。何かあったのかな…。別にまあ、大した用はない。いつもの雑談、暇電ってやつ。でも。…自覚したくないけど、とっくに自覚しているこの気持ちでは、ちびロリに何かあったのではないかと、無駄に心配になった。ただ、あいつがいつものように電話に出ない、たったのそれだけで。


朝。起きればそこには着信履歴。謙からだ。何だったんだろ。にしても、ものすごく体が重い。疲労困憊。…今の私にはその四字熟語がぴったりだ。ああ、こいつにら後で、またかけ直そ。疲れた体を最優先にして、謙は一旦その辺に置いておきつつ、私は起きたばかりの体を、また布団へと雑に横たえる。…あ、お土産。物々交換いつするのか、後で電話をかけた時に、聞かなきゃな…。そんな事を、夢現に思いながら。

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