縁結びのマスコット
久しぶりに、小学校時代のいつものお友達に会えた、冬休み。それが明けて、私は鞄にあの白兎のマスコットをつけて、登校する。そう、これはりっちゃんとのお揃い。りっちゃんは何か、私と表立ってお揃いをすることを恐れていたけれど、私はやっぱり嬉しいなぁ。1番の親友と、堂々と”仲良し”ってアピールができるのは、とっても。だけど、私とりっちゃんは、登校はいつも別々。お互いの家がとても近いから、下校はどちらかに寄り道とか、遊ぶ予定がない限り一緒だけれど、朝学校に行くそれはバラバラ。だって何せりっちゃんは、朝に弱いからだ。病院に行って、低血圧症のお薬を飲んでるくらい、りっちゃんは低血圧。数値も1度聞いたら、びっくりのものだった。だから、昔から早く登校する私とは対照的に、りっちゃんはのんびり登校。仕方ないよね。朝、行く時にりっちゃんがいない。それはちょっと寂しいけど、りっちゃんに無理はさせたくないもん。こんな我儘なんかで、そんな無理なんて。思いながら今日も1人で行く学校までの道。でも今日からは、この白兎のマスコットが一緒だから。何か、心強くて楽しい道のりだった。
教室につけばそれはもう、先に登校していた何人かの女の子達に、この鞄のマスコットについて声をかけられる。
「え、宮寺さん、こんなのつけてたっけ?」
「可愛い~!どこで買ったの?クリスマスのやつ?」
口々に褒められて、嬉しい。自分が褒められているわけじゃないのに、けれどその兎さんを他人から褒められることは何か、兎さんをお揃いで持つりっちゃんを、遠回しに褒められているようで。そんな意図、みんなにはない。だけど、そう感じてしまうことが止められない。嬉しくて笑ってしまう中、私は応える。
「うん、そう!クリスマスマーケットでね、親友とお揃いにしたの!」
言えば、「え~いいなぁ」とみんなも笑顔を見せてくれる。穏やかな時間。でもみんなの頭の中に浮かんでいる架空の”宮寺さんの親友”と、私の頭の中で確かに認識している”私の親友”は、全くの別だって、私はわかっていた。
あ~…。朝って本当憂鬱。血圧上げる薬飲んでたって、その上がり幅は大差なく。じゃあその大差ない上がり幅で、私の朝の調子も微妙に上がったかって聞かれたら、それはもちろんノー。そんなみみっちい上がり幅で、調子まで上向くわけないじゃん。しかも何が楽しくて、今日からまた冬の極寒バケツ水、被んなきゃいけないっていうのよ。やつら、寒くなったらこればっかりなんだから。馬鹿の一つ覚えかよ。でもその馬鹿の一つ覚えは中々厄介。何せ濡れた制服を乾かすのが、毎度大変。はぁ、早く飽きてくんないかな。少なくとも極寒バケツ水だけでも。最早神頼み。他人の心や行動なんて、他人である私に、そうは簡単に変えられないから、神様に頼った方が精神的には近道だった。にしても。…この、スクールバッグにある白兎…楓とお揃いのやつ。楓が言うからつけて来たけれど、本当に良かったんだろうか。私はぬいぐるみや、こういった可愛いものが好きだけれど、でもそれを鞄につけたりしたことなんて、ない。こんなの、私が持ってたら。いや持ってるだけなら、いつもの虐めっ子に目をつけられて、「あんたには勿体ない」と奪われて終わるだけだろう。けれど、これが学校のマドンナ、宮寺楓とお揃いだとばれたなら。こんなもの、偶然でかわすには、無理難題がある。よくあるキャラクターものなら、それも通りそうなものだけれど。ああ~、これがバレた時、楓に何も無いといいな。あの子にこれ以上悩みが増えませんように。極寒バケツ水回避は取り下げとくから、神様には是非こっちを叶えてもらいたい。でも思う。楓、最近は何か、明るい笑顔が増えたな。気遣いばかりで、貼り付けていた笑顔の仮面じゃなく、素の笑顔、そんなものが。何かいいことあったのかなー。考えるけれどわからない。楓が見てる世界は、どんなものだろう。時折、気になる。
2年2組。ここが私のいるクラス。で、そこにつけば一瞬。もうバレた。
「ねぇあんた、何それ?」
私が1番後かなってくらいに遅い登校。いつも通りのそれに、でもやつらはいつも通りじゃないものを目にして、足早に寄ってくる。いや、目ざとすぎじゃない?間違いない、彼女の言うそれとは鞄につけた白兎。…楓とのお揃い。楓はきっと、周りの友達に素直に、「クリスマスマーケットで買った」と言うことだろう。なら私は。
「教える義理なんてない」
そもそもこいつらに、そんな私的なことを教える義理なんてない。クラスメイトなんて、ただの他人だ。それも真っ赤な。だから言えば、けれどやつらは以外にも。
「…ふうん」
その一言で、私の前から去っていった。あれ、何かもうちょっとあるかと思ったのに。少し拍子抜けしながら、いつも私を虐めてくる女子4人の、その後ろ姿を見る。何となく、ぼーっと。正直私を虐めてくるのはこいつらだけ。他は、巻き込まれたくなくて静観一筋。それはわかる。そうしたほうがいい。私ですら、その手をおすすめする。でも。虐めの主犯と言えばいいか、鴻上万理華は、どうしてそもそも私に白羽の矢を立てたんだろう。あの子って、プライド高い。だから、きっとあの子が私を虐めるその理由は、あの子の中での何かに、私が引っかかったから、な気がしてならない。最初の頃は、私と万理華は意外にも仲良くしていた。むしろこのクラスで1番に気が合った。なのに今は万理華は、私がきっと、気に入らないんだ。変なの。あいつだって、楓と同じ。家は裕福で勉強だって出来て、あ、運動は苦手か?ついでに楓よりちょっと美人じゃないわ。でも何だってある。私から見ればそう。なのにあいつの中ではきっと何かが、ないんだ。
廊下を、いつもの女の子のお友達4人と、迷惑にならないようまとまりながら歩いていると、丁度クリスマスに別れたばかりの彼を見つける。…あ、そういえば、既読すらつけてなかったっけ、私。これまでは振られる度、毎度私が悪いんだって、私がいけなかったんだって、律儀に落ち込んできた。でもこの人からは違う。私、この人に何もしてない。良い悪いの概念が生まれるほど、一緒の同じ時間を過ごしていないし、もっと言えばこの人の方が、私に対して何もしていない。お互い他人のまま付き合い、ほぼ他人のまま別れた。だから。
「クリスマスマーケット、私も行ったことあるんだけど、楽しいよねー」
「そうなの?じゃあこないだの、明治神宮外苑のも行った?」
「行かなかった!彼氏が違うとこ行きたいって言ってさ」
「えー、残念~」
通知が来ていることには気づいても、既読すらつける価値がないと判断して、その気になれずに私は放置した。どうでも良かった。私の世界で、彼の価値は無いに等しい。今だって私はみんなと話をしながら、何か私をちらりと見る彼の横を、通り過ぎていく。私は男の人のトロフィーや、アクセサリーではない。もう、そんなものにはなりたくない。求めてもらえることが嬉しくて、ただ応えていた。まるで、愛されているようで。付き合っている間は、そうだと勘違いできて。でもいつだって付き纏う虚しさが、私にその答えをいつも、明かしていた。どこまでいってもそれは勘違い、ごっこ遊び。誰かに愛されたい私の、馬鹿な行いだった。
こんな赤点でも授業は一応聞いているし、ノートもとる。ちなみに先生の話す、ちょっと本筋からそれた雑学なんかが好き。だからそれさえノートにメモする。役立つものは、ちゃんと。先生ってけっこう、教科書にない有意義なことを言ってると思う。マニュアルじゃ教えてくれないことを、マニュアルには容量が足りず載せられなかったことを、こっそり堂々と、この教室で。だけどみんなそんなことは結構、どうでもいいのかな。そもそも気づいていないのか。面白いのに。特に地理の先生は面白い。あの人は変わってる。いつだか素行の悪い生徒に、「あなたは地獄に堕ちなさい」と言ったとか、何だとか。そんな噂が立つくらいの変人。めちゃくちゃ礼儀正しい人だけど。でもまあ、先生ってのはあくまで仕事。職業。私達はその客、から預かっているペットのようなもの。だから、教師は私達を大事にする。金ズルからの預かり物だから。粗末にすれば自分の首を絞めるから。そんなものよね。にしても眠たくなってきた。英語の授業って1番嫌い。あ、でも体育も嫌いだし…。頭の中がちょっと今目の前の授業内容以外のことに埋まってきたところで、残り時間は後10分。チャイムが鳴るまでのその時間を、私は何とか寝ずに過ごさなければならなかった。
ちなみにうちの学校は、お弁当ではなく給食。それは有難い。自分で作る手間が省けるから。でも私は、食事をとるスピードがとにかく遅くて。時間内に全部なんてとても食べきれないから、適当なところで切り上げて、早めに食器を片す。残ったものはもちろん廃棄。…そもそも、取り分けられたこんな量だって、私の胃には入り切らない。胃も小学生並みかな。昨夜また、謙と通話して、その時に「お前ほんと身長いくつ?伸びた?」って馬鹿にされたから、私はこの時何かそんなことを思った。
迎えた放課後。いつも通り万理華からの呼び出し。こういう時は手早く楓に連絡して、「先帰ってて」って言う。楓は私が虐められていることを知っているから、私にそう言われたら、もう深くは聞かないでいてくれた。ただいつも、「大丈夫?」とだけ返信が来る。大丈夫。いつだってそう返す。楓を巻き込みたくないから。だけど。
「それさ、4組の宮寺さんとお揃いじゃない?」
あーくそ、ほんとこいつら目ざといが過ぎる。もうバレたのか。まあ、バレない方がおかしいか?人気者の楓と、日陰者の私。対照的な私達が、同じクリスマス帽を被った、全く同じ白兎のマスコットを鞄につけている。そんなの、目ざとくなくたって目につくか。よく考えればそうだと納得して、でも私はいっつも万理華の側に、金魚の糞みたいにいる後の3人に、突然体を押さえられて。
「…ちょっと、何…っ!」
抵抗するけど、私ってほんとちび。3人は私より背が高いし、力もある。こんなことしたって、何の意味も効果もない。そのまま、1人に鞄を奪われて、マスコットを外されて。鞄だけ、雑に捨てられた。
「はい、万理華」
万理華は投げ渡されたマスコットを器用に受け取ると、意地悪く微笑んで言う。
「宮寺さんとお揃いって、私の方が似合ってない?」
似合うか、馬鹿。思っても口答えはしない。そんな、相手を焚きつけるようなこと。黙り込む私に万理華は気を良くしたのか、続ける。
「そもそも何であんたが、宮寺さんとお揃いのものを持ってんの?宮寺さんと作間なんて、美女と野獣並みじゃん」
いや、私そもそも女…野獣って男のことでしょ。もっと上手い表現なかったのか、こいつ。でもこの答えはひとつだけ。今朝も言ったな、同じこと。呆れつつも私はまた、きちんと応えてやった。
「あんたに教える義理はない」
言えば待つのは、そうだよね。いつの間にか後ろから、小さな金属音。…はぁ。明日までにまた、頑張ってこの制服乾かさなきゃ。神様どうか、その兎のマスコットで、楓の元に波乱が起きませんように。願いながら私は極寒バケツ水を、久しぶりに被った。
「ねぇ楓ちゃんのそれさ!」
いつものお友達のうちの1人、梨々花ちゃんが言う。
「うん?」
きっと鞄についている兎のことだろう、聞き返してみれば、梨々花ちゃんは。
「2組の鴻上さんとお揃いだよね!」
予想だに、しないことを言った。え…?ちが、う。鴻上さん?誰?その人…。だけど梨々花ちゃんは、その鴻上さんを知っているようで、羨ましそうな笑顔で続けた。
「いいなあ、楓ちゃんと鴻上さんって、そんなに仲良かったんだ!」
…そんなわけ。そんな、知らない人とお揃いをするほど、仲が良いわけ、ない。きっとその鴻上さんという人は、何かでりっちゃんから、兎のマスコットを無理やり取り上げたんだ。2組、ならりっちゃんと同じクラスの人だし。もしかしたらその鴻上さんは、2年になってからりっちゃんをずっとクラス内で虐めている、首謀者かもしれない。そうじゃなくたって、虐めに加わっていて、それで。そう思うとものすごく、ものすごく腹が立って、私は俯きがちにこの両の拳に力を込めて、呟く。
「…違うの」
「え?」
落ち込んだ私の声に、梨々花ちゃんが不思議そうな声を上げる。もう、私は勢いのついた気持ちのまま止まれなくて、本当のことを梨々花ちゃんへと打ち明けた。
「これは、2組の作間律子ちゃんとお揃いなの。私の幼なじみで親友の、大好きなりっちゃんと。」
言えば、だけど女の子達の間で、2組の作間律子が虐められていることは、密かな噂として学年に流れている。それは全体にではなく、あくまで一部に。それでも梨々花ちゃんは知っていたんだろう。作間律子の噂。驚いた顔で、私へと聞き返してくる。
「…そんな。でも、作間さんって虐められっ子でしょ?楓ちゃんは、そんな作間さんが可哀想だから」
「虐められっ子って何?」
梨々花ちゃんに悪意なんてない。その言葉に悪意なんて。むしろ私への心配に満ちていることが、素直な梨々花ちゃんの表情から、よく見てとれる。だけど「虐められっ子」だとか「可哀想」だとか、そんなの、りっちゃんじゃない。
「可哀想って何。りっちゃんはただ、自分らしくいるだけ。それだけなのに、どうして虐められなくちゃならないの?」
りっちゃんには相応しくない。りっちゃんは私みたいに、はりぼてを選ばなかった。異質なものが弾かれるこの世界で、だけどりっちゃんは小さな頃から猪突猛進。真っ直ぐ生きる覚悟を持っている。私にはそう見える。失敗してもいい世界を、こんな私にも見せてくれる。優しくて、強くて、不器用なくらい真っ直ぐで。そんなりっちゃんが私は大好きで、ずっと、親友でいたくて。
「可哀想なんかじゃない。りっちゃんはとても自由な人なの。私はそんなりっちゃんに支えられてきたの。鴻上さんなんて人、私は知らない。」
はりぼてを、私ももう捨てようと思ったんだ。自分の前にずっとある、それを、少しでも鋏で切り取って捨てようと。部分的だっていい。本当の私を少しでも多くの人に、誰かに見てほしい。りっちゃんにとっての謙くん達のように、自然体の自分を認めてくれる友達が、私にも欲しい。私が全てを言い切った時、梨々花ちゃんは目を丸くしていて、それから。
「え~、かっこいい!」
「え…?」
目を輝かせて、そう言った。「かっこいい」なんて、いつも「可愛い」ばかりで言われたこともない言葉に、私は動揺して目を見開く。そんな私へと、梨々花ちゃんは純粋な笑顔を向けていて。
「そっかそっか。楓ちゃんと作間さんって、そんなに仲良しだったんだね!じゃあずっとつらかったでしょ。お友達が虐められてるのに、楓ちゃん、何も出来なくて…」
心配を、心からの気遣いを向けてくれて。そうだ。言われた瞬間蘇る。2年に上がって少しが経った、5月。りっちゃんが怪我をしているのに気がついて、「どうしたの?大丈夫?」と聞けば、りっちゃんは笑って言った。「大丈夫、楓は気にしなくていいから」。いつも何にでも本気のりっちゃんの、仮初の笑顔を初めて、私が見た瞬間だった。そのすぐ後に広がるのはそう、「2組の作間律子は虐められている」という噂。「作間さんって無愛想だしね」、「いっつも1人だし、怖い」。本当のりっちゃんを見ない人達の言葉に、それを聞いているだけの私でさえ何か怯えて。助けられなかった。真っ黒に渦巻く何かから。今だって、りっちゃんは虐められていると知っていて、私はなのに何も出来ないまま。その上、ほんの少し前にはあろうことか私まで、りっちゃんを「虐められっ子のくせに」と、内心で見下した瞬間さえあった。自分に余裕がないからって。苦しいからってつらいからって。これじゃあ。…これじゃあ私、お母さんと一緒だよ。梨々花ちゃんの優しさから色んなことを思い出して、俯いたまま私の目には涙が浮かぶ。そんな時、私の隣に誰かが立った。
「んじゃあ、さくっとそのマスコット、鴻上ってやつからりっちゃんのとこに戻そ!」
その声にも言葉にも、驚いてそちらを見れば、そこにはいつも一緒に行動する、お友達のうちの1人、叶恵の勝気な笑顔が。…鴻上さんから、りっちゃんにって。呆気に取られる私に、叶恵は続けて言う。
「楓の友達は私達の友達でしょ!それでいーじゃん」
いっつも先生に指導されてる派手なメイク。「せめてネイルはしないでやってんじゃん?」と言いながら、だけど立派に伸びた爪。カラーはしてないけれど、綺麗に巻いた長い黒髪。ギャルのお手本みたいな彼女の言葉は、ギャル精神?ってやつなのかな?わからない。でも嬉しくて強く勇気づけられて、私は笑った。
「ふふ、そうだね!ありがとう、叶恵」
「全然!」
「あ、じゃあ私、るーちゃんと愛ちゃんにも教えておくよ!」
「ありがとう、梨々花ちゃん!」
ずっと、「人気者の宮寺楓」だから仲良くしてくれていると思っていた。私の本質に触れればきっと、みんなは離れていくと思っていた。そうじゃない世界も、あるんだ。知らなかったな。私は、はりぼてに隠れるあまりに、何もかもを見失っていたのかもしれない。はりぼてで自分の視界までもを、埋めつくしていたのかもしれない。そんな私を、目の前の大きくて分厚すぎるはりぼてから連れ出してくれるのは、やっぱりいつも。美味しいチョコチップマフィンをその手に餌として持つ、りっちゃんだ。
あーあー…。昨日は放課後、楓と帰らなかったから、マスコットを奪われたことはバレずに済んだ。でも今日は駄目。万理華のやつ、私がよく楓と一緒に帰っていることを知っていて、今日はわざと放課後に虐めてこないんだ…。早く帰れ。というか早く楓に、マスコットのことで色々責められろ、ついでに友情崩壊しろってことね。言われなくたって、してくるわよ。そうするしか、道はない。何て言おうか…。もっと自分が賢ければ、こんな時上手い立ち回りが、言い訳がもっとたくさん出てきたはずなのに。荷物をまとめて教室を出て、楓から何か連絡がないか、いつも通りに確認する。そうすると運良く、楓からのメッセージが来ていて。そこには更に運良く、「今日はクラスのお友達と、ちょっとお話してから帰るから、遅くなります。りっちゃんは先に帰ってて!」の内容が。可愛いチョコチップマフィンの絵文字付きで。何でチョコチップマフィン?楓の好物だからかな。思いつつ。…はぁ、よかった。小さく、ため息が出る。そのため息は、1番の友達と帰れないことを、運良くなんて思った自分への呆れでさえ、あった。
「りっちゃんは帰ったよー!五木さんはまだ教室にいる!」。2組の教室を、偵察に行っている梨々花ちゃんから、そうメッセージが来る。それを見て、ルミカちゃんが自信に満ちた声で、言った。
「絶対取り戻す!正面突破だ!正攻法だーっ!」
まるで、そうなる未来しか見えていないようなその声音に、私もみんなも思わず笑みが零れて。
「じゃー行くよ、楓。愛も、いい?」
「今からそっちに行くね!」。梨々花ちゃんへとそう返信する私に、叶恵が言う。私は「うん!」と頷いて、それから愛ちゃんも同じように、「任せて」と小さく微笑んだ。何ていうか、誰かと明確に衝突するこんなことは、自分の人生の中で初めてで。緊張する…。でも、あの白兎のマスコットは、他でもない私とりっちゃんのお揃いの兎さんなんだ。他の誰かが、それを奪って邪魔したりなんて、してはいけない。…大丈夫!意を決して私は、自分の教室から足を踏み出した。
「こんにちはー!鴻上さんいませんかー?」
無邪気に梨々花ちゃんが2組の教室内へと、出入口からそう声をかければ、その声にみんなが一斉にこちらを振り返る。「あれ、宮寺さん?」、「えー何で」。何か小さく囁かれるそれが、いつもは気になって仕方がないのに、今は何も気にならない。りっちゃん、待ってて。
「何か用?」
呼ばれてこちらへと足を運び、大人っぽく微笑む彼女は、けれどそれもほんの少し前までの私と同じ。作り物の笑顔、のような気がした。
あの宮寺楓に呼び出された、ともなれば、予想はつく。作間から奪った、この兎のマスコットのことだろう。私はそれを、作間がこっそり取り返すことのできないよう、自分の家の鍵につけていた。鍵はいつも制服のスカートのポケットに忍ばせていて、大きなマスコットだけが私のスカートのポケットからはみ出し、しっぽか何かみたいに揺れる。それを、宮寺さんはやっぱり見て、柔らかく微笑んで言った。
「鴻上さん、それ、どうしたの?どこで手に入れたの?」
「買ったわ」
その問いに白白と嘘をつけば、宮寺さんの取り巻きの1人、明らかにギャルのそいつが、目をつりあげて声を上げる。
「なわけねーだろ。それ、こないだのクリスマスマーケットでしか売ってないやつなんだけど」
それがどうしたって言うのよ、そんなの。
「だから、買ったのよ。そのクリスマスマーケットでね」
認めて堂々と嘘をつけば、それでいいじゃない。証拠なんてどこにもない。これが私のものであるという証拠も、反対に、作間律子のものであるという証拠も。
「…認めないんだね」
宮寺さんが私をどこか鋭く見て、そう呟く。声は優しい。なのに内は怒っていそう。へぇ、この子こんなに、強い感情表現もするんだ。見ているといつも、穏やかに柔らかく笑って、それこそ誰にだって八方美人な感じだと思っていたけれど。勘違い、か。思っていたのとは違う、実物の宮寺さんに、私は冷静に言葉を返す。
「何を?」
微笑んで、しっかりと。何を認めて、何を認めないの?証拠なんて何も無いじゃない。笑う私に宮寺さんはそれでも、言った。
「認めないなら、おんなじだね」
「は…?ちょっと」
「やったあ、ゲット~!」
宮寺さんが落ち着いた声で「同じだ」と呟いた時に、横からさっと、子供っぽいやつにマスコットをくすめとられる。もちろん鍵ごと。同じって、そういうこと…!取り返そうとするけれど、その子はすばしっこくて、何にも捕まらない。おまけに、捕まりそうになったら別のやつにマスコットを投げて、最早私は。行き交う鍵付きのマスコットを追いかけているうちに、5人に囲まれ、何か。
「…ね、同じだよね」
いつも、自分が作間へとしている図と、同じになっていた。傍から見れば、確実に同じなそれに。私の鍵のついたマスコットは、今は私を冷たく見据える宮寺さんの手の内。鍵ごと奪おうっていうの?確かにそうしたら、この先私は作間に手を出しづらい。自宅を、そこで暮らす人達を、人質にとられているようなものだから。失くしたくらいじゃ、ちょっと脳天気なうちの親は鍵を換えたりなんてしないし。負け、た。悔しい頭で考えているうちに宮寺さんは、マスコットから私の鍵だけを外す。そうね、作間にそんなものは不要。いるのはあんた達。何だ、美人で優しいと有名な宮寺さんも結局は、腹ん中真っ黒じゃない。思って、マスコットだけがまた、あの子供みたいにすばしっこいやつへと投げ渡される。
「ナイスキャッチ~!」
はしゃぐその子を置いて宮寺さんは、私の前に歩み寄ってきた。そうして、私から奪ったはずの、私の鍵を差し出して、言う。
「ごめんね」
「…え…?」
謝られたってわからない。何がよ。宮寺さんは怪訝な顔をする私に続けた。
「酷いことをしちゃって…。でも、それくらいあのマスコットは、私とりっちゃんにとってとても大切なものなの。証拠なんてどこにもなくても、わかるの。それがりっちゃんのものだって」
「酷いことをして、ごめんなさい」。宮寺さんは私へと、深く頭を下げた。真っ直ぐな謝罪に、私は自分が醜くなる。この瞬間私は自分が、誤魔化したって醜いと、感じてやまなくなった。おんなじ。同じように、私は作間律子と出会い、作間を見ているうちに、自分が醜くなった。醜いとしか思えなくなった。2年に上がったばかりの頃、同じクラスで私が1番早くに仲良くなったのは、作間律子。ひねくれた性格が似てるからだと思う。なのにあいつは。ひねくれてるくせに、「そんなのかっこ悪い」って、いつも自分の行きたい道を行くんだ。「ひねくれたままでいたくない」って。「周りがどんなにひねくれていようと、私は私の思う自分になりたいんだよね」。いつか知った律子の気持ち。私もそうなりたいと、自然と惹かれ、願った。だけど同時に、そんな考えへと、律子と同じ時間を生きてきたくせにまるで至らなかった自分が情けなくて。人間として未熟な気がして、劣ってて。…醜くて。その上あの子は美人じゃないのに、可愛い。小さくて、体は子供みたいだけど顔が可愛い。声も、アニメか何かに出てくる女の子のキャラクターみたい。私は何か中途半端。宮寺さんのような美人とはとても言いきれず、律子のような可愛さなんてまるでない。皆無。無理に背伸びして誰かと仲良くしなくても、1人を楽しめる律子さえ、律子のそんなところさえ、羨ましかった。私は、私に対する周りからの評価がいつも怖い。「鴻上さんって」。その声で、私はできている。24時間常に変わっていく。律子のようになれない。すぐに仲良くなって、そしてそれはすぐに、嫉妬と恨みに変わった。自分ですら、理不尽だって理解しているくらいの、それに強く。私は頭を上げて、「これ…」と、また申し訳なさそうに私へと、その綺麗な白い掌の上に乗せた鍵を差し出す宮寺さんから、鍵をひったくる。ように受け取る。みっともない、私はまた醜い。虐めたって、何にもならないことはわかってる。皆が律子を嫌いになればいいと思うのに、周りの反応はそう上手くいかなかった。「作間さんが可哀想」、「鴻上さん怖い」。そんな声が密かに、ずっとくすぶっているのを私だって、馬鹿じゃない。だから知ってる。だけど止められない。1度始めてしまったから、止められない…。どこまでも醜い私に、宮寺さんは言った。とどめを刺すように。
「りっちゃんは、鴻上さんのことが好きだと思うなあ」
真っ黒に染まった私の心を、白く浄化するように。
「すごくたまにね、どうして虐めてくるんだろうって、私に聞いてくるの。それに私が一般的な答えを示しても、りっちゃんはそれじゃ納得しない。だからりっちゃんはずっと、あなたのことを理解したいんじゃないかな」
この子、頭良いんだな。最初に律子に対して思ったことが、今また私の脳裏を過ぎる。律子は考える天才だ。テストはいっつも赤点の馬鹿だけど。だから”赤点常連ちゃん”なんて呼んで、友達だった頃、笑ってからかったっけ…。律子もそれに、「ばーか」と返して可笑しそうに、笑ってた。まだ、考えてるのか。とっくに違えた、私なんかのことを。
今日は上手く、楓と顔を合わさずに…というか、マスコットが私の鞄についてないということが、バレずに済んだ。問題は明日だ。きっと万理華は、私と楓の衝突が確認できるまで、放課後は私に一切の干渉をしないはず。本当、どこまでも頭回るんだから…。対して私。まだ上手い言い訳が思いつかない。何言ったって、何かで楓を傷つける未来しか、私には浮かばなくて。でもまさか、本当のことを言えば心配かけるし…。だけど、万理華はあの兎のマスコットを、いつも堂々と身につけている。多分私が、自分の目のないところでこそこそと取り返せないように、本当にその身につけて。「それ、万理華とお揃いなんだ」と、楓の友達経由とかで楓へバレる前に、私本人からバラしたほうが、いっそ…。あああ。正解がわからない。むしろ正解なんてないのか?上手いこと、何もかもが無傷のまま綺麗に終わるなんて、そんな道が今回は浮かばなくて、私はたまにくる宙からの着信を、この時無視をした。
翌日。教室について気がつく。…あれ、万理華、マスコットどうした…?万理華が私から奪い、そのポケットからはみ出してまでつけていた、私のマスコットが今日の万理華には、ない。鞄につけたとか…?いやでも、見る限りどこにもない。取り巻き達の持ち物、姿、全部を遠くから確かに見たってどこにも。え、まさか失くした?さすがにそれは困る。取られた時点で困ったけれど、失くされるのはもっと。内心焦る私を万理華は一瞬冷たく見て、それからすぐに目を逸らした。
…ど、どうしよう…。落ち着かないままさっさと放課後。今日はここまで万理華達から、悪口のひとつも言われなかった。万理華達以外は私を虐めてこないから、同じクラスのやつらも普通の、なんて平和な1日。だけど私の内心がそうじゃない。めちゃくちゃ不穏な1日。…あ、まさかこれも万理華の計算のうち…?新手の虐め?ああ、なら頷ける。でもどうしよう。楓に、今から一緒に帰る楓に、マスコットがないことは予定と違わずバレる。言い訳は相当考えた。だけどどれもこれもしっくりこないまま、私は楓の前でどれを口走るのかな。いつも通り、昇降口で楓と待ち合わせ。そこに私はつい、考え事をするあまり俯いて行く。そうすれば。
「りっちゃんかーえろっ!」
驚いて最早声も出ない。いや誰。あんた誰。私より背は少し高い。だけど確実に子供っぽくて無邪気、天真爛漫という言葉がぴったりそうな女子生徒に、横から急に抱きつかれて、私は驚く。何も言わず、自分を見て訝しげな顔をする私に、その子もまた不思議そうにした。
「あれ?りっちゃん、私と帰るの嫌?」
嫌とかじゃなくて…。そもそもあんたは誰って話。こんなやつ、私知らないわ。どっかで知り合ったっけ?ていうか”りっちゃん”って。よく考えれば、その呼び名が答えだ。そこに気がついた時、楓とあと3人の女子生徒が、向こうから駆け足でこちらに来る。
「りっちゃーん!ごめんね、待った?」
いつもの楓の声にでも、何、何で。理解が追いつかない。この、私に抱きついてきた子が、楓の友達なのはわかった。”りっちゃん”と私を呼んだから。後の3人もきっとそう。だけど何で?私達はいつも2人で下校していたはず。驚きと、何か、仲間外れにされたようなそんな気持ちが、私の心を突いた時。私の前に来た楓は、笑顔で私へと、もうこの3日間の私の悩みの種であった、あの兎のマスコットを差し出した。
「これ…」
もう、これさえ意味がわからない。どうして?聞くことも驚きすぎて、口が追いついていかない。そんな私に、明らかにギャルなそいつが口を開く。
「あんたのでしょ、りっちゃん!」
だからその”りっちゃん”て。呆れた時、ハーフか何か?癖のあるブロンドの、髪の長い女の子まで言う。
「私も楓ちゃんとお揃いしてみたいな~、りっちゃん!」
だから。
「りっちゃん、小さくて可愛い。髪、綺麗」
「あー駄目っ!りっちゃんは私のー!」
…だから、この子達は何なのよ。わかんないのに、私のことをもう元から知ってる、仲良しの友達みたいに、みんなはする。私と同じくらいの長さのある、大人しそうな黒髪の女の子と、最初私に抱きついてきたその子が、何か私の取り合いを始めて。何これ。何の茶番?そんな2人に苦笑しながら楓は言う。
「りっちゃん、これね、みんなで取り戻してきたの。受け取ってくれる?」
この子供っぽい子、意外と力強い…。大人しい女の子も意外と我が強い。2人に抱きつかれ腕を引っ張られ、潰れかけ裂けかけながら私は、楓が手にする白兎のマスコットを見る。…みんなで。それは。楓が、私のことをこの人達に話して、みんなで万理華と向き合ったってこと?そうか、だから。どうやって楓が、私が万理華にマスコットをとられたことを知ったのかは、わからない。…でもそっか。ずっと、気遣いしいなあまり、八方美人だった楓が。本当の自分でいられる友達を、増やしたのか。増やせたんだ。それが嬉しくて、安堵して私は、差し出されたそのマスコットに手を伸ばす。受け取ればきっとこれはもう、単純な私と楓のお揃いなんかじゃない。
「…うん、ありがとう」
それでもわかっていて、ううん、わかるからこそ笑顔で受け取る。手にした瞬間私達6人は、友達だ。名前なんてまだ知らなくたって、顔なんてまだ上手く覚えられなくたって。相手を優しい気持ちで思ったその時から、もうとっくに。
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