第20話 妙薬

「大丈夫か?」

 ラウルの長竿を振るう姿を驚きの目で見ていたシド少年が我にかえる。 


「ふっ。君も無茶をする」


「その傷、ちょっと見せてみろ」

 切り裂かれた衣服の跡から赤く血が滲んだ腕にラウルは目をやる。


「あ、ああ。い、嫌……」

「よ、よくある事なので……大したことは……」


「ちゃんと手当をしないと、竿さおが握れなくなるぞ」


 その言葉に、少年はビクリッと肩をあげた。

 そして、気まずそうに傷を負った腕を差し出した。


 ラウルがシド少年の着物をまくり、傷の具合を診る。

 そして腰にさげた革袋の中をゴソゴソと探る。

 小さな箱を取り出すと、中に詰まった軟膏を少年の斬り傷に塗る。


「ちょっとしみみるぞ……」


「ひっ」と小さく声を発した少年は、目を細めた。

 が、次の瞬間その目を見開いた。


 斬り傷があっという間にふさがり、治癒してしいく―――。


「これは知り合いの娘からもらった傷薬だよ。良く本当に効く……」

 と実感を込めた口ぶりでラウルは一人うなずいた。


 ふと、こそばゆい視線に気付き顔を上げると、目の前の少年の瞳が輝いていた。


「あ、あんた凄腕の剣士さまか?」


「あんた、もしかして内傷にも効く薬を持ってないか?」


 少年はラウルに襲いかかりそうな勢いで問いかけてくる。


「あ、ああ。持ってるよ。もしもの時の為に」


 少年がコクリッと唾を呑み込んだ。


「あのさ……さっきは悪かったな」

「あんな言い方をして……」


 シド少年が身を縮め、申し訳なさそうに頭を掻いた。


「あの……実は……俺の……病人を診てもらえないかなぁ?」


 少年の眼差しにラウルは即答した。


 ◇◆◇◆ 妙薬


 シド少年はラウルを船着き場の離れに建つ家の奥部屋へと案内した。


「姉さんっ」シドの声が弾む。

 部屋の奥間に静かに横たわる人の姿。

 若い娘の横顔が細い息を発て、床間に寝ている姿があった。


 シドの弾んだ声に、横たわっていた娘がゆっくりと目を開けた。

 

 シドの後ろに立つ人の姿に気づいた様子で、その娘は唇を噛むと辛そうにゆっくりと寝床から体を起こそうする。 

 「姉さん!ダメだっ」慌ててシドが娘の体を支え、また床にゆっくりと寝かした。


「こ、この人は……誰……?」


 娘は衣服の襟元を隠す様に整えると、弱々しい声でたずねた。

 

 ラウルは娘のその姿に目を細めた。

 血の気の無い青白い肌。そして生気が失せ、遠い目をした弱った瞳。


 息を飲んだ。

 思わず、ラウルは娘の手を取る。


「きゃっ」娘はビクリッと体を揺らす。

 が、ラウルは躊躇ちゅうちょなく娘の手首をとる。

 その細った娘の手首に自分の手の平を重ねた。


「…………」

「気脈が、かなり乱れている」

「君は、もしや……」


 娘の虚ろな目を診たラウルは、口をつぐみ押し黙った。


 「自分の怪我は自分で治す」が剣士の心得である。

 当然、闘いで負った怪我の治療、病気や薬学の知識も身につける。体内の気血を巡らす鍛錬も日々行う。


「姉さんは?」「姉さんは大丈夫?」


 ラウルは考える込む様に自分の人差し指を小さく噛んだ―――。


 ふと目線を上げる。

 ひび割れた唇から細く息をする娘を見つめた。

 

 ラウルは腰の革袋の中から小さな壺を取り出した。

 壺を振ると、紅い薬丹の粒が手の平に転げ出た。


「大丈夫。これを飲むといい」

「薬に詳しい娘が作った薬だ」

「ちょっと規格外な薬だが、良く効くよ」


 と紅い薬丹を娘の手の平に置いた。


 娘はまぶたを開けたり閉めたり、まばたききし、薬丹を見つめた。

 そして、薄い唇を開き、か細い声をもらした。


「こんな……大地の精気が……」


「こ、こんな高価な薬丹……頂けません」


 ラウルは大きくほほを緩めた。


「これを精製した娘はね……」

「この薬が困った人の役に立って、すごく喜ぶと思うよ」


「…………」


 娘は、手の平にのった紅い薬丹を見つめ、礼をする。


「ちょっと苦いよ……」

 とラウルは娘の口に優しく含ませ薬丹を飲ませた。


「うっ……」


「ね、姉さんっ大丈夫か?」


「……」

「苦いぃ……」涙目と一緒に鼻をすする。

 思わず口に手を当て娘は顔をゆがめた。


「ふっ。僕も初めて口にしたときは、その娘を恨んだよ」


「…………」


「ふっ。ふふっ」娘が思わず笑みの声をもらす。


 笑った娘の肌が、ほのかに桜色に染まる。

 唇に赤見が差し、甘い吐息が漏れた。


「姉さん?」


「すごい……体が温かい……」

 と娘は、変化していく自分の身を確かめる様に肌をなでる。

 そして自身の両肩を抱くと、鼻をグスリッと鳴らした。


「…………」


「剣士さま。ありがとうございます。」

「こんな貴重な薬を」


 潤んだ娘の瞳がラウルを見つめた。


「もう少し回復したら、気血の巡らしかたも教えるよ」

「そうすれば、自然と治癒力も上がるからね」


 笑顔する娘に、ラウルは優し気な眼差しで返礼の笑顔を返した。


 ◇◇◇

 

 翌朝。

 川辺に青年の姿があった。

 白いもやが覆った静かな川面に剣風が走る。

 外界を遮断する程に切立った岩々の壁肌に、剣戟の音が響き渡っていた。


 船着き場に併設する宿で一夜を過ごしたラウルは、日課である朝の鍛錬で剣を振る。 


「剣士さま」

 ラウルの側らで剣技を観ていたシド少年が声を発した。


「剣士さまは、何故あの山に行きたいんだ?」


 剣先がピタリッと止まり、音がやんだ。

 

「…………」すうっと息を細く吐く。


「護りたい人がいる―――」


 ラウルの手元から水平に伸びる美しい銀の刃が光の粒にとけた。 


「…………」

「剣士さま。俺が案内するよ、霊峰ガリアードまでの道」


「姉さんを治してくれた礼がしたいんだ」


 剣先がすうっと風のように動いた。


「ありがとうシド」

「宜しく頼むよ」


「僕の事は、「ラウル」と呼んでくれ」

 

 と白い歯を見せ笑顔で答えるラウルにシドが辺りに目を散らせながら頭を掻く。


「じゃあ……あんたのこと…………」

「と呼んでもいいかな?」


 ラウルが手を差し伸べた。

「宜しくな、兄弟」


 シドが少し恥ずかしそうに右手を差し出した。



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