第2章 剣士の旅

第17話 魔物の噂

 赤いコートのフードを降ろした彼女が、その顔を覗かせる。

 ふわりと髪を揺らし、艶やかな薄紅色の瞳が僕に話しかけてくる。


「三年後に……またこの場所で逢いましょう」

「あの青い星が輝く夜に……」


「ラウル。その時が来たら二人で旅をしましょう」


 彼女の大きく見開かれた輝く瞳には、僕の戸惑い驚いた小さな顔が映っていた。


「―――レイ。待ってくれ……」

 僕は彼女を離すまいと両手を伸ばした。


 しかし、その手はあと少しのところで届かない。

 目の前で微笑む彼女にふれられぬもどかしさ、湧き上がる言葉が胸を押す。

 喉元でつかえたその言葉がもどかしい。


 だんだんと薄れ遠のいてゆく彼女の姿に僕は叫んだ―――。


「レイ…………」



「お兄さま……」「ラウル兄さまあっ!」


 僕を呼ぶ声に、はたっと目を開けた―――。


 目の前に心配そうな顔をした妹のアンジュの顔があった。


 …………僕はゆっくりと瞬きをする。そしてまた目を閉じた。


「―――お兄さまっ大丈夫ですか?」

「すぐに御医者さまを呼んで来ますから!」


 …………どうも僕は気を失っていたらしい。

 そう、剣の稽古の途中だった。

 

 木々の木陰に横たわっていた僕は、途切れ途切れに浮かぶ記憶をつなぎ合わせた。

 

 急いで立ち上がろうとするアンジュの腕を僕は掴むと、引き止める様に腕を引き寄せた。


「大丈夫だよ。アンジュ」

「でも、お兄さま、こんなに血がっ!」


「ちょっと手元が狂っただけだよ。心配ない……」


 アンジュの肩越しに目線を向ければ、周りの木々や枝葉が斬り刻まれ散乱している。まるで戦の跡の景色だ。


 今にも泣きそうな瞳のアンジュが僕の胸に額を押し付けて来た。


「もう心配させないでください!」

「お兄さまに何かあったら私は……」ぐすんっと鼻をならす。


 慌てて謝りながら小動物の様に体温が上がったアンジュの小さな背を摩った。


 ◇◆◇◆ 魔物の噂

 

 妹のアンジュをなだめながら僕らは屋敷へと戻る。

 まだ心配そうな目をするアンジュと一旦別れ、僕は一人、部屋に戻った。


 立ち去ったアンジュと入れ替わる様に、執事長が部屋に入って来た。 

 着替えを手にした彼は、無言の表情で眉をひそめる。


 彼の名はエド。既に国事の第一線を退いた元、近衞士だ。今は、領府であるこの屋敷の執事を取り仕切る執事長であり、ラウルの教育係も務める文武を兼ね備えた頼れる老紳士である。


 手慣れた様子で破れた衣服をたたみ終えた執事長エドが問う。


「―――ラウル様」

「最近、剣の修練が激し過ぎるのではないですか?」

「剣の腕とは一長一短では上がらぬものですよ」

「そんなに焦らなくても……」


 と、彼はラウルの剣を手に取ると鞘から剣を抜く。

 その刃の具合を確かめる様に目を細めた。


「エドは魔法使いと闘った事はあるかい?」


 問いかけに、武人の目をした彼は握った剣身を静かに鞘に納めた。

「私は数度、手合わせした事はありますが……」


「エドが勧めてくれた、あの魔法国……」

「そこで闘った魔法使い―――すごい魔法使いだったよ」


「僕も魔法使いと初めて闘った」

 言葉と一緒に握りしめたラウルの左手拳がゴキュリッと鳴った。


「ヤツは、力の一端ほどしか見せてはいなかった」

「その力量は計り知れのないほどにね……」


 執事長は大きくうなずいて見せた。


「ラウル様がそのように感じたのなら……」

「その魔法使いは、相当な使い手なのでしょう」


「しかし、ラウル様」

「魔法使いとの闘いは、剣士同士の闘いと比べ根本の次元が違います」

「高位の魔法使いであったなら、なおさらの事……」


「先の魔法国との戦でも、御父上様を大いに苦戦させましたからね」


 静かに淡々と言葉を吐く執事長の表情とは逆にラウルは拳を固く握り歯を噛んだ。


「―――僕は剣士として」

「王国に仕える騎士として、戦わねばならない敵だよ」


「この国を護り、この領土を護り、民を護らなければならない」

「そしてっ―――」


 自分に向けられた執事長の奥へ深な視線に気づき、はたっと言葉を呑む。

 

 ラウルは窓の外を見た。

 その広がる青い空。魔法国へとつながる国境の無い自由な空。

 生き物のような白い大きな雲が形を変え、魔法国へとゆっくり流れていく。


(レイ……僕は君を護りたい……)


 はあぁと大きく息をつくと遥か遠くに見える彼方を見つめた。


「…………」「…………」


「ラウル様」

「早く御着替えになって食堂においで下さい」

「お嬢様が心配して御待ちですよ」


 執事長のエドが部屋を出て行こうとして、ふと、その足を止めた。


「そう言えばラウル様……」

「ここから、ずっと西へ行くと国境にあたる山岳連峰をご存じですか?」

「その山の一つに、人ならざる魔物が出ると噂の場所がございます」

「その魔物の中には魔法を使うモノも存在するとか……」


「そこで―――対魔法戦の実戦をなさったらどうですか?」


 執事長のその言葉に、空を見ていたラウルの体が反射的に振りかえる。


「これは領府の上層部に報告された調査結果なのですが……」

「その山は、古く『霊峰』と呼ばれる魔物たちの巣窟だとか」

「時折、近隣の村里に魔獣が現れるのも、その山から出現しているでは、との報告がございました」


「しかし、その山は古くから伝説が語られる禁断の地。容易に人が立ち入れぬ場所でございます」


 ―――本当にっそんな場所が……。

 ラウルは、無意識のままに自分の剣を固く握っていた。


 

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