第29話 変換点
隣国からの仕事を終え、帰ってきた母と補佐官の二人を前にして男爵様が静かに告げた。
「今、ここで聞きたい事がある」
と。
「君も疲れているだろうから前置きはいいだろう。
単刀直入に聞こう。君は私に薬を盛ったね。製造が禁止されている魔法薬を。先妻のラヴィーと君、娘のアルディシアと君の娘のソフィリア、それぞれを混同し、ラヴィーの愛情が君へ、アルディシアの愛情がソフィリアへ向くように仕向けたね」
魔法薬の効き目って凄いのだと思った。男爵様はずっと母を愛していたと思わされていたようだ。
なんかね、記憶の混同というか挿げ替えがあるのだそうだ。奥様との思い出が、母との記憶にすげ替えられてたそうな。
薬を飲まされていた初期の頃ならば、誰かに指摘される事があれば、特にこの場合は奥様に否定されれば、記憶がはっきりすることもあるんだそうだけど。でも奥様、鬼籍だから。それに、昔のことを話す機会なんてそうそう無い。
ただ、そのため記憶が混濁を起こすことが無かったようで、素直に元に戻ったようだ。
男爵様と母は、学園時代は同期で同じクラスだったそうで、顔見知り程度ではあった。でも母と奥様は仲が良かったらしい。だから、学園時代の記憶の挿げ替えが、かなりされていたらしい。婚約者として過ごしていた思い出が、母との思い出にすりかわってしまっていたのだという。
奥様の体調が悪くなり寝込んでいる時期に、母は見舞いに何度も訪れていたんだそうだ。仲が良かったから奥様の身を案じて、みたいな形が通った。そこで男爵様に近づいていき、色々と話し相手になったりして、一服盛ったのだろうと推測される。
男爵様もどうやらその辺の記憶は曖昧になっているらしく、はっきりしない。でも、そういう関係になったのは、奥様が寝込んでからみたいなので、ここ数年の話だという。これは、私にとっては衝撃の事実だった。
魔法薬による記憶などの混同が解けるにあたって、男爵様はすぐに母について調査した。母の過去については、ちょっと調べればすぐ判ったそうだ。というより、騙されていたとは言え、事前に何も確認せずに結婚しちゃうなんて、魔法薬の効き目っていうのが凄すぎないか。自分が囲っていたと思い込んでるからそんなものなのかな。
母は、学園を卒業し侯爵家の侍女になったらしいのだけれど、そこでトラブルがあって解雇された。その後、その侯爵様と愛人契約をしていたことが判った。解雇された理由はお察しだ。
でもあまり身持ちが堅かったわけではなかったそうで、他にもいたとか。少なくとも私は男爵様の娘では無かったのだ。私の父親には侯爵様も含め何人か候補がいるそうな。母の貸金庫から、愛人契約書と収支を記帳した手帳が出てきた。とてもまめな性格できちんと契約や記録を取っておいたみたいだ。
貸金庫は、夫というだけでは調べられない。今回貸金庫まで調べられたのは、禁止された魔法薬が使われたからだ。すでに、男爵様の訴えを受けて、徹底的に調べられている。
男爵様は死んだ奥さん一筋で、一粒種のお嬢さんをかわいがっていたらしい。それが、いつの間にか母と関係を結び、母と再婚するという事に。その前に昔からこの家に仕えていた執事を罷免したという。
この執事は男爵様の学生時代のことも良く知っている人だったそうだ。母と男爵様が何も関係が無かったことを知っていたため、難癖をつけて母が願って辞めさせたそうだ。自分に手を出そうとしたとかなんとか言って。
その頃の男爵様は、魔法薬が効力を発揮していて母にぞっこんになっていて、この執事さんを解雇しちゃった。でも、現在の彼を探し出して話を聞いて確認を取ったのだとか。で、今、執事さんは男爵様の後ろに立っている。
男爵様は執事さんと再会したときに、謝っていた。執事さんは薬を盛られていたと聞いて得心がいったみたいだ。別のお屋敷で働いていたようだが、今回のことでそちらを辞職し、戻ってきてくれるという話になった。
私もきちんと解毒薬の話などを彼に証言した。あー、だから本当のことはすんなりと調べが付いた。
現在、この執事さんの証言の元、男爵様は記憶のリハビリ中でもある。何が本当だったのか、記憶が修正されたとしても不安なんだそうだ。
それに薬効が切れたので大分戻ってはいるらしいのだけれども、混同している部分も多少は残っているのだとか。解毒薬も凄いと思う。記憶に干渉したり、元に戻したりって薬も凄いけど、人の記憶って何 ? と思わず考えてしまう。
この魔法薬はかなりの効き目があることから、製薬禁止になっているものだとアクシィア様が教えてくれた。表立っては、調合方法は破棄処分になっている。彼女に見せて貰った本は禁止薬まで記載されているかなり貴重な本だが、レシピなどは全く記載がなかった。それでも本来ならば、持ち出し不可の本だったようだ。
どこかにレシピが残っているのか、時々調合されることがあるそうだ。
ただ、一度か二度ぐらい飲ませてもすぐに効くわけじゃない。相手が疑問に思い、記憶を正しくしようとする度に魔法薬を飲ませないといけないらしい。初期であれば、解毒薬ですぐに元に戻るそうだ。
それでも、それを何度か繰り返していく。そうすると記憶が入れ替えられるらしい。再婚したのもこの薬の効き目あってこそ、だったんだねえ。奥様が亡くなられて直ぐに再婚していないのは、多分魔法薬の効き目が効く期間の問題もあったのだろう。
男爵様の奥方ではなく、私の母を愛していて昔から囲っていたとまで思わせることができるなんて、なんて凄い薬だろうと思う。
そりゃ、作るのや使用が禁止になるはずだよね。需要があるのもよく分かる。魔法薬の効能を発展させれば、とんでもない薬になりかねない。
義姉のもつ母親の形見を入手することに固執したのは、成り代わるためでもあったんだろうな。
「例えば、本当に愛した者への贈り物を代わりに身につけて錯覚を起こさせるという事もありますわ。そうすることによって、入れ替えの錯覚をより増大するそうです」
そういえば、アクシィア様が前に言っていた。それを聞いていたのに、母が入れ替えの主体だと、まったく気がつかなかった。
最初、母はそれを私の身につけさせようとしていたから、そっちが主眼だろうと思い込んでいたのか。
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