第105話、王子様のおトイレ事情


 ラウディは、王子である。


 本当の性別は女性であり、本来は、姫なのだが、何故か王子だった。本人が自称しているわけでなく、王族の中でもそういう認識なのだから、彼女の意思がどうこうというもので王子をやっているわけではない、とジュダは察している。


 どうして彼女が王子なのか。それは国家機密の類いであり、以前のジュダならば、どうせ家族の事情だろうと知ろうともしなかった。

 人の家庭に首を突っ込むのは野暮であるし、仮に知ったとて、それが何だというのか。知的好奇心を満たすだけの、ただの自己満足だ。


 しかし、ラウディと親しくなり、互いに好意を抱いていることが明らかになってくると、話も変わってくる。


 ジュダの本音を言えば、間違ってもスロガーヴは、レギメンスと家族なんてゴメンだ。しかし親密と言っていい関係ともなると、家族の秘密も多少なりとも明かしてくれてもいいのでは、とも思うのだ。


 浅ましいとジュダは感じる。以前の自分なら、関係ないねで済んでいた。だが秘密を共有する関係ならば、知っておいたほうがいいのではないか? 彼女に仕える騎士という立場になるのなら特に。


 ……と理論武装で固めたものの、今のところ聞き出せずにいる。やはり、プライベートな面はきっかけが掴みにくいのだ。


 閑話休題。


 ラウディは王子である。世間でもそうなっている。

 そしていい歳の王子様だから、そのハートを射止めようとする貴族令嬢たちが狙っている。


 婚約者がいない。つまりは、ラウディ王子に気に入られれば、結婚して未来の王の伴侶となる可能性があるのだ。

 それは貴族生の親たちも同様で、王族との関係を密にする意味でも大いに推奨していた。そして我が娘をぜひに、と虎視眈々と機会を狙っていた。


 先日のイベリエ魔法国の姫の来訪は、婚約者がいない王子というラウディの立場をより鮮明に印象付ける結果となった。

 ここしばらくなりを潜めていた、王子へのアピールも再び激しさを増してきていたのだ。


「――それで、俺に盾になれと」

「いいだろう? 君は私の騎士なんだから!」


 ラウディは声を大きくしないように、しかし語気を強めた。ここは身分差なしで使える男子便所である。

 大用の個室付きトイレに入った王子様をよそに、ジュダは小の方を済ませる。


「貴族専用のトイレがあるでしょうに……」


 完全なプライベート空間の約束された清潔なトイレ空閑が約束された貴族専用。あまりに綺麗過ぎて、以前入った時、ひどい違和感をおぼえたジュダである。


「そっちは待ち伏せされていたんだ」


 囲い越しに、ラウディの声が小さく反響する。


「王族用として私のために分けられているからね。……だから待ち伏せができてしまったわけだけど」

「なるほど」


 王子様用がなければ、どこに入るかわからないから待ち伏せは本来は成立しない。普通なら男女で分かれているから、他の男子貴族生が入ってくるかもしれない。そこで男女がぶつかれば……ろくなことにならない場合もある。


 ――騎士生と言っても年頃の男女だからな……。


 個室便所に隠れて、いかがわしい行為をする者もいるらしい。貴族の男女の密会もあれば、貴族生が平民生の異性を連れ込んで暴行したとか、よろしくないことも過去にあった。


「おちおち、一人でおトイレもできないとか」


 周囲に誰もいない、個室も開いているのを確認してから、ジュダは皮肉った。唯一使用中のラウディは扉の向こうで言う。


「何なら、君にお世話させてもいいんだぞ。上流貴族や王族なんて、人にやってもらうのもあるんだから」

「あなたにそういう趣味があるとは意外でした。……ま、拭けというなら拭いて差し上げてもいいですが」

「ちょ、ジュダ! 今のは私じゃないからな! 他の家の話!」


 慌てたラウディの声。処理の手伝いを、ジュダに見られながらと想像でもしたのだろうか。


「はて、いったいどこの家なんですかね。具体的に名前を出してもいいですよ。他に誰もいませんから」


 いないのは当然、ただいま講義中である。休憩中に用を足せなかった王子様の付き添いにジュダが付き合わされているのである。

 専用トイレで待ち伏せされては、性別の秘密を抱えているラウディではできないこともある。


「これは、屈辱だ……」

「え? いい歳して、俺に付き添われることがですか?」

「違う。教官に、講義中にトイレを申し出ることが、だ!」


 生真面目な彼女は、きちんと教官に許可を得て、講義を抜けている。しかしクラスメイトたちには、それを目撃されるわけで。


 王子様は休憩中にトイレ行かなかったんですか?――恥ずかしいというのもわかる。実際、王子様でなければ『講義が終わるまで我慢しろ』と教官に言われているところだろう。生理現象だ。我慢できないこともあろう。


「とはいえ、毎回待ち伏せされるようになったら、面倒ですね」

「まったくだよ」


 個室の扉が開いて、ラウディが出てきた。だいぶすっきりした顔をしている。よほど貯まっていたのだろう。


「何とかしたいところではあるけどね。……ところで、ジュダ。手を洗うのはどこ?」

「外ですよ。平民便所には、中にありませんから」

「これも身分差というやつか」


 ラウディとトイレ外にある流しまで移動する。ただ魔石水道があって、取っ手を動かすと水が出るシステムは、騎士学校の先進的設備ではある。


「で、話を戻すけれど、今回みたいにトイレで待ち伏せされると私が困る」


 それはそうだ、とジュダは頷いた。


「学校側に、王子様専用トイレに入ることを禁止する、と周知徹底してもらうというのは?」

「それはそれで恥ずかしい。私のトイレに忍び込んだレディーがいるって学校中に広がるってことだからね」


 知らせるというのはそういうことだ。原因があり、それも周知される。


「それなら、鍵でも付けますか?」

「それが無難かもしれないんだよね。誰かに見てもらおうとも思ったけど、それで私のいない間もトイレの個室内で立たせておくわけにもいかない」


 ラウディに仕えるメイドであるメイアが、王子様専用トイレで見張っている光景を想像し、ジュダは何とも言えない気分になった。トイレで箱詰めは嫌だ。


「でも、もっと簡単な方法があるんだ」


 ラウディはジュダを見た。


「私が入る前に、君が個室に誰もいないか確認してくれないかな。不届き者がいれば、君が叩き出してくれれば、一番手間がない」

「俺は手間なんですが?」


 王子様の用足しに付き合え、とか。ジュダが口をへの字に曲げれば、ラウディは言った。


「君も休憩中にトイレを済ませるだろう? ついでと思えば面倒でもないと思うんだけど?」


 それはそう。ジュダは肩をすくめる。生理現象は、誰にでもあるのだから。

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