第103話、元教官と元臨時教官
結論など、最初から出ている。
何も悩むことなどない。教官なんてやる気もないし、やりたくもない。
だから、きっぱりと断った。なあなあで引き受けてしまったり、やる気もないのに考えさせてと言うことが、おそらく一番後悔するだろうから。
騎士学校の食堂に、ジュダはいた。時間はすでに夜中だった。一般騎士生は消灯とともに眠りにつく頃だ。
多少の夜更かしが許されている上位騎士生であるジュダは、食堂で軽い夜食をとっていた。向かいの席には、勤務時間を終えたジャクリーン隊長が、遅い夕食をとっていた。
「せっかく教官になれる機会だったというのに、お前はそれを蹴ったんだな」
「俺が素直に教官になると思いますか?」
真顔で聞いてみれば、彼女はジュダの顔をしげしげと見つめ、やがて首を横に振った。
「ないな。お前が教官職に『うん』と答えるはずがない」
「よくご存知で。それなら、この結末も理解できるでしょう?」
「それもそうだな」
ジャクリーン隊長は、豆のスープをスプーンですくった。
「教官になりたいと思ったことはないか?」
「ありません」
「ここ数日、教官の真似事をして、面白いと思ったりは?」
「やりたい、と思うほどではなかったですね」
ジュダは、とろりとしたタレが絡んだ肉団子をフォークで刺した。
「あなたは俺を教官にしたかったのですか?」
「……どうだろうか」
髪をかきわけ、ジャクリーンはスープを一口。
「ただお前が教官をやったら、私が先輩として手ほどきをしてやろうかとも思った。手取り足取り、助力は惜しまなかっただろうな」
「面倒見がよろしいですね」
「これでも元教官だからな。教え子」
スープを飲み終わり、ジャクリーンはナプキンで口元を拭った。
「それで、ラウディ殿下は、納得されたのか? お前に教官を勧めたらしいじゃないか」
「ええ、夕食の際に、俺が教官を引き受けた場合、どういうことになるか懇切丁寧に説明したら、ようやく納得してもらえました」
ジュダは意地の悪い顔になった。
「あなたのおかげです、ジャクリーン隊長。……あなたがこれまでしてくれた愚痴が役に立ちました、ありがとうございます」
「どういたしまして」
ジャクリーンも皮肉げに返し、舌打ちするような顔になった。
「ああ、私がお前に愚痴をこぼさなければ、もしかしたらお前が教官をやることもあったかもしれんのか!」
とかく、座学は退屈だ。マナー説明なんて堅苦しい、どうして指導要領はこの手順どおりにやらなくてはならないのか、もっと酒が呑みたい、剣の練習したい――これまで重ねてきたジャクリーンの愚痴。ジュダは大体覚えている。
「愚痴をいうのも必要なことですよ、ジャクリーン隊長。溜め込み過ぎると身体に毒です」
「……そのセリフ、何度か聞いたな」
ジャクリーンは机に肘をつき、頬づえをつきながら流し目を送ってくる。
「見た目と違って、優しいよなお前は」
何気に返答に困るな、今の――ジュダは目を閉じた。
「何ですか。俺に優しくされたいんですか?」
「頼んだら、優しくしてくれるのか?」
「気が向けば」
ジュダはそっけない。
「ご存知のとおり、俺は意地の悪い男ですから」
「知っているよ。天邪鬼め」
ジャクリーンは笑ったようだった。ジュダは目を開ける。彼女は左手で、酒の入ったグラスをいじっていた。
「そういえば、最後の授業は何をやったんだ?」
「性行為の話を――」
ぶっ、とジャクリーン元教官は吹き出す。
「な、な、な、お前、そんな内容の授業をやったのか!」
珍しく取り乱した様子のジャクリーン。ジュダは内心のニヤつきを表情に出すことなく、淡々と告げた。
「ええ、亜人の性行為の話です。騎士生たちは大変深く興味を抱いている様子でした」
「亜人の……ああ、そういうことか」
コホンと咳払いするジャクリーン。かすかに頬が赤いのは気のせいか……。
はたして何を考えているのか――彼女が口を開くのを待つべきか、それともこちらから、からかうべきだろうか。
「なんだ? 何が言いたい?」
「いいえ、何も」
ジュダはすっとぼける。意地悪の虫は絶好調だった。
ジャクリーンは押し黙っているが、どこか恨めしそうな表情である。これは何か仕返しを企んでいるな――ジュダは思った。
「なあ、ジュダ。お前、騎士生から質問されなかったか?」
案の定、ジャクリーンは挑戦的な顔になった。
「お前自身、性行為の経験はあるのかと」
「一名。講義の後に聞いてきましたね」
ジュダは、ラウディの顔を思い出しながら言った。ジャクリーンは唇の端を吊り上げた。
「何て答えたのだ、ジュダ・シェード教官殿」
「それを聞いて、どうするんです?」
その灰色の瞳は、挑むようにジャクリーン元教官を見据える。
「もしあなたが同様の質問を受けた場合、あなたは『子供』相手に正直に答えますか?」
ジャクリーンは押し黙った。つい先日まで教官だった生真面目な彼女が即答しなかったところを見ると――自分が教育者なら、とやはり真面目に考えたのだろう。
「……要するに、お前は答えをはぐらかしたか、答えなかった……そうだろう?」
「ご明察です」
ジュダは頷いた。ジャクリーンは苦笑した。
「やりたくない云々という割には、それなりに考えて振る舞っていたようだ。……これでやる気があれば、中々有望な人材となったのに。……惜しいな、本当に」
「買い被り過ぎですよ、ジャクリーン隊長」
この話はやめにしませんか――ジュダが言えば、金髪碧眼の元騎士教官も同意した。
話題を変えたジュダだったが、この後、ジャクリーン隊長の愚痴話と酒に付き合わされることになった。
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