第102話、学校長のすすめ


 亜人たちのベッド事情を、何も知らない騎士生に吹き込む臨時教官ジュダ。最後の授業は見学にきた教官陣を怒らせておしまい、という可能性もあったが、そんなこともなかった。


 特にイーレン・アシャット教官。……ジュダと相性の悪かったクライブ・アシャット主任教官の妹らしいが、彼女は何を考えているかわからない表情で、ジュダの授業風景を眺めていた。


 ジュダは席を立った。


「さて、俺の最後の講義に付き合った騎士生とペイジ科の諸君。お疲れさまでした。明日からは、着任された教官殿の、まともな講義が受けられると思う。ゆっくり休んで、明日以降の授業に備えてくれ。以上、解散」


 終了を告げた直後、騎士生たちの退出は実にゆっくりしたものだった。今知ったばかりの他種族の夜の営みについて、近くの者とあれこれ話し込んだり。……即行で、席を立たれるような講義内容ではなかったようだ。


 とりあえず、これで終わった。

 ジュダは肩の荷が下りるのを感じた。開き直ったり、他人事を決め込んではいたものの、それなりにプレッシャーは感じていたのだと自覚する。とはいえ、それらの面倒事ともおさらばなわけだが。


「ジュダ」


 ラウディが考え深げな顔でやってきた。


「その、今の講義だけど……随分とその……」


 やたら遠慮がちに言うラウディ。ジュダはその様子を眺める。


「刺激的だった?」

「うん、まあ……その、男女の営み――」


 うんぬんかんぬん。心持ちか顔が赤いのは、今回の授業内容に少々羞恥を感じていたりするのだろう。女顔の王子――その中身は、生娘であるわけだから。


「ジュダは……そういう経験あるの、かな……?」


 それを教室で聞くんですか、と皮肉の虫が疼いた。授業中にその手の質問も覚悟していたから、ジュダは迷わなかった。


「ありませんよ……亜人とは」


 ジュダはそっけなく答えた。実に意地の悪い返答であるのは承知である。


「あ、いや、そうではなくてだな――」


 ラウディはなおも言いかけるが、ジュダが周囲に視線を配ったために自重した。何人かの騎士生がジュダとラウディの会話に注目し、講義の続きでもしているのか、と聞き耳を立てていたからだ。

 軽く咳払いするラウディ。そこへ新たな介入者が現れる。


「お話中に失礼します、王子殿下。ご無礼をお許しいただきたい」


 やってきたのは学校長と、イーレン・アシャット教官だった。まずはラウディに挨拶をする教官たちは、王子殿下の許しを得ると、ジュダへと向き直った。


「中々、興味深い講義だったよ、ジュダ・シェード君」


 穏やかな顔立ちの学校長――ふさふさと白い髭を蓄えた老人は、ジュダに近くの席を勧めると自身も難儀そうに腰掛けた。


「私も数多くの講義を見てきたが、亜人に関する講義はこれまで数えるほどしか経験していなくてね。……意外なところから専門家が出てきて驚いているよ」

「専門家というほどでは。……私は幼少の頃、亜人の集落にいただけです」


 少し知っているだけだと、ジュダは答えた。学校長は頷くと、背後に控えるアシャット教官を見上げた。


「君はどう思ったね、イーレン君」

「大変興味深い内容でした」


 事務的にイーレン・アシャット教官は言った。本心からそう言ったのか、その能面のように動かない表情からは推し量れなかった。


「教官としては、数点気になる所もありますが、亜人の講義としては悪くなかったと思います」


 ――教官として、ね。


 暇つぶし同然で始まった教官の真似事だが、やはり見られるということは望まなくても評価が下されてしまう。


「どうだろうか」


 学校長は、白い髭をなでつけながら言った。


「ジュダ・シェード君、本格的に教官をやってみる気はないかね?」

「……」


 果たして今、自分はどんな顔をしているのだろう、とジュダは思った。何となく嫌な予感がして、実際そのとおりに話が進んでいる。教官? 冗談ではない。


「なに、週に一、二度程度でよい。内容は亜人に関する講義――亜人科目ということでは」

「失礼ですが学校長」


 ジュダは事務的な口調で言った。


「先ほど申し上げたとおり、私は専門家ではありません。亜人に関して少し、知っている程度です。とても教官として騎士生を指導するようなものでは――」

「その『少し』程度の知識すら、ないのだよ、ジュダ・シェード君」


 学校長は、孫に言い聞かせるように告げた。


「ここ最近、亜人との関わりが増えている。生徒たちの反応を見ても、関心はあるのだ。しかし残念なことに、未来の騎士を育てるこの学校において、それを指導する者がいない」

「……」

「亜人と交流するには、相手を知ることが重要だ。また、もし戦いとなった時、やはり相手を知っていることが生き残るためには必要だ」

「お話はわかります」


 ジュダは目を閉じた。騎士学校の創立記念祭で、亜人解放戦線の戦士を騎士生たちは見た。実際に剣を交えた者もいれば、ただ逃げまとうだけの者もいた。


「しかし、私は一騎士生であり、人に教えるほどの技術も経験もありません」

「技術は学べばよい」


 学校長は片目を閉じ、残る片方の目で真っ直ぐ見つめてきた。


「経験は回数をこなして獲得するものだ。やらなければ、経験など積みようがない」


 誠に教育者らしい言い分だった。こうした年配者の言動から、人生の積み重ねの差が見えるのだろう、とジュダは感じた。


「上位騎士生」


 ぽつり、と学校長は言った。


「ジュダ・シェード君。ここで教官補助をやっておくと、卒業の時に有利だよ」


 褒美で釣ってきたか――ジュダは苦笑した。

 貴族生や勉強熱心な輩なら、とてもそそられる話かもしれないが、あいにくジュダは成績や卒業でのおまけなど興味はまったくない。主席で卒業を目指しているわけでもなく、まして卒業する気すらなく、惰性で学校にいる身としてはやはり魅力を感じなかった。


「ジュダ」


 話を黙って聞いていたラウディが声をかけてきた。――なんだ、まだいたのか。


「いい話だと思う。学校から勧められるなんて、そうあるものじゃない。受けてみたらどうだ?」

「……他人事だと思ってません?」


 事実、他人事なのだが、ラウディはわかっているのだろうか。


 ――俺が講義なんかで時間をとられたら、あなたとのお時間を減らすことになりますけど、よろしいので? 


「君の講義は、私は絶対受けたいと思うけどな。例え他に受講者がいなくても」

「王子殿下も、そう仰られておる」


 学校長は重ねて言ってきた。


「教官、やってみないかね?」


 すっと、ジュダは息を吐いた。

 まったくもって面白くない。ジャクリーン元教官の話を受けてしまったのがケチのつき始め。引き受けたのも、こうなることは絶対にないと思っていたからなのだが、何の皮肉か、もっとも望まない形へと終着点を見せている。


「学校長、アシャット教官。ラウディ……」


 ジュダは周囲の面々を見渡し、そして告げた。


「お断りします」

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