第99話、パルカナルハの戦い


 騎士生校舎の戦術教室が使えるようになった――それを聞いたジュダは、さっそく騎士生たちへの講義に利用した。


 今回は、戦史の授業だった。

 ただジュダとしては、ありきたりの教本を読むだけのものにするつもりは無かった。普段の戦史や歴史の授業があまりに固定されたやり方で退屈だから――ではなく、単に一刻のあいだ喋りつづけるが面倒だと感じたからだ。


 昨日に比べて生徒の数が増えていた。騎士学校に戻ってきた騎士生たちだ。貴族生の中にもぼちぼち戻ってくる者の姿もあるが、さすがに全員がジュダの講義に参加することはない。


 別に構わないとジュダは思う。正直、早く臨時教官などやらずに済むのを願っているが、生憎とラウディ王子殿下を始め、ジュダの講義を聴きたいという熱心な生徒が数名いるのもまた事実だった。後は興味本位であろう。


「パルカナルハの戦いを取り上げようと思う」


 ジュダは騎士生たちを見回した。


「この戦いの顛末について知っている者」


 挙手するよう示すと、何人かの騎士生が手を上げた。ラウディも手を上げ、生徒側ではないが、コントロも手を上げた。上級組に多いが、戦史好きか勉強熱心な下級生も何人か。


 生徒たちは怪訝な顔をする。戦史の授業で前もって知っているか云々など、これまで一度も聞かれなかったせいだろう。


「では知っている者は右側に集まってくれ。知らない者は左側に」


 生徒たちを分け、ジュダは挙手したペイジ科の生徒を呼びつけると、壁にパルカナルハ近辺の地図を張り出させた。


 パルカナルハの戦い――ヴァーレンラント王国軍と北方蛮族の亜人戦闘団の戦いが行われた場所にちなんでつけられた戦いだ。


「さて、戦史の授業と戦術の授業を同時にやろうと思う」


 あんぐりと口をあける騎士生やペイジ科の生徒たちを無視して、ジュダは彼らの中から選抜して役を割り振っていった。

 パルカナルハの戦いの顛末を知らない生徒に王国軍を、知っている生徒を蛮族軍の役を割り振った。……当然というべきか、今回一番頭を働かせなければならないのは、この戦いのことを知らない生徒たちだ。


 ただ状況をコントロールする者が必要だったので、知っている者のグループにいたコントロに王国軍役生徒たちの補佐役に指名した。

 ジュダは戦術科の教官のように振る舞った。


「王国軍はパルカナルハ平原に到着した。斥候の報告では北東約一カロッドのところを蛮族軍がゆっくりと進軍しているとのことだ――」


 ジュダはこんこんと状況を説明していく。司令官役に指名した騎士生――コンラードは、聞き逃さないように真剣な面立ちで臨時教官の言葉を聞いていた。周りに配置した幕僚役たちも同様だった。

 同時に、蛮族軍役の騎士生にも、この戦いにおける蛮族軍の行動を考えるように指示を出す。蛮族軍の指揮官役は、ラウディを指名した。


「――コンラード君、以後は君の判断で行動せよ。君自身で決めてもいいし、幕僚たちに相談してもよい。最善を尽くして、勝利を目指してもらいたい」

「わかりました、教官」


 コンラード騎士生は素直な返事をよこした。一つ下の学年であるが、その顔立ち同様、素朴だか真面目な性格ではないかとジュダは見立てる。

 ……果たして、この騎士生は何をもって勝利とするか、考えているのだろうか。幕僚と相談する彼を見やり、ジュダは思った。


「歩兵を正面に置き、衝突と同時に敵側面に騎兵を回して突こうと思うのだけれど――」


 コンラード司令官が、幕僚を見回した。同期の騎士生もいれば上級生、下級生と混ざっている。多分に遠慮した口調に、ジュダはコホンと咳払いした。口出しはするまいと思ったが、まずは言わなければなるまい。


「コンラード君、君は最上級指揮官として、幕僚や兵たちの前でそのように振る舞うつもりかな? ……司令官らしく振る舞うように。他の幕僚たちも同じだ。歳の差や学年は脇に置いて、役になりきってもらいたい」


 騎士生たちは背筋を伸ばした。俄然、表情には緊張が走る。


「意見具申よろしいでしょうか、司令官」


 上級学年の騎士生が目上に対する態度で言った。コンラードは頷いた。


「許可する」

「敵の軍勢に対し、手持ちの騎兵が不足しているように思えます。生半可な数では、途中で勢いを潰されてしまうかと。……確か北方蛮族は、騎兵突撃を数の優位で飲み込む戦術をとると戦訓が――」


 意見が交わされる。自分たちで考え、これまでの授業で得た知識も動員していた。そのあたりは上級生が受けた講義量の多さから意見も中々に適確だ。


 ――まあ、普通ならそれでいいんだけど。


 ジュダは顎に手を当て、騎士生たちのやり取りを眺め、次に暇している蛮族軍役の騎士生たちを見やる。こちらは特に打ち合わせることもないようだった。何せラウディをはじめ、こちらの連中は『パルカナルハの戦い』の顛末を知っている。そして勘のいいラウディは、自分たちがどう動けばいいか察しているようだった。


 とはいえ、この何も考えていないような顔の蛮族役の連中。蛮族軍になりきっているのだろうか。あるいは飯のことでも考えているのなら、まさしくこの時の蛮族軍の心境そのものを体現しているのかもしれない。……なんとも皮肉なことに。


 ――ではそろそろ、教育と行くか。


 ジュダは視線をコントロに向けた。王国軍役騎士生たちの軍議を黙って聞いていたコントロが、ジュダの目線に気づき、小さく頷いた。特に打ち合わせをしたわけではないが、パルカナルハの戦いを知っているという彼が次にとる行動は予想できた。


「司令官、幕僚の方々、口を挟むことをお許しいただきたい。そろそろ、兵たちに食事を摂らせる時間が迫っておりますが――」

「食事?」


 騎士生たちは一斉にキョトンとした。どう相手を攻撃するか考えていた彼らは、思いがけない言葉に衝撃を受けたようだった。コントロはそしらぬ顔で言った。


「軍勢は、パルカナルハ平原に到着して、まだ食事を摂っておりません。直、夜になりますし、兵を空腹で待たせるのも……」

「うーん……」


 コンラード以下幕僚たちは困惑していた。この演習にそこまで再現する必要があるのか、という顔だ。裁定を下す教官に助けを求めるように視線を向け――ジュダは頷いた。


 パルカナルハの戦いの戦いが、一種奇妙な戦いとなったのは、まさにこの点にあった。だからジュダは、きっぱり伝えた。


「コンラード君、君は部下に食事を与えないのかな? 実際に兵を率いていることを考えれば、食事や設営など指揮官が考えることは山ほどある。たとえ取るに足らないように見えてもね」

「はい、教官殿」


 コンラードは頷き、幕僚たちを見回した。だが彼らも一様にどうしたものかと顔を見合わせた。すっかり調子が狂ったようだった。コントロが助け舟を出した。


「司令官。とりあえず指示がないようでした。各隊それぞれの時間に食事をとりますが、それでよろしいですか?」

「うん、ああ、そのように」


 コンラード騎士生は同意した。……同意してしまった。


 この判断にほくそえんだのはジュダだけではなかった。蛮族役の生徒たちはニヤニヤし始め、コントロも口元がかすかに緩んでいた。


 王国軍首脳陣が軍議でああだこうだ言っている間に、ジュダは地図わきに控えていたペイジ生に、王国軍部隊のいくつかに、休息中を示すピンを刺すよう指示を出した。王国軍役幕僚の何人かはそのピンが刺されていく様子に気づいた者もいたが、特に何も言わず軍議に戻った。


 ジュダは蛮族軍総司令官役に指名されたラウディを見た。彼女はとても楽しそうな顔をしてそれを待っていた。


「もう、いいのかな?」

「いいですよ」


 ジュダは肩をすくめるように言った。ラウディは蛮族軍役の生徒たちを見回した。


「それでは進軍開始!」

「おおっ!」

「え?」


 腕を突き上げる蛮族軍。対して、いまだ軍議をしていた王国軍騎士生たちは戸惑った。


「まだ、こっちは話がまとまっていない――」

「司令官、敵の襲撃であります!」


 コントロがわざとらしく席を立ち、声を張り上げた。


「ただちにご指示を!」

「あ、えっと――えっ?」


 コンラードと幕僚たちは混乱していた。ジュダや張り出された戦場の地図を交互に見やる。地図横のペイジ科の生徒が蛮族軍の部隊駒を王国軍目掛けて前進させる。


「……どうやら飯の匂いにつられて進撃を開始したようだな」


 ジュダはすっとぼけた。

 本当なら、対応が決まるまで待つものだが、今回のメインは戦術ではなく、戦史のほうである。だから後者の方が優先されるのだ。

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