第98話、教えは巡る
「ヒヤヒヤしました」
コントロがため息をつきながら言った。
「まさか実剣で打ち合うなどと……。教官がいたら止められてますよ」
「お前は止めなかったな」
布切れを受け取ったジュダは汗を拭う。
「ジュダ様のことですから何か考えてのことと思ってましたから」
「なら何も問題はないだろう?」
「ですが……。いえ、本音を言えば、刃のついた剣で訓練など、正気を疑います」
「そうか?」
ジュダはとぼける。
「ジャクリーン元教官は、俺相手にあの刀を向けてきたぞ?」
「ではジャクリーン教官の真似だとおっしゃるのですか?」
「いや……リーレが戦場の云々って言ったからかな? ……もし俺が任せたなら、君も同じことをしただろう、リーレ?」
「当然」
リーレは頷いた。コントロは頭を抱えた。
「君なら騎士生に怪我をさせそうだ。……少しは遠慮という言葉を覚えたほうがいい」
「知らないわよそんなの」
リーレはそっぽを向いた。
「前々から騎士学校の実技訓練には不満があったのよねー。特に貴族生連中の、なんちゃって剣術には。あたしが小さかった頃、戦闘訓練では敵を殺した。覚悟が足りないのよ殺しの覚悟」
コントロはさらに頭を抱えた。ジュダは思わず同情してしまった。それにしても、小さかった頃の戦闘訓練とか、いったいリーレはどんな幼少時代を過ごしたのだろうか。
「……それはともかく、さすがですねジュダ様。実剣相手に、かすり傷ひとつ負わないとは」
「経験の差だよ」
ジュダは近くにあったコップに手を伸ばし、水を口にした。
「俺の剣の師匠は――ああ、くそ」
「ジュダ様?」
「ジュダ?」
コントロとリーレが驚く中、ジュダは自身の顔が熱を帯びていくのを感じた。
「面白くないことを思い出した。……俺はブラドリー騎士生になんて言った?」
「『よく耐えた』?」
「『剣を置いたら、お前は相手に首を刎ねられている』?」
「……」
「『後は一歩を踏み出すだけだ』?」
「『俺がクマか猪にでも見えるか』?」
リーレとコントロは顔を見合わせつつ、ジュダに言った。
「……いったい何です?」
「まあ、なんだ」
ジュダは視線を彷徨わせた。
「俺にも若い頃があったってことさ」
「……今でも充分若いでしょ」
コントロが小首を傾げる。
ジュダは赤面した。ブラドリーに放った言葉、それはかつて、初めて剣の師匠に実剣を持っての打ち合いをした時に、師匠からジュダ自身が言われたセリフだ。思い出しただけでも身体がムズ痒くなってくる。
「自分でもらしくないと思ったんだ。声を張り上げて……」
「あれは意外でしたね」
コントロがリーレを見れば、赤毛の少女も同意するように頷いた。
「普段のあんたらしくない、熱のこもった指導だった」
「言うな」
「なに、照れてるの?」
リーレがおかしそうな顔をすれば、コントロはわざとらしく眉をひそめた。
「恥じることなどありましょうか。ジュダ様の熱のこもった指導――見てください、彼らを」
彼の視線の先には、いまだ剣の練習を続けている騎士生とペイジ科の生徒たち。お互いに向き合い、剣の構えからその防ぎ方をやりつつ、ああだこうだと意見を言い合っている。
「いい刺激になったようです」
「ちょっと戦場戦場と連呼し過ぎたかもしれない。少し、しつこかったろう?」
「私はそう感じませんでした」
コントロは唇を歪めた。
「実戦を経験したせいでしょうね。ジュダ様の言われることは、間違っていません。あなたのようにはできなくても、私もきっと彼らには同じことを言うでしょう」
「ありがとう」
素直に礼を言えば、コントロは驚いた顔になった。
「どうした?」
「いえ、その、礼を言われるとは思っていませんでしたから」
「そうか?」
ジュダは目を丸くして見せる。
「俺だって人を褒めることはあるし、礼だって言うぞ?」
変なやつだ。ジュダは生徒たちの訓練を眺める。そこへ鎧をはずしたラウディがやってきた。
「ジュダ、ちょっといいか?」
「もちろんです」
ジュダはコントロとリーレに後を任せると、ラウディの許へ駆け寄った。
・ ・ ・
「向いてるんじゃないかな、教官に」
ラウディがそんなことを言えば、ジュダはあからさまに顔をしかめて見せた。
「笑えない冗談です」
「割りと本気なんだけど?」
日が傾く。廊下の窓べりに王子殿下は行儀悪く飛び乗り座って、校庭の様子を眺める。
「
「ジュダって、面倒見がいいほうだよね」
周囲に人がいないせいか、ラウディは王子様の演技をしなかった。耳元にかかる髪を払い、静かに微笑む。
「ブラドリー騎士生のことだけど、あなた、戦った後、彼を褒めたでしょう? あのフォローがなかったら、彼相当落ち込んでたと思う。もしかしたら立ち直れないくらいに」
「彼は見所がありました。だから褒めたんです」
おかしいですか――ジュダは真顔だった。ラウディは首を横に振る。
「自分には関係ないとか言っている人間が、他人を褒めるなんてね。さりげないところで気遣いが上手。そういうところ、私も見習わないといけないなって思う」
「買い被り過ぎですよ、ラウディ」
ジュダはこそばゆくなって思わず頬をかいた。
「そんなに上手く人の気遣いができるなら、もっと器用に生きてます」
「そう? 私はそんなあなたに何度も助けられているけれど」
ラウディの青い瞳がじっとジュダを見つめる。
「気持ちがくじけそうになった時、重圧に潰されそうになった時――あなたが声をかけてくれた。励ましてくれた。勇気づけてくれた。だから私は前を見ていられる。頑張れる」
「……」
穴があったら入りたい――ジュダは妙な汗を感じた。レギメンスのオーラの外のはずなのに、身体が火照っている。
「でも、ひとつだけ気にいらないことがある」
「何でしょうか?」
ジュダは背筋を伸ばした。ラウディは青い瞳をまっすぐ向けてくる。
「あなたは私の騎士なのだから、もう少し私の我侭に付き合ってくれてもいいと思う」
「……模擬戦ですか」
ジュダはあからさまに視線を逸らした。
「確かに俺はあなたの模擬戦の申し出を断りました。ええ、騎士生たちの前で。あなたに恥をかかせたかもしれない……」
「別に恥とか思ってない。カッときたのは事実だけど。それはあなたが相手をしてくれなかったから」
ラウディは窓べりから飛び降り、すっとジュダに手を伸ばした。頬に触れそうな彼女の手――ジュダはそっと自身の手を割り込ませて、やんわりと阻止。
「……触れさせてもくれないの?」
彼女の口調が固くなる。ジュダは表情ひとつ変えなかった。
「自重してください。誰かが見ているかもしれません」
王子殿下――本当はレギメンスに触られると痛みを感じるからではあるが。
ラウディはふっと息を吐いた。
「なら、二人っきりにならば、もっと触ってもいいのかな?」
「御戯れを。……あなたのお父上が知れば、俺は八つ裂きにされます」
「なにそれ」
ラウディはおかしそうに笑った。……とりあえず接触の危機回避。ジュダは心の中で思ったが、同時にレギメンスの身体に触れることができないスロガーヴ、その身を呪った。
「まあ、いいか。でもジュダ、模擬戦もそうだけど、私の言うこともう少し聞いてよね」
「またまたご冗談を」
ジュダはわざとらしく言った。
「俺はこれでもあなたを甘やかしてますよ。あなたの望むとおりに教官などと、面白くもないことをやらされて、それでも文句ひとつ言わずにやっている」
「文句、それ言ってるよね?」
「いいえ、愚痴です。文句ではありません」
実際、彼女の求めるままに一緒に食事をしたり、お供をしたりしている。
もちろん、皮肉屋な本性もオープンにしているわけで、単なるイエスマンとは違う。決してラウディにとって気持ちがよいものではないだろうこともわかっている。
だがそれでも彼女は求めている。同時にジュダ自身、そんな彼女に付き合うことが楽しくもあった。
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