第95話、ジュダ、教官になる

 

「……それより、弟がいるといいました?」


 ジュダは初耳だったから、ジャクリーンに問うた。元教官は片方の眉を吊り上げる。


「いる。剣の腕前はいいぞ。ただ一つだけ気になっていることがある。……面構えが女々しい」

「は?」

「王子殿下に似て女顔なのだ。弟は正真正銘の男なのだが、どうにも女に見えて仕方がない」

「……なるほど、どこぞの王子様も、面立ちが女性ですからね」


 実際、中身も女なのだが。ラウディ・ヴァーレンラント王子。この国の王、その跡を継ぐだろう次期国王。……実際は、男ではなく女であり、ラウディ王女殿下であるが。


「できればどこかの上位騎士生のように、勇壮な面立ちがよかったのだが……」

「はて、いったい誰のことか」


 自分のことではないと思いたいが。――自惚れかもしれないが、たぶん俺のことだ、とジュダは思った。


「で、それを言いにきたんですか?」

「いや、一緒にお昼をどうかと思ってな」

「王子殿下がいないと思ったら、今度はあなたが誘ってくるんですか……教官殿?」

「私はもう教官ではない。警備隊長だ。だから騎士生にちょっかいを出しても文句は言われないわけだ」


 なるほど、教官時代以上に騎士生に対して積極的になれるわけだ。


「やれやれ、俺は嫌われ者のはずなのに」


 ジュダはいつも以上に淡々と言った。


「自分はどうやら人気者になってしまったようです。王子殿下と顔を合わせれば当然のようにお供。義妹や同期生からも声をかけられ、挙句は元教官殿。あなたは、教官でなくなったのをいいことにランチのお誘いときた」

「英雄になるというのはそういうことだ。ただジュダ、一つだけ言わせてもらうと」


 ジャクリーンは真面目な顔で言った。


「私は、お前が皆から嫌われていたという頃から……つまり王子殿下やトニたちよりも先に、目をかけ、好意を抱いていた。他の連中と一緒にするな」

「ええ、そうです。あなたは俺に優しかった」


 ジュダは横目でジャクリーンを見ながら笑みを浮かべた。


「だからあなたの誘いは断れないんです。俺はあなたを実の姉のように思ってるんですから」

「姉……」


 ジャクリーンはポカンとした表情になる。それがどういう意味か、ジャクリーンの真意についてジュダは敢えて考えないようにした。


「弟の面倒を見るのは好きでしょう?」


 あるいはジャクリーンがジュダに好意的だったのは、自身の弟と重ねて見ていたからかもしれない。ジュダは、彼女の好意の意味をそう解釈した。それ以上の気持ちだったなどと思うのは、それこそ自惚れだろう。


「ああそうだな、手のかかる弟の面倒を見るのは好きだ」


 ジャクリーン隊長は顔をやや曇らせた。


「お前、私の誘いは断らないって言ったな?」

「……そういう言い方をするということは、何かまた面倒を押し付けるつもりですか?」

「いやなに、大したことじゃない」


 女騎士は、悪戯っ子を思わす満面の笑みを浮かべてこう言った。


「取りまとめ役も、監督役も退屈だろう。そこで姉貴分である私から提案だ。……お前、教官をやってみないか?」



  ・  ・  ・



 もちろんお断りした。


 騎士学校の上級学年とはいえ、在校生が教官などと――人に教えるような立場ではないし、ましてその気などこれっぽっちもない。将来、教官や先生になりたいならまだしも、何故スロガーヴである自分が、人間を教育せねばならないのか。


 ――人間を教育する、か。


 心の奥底で、欠片でもその響きが気にいったが、すぐにその考えを打ち消す。どうせ面倒に決まっている。そう、人にモノを教えるほど頭はよくないし、何より教育を受けている段階だ。


 この話はこれでおしまい、のはずだったが、王城で暇を持て余し、騎士学校へ戻ってきたラウディが、不幸にもこの話を聞きつけた。


 見目も麗しい王子殿下――その中身、お姫様は、上目づかいでこう言った。


『ジュダが教官か。……見てみたいな、それ』


 それを恐れていたんだ。ジュダは何やかんやと理由をつけて断るのだが、ラウディはお姉さんぶって、正論っぽく説くのだった。


『ジュダは上位騎士生なんだし、後輩を指導するのは何もおかしくない。というか自覚を持て』

『君はいずれ騎士になるわけだし、人前で話すいい練習になるのではないかな?』

『勉強に関して前向きな君らしくないな。どうせ君は正規の教官ではないし、何も損はない』

『そもそも、暇だろう?』


 閉口である。かくて校庭に椅子を並べて、よく晴れた空の下、ジュダは教官の真似事をすることとなった。……外で行ったのは、単に校舎の補修作業の邪魔をしないためである。


 正規の授業ではないため、自由参加としたが、学校に残っている騎士生、小姓ペイジ科生徒たちの大半、およそ三〇人ほどが参加した。席が足りなかったので、地べたに座る者もいたが、当然ながら年少のペイジ科生徒たちだった。


 ――どいつもこいつも暇人か。


 ジュダは集まった生徒たちを前に、半ばうんざりしたが顔には出さなかった。


 上位騎士生に任命されてから、下級生たちは『騎士学校在学中の英雄』に隙あらば話かけてこようとしていた。

 もちろんジュダにとって嬉しくない話だ。ラウディやリーレ、コントロがいない時など特に露骨であり、ある意味、その英雄が講義をするといえば、集まってくるのは当然といえば当然だった。


 講義の内容は、得意の戦史にしようかと思った。その知識なら、専門の教官ほどではないにしろある程度教えられると自負があったからだ。


 ただ一刻ほどの間、ただ教本を手に喋りつづけるのはどうかという疑問もあった。授業より深い内容をやることも可能であるが、生徒たちがついてくるかは別問題であり、やるからにはそれなりに有意義でなくてはやり損なのだ。面倒事は嫌いであるが、損になることも嫌いであるジュダである。


「臨時教官として講義をすることになった」


 ジュダは淡々と、生徒たちに告げた。

 下級生たちの視線が集まり、なんともムズ痒い。何より始末が悪いのは、ジュダの立ち位置の正面の席に、ラウディ王子殿下が好奇心丸出しの顔でいたことだった。


「騎士生の分際で教官の真似事をすることになった。得意科目は戦史と戦術であるが、あいにくと俺が教えなくても、教官たちが教えてくれると思うので、それはやらないことにした」


 騎士生たちがざわめく。ジュダは続けた。


「そこで、今回、亜人の話をする」


 場が静まり返った。生徒たちにとって、それはまったくの予想外の内容だっただろう。


 ジュダとしては、亜人と聞いて露骨に嫌そうな顔をしたり、席を立つ者が出るのを期待したが、誰一人その場を離れる者はいなかった。それどころか、むしろ興味をもたれたように注目度が増したような気がした。


 さて、授業を始めよう。

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