第92話、イベリエ姫騒動


 冷静に考えれば、レアスは、何もなければジュダの敵になることを言っているも同然だった。


 ジュダからすれば、母の仇であり続けるレアスであるが、ラウディや家族に手が伸びない限り、王国の民に害をもたらさない限り、スロガーヴの少年騎士生は、もはや敵ではなかった。


 だから破廉恥にも、娘を守ってくれと、本来敵対者であるスロガーヴに言えてしまうのだ。


 近いうちに王都エイレンを訪れる友好国の姫君が、ラウディに対して気があるから、性別が露見しないようにと、ジュダに告げたレアスだが、そのジュダは言った。


「――もう一つ、ラウディの身の安全というのは?」

「最近、彼女の周りが物騒だ」


 亜人解放戦線の攻撃、先日の騎士学校反乱未遂騒動などなど。何度、ラウディは命を狙われたことか。……そしてその都度、このスロガーヴの少年騎士生は、彼女を守り続けていた。


「あなたに頼まれるまでもなく、彼女を危険にさらす者は全力で退けましょう」


 淡々としていて、しかし頼もしい言葉だった。スロガーヴが全力で護衛につくなど、これほど信用できることがあるだろうか。


 だがそれよりも、レアスは、ジュダの言葉が、かつてのアンジェが言った言葉と被って聞こえた。懐かしくもあり、同時に親子なのだな、と思った。


「本気でかかるのはいいが、あまり全力は出さないでくれるか、スロガーヴ」


 思わず苦笑するレアスである。頼むから、周囲にスロガーヴだと露見するような真似は控えてほしい。

 でなければ――


「余は否応なく貴様を討たねばならなくなる。お前の――」


 母親のように、と口にしかけて、唇を引き締めた。


 今更、お前の母親を殺さなければいけなかったのが、人前で力を使ったからだ、などと言うのは言い訳だ。王の癖に、それを止めることができなかった自身の無力さ。これは自分が抱えていかねばならない罪だ。


「何か?」

「いや、何でもない。……たとえ、娘の騎士でもな。討たねばならなくなる。そんなことはしたくない」


 またもラウディを山車に逃げるレアスである。座っていたベンチから立ち上がり、レアスはジュダと正面から向き合う。


 娘を頼む――その意を込めて、すっと右手が出かかった。信頼する者に対する握手は、レアスにとって発作のようなものだったが、これがいけないことだと我に返った。


 ジュダは、わずかに眉間にしわを寄せた。


「何をしようとしました?」

「いや……スロガーヴと握手など、我ながらどうかと思ってな」


 レギメンスが触れれば、痛みを伴う。それを知っていながら彼と握手しようとするなど、いきなり殴りつけるに等しい暴挙だ。


 だから、手を引っ込めたのだ。それがなければ、こんな気まずい行動などしなかったのだが。


 おかげでジュダから、レアスは、レギメンスの癖にスロガーヴに頼る狂人などと思われてしまった。

 そして「あなたは血迷っておられる」などと言われた。



  ・  ・  ・



 それからしばらくして、エイレン騎士学校が復旧し、生徒が戻った頃、イベリエ魔法国から王女ソフィーニアと護衛の一行が、王都に到着した。


 滞在期間はおよそ一週間。その場所が、ラウディの通う騎士学校というのだから、姫の狙いがラウディとの婚約の復活を目論んでいることは、レアスにもお察しだった。


 気がかりではあったが、王として、ラウディの命を狙っている連中の捜査も関心事であった。


 騎士学校反乱未遂騒動に関わった狐人。――特殊部隊『幻狐』に所属した元暗殺者ヘクサなるウルペ人の捜索と、その裏側に潜んでいる者たちについて。


 ウルペ人たちもまた、裏切り者ヘクサを追っているらしく、その線で何か有益な情報があれば提供してもらえると約束は取り付けてある。


 が、今のところ、ウルペ人の暗殺者の消息は掴めずにいる。

 それから数日が立ち、学校から緊急の連絡がきた。その内容は、レアスを呆然とさせた。


『イベリエの姫が、ラウディ王子を刺した』


 何を言っているのかわからなかった。


「ラウディが!? 何故?」


 自分でも王としての振る舞いを忘れた。それほど動転したといっていい。彼女のそばには、ジュダがいたのではなかったのか? 無敵のスロガーヴがいて、どうしてラウディが刺されるのか?


 頭の中が真っ白になり、ふつふつと怒りが湧いた。それがいけなかったのか、レアスは目眩を起こした。


 それが幸いというべきか、王自ら騎士学校へ駆けつけるという外聞に悪いことをしなくて済んだ一方、心配でたまらずペルパジア大臣をすぐに学校へ送り込んだ。


 ペルパジアは、ジュダの保護者であり、スロガーヴであることも知っているから、彼から詳しい話も引き出せるだろうと思ったのだ。


 ラウディの怪我の具合はどうなのか。まさか死んでしまうなどということはあるのか? 前妻とその間の子たちを奪われた身であるレアスにとっては、それは耐え難い苦痛だった。


 そして、同時に困ったことになった。

 友好国であるイベリエの姫が、ヴァーレンラントの王子を刺す。これはどう転んでも外交問題に発展する。


 どうしてこういう事態になったのかはわからない。だが事の如何によっては、両国の関係は悪化、最悪、戦争になるかもしれない。


 平和を望む王としては、戦争は避けたい。特にヴァーレンラント王国、そしてイベリエ魔法国は北方蛮族の侵略に立ち向かうパートナーであるだけに、関係を拗らせるのは、自国の安全の関わることだった。

 どうしてこうなった。



  ・  ・  ・



 派遣したペルパジアの報告によれば、ソフィーニア姫は、何者かによる催眠魔法によって操られていた可能性があるという。


「また、催眠魔法か!?」


 レアスは、あの不明の狐人、ヘクサ・ヴァルゼの関与を疑ったが、ペルパジアは不明と言ったが、こう付け加えた。


「殿下を狙ったこれまでと異なり、刺した相手が別の国の姫君ですから……。個人の恨みでなければ、高度に政治的な原因があると思われます。むしろ、イベリエ、ヴァーレンラントの中で、戦争を望む者がいて、その手の仕業やもしれません」


 事態を混迷を深める一方、騎士学校における問題は、あっさりと解決に向かった。

 二度目のソフィーニア姫の暴走、それをラウディ王子以下、騎士生たちが鎮圧し、姫を操っていた者が逮捕されたのだ。


 そしてその実行犯を動かしていたのは、ヴァーレンラント王国側はフィンソルグ男爵、イベリエ魔法国側はタルヴァー上級卿と、両国の貴族。どうやら両国で戦争を引き起こし、現政権を追いやり、自分たちが国を支配することを目論んでいたらしい。


 事件はひとまず解決したのはよかったものの、レアスとしては心穏やかにはいられなかった。


 怪我人だったはずのラウディが、暴走するソフィーニア姫を救うべく無茶をしたこともそうだが、自国も友好国の中でも不穏分子が動き出していること。


 現場を押さえ、逮捕したはいいが、必ず他にも繫がりがあるはずだ。イベリエのタルヴァー上級卿はともかく、ヴァーレンラント王国のフィンソルグ男爵といえば小物も小物。この貴族一人がどう頑張ったところで政権転覆など不可能。必ず大物がバックにいる。


 非常にきな臭い。レアスとしても、スロガーヴ云々よりも、王国内で暗躍する人間のほうが信用ならなかった。


 それはとても悲しいことであった。

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